ロシアⅢ/青銅の騎士
2年前にサンクトペテルブルクに来たとき、「青銅の騎士」 を見逃した。
青銅の騎士というのは、ロシアの文豪プーシキンにうたわれて有名になっピョートル大帝の騎馬像である。
英雄や偉人の銅像なんぞに興味はないほうだけど、青銅の騎士というロマンチックな響きに感動し、これだけは積極的に見たかった。
イサク聖堂からふたたび下界に舞いもどり、元老院広場の公園を突っ切ってネヴァ川に向かう。
青銅の騎士像は、イサク聖堂のまっ正面、ネヴァ川の川岸にあって北西の方角をにらんでいた。
この騎馬像の土台になっている巨大な岩にもゆゆしきいわれがあるそうだけど、詳しいことを知りたい人はここをクリック。
よく見ると馬はヘビを踏んづけている。
詳しい寓意は知らないけど、このヘビは強国だったかってのスウェーデン、ドイツあたりを象徴しているのだそうだ。
映画 「アレクサンドル・ネフスキー」 は、ロシアに侵攻したドイツ騎士団との戦いを描いているくらいだから、むかしからロシアは北と西方の国々を仮想敵国にしていたらしい。
有名な銅像だからネット上にもこの写真はたくさん見つかり、いまさら新しいアングルを探すのはムズカシイようなものだけど、ここに載せたのはわたしが撮った写真。
本人は気にいってんだけどね。
読まずにぐちゃぐちゃいうのもナンだから、帰国してからブーシキンの詩に目を通してみた。
もちろん翻訳されたものだけど、正直いって、あまりおもしろくない。
詩といっても叙事詩だからストーリーがある。
ネヴァ川の洪水で愛する者を失った男が、発狂して、川辺に立つこの銅像を呪うと、それは動き出してどこまでも彼のあとを追う・・・・・・
ロシア人の中にはこれを暗唱するくらい愛読してる人もいるそうだけど、原詩の素晴らしさは翻訳では理解できないのではないか。
日本の 「平家物語」 が素晴らしいのは、七五調という文章のリズムの美しさにもよるように、たぶんロシア語の原詩にも、人々を魅了してやまない響きやリズムがあるのだろう。
それを理解するにはロシア語をふつう以上に勉強しなければならず、先のみじかいわたしはゼッタイに不可能だ。
努力なんてものに縁のないわたしは、こういうあきらめはものすごく早いのである。
だからわたしは翻訳をヒントにして、あとは自分の勝手な想像をふくらませるという手を使う。
ひと気のなくなった夜の公園で、いかめしい騎馬像が、最初ぎくしゃくと動いて台座から飛び降り、やがて本物の人馬のようなやわらかな動きで街を走り抜ける。
あの古風な石畳の上を、ひずめの音を響かせて、ロボットのように無表情な銅像が、ひとりの人間を執拗に追いかけると、なんか映画 「ターミネーター」 みたいだけど、これはやっぱりサンクトペテルブルクに行った者でなければ想像できないのではないか。
2枚目の写真は古風な石畳だ。
考えてみると、わたしの旅にはロマンに突き動かされてという側面があるみたいだ。
名所旧跡を見ているときよりも、絵や文学をヒントにして、英雄豪傑、可憐な美女が跋扈していた詩的、文学的世界を想像して楽しむ。
それがわたしの旅のスタンスで、だからホテルの部屋で終日ごろごろしていても、わたし自身はトッテモ楽しいのである。
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