ロシアⅢ/モーム
翌日もいい天気が続いた。
わたしはこの日の午後に、サプサン号でモスクワにもどる予定になっていたけど、それまで時間があったので、朝食後にもういちど街の散策に出た。
ブーシキン公園やロシア美術館、ネフスキー通りをふらふらしながら、わたしの思索はまたとりとめもなく時空をかけめぐる。
英国の作家サムセット・モームも旅を愛した。
彼の小説にはアジアやオセアニアなど、辺境を含めた世界のさまざまな土地が舞台になっているものがあり、わたしの知っているところでは、「アシェンデン」 という作品にロシアが出てくる。
モームは英国の諜報部員として、革命前夜のサンクトペテルブルク (この当時はペトログラード)で、諜報活動に従事した経歴を持つ。
英国の諜報員というと、つい007を連想してしまうけど、この革命は第一次世界大戦前後の、つまりレーニンの革命のことだから、モームもそうとうに古い人である。
ロシアとドイツが単独講和を結ぶことをおそれた英国は、モームに命じて戦争継続派を支援し、講和を阻止しようとしたのである。
しかしそんな工作にもかかわらず、このもくろみは失敗に終わり、モームはいのちからがらロシアを脱出することになり、「アシェンデン」 も革命の混乱にまきこまれた、ひとりの律儀なアメリカ人セールスマンの死で終わっている。
この小説の主人公はロシアに乗り込むためにシベリア鉄道を使っているんだけど、この列車内の描写がすこぶるおもしろい。
とくに同じ個室に乗り合わせたセールスマンが秀逸で、自分の職業に忠実で、頑固なくらいおのれの生き方を遵守する人物像を、モームはユーモアをまじえて描き出した。
活劇を期待すると肩すかしだけど、007的文学としては、ヘタなその手の本より楽しみの多い作品だ。
「アシェンデン」 は、読んで単純におもしろいという大衆小説であるけれど、ロシアの女性は情熱的だけど冷めやすいとか、いり卵が好きだとか(ホントかしら)、示唆される部分もないわけじゃない。
総じて英国人の目から見たロシア人の評価はひくい。
どうも英国および欧米列強は、むかしからロシア人を田舎者とバカにする傾向があったようだ。
女帝エカテリーナが見栄を張りまくった宮殿を建てたのも、諸外国への対抗意識があったみたいだけど、世間の評価をくつがえすのはなかなかむずかしいものである。
ナチスのホロコーストでも、ロシア人の捕虜はユダヤ人と同じ扱いをされることが多かった。
プーシキンの銅像のまえでぼんやりと考える。
ペトログラードからレニングラードになり、古都サンクトペテルブルクの名前にもどったこの都市に、さてわたしはもういちど来ることができるだろうか。
ピョートルが踏み、サマセット・モームが踏み、いままたわたしが踏む、そんな石畳みに未練を残しつつ、わたしはぶらぶらとホテルにもどった。
PS.モームはホモだったという説もある。
でもあちらでは有名人をけなすのに、材料がないと、すぐあいつはホモだといいだすみたいだから、あまり信用してません、ワタシ。
モームは最後にじつの娘に看取られて死んだ。
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