ロシアⅢ/ひらめき
ベラルーシ駅でかんたんな食事をすませたあと、空港行きエクスプレスのホームの上で金髪クンと別れた。
エクスプレスの窓から眺めると、ようやくモスクワの空は本来の冬空にもどりそうな塩梅。
空港の待合室でぼんやり考える。
30代の終わりのころ、わたしの脳天に天啓がひらめいた。
シナイ山に登って十戒を得よなんて高尚なものではないけれど。
そのころのわたしは、マンガ家になろうという夢をとっくに放棄していたばかりか、それがたんなる現実逃避に過ぎなかったことにも気がついて、なかばヤケッパチみたい生き方をしていた。
はっきりしてるのは、自分には他人よりマシな特技も学歴もないこと、もうイヤになるような負け犬根性の持ち主で、組織の中では生きられっこないということ、こういう人間がたとえば結婚したって先が知れていること。
とくにやりたいこともないので、だらだらと貯めていた貯金だけはあるていどの額になっていた。
貯金通帳をながめて、思った。
貯金は少しづつ増えるけど、それが老後の資金というのではあまりに寂しい。
いくらせっせと貯金をしたって、どうせ人間いつか寝たきりになる。
寝たきりでなければ、ある日とつぜんポックリか。
どっちにしたって、このままでは貯金はあの世で使うのが精いっぱい、待っているのは悔いの残る人生だけだろう。
ならばいっそのこと、他人にはおいそれと真似できない徹底的変人生活をしたらどうだ。
無責任な天啓だけど、ひらめいたってのはこういうことである。
そうはいっても、もともと引っ込み思案のわたしが、いきなり衆議院選挙に立候補したり、ヤクザの事務所になぐりこみをかけたりできるわけがない。
わたしの徹底的変人生活というのは外国を見ようということだった。
独身貴族であることと、いくばくかの貯金を活用して、見たいところ、行きたいところへどしどし出かけてみようということだった。
なんだ、そんなことかいと笑われてしまいそうだけど、この程度のことでも妻子のあるフツーの労働者にはなかなか出来ないことである。
これなら現実から逃れたいという願望と、やむにやまれぬ好奇心という、わたしが持っている二つの性癖を同時に満たせるような気がした。
そういうわけで、30代後半からわたしは旅行三昧。
しかし、よくわからないけど、こう決心してからわたしのツキが始まったような気もする。
その後のわたしは、偶然とは思えない幸運にいくつも遭遇した。
しかもその多くが、わたしの決意を後押しするようなことばかり。
そのひとつひとつを挙げつらっても、バカいうな、偶然に決まっているといわれるのが関の山だろうし、ヘタするとまたオカルトになりかねないから挙げないけど、わたしは確信しているのだ。
たぶんわたしは、まともな生活をするために生まれたわけじゃないのだろう。
こんなわたしの行きつく先は決まっている。
しかし、まともな生活をしたって行きつく先に大差があるとは思えない。
これまでの不思議な幸運からすれば、貯金を使い果たしたころ、うまい具合に心臓がぱったり止まるんじゃないか。
その場所がどこか異郷であることを願うって、わたしもほとんどビョーキだね。
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