ロシアⅢ/女の子たち
この旅の最大の痛恨事は、女の子たちの写真を撮れなかったこと。
最近は勝手に他人の写真を撮れない風潮が、イスラム国みたいに荒れ狂っているから、町のスナップでもなかなか女の子にカメラを向けるわけにはいかない。
それを痛恨事といいたくなるのは、なにしろロシアの女の子というのは美人が多いのだ。
特にミドルティーン、ハイティーンの女の子の可愛らしさは筆舌に尽くしがたい。
前から10人の女子中学生が来れば全員がモデルになれそうだし、10人の女子高生が来れば、そのうちの7、8人は女優でも務まりそう。
30歳すぎるとこの割合は劇的に下がりますけど。
陽がささないせいか、夏が短いせいか、ロシアの女の子はみんな色白である(最初の写真はネットから)。
透きとおるような肌というのは彼女たちのことをいうのだろう。
わたしはそんな彼女たちの写真を撮りたくてたまらなかった。
しかし最近はロシアでも変態が増えているのか、彼女らのガードは固い。
いや、そう思っているのはわたしだけで、彼女たちは意外と気安いのかもしれないけど、“私の汽車は遠くに去ってしまった” のだ。
「わたしの汽車は遠くに去ってしまった」
この言い回しは、以前テレビで見たもので、テレビ局のスタッフからなにか質問されたときの、ロシア人のおばあさんの返事である。
全員が詩人であるロシア人は、詩のように優雅な表現が、とっさの場合にも飛び出すのだ。
あとでモスクワで見た吟遊詩人はイヌを連れていたから、これ何歳ですかと聞いてみたら、生後4カ月と答えた。
どうみてもくたびれたおじいさんイヌだったけど、こういうのも詩的な表現かもしれない。
イヌの話はどうでもよくて、つまりわたしももう若くないってことである。
はつらつとした青年のころなら、日本から来た新進気鋭のカメラマンですとデタラメいって、女の子たちにあつかましく迫る手もあったかもしれないけど、ジョーシキをわきまえた熟年になってしまったわたしに、もはやそんな勇気はない。
若い娘たちとわたしはもう別世界の住人なのだ。
なおかつ、他人を勝手に撮影できないとなって、時代は変わったのだ。
しかしこれでは、わたしが海外で紹介できるのは風景ばかりということになってしまう。
コマッタ。 痛恨。
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