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2015年4月

2015年4月29日 (水)

中国人のモンちゃん

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ネットから引用した女の子の写真ばかりだけど、ロシア人のアシヤちゃんに続いて、YouTubeで今度は 「中国人のモンちゃん」 にハマってる。
これは福原愛 (彼女は日本美人として中国ですっごく人気がある) みたいな庶民的な顔の中国娘が日本を紹介するもので、もともとは日本のFM青森が制作したらしいけど、中国にも配信されて大人気だそうだ。
シリーズになっていて、10分ほどの映像がたくさん。
南は沖縄から北は北海道まで、日本の観光地・食べ物などを、見て歩き食べ歩きするんだけど、かざらないヒロインの表情もおもしろいし、ついつい部屋で晩メシ食うのも忘れて見入ってます。

ネットを引用することが多いので、カテゴリーをひとつ増やしました。

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2015年4月28日 (火)

食天国

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YouTube を見てまわっていたら、ロシア人の女の子が日本を紹介する映像が、これはシリーズになっているらしいけど、たくさん見つかった。
アシヤちゃんというかわいい娘 (写真) が、ラーメンやオデンやおせち料理などを食べて、旨いだの、美味しいなどと (まずいとはめったにいわない) いろいろコメントするのである。
こういうものを見ていると、いつのまにか視線が外からのものになって、部屋にいながら国際人になったような気がしてくる。

最近円安で日本にやってくる外国人が多いせいか、日本の文化が見直される機会も多いみたいだ。
今年の2月にロシアで乗った新幹線でも、車内で日本を紹介するビデオを流していた。
あれは誰が見ていたのか、いまでもよくわからないけど、とにかく日本は世界の注目のマトなのだ。

考えてみればそうだよなあ。
わたしが外国人なら、ウォシュレットのある最先端の快適な環境と、中国や韓国とも異なる歴史的なものがミックスされた、このまか不思議な国 (パリやローマもミックスされているけど、欧米人にとってはそれほど目新しい景色じゃない) をぜひ訪問したくなるに決まっている。

中国の歴史を勉強していると、よくあの国の特殊性にふれた文章に出会うことがある。
長い歴史の中で、中国は周辺のさまざまな民族に、何度も侵略されてきたけど、いつでも、やがては侵略者のほうが中国に同化されてしまっていた。
だから中国はあらゆる文明を飲み込み、いっしょくたにしてしまう巨大なるつぼであるというものだ。

だとすれば日本はどうなのか。
ここでは食にかぎるけど、これほど異国の (食) 文化を無節制に吸収し、徹底した職人わざで、もともとの (食) 文化をしのいでしまう国があるだろうか。
早い話が、わたしがヨーロッパあたりの食い道楽だとして、世界中のさまざまな味覚をまとめて体験できる国を探していたとする。
そうなると目的地は日本以外にあり得ない。
食は広州にありの中国だって、種類の豊富さ、洗練の度合いで、とてもとても日本にはかなわない。
スシ、サシミから始まって、テンプラ、スキヤキ、シャブシャブ、オデン、ウナギ、ヤキトリ、和牛のビーフ、チャワンムシ、◯◯ナベ、◯◯ドンブリ、ソバ、ウドン、ラーメン、トンカツ、お茶漬け、カレーライス、スパゲティ、ギョーザ、ニホン酒、ショウチュウ、ワインにウイスキー、ナットウ、トウフ、オシンコまで、ピンからキリまでの長い一覧表をながめると、世界の女の子、そして健啖家の男にとっても、日本という国は電飾看板や赤提灯が目もあやな、夢とあこがれの国ってことになるだろう。
好奇心旺盛なわたしは、外国人として日本を体験できないことを、すごく残念に思ってしまう。

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2015年4月27日 (月)

また会いましょう

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YouTube にスタンリー・キューブリックの映像 (映画の制作にまつわるもの) が載っていたので、それを追っているうち、「ジャズにまつわる話」 を書いたある人のブログにたどりついた。
このブログを書いている人 (ブロガー) は、プロかセミプロかわからないけど、自分でも歌をうたうらしく、音楽に対するうんちくはなかなかのものがある。
ところがある記述を読んでがっかり。
彼は 「博士の異常な愛情」 のラストで歌われる 「また会いましょう」 について書いていて、そこでこの映画の内容にもふれており、その最後の部分は以下のとおり。

1964年のイギリス/アメリカ映画「博士の異常な愛情」をご存知の方がいると思います。
米ソ冷戦時代、一人の将軍の狂気から水爆合戦が起きてしまうという最悪の映画ですが、最後に地球上に次々と水爆が爆発するシーンのバックに流れるのが、Vera Lynnの”We'll Meet Again”でした。
どういう意味かは映画を見れば分かりますが、何とも馬鹿げたストーリーで、地上の放射能が半減する100年後に「また会いましょう」と歌っているのです。
詳しく知りたい方はDVDでも見てご覧なさい。
これもこの歌を敢えて歌おうとしないもう1つの拘りでもあります

やれやれ。
これは酷評といっていいものだろう。
誰がどんな映画をキライになろうと、他人がごちゃごちゃいうべきスジのもんじゃないけど、これはちょっとひどすぎる。
わたしは 「博士の異常な愛情」 を、映画史に残る傑作だと思っているのである。

このブロガー氏はジャズについての解説を英語でも書いてるくらいだから、米語にも強いインテリらしい。
しかし文章のあちこちに偏見のようなものが感じられ、ロックという音楽についてもハナっから相手にしてないところをみると、ジャズやクラシックを至上のもとのと考える、純粋すぎる音楽ファンのようである。
大半のロックは彼のいうようなものかもしれないけど、現在の音楽シーンでロックを抜きにして話が進むだろうか。
文章量はそうとうのものがあるから、たいした労作であるけれど、おかげでわたしはこのブログにすぐに興味を失ってしまった。

インテリにせよ凡テリにせよ、喜劇を軽視する、あるいは寓意というものを理解しない人は往々にしているものである。
しかし 「博士の異常な愛情」 を傑作と認めるのは、映画好きならそれほどむずかしいことではないから、あるいはこの人はこの映画をよく観てないのかもしれない。

キューブリックが映画のラストに使った 「また会いましょう」 は YouTube で聴くことができる。
https://www.youtube.com/watch?v=iSZJbJ4Mfis

この歌がなかったら映画の魅力は半減していただろう。
それ以上に、この映画がなかったら、わたしはこの曲を永遠に知らなかったかもしれない。
それはとってもオソロシイことである。

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2015年4月25日 (土)

ウォシュレット

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今日からうちのトイレもウォシュレットになった。
いまどきこれを知らない人はいないと思うけど、つまり白動的にお湯が出て、お尻を洗ってくれるトイレ。
これまでのトイレだって便座カバーをつけていたから、冬でもべつに冷たいというわけでもなかったし、男のわたし、個人的にはこんなもの必要なかったんだけど、どうやら階下のロシア人の奥さんが、ビデというものを切実に欲していて、自費でもつけたいといったところ、そんならいっそのこと全部の部屋につけてしまえと、アパートの大家さんも出費が大変だ。
もっとも、普及して値段もこなれてきたから、現在は2万円も出せば装置の一式が買えるし、水の配管と便座の部分を交換するだけだから、取り付けは素人でもできる(わたしの知り合いで自分でやった人がいた)。
※御不浄なものだから、写真はソフトフォーカスつき。

便所がウオシュレットになったからどうだというわけでもない。
デパートや図書館でもう何度も使ったことがあるし、いまさらうれしいと騒ぐほどのものでもないしねえ。
でも、日本に来る中国人にもこれを買って帰る人が多いそうだ。
食べものやマンガはともかく、こうした文化面でも最近は日本という国の株がどんどん上がっているような気がする。
こんな豊かで快適な国の、もっとも平和な時代に生きられたなんて、ウオシュレットひとつで、自分が日本に生まれたことの幸運を神がかり的とまで考えてしまいます。

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2015年4月23日 (木)

グーグルの表紙

ここのところグーグルの表紙がしょっちゅう変わっている。 グーグルを知らない人はいないだろうけど、表紙の図案がころころ変わることに気がつくのは、やはりそれをひんぱんに使う人にかぎられるだろう。 今回は日本画家、上村松園の絵を、例によってGOOGLEの文字にあしらったおもしろい アイディアだ。 絵の上でクリックすると、絵についての説明があらわれ、そうか、今日は松園の誕生日かとわかる仕組み。

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今朝の新聞

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最近のウチの新聞はつっこみどころが少なくなったけど、今日の朝刊なんかまだまだ自虐史観健在なりを思わせる。
まず1面から2面にかけて、昨日のバンドン会議における日中会談について書き、それはまあいいんだけど、この中で 「村山談話」 に触れなかったと余計なひとこと。
中国のほうではいろんな事情があって、今回はいつもの調子を抑えた雰囲気があるのに、ウチの新聞のほうでわざわざそれをつけ加えるのである。

社説でも、バンドン会議の安倍クンの演説が、村山談話を引き継いでないのがケシカランと書いている。
この点について、ウチの新聞のこだわりは強く、村山談話の文言をなにがなんでも踏襲しないと、日本の首相としては失格になるらしい。
安倍クンの演説について、例のごとく韓国が遺憾を表明したそうである。
遺憾を表明したのは韓国だけで、東南アジアのほかの国はぜんぜん気にしてなかったそうだ。
ウチの新聞としてはほかの国にも表明してほしかったのだろうけど、なかなかおもわく通りにはいかない。

ヤケになって、今度はカーネギー平和財団の研究員なる人をかつぎだし、もうすぐ行われる米議会での安倍クンの演説について、自分たちに都合のいいことをいってもらおうとしているけど、この研究員も、過去の過ちなんぞはどうでもいいような意見である。
彼もいちおうは、「戦争の責任について明確な認識がされることを期待している」 といってるけど、いくらなんでも安倍クンが、「我々は悪くなかった」 「ほかの国々もやっていた」 なんていうはずがないから、これが発言の主旨でないことは明白だ。

総合面に韓国大使の意見も載っている。
こちらはあいかわらず、「侵略、植民地支配、反省という言葉がないものは認めません」 との発言だけど、韓国の言い分は、国際的にすでに特殊なものになっていることに気がついてないようだ。

つまり、特段の事情のある特定の国をのぞけば、先の大戦はとっくに歴史のひとコマになっちゃっていて、大半の人々はもうそんなものを気にしてないのである。
世界はどんどん変化し、人々の考えも改まっているというのに、ああそれなのに、頑固なウチの新聞だけは、70年も前の歴史認識にこだわり続けるのである。
内容にとらわれず、よくできたジョークのつもりで読んでいるぶんには、ウチの新聞はあいかわらずおもしろい新聞なんだけどねえ。

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2015年4月22日 (水)

カトー君

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わたしの幼なじみで、版画家のカトー君から案内が届いた。
今度はメキシコで開かれる国際版画展に出品するのだそうだ。
この版画展は、たしか彼がこの世界で評価されるきっかけになったものじゃなかったっけか。
で、つぎはどこへ行こうかと算段していたところだし、ANAやJALのマイレージカード会員になったばかりだから、今度はひとつメキシコにでも行くかと考えた。
しかし、待て。
こうみえてもわたしはなかなか慎重なところがあって、気軽に海外へ行ってるようにみえても、じっさいには入念な準備と調査を欠かしたことがないのだ。

メキシコってのは外務省の渡航注意報が出ている国じゃなかったっけか。
むかし椎名誠の本を読んでいたら、日本から遠征した屈強のプロレスラーが、強盗に身ぐるみはがれたって話が出ていて、アハハと笑ったことがあるけど、あれもたしかメキシコが舞台だったよな。

さらにウィキペディアで調べてみると
『メキシコでは麻薬絡みの暴力事件が後を絶たない』
『強盗、窃盗、誘拐、レイプ、薬物などの犯罪は昼夜を問わず発生している』
『麻薬組織の抗争などにより毎月約1000人が死亡しており、2007年から2013年10月現在までに約8万人が命を落としている』
『麻薬組織は見せしめのために頭部や手足の切断など、残虐手段で殺害を行うことも多い』
これじゃあの恐怖のイスラム国と違わないぞ。

外務省のホームページによると、イスラム国が蔓延するシリアなんか最高レベルの退避勧告だけど、メキシコの場合、場所によって 「渡航の是非を検討して下さい」 と 「十分注意して下さい」 の二つのランクがあって、検討や注意をすればいいらしい。
この場合の検討注意というのはどうすればいいのだろう。

版画展の会場はメキシコのモンテレイ市というところである。
地図で見るとわりあい米国との国境に近い街だ。
こういう場合、まともに国際空港から乗り込むよりも、国境越えのほうがギャングの裏をかくことになって、安全なのではないか。
アメリカから行く場合、ヒューストンからサンアントニオを経由する路線バスがあるかもしれない。
こうなると矢作俊彦や沢木耕太郎みたくなって、これはハードボイルドだな。

うん、なるほどと、机上で妄想にふける楽しみはあるけど、中国大陸を縦横に走りまわったような若いころならいざ知らず、現実にはいまのわたしの歳でこんなワイルドな旅をする勇気はない。
やっぱり行けそうもないです。

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ジレンマ

前項でウクライナの政治家を、政治は儲かる商売と考えている手合いばかりと書いたけど、これはどうも世界的傾向みたいだ。
おとなりの韓国の朴大統領が困っている。
なにしろ起用する首相が、どいつもこいつも、つぎからつぎへと金銭疑惑の持ち主ばかり。
韓国や中国の場合、むかしから、科挙のあった時代から、政治家、官僚たちの強欲さは伝統的なものだから、とくに政治家になろうと考える人間に、政治=商売の傾向が強いのかもしれない。
政治家というのは、まじめに政治をしようとしない人たちのことだとしたら、これはジレンマだな。
つくづく日本の政治家の・・・・・あ、いや、やめておこう。
いちどは民主党に政権を奪われた危機感から、いまはまじめに政治をしているみたいだけど、長期安定政権はかならず腐敗する。
批判精神はいつの時代にも、どんな相手にも必要だ。
この点だけは、やっぱりウチの新聞にがんばってもらわなくちゃ。

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2015年4月21日 (火)

居座りの功罪

ウチの新聞があまり目立たない 「プーチンの実像」 というシリーズを連載している。
わたしはプーチンファンなので、興味を持って読んできたけど、昨日のそれでは 『長期政権のわな』 という記事。
どんな政権でも長く続けば飽きられるというものである。
プーチンもすでに15年ちかく最高権力者の地位にあって、そろそろ飽きられてもおかしくないとこの記事は書く。
なにしろ最近はどこの国でも、トップを変えればもっとよくなると、短絡的に考える国民ばかりだ。

大統領就任まえのプーチンに2人の記者がインタビューしていて、彼らはまったく正反対の印象を持ったという。
ひとりはプーチンのことを、大統領にふさわしくない、戦術はあっても戦略のない候補だと感じたそうである。
もうひとりは、プーチンを好ましい大統領候補と感じ、現在でもプーチンにもっとも信頼される記者であるそうだ。
この違いは、つまるところ、その後のプーチンをどう評価するかってことだろう。
わたしみたいに、かって混乱をきわめたロシアを知っている者にとっては、彼はその危機からロシアを救った (戦略のある) 大統領であり、わたしに監視なしの自由な旅行を保証してくれた大統領でもあるのだ。

そんなプーチンがいま岐路に立たされている。
15年間、彼は動かないこの国をなんとか動かしてきた。
マフィアと結託したオリガルヒたちを一掃し、一般市民でも公平な商取引ができるようにし、ロシアをグローバル社会の一員として認めさせることに成功した (なにしろわたしはそれをじっさいに見てきたのだ)。

しかしプーチンが引退したら、それがもとの黙阿弥になってしまわないか。
あとを継ぐ者が彼と同じような剛腕で、将来をきっちりと見据えた愛国者ならいいけど、ロシアにはそんな政治家はあまりいないのだ。
たいていがウクライナの政治家といっしょで、政治を儲かる商売と考える手合いばかりなのである。

わるい政治家にとっても、よい政治家にとっても、引退時期を決めるのはむずかしい。
わたし個人的には、プーチンがまだ50年くらい (シンガポールのリー・クアンユーみたいに) 長期政権に居座ること、それがロシア国民の幸せであり、ロシア旅行をしたいと考えている日本国民の幸せでもあると考えているのだ。

どうも自分の都合が前面に出てるみたいで恐縮デスガ。

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2015年4月19日 (日)

またウチの新聞

またウチの新聞。
先日の朝刊に、戦後の歩みについて、日本とドイツのアンケートを比較してみるという特集があって、これはまあ、過去に何度もやっている、ウチの新聞にとってはおなじみの調査だ。
結果がまあまあウチの新聞にとって好都合な場合が多いので、性懲りなく、何度もやっているみたい。
もともと日本とドイツでは戦争を始めた原因や、当時の周辺状況も異なるのだから、アンケート結果を重大視するのはどんなものかと思うんだけど。

最近頭がぼんやりしているから、今日はブログの更新をするつもりがなかったけど、夕方になって朝刊を読み返してみた。
「国家と歴史」 という記事では、ドイツの加害者意識に一石を投じ、歴史博物館館長の座を棒にふった教授のことがいろいろと。
「日曜に思う」 というコーナーでは、特別編集委員の星浩という人が、もと駐米大使の発言をあれやこれやと。

そのあたりはいつものウチの新聞の論調で、べつに驚くようなことでもないけど、紙面のかたすみに 「取材後記」 という小さいかこみ記事があって、そこに “嫌韓、嫌中に続き「嫌独」という語がネットで飛び交い始めている” とあった。
ウチの新聞がことあるごとに、反省したドイツを見習えというのが、もうイヤでたまらない、うんざりという人が増えているのだそうだ。
わたしもそうである。
そのうちブログに、原因も状況も異なるドイツといっしょにすんなと書いてやろうと思っていたら、どうやら朝日に先手を打たれたようだ。
わかってるんじゃないか。

日本はドイツとちがうやり方で反省をつらぬいてきたと思う。
中国も韓国も、戦後の日本の歩みをもっと公平に判断してもらいたいと、こう訴えるのは、ウチの新聞 (朝日) の義務だとも思ってマス。

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2015年4月17日 (金)

今朝の新聞

ウチの新聞のオピニオン面。
今日のそれは朝鮮人の強制連行をめぐって、あったのなかったの、募集だったのか徴用だったのかって、歴史学者サンがインタビューに答えている。

この歴史学者サンのスタンスが右か左かはともかくとして、なにしろあの朝日のことだから、また慰安婦とおんなじようなもんじゃないかと思われるところが気のドクだ。
わたしにもそういうイロ眼鏡で見る傾向があることは自覚してますんで、あまりあからさまな文句はつけないつもりだけど、このインタビューの中にひとつ気になることが。

『怖いのは、学校教育の現場で、強制連行の問題は厄介だから触れずにおこう、という雰囲気が広がることです』
『語られてきた歴史は少し違うのではないか、という疑いを持つ人が増えてもおかしくない』
これは記事の結びの部分だけど、学校で教わったことに疑いを持つ人が増えて、どうしておかしいのか。
人間ならおとなになるにつれて、納得できないことがどんどん増えて当たり前だ。
例えばわたしだけど、疑い深いほうなもんで、自分で本屋や図書館に行って、自分なりに勉強して、おかげで歴史認識がおおいに改まった。
右の文献も左の書物も自由に読める日本はその点でめぐまれている。
歴史の真贋を見抜く力もそうやってはぐくまれる。
学校教育の現場で触れようが触れまいが、どこかのマスコミの論調をひとすじに信じる必要はないのである。

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2015年4月16日 (木)

挫折

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仕事に出かけようとしていたら、階下のロシア人がやってきて、一杯やりませんかという。
そういうことにはぜんぜん抵抗のないわたしである。
で、ほとんど日本語のわからないロシア人と、まるっきりロシア語のわからないわたしが、アパートの庭で宴会を始めて、もちろん仕事はほっぽり出した。
最初のうちは通訳がいたけど、途中からいなくなって、あとはもう、わはは、そうですかと、お互いにわからないくせにわかったような顔をして、ウオツカとバーボンを呑んだ。
ロシア人の酒好きはよく知られている。
わたしは日本男児を代表して呑んだようなものだ。
何回かカンパイを繰り返すうち、相手の足もとがおぼつかなくなり、今回はわたしの優勢勝ち。
夜陰にまぎれて庭のかたすみで連れションをした。
最後は握手をし、互いの健闘を祝福して部屋にもどった。
どうでもいいけど、今夜も収入はゼロで、これじゃそのうち破産するのではないか。

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ケツ圧フィルム

定期的に(忘れないかぎりは)薬を飲むことにしたので、ここんところ、血圧が200を超える日はなくなり、下が100を切ることも、たまにあるようになった。
でも、こうなると安心して、好物の漬物をえんりょなく食べるので、一進一退というところ。

洗車に行って、たまたまCAR GRAPHICのバックナンバーを読んでみたら、車の座席に座ったさい、シートにかかる重圧を計るフィルムってものがあることを知った。
つまり、ケツ圧測定フィルムというわけだ。
へえと感心したものの、だからどうなるってものでもない。
個人的に、そんなもの何に使えばいいのか見当もつかないのである。
女を長くやると、おしりがどんどん大きくなるそうだから、女房のいる人は太りぎみの彼女への警告に使えるかも。

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2015年4月13日 (月)

高尾山

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友人と高尾山に登ってきた。
この友人は登山に興味のない男であるが、意思が弱いので、無理やり誘うと、ついつい山頂まででも歩いてしまう男、つまり以前わたしといっしょにハワイのダイヤモンドヘッドに登ったO君だ。
そんな彼がめずらしく山に登ろうといいだした原因はよくわからない。
もうひとりの、こちらは筋金入りの登山好きの友人が、山頂でオデンを食わせるといったせいかもしれない。
酒が飲めるなら多少の苦痛はかまわないくらい、ここんところの彼はアルコールに渇いていたのかもしれない。
わたしにとってはひさしぶりのいいレクリェーションなので、なんだっていいけど。

今回のO君はダイヤモンドヘッドのときより体調がいいそうだ。
当初はケーブルカーを利用するつもりだった彼も、わたしにだまくらかされて、とうとう1号路を山頂まで登りきってしまった。

昨日の高尾山は登山日和で、好天の下にヤマザクラが満開、登山道のわきには、一見しただけで形や色の異なるいろんな種類のスミレが咲いていた。
ミシュラン3つ星のせいかどうか、なにしろ登山者の数が世界一の山である。
あいかわらず老若男女、倭人外人、ペットまで含めて、混雑は新宿、渋谷なみだったけど、そんな人々のなかに、路傍の花に興味を持つ人が少ないのがちと残念。
もうすこしサクラ以外の花に興味を持つと楽しさが倍加するのにと思う。
で、今回は高尾山3景。

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山頂ではべつのグループの友人と合流して、約束どおりオデンをご馳走になってきた。
下山したあとは、ウチの最寄り駅で、やはりつまらない生活に明け暮れている友人たちを呼び出してまた飲み会だ。
ここんところのうっ屈がすこしは晴れた。

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2015年4月11日 (土)

暗雲

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家庭のもめごとに気もそぞろで、ブログの更新もやる気がおきない。
するとアクセスもどんどん減って、ここ1週間はふたケタばっかり。
このままじゃ多くのブログ同様、そのうち忘却の彼方ってことになってしまいそう。
ああ、はやく、こころおきなく文筆に専念したいけどねえ。
この写真のごとく、暗雲たちこめ、すっきりしないのこころ模様。
トホホ。

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2015年4月 8日 (水)

お誘い

なんか知らんけど、最近は海外の婚活サイトからお誘いのメールが来るね。
ウイルス混入かもしれないから、けっして開封しないようにしてんだけど、どうやってわたしが独身であることを知ったのか。
ま、以前じっさいにあったみたく、介護施設から勧誘に来るよりマシだけど。

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2015年4月 7日 (火)

もめごと

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世捨て人みたいに沖縄に永住しちゃった友人も、人には知れぬ身内とのいろいろな軋轢があったみたいだけど、わたしもわが家の揉めごとにまきこまれて、郷里と東京をしょっちゅう行ったり来たり。
そんなわけでのんびりブログなんか書いちゃいられない。
ここはひとつ、天気のいい日に撮った今年最後のサクラの写真でごまかしておこう。

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2015年4月 6日 (月)

幻想と現実

今日の新聞の「折々のことば」という欄に、三木清という、この人は哲学者らしいけど、その言葉が取り上げられていて、パリに観光に行っても絵はがきをもういちど見るのと変わらない。
私たちは幻想をなぞりながら、現実を組み立てているのだと書かれていた。
わたしとこの哲学者ではレベルが違うけど、そうだ、そのとおりだと思わず喝采。
私が中国に20回も出かけ、ロシアに3回も出かけたのも、なにしろ幻想をなぞっているだけなのだから、それを現実として身に染み込ませるためには、何度でも出かける必要があったんだよな。

申し込んでおいた航空会社のマイレージ・カードがようやく届いた。
これを使うと安く旅行ができるらしいので、さて、また幻想をなぞり、現実を組み立てるために、どこへ出かけようかと目下思案中だ。

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2015年4月 5日 (日)

愚問

2、3前日前のネットニュースにも出ていたけど、ちょっと前に乞食をして軽犯罪法違反にひっかかった男が、けっきょく不起訴だそうだ。
この事件について考えるまえに、えーと、“乞食” という言葉は差別用語じゃなかったっけかと思う。
ニュースでは漢字を使わずにひらがなにしてあるところをみると、やはりそのへんを気遣ったようでもある。
でも個人的な(たいして世間に影響力のない)ブログ記事にまで、使用禁止という条件を当てはめていいものだろうか。

話がだんだんおおげさになる。
くだらない疑問が、徐々に国語の大命題に昇華してしまう。
わたしのブログに禁忌はないつもりだけど、でも心配だからここではコモカブリさんというおくゆかしい古語を使うことにしよう。

疑問はさておいて
「こじきをし、またはさせたもの」は軽犯罪法の勾留か科料 (過料にあらず) に処するんだそうだ。
わたしはたまたまリッチな日本の国民だし、オリンピックでたくさんやってくる外国人にそういうものを見せたくないという当局のおもわくも理解できるから、軽犯罪法の文言に文句をいう立場にないけど、外国ではこれを職業としてやっている国もある。
すぐとなりの新興大国なんか、こないだまで社会主義国だったのに、この職業に従事する者がかなり多かった。
失業者はいないがたてまえの社会主義国では、アレって国民皆雇用のつもりだったんだろうか。
そういう手合いを追い払うには、あらかじめポケットに小銭を用意しておけばいいと、あの国に何度も旅行しているわたしは、知識としておぼえてしまったくらいだ。

それはさておき、コモカブリさんが立派な職業なら、それを取り締まるってのはどうなのか。
職業選択の自由はどうなるのか。
日本のコモカブリさんが不起訴というのは、どうやらそのあたりにカギがあったように思うけど、これってやっぱりどうでもいいことだろうか。
ブログのネタ切れというふうに解釈すべきだろうか。
こんなことを考えていると、いちにちがアッという間に終わるけど、これって時間のムダ使いなんだろうか。

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2015年4月 4日 (土)

魑魅魍魎たち

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春本番でわさわさと魑魅魍魎が出てきたけど、今回はここ数日のあいだに見かけたそんなものの特集だ。
最初の写真は、石垣の水抜き穴にひそむ、エンピツ・サイズからオロチ・サイズまでのシマヘビたち。
何年かまえにウチの近所にヘビが大繁殖したことがあったけど、今年もそんな雰囲気。

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2番目はこのブログでおなじみのヤモリ君。
3番目は、どっしりと腰をおろしたこのスタイルで、全長20センチありそうな貫禄十分のウシガエルだ。
4番目は日なたぼっこ中のスッポンで、5番目は侵略性外来生物のアカミミガメ。
楽しいところでしょ、ウチの近所って。

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2015年4月 3日 (金)

今年のサクラ

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午前中はいい天気だったけど、午後から荒れ模様だそうだ。
せっかくのサクラが散ってしまわないうちに、今年の写真をもう1枚。

 春風や 堤長うして 家遠し     蕪村

キャプションひとつで写真は楽しくも寂しくもなるという見本。

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2015年4月 2日 (木)

タダ

電子版のナショナル・ジオグラフィックを愛読しているけど、感心するのはタダで読めるということ。
素晴らしい写真の数々もみんなタダだ。
タダでどうやって収益を上げているのかというと、ようするにバナー広告のおかげらしい。
NG誌は本来は月刊誌だから、新しい記事は有料の紙の媒体で、古くなった記事は電子版に放出しているのかもしれない。
読む価値のあるものなら、一粒で二度稼げるという見本みたいなもんだ。

かってはそのヤケッパチ的えげつなさで、わたしもたまに購読していた週刊アスキーが電子版ひとすじになった。
朝日新聞も必死になって電子版の宣伝をしているけど、タダという世相にどっぷりつかったわたしゃ、そういうものに金を出さないからね。
ほんとうに読む価値のあるものならスポンサーがつく。
バナー広告で儲けろ。
そうしないのは、きっと自分の価値に自信がないからだな。

ところでわたしのブログにもバナーをつけていいもんでしょうか。

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