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2015年5月

2015年5月31日 (日)

いぶし初め

おっおっおっ。
もう蚊が入ってきた。
コノヤローってことで、今年も蚊取り線香のいぶし初め。

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2015年5月30日 (土)

今朝の新聞

今朝のウチの新聞のオピニオン面。
そこで、安倍クンの私的諮問機関の座長代理をつとめる国際大学(どこにあるんだ)の北岡さんという人に、朝日新聞がねちねちと迫る。
この諮問機関というのは、安倍クンがこの夏の「安倍談話」のために招集したものだから、とうぜん安倍クンに都合のいい諮問をするのではないかと疑っているのである。

でもさ。
こういうのって、あらかじめメールで質問の趣旨を伝えてあるのかどうか、北岡さんの意見は、なんとかいちゃもんをつけたい朝日をさらりとかわして、まったくそつがない。
わたしが読んだって、そんなのアタリマエでしょっていいたくなる答えばかりで、あまりそつがなさすぎて、おもしろくもなんともない。
おもしろい部分があるとすれば、くやしそうな朝日の顔を想像することぐらいか。

でもさ。
こうやって相手の顔をつぶすつもりで、逆に相手に歯が立たず、結果的に相手の言い分の正当性、そして現政権がまあまあまじめな政権であることを読者に知らしめる。
そういう深慮遠謀かどうか、だとすれば朝日のまともな新聞への脱皮はちゃくちゃくと進展しているのだ。
民主党の辻本サンあたりには、ぜひそんな朝日の爪のアカでも味わってもらいたい。
ガンバレ、朝日。

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2015年5月29日 (金)

むずかしい判断

今朝の新聞に池上彰さんの「新聞ななめ読み」。
池上彰さんというと、ニュースをわかりやすく解説する、見た目よりずっと反骨の人ってイメージだけど、今朝のそれは例のドローン少年の逮捕について。
ドローンを飛ばすことの是非よりも、警察が業務妨害罪を適用して少年を逮捕したことについての問題提起のよう。
警察自らが、業務妨害罪は広い範囲をカバーできると発言し、それじゃあこの法律を使えばいくらでも別件逮捕ができてしまうのかと、池上さんは疑問を指摘。
記事の内容はこんなところ。
ヘソ曲がりの当方としては「新聞ななめ読みのななめ読み」だ。

たてまえ論に立てば、もちろんこういう心配はごもっとも。
でもそれじゃドローン少年みたいなのを取り締まるにはどうすればいいのか。
相手は、いまの法律ではオレを逮捕できまいと考えている、(若くして)法律の裏をくぐることにたけた、手のつけられない頭でっかちだ。
こんな相手を、逮捕する法律がないからといって放置しておいたら、ますますつけあがる。
最近はこういう手合いが多いのだ。
バカな犯罪者ばかりじゃない。
相手が反社会的行為をして、一般市民に被害が出ている(出る可能性がある)のになにもできないって、そんなアホな。

言い方はわるいけど、警察にはいかなる場合にも適用できる法律がひとつぐらいあったっていい。
違法逮捕かどうかは個別に判断すればいいじゃないか。
ドローン少年の件では警察内部でも「むずかしい判断だった」という声があったそうだ。
これが日本の警察の良識だ。
わたしはとくに問題を感じなかったけどねえ。

 

 

 

 

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2015年5月28日 (木)

またコリアンダー

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カメラを持って散歩にいく。
先日見つけたばかりのコリアンダーがまた咲いているかどうか確認だ。

つい最近新しいカメラを買ったばかりなのに、今回の散歩ではたちまち古いコンパクト・カメラに逆もどり。
新しいのはキャノンだけど、古いというのはそれ以前に使っていたオリンパスである。
キャノンではカメラマンの冥利に尽きるようなおもしろい写真が撮れるけど、そのためにはレンズを3本と、ストロボまで持参しなければならない。
それがオリンパスだと、カメラ1台 (付け加えるとしたら超広角のコンバージョン・レンズ) があれば、それだけでキャノン・レンズ3本分の全撮影域をカバーしてお釣りがくる。
ふらりと出かける散歩ていどでは、とてもこのお手軽さにはかなわない。

コリアンダーはまだ咲いていた。
香菜 (シャンツァイ) だという説もあるようなので、葉っぱをかじってみた。
しかし葉のかたちもわたしが知っている香菜らしくないし、雑草の身分におちこぼれたせいか、ぜんぜん香菜の味がしない。

ずうっとあとになってから、「オルレア」という園芸植物の存在を知った。
花のかたちはまさにこれだから、コリアンダーの別名かと思ったけど、そうではなさそうだ。
すると香りのいいハーブより、園芸種のほうがうちの近所に咲く可能性が高い。
そういうわけで断定はしないけど、これは「オルレア」のほうが正解のようだ。

写真の出来については、わたしにはキャノンとの区別がつかない。
色調がいくらか変わっているけど、これは種々の条件がかかわってくるし、レンズについてぼけ具合がどうのこうのという人もいるけど、どういうのが美しいぼけなのか数値であらわすのはムズカシそう。
ブログに載せる写真ぐらいなら、どちらも必要にして十分というところだ。
これじゃキャノンはとうぶんお蔵入りになってしまいそう。

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2015年5月27日 (水)

加齢臭

最近彼女がつめたく感じられるのは加齢臭が原因かもしれない。
自分じゃそんなもの、ぜんぜん感じないけど、臭いは自分じゃわからないっていうからな。
でも、「ひどい妻 寝ている俺に ファブリーズ」 なんてサラリーマン川柳があったけど、だいたい加齢臭ってナンダ。

調べてみることにした。
規則な生活習慣や偏食、あるいは高血圧などが原因といわれている【メタボ臭】や、肝機能やストレス起因の免疫機能低下が原因といわれている【疲労臭】がいっしょくたになって、独特のオヤジ臭さを発生させる。
一般的には蝋のような臭いや、古本のような臭いがするらしいが個人差が激しく、おじいちゃんやおばあちゃん特有の良い臭いを放つ老人もいれば、孫や嫁が寄りつかない臭気を放つ場合もある。

なんだかずいぶん曖昧でないの。

さらに調べてみると
腺のそばの皮脂腺から出る脂肪酸(パルミトレイン酸)の酸化、もしくは表皮のバクテリアによって醗酵して出来る物質で(オクテナール、ヘキセナールと共の)不飽和アルデヒド。
なんじやこれは。
これってワキガのことじゃないのか。
そんなもん、年寄りだけにあるもんなのか。
どうも化粧品会社のコマーシャル記事みたいな気がするな。
そもそも若い女の子に縁がなくなり、女房や娘から敬遠されている、そんな不遇な中高年男にばかり発生するってのがおかしい。

加齢臭に注意すべき要点として、食生活の改善だとか、いろいろいわれているけど、野菜ばかり食べて肉がキライ、タバコは吸わず酒もほどほど、お風呂では耳のうしろをミューズ石鹸でよく洗い、脂肪が落ちたのをいちいち確認するわたしには、例によって該当する注意要点はほとんどない(例によってというのは高血圧のときと同じということ)。

ようするにこれは、けん怠期になった亭主への難くせか、潔癖性が嵩じた昨今の若い娘の、父親に対するいわれなき偏見とちがうのか。
イヤになると相手の食事の音さえ耐えられないってやつだ。
テレビを見てたらフランスのパリで、若い娘と同棲する年寄りの音楽家が出てきたけど、べつに加齢臭なんて気にしてなかったぞ。
日本でも魅力的な年輩の役者さん、歌い手さんが、加齢臭に悩んでいるなんて聞いたことがないや。
好きな相手ならワキガもバラの香り、イヤな相手なら加齢臭ってことになるのと違うかい。
そして、なんとか新しい臭い消しのキャッチフレーズを考えたい化粧品会社がこれをあおりたてる。
昨今の女性は自分の頭でものを考える能力が欠如しているから、こういうことにすぐ影響される。
あとはもうプラシボ効果 (暗示にかかる) で、大騒ぎになる。

バカバカしい話だけど、世間の大勢に抗すべき手段はない。
加齢臭をいわれるようになったら、亭主はしばらく女房に近づかないことだな。
恋人関係の場合はもう何をいってもムダだから、2人の関係は終わりだと悟って、すなおにあきらめて身をひくことだ。
むかしならストーカーまがいのことをしたわたしが、こんなに物わかりがよくなったのは、年期を積んで修養ができたせいだから、コレって加齢臭ならぬ “加齢修” とでもいうか。

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2015年5月26日 (火)

悩み?

メールがじゃんじゃん来る。
「るるぶ」と「じゃらん」から、迷惑メールじゃないけど、ありがた迷惑みたいなのが。
尻を叩かれているようだ。
そろころどこかへ出かけてもいいんじゃないかいって。
ごもっともだけど、自由旅行の味をしめたわたしは、原則としてパック旅行には行かないからね。
行きたいところはたくさんあるのに、なにがなんでもというところがなくて困ってマス。
どこか、僻地のホテルで、宿を一歩出れば、ヘビやトカゲや珍しい昆虫がいっばいいるようなところで、1週間ぐらいのんびりしたいもんだけどねえ。

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2015年5月25日 (月)

思い出

なにかブログのネタはないかと新聞を読む。
1面トップが 「空き屋撤去強化」 というもので、固定資産税をぜんぜん払ってないわたしにはまったく縁のないもの。
「照ノ富士、大関へ」 なんて記事もあったけど、これもわたしにはぜんぜん関係も関心もない事件だ。

経済面でなぜか、コピーライターの糸井重里サンが取り上げられていた。
どうも休み明けは事件の少ない日で、新聞も記事を書くのに難儀しているらしい。

コピーライターと聞いてむかしのことを思い出した。
むかしわたしの知り合いだった女の子がいて、彼女はあるスーパーに勤めていたのだが、店のほうからバレンタインデーのチョコ販売促進のために、なにかキャッチフレーズを考えてくるよう言われたのだそうだ。
困った彼女はわたしに相談した。
わたしにはコピーライターの素質がある(と勝手に思っている)から、お安い御用というわけで、たちまち5つ6つのコピーを考えてやった。
感動した彼女は、お礼に自分の体を好きにしていいわとのたまったんだけど、あいにくそのときわたしにはラブホに行く金がなかったので、この件はいつのまにかうやむやになってしまった。
いま考えても残念でならない。

どうもネタに窮するとろくなことを思い出さないね。

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2015年5月23日 (土)

ガンバレ

日本とロシアが仲良くすると、アメリカが嫉妬する。
プーチンを日本に呼ぼうとすると、オバマがいちゃもんをつける。
でも安倍クンも日本政府も (そしてわたしも)、日本の国益優先ということでプーチンの日本招致に前向きだ。
つねづねアメリカ追従をいわれている安倍クンにすれば、これこそ戦後レジームからの脱却を証明するいいチャンスだ。
ガンバレ。

もっと長い文章を書こうと思ったけど、今日はこれから仲間うちの会合デス。

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2015年5月22日 (金)

イルカ

イルカを殺すんじゃねえという主張が、イルカを飼ってもいけねえに変わってきた。
世界動物園水族館協会(WAZA)の言い分である。
ウシやウマやイヌだってイルカなみの知性はあるだろうに、そっちのほうは食べても、飼ってもかまわないらしい。
わたしだって動物を可愛がることにおいては西洋人にひけはとらないつもりだけど、飼ってしつけるのもイケナイなんていわれると、ダブルスタンダードでしょといいたくなる。
動物を食べたあとは、かならず命をいただきましたって感謝の碑を建てるのが日本人で、家畜は人間に奉仕するために存在するなんて、聖書まで引っ張り出して当然顔をするのがあちらさんだ。
あちらに牛魂碑、鯨魂碑なんてものがあんのか、え。

これはどうやら動物愛護の精神から生じた意見じゃなく、慰安婦や戦後の反省を求める現在のどこかの国とおなじ種類のものらしい。
他国の事情なんか一顧だにせず、まともに討論すると負けるに決まっているから、一方的にスローガンをがなり立てるだけ。
なんでそんなにイルカにこだわるのか。

つらつらかんがえると、イルカのあのつらがまえが同情ポイントを稼いでいるんだな。
イルカってのは目が点で、口もとが上に湾曲していて、これはマンガを描く場合、ノーテンキで平和な顔のお決まりパターンだ。
イルカが口をへの字に曲げて、不平不満でいっぱい顔をした動物なら、もうすこし日本に対する非難の矛先はゆるやかだったのではないか。
もっともそういうご面相で、やっぱりイルカが水族館の人気者であったかどうかは定かじゃないけど。

水族館で見ると、ジャンプをしたり、人間を乗せて泳いだり、イルカもとっても楽しそう。
野生にあっては食べものは自分で探さなければならず、いつ天敵に生きたままかじられるかわからないのだから、彼らにとっても水族館のほうが天国みたいに思えるけどねえ。
イルカが海に何頭いるか(シャレじゃない)知らないけど、そのうちのほんの数パーセントが、水族館で自分たちを人間の子供に紹介する役割を担っても、なにが問題だってぇのか。

ウマに鞭をくれるのはいいが、イルカに芸をしこむのはイカンなんて、こういうあちらさんのダブルスタンダードに抗議して、それでもラチが明かないから、えい、面倒だって銃を持ち出したのがテロ集団で、うじうじとどこまでもおとなしいのが日本人だ。
ああ、やっとイスラム国の心境がすこしだけわかってきたような気が・・・・・・

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2015年5月21日 (木)

ドローン

わたしもドローンを飛ばしたい。
ひじょうに問題のある発言である。
横浜に住んでいて、わりあいいいうちの息子みたいな少年が、ドローンを飛ばしたの、飛ばすのと発言して逮捕されちゃったばかりだ。

どうもマスコミに騒がれたくて仕方のない新人類らしい少年で、YouTube には彼が逮捕される瞬間を自分で撮影した映像まで載っている。
「祭り行きますから」
「撮影禁止なんて書いていないからね」
「祭りは無礼講ですよ」
などと屁理屈をいってるらしいけど、どうもこういう変に賢いのにあっちゃかなわないね。
イケナイ子だな、お尻ベンベンするぞじゃ、わたしもそのへんの常識的な大人のひとりになってしまうので、彼についてはこれだけ。

いまこの瞬間に 「クローズアップ現代」 でも取り上げているけど、およそ映像に興味のある人間なら、誰でもいちどは空からの俯瞰撮影というものに関心を持ったことがあるはずだ。
飛行機やヘリコプターを借り切るのはムリでも、わたしもハングライダーやラジコン飛行機にカメラを積めないかと考えたことがある。
それが現在では、ドローンを使えば、費用もタコ上げていどに収まるところまできた。
わたしがもうすこし若けりゃねえ。
給料の大半を趣味につぎこんでいた若いころがなつかしい。

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レイ・マンザレク

Doors

フェイスブックに 「ドアーズ」 から写真が送られてきた。
レイ・マンザレク。
ドアーズのキーボード奏者だった人のものである。
ピンときたけど、つまり昨日の20日が彼の命日だったのだ。
彼は2013年の5月20日に亡くなった。
いっぷう変わった個性の持ち主ばかりだったドアーズの中では、いちばんまともな音楽家のイメージの人だったけど、詩人としての(狂人としてではない)ジム・モリソンを見出した人であるそうな。

彼について調べてみたら、日本人みたいな顔をした女の子の写真が出てきた。
彼女はレイと結婚した日系の女の子だそうである。
レイもジョン・レノンと同じ、大和なでしこに魅かれた西洋人だったらしい。

わたしはレイのピアノ、オルガンが好きだった。
「ライダース・オン・ザ・ストーム」 の間奏で聴かれるピアノ・ソロが、暗いけど、いまよりずっと生気のあった青春時代を思い出させる。

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2015年5月20日 (水)

コリアンダー

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何年も同じ道をかよって、目新しい花を見つけるとかたっぱしから写真におさめてきたわたしのことだから、散歩コースにもはや新しい発見はないと思っていた。
ところが今日、見たことのない花に遭遇。
よく庭から逃げ出した園芸種の花が咲いていることがあるけど、そんなお行儀のいい雰囲気ではなく、見つけた場所的には雑草の類。

家に帰って名前を調べようと思ったけど、雑草で白い花というだけでは、簡単じゃないだろうなあという予感。
ところが葉のかたちがパセリか人参みたいだったから、「白い花」、「パセリ」 のキーワードで検索したら、意外と簡単に名前がわかった。

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こいつは 「コリアンダー」 という、香辛料にも使われる植物の花だった。
ウィキペディアには、中国の香菜 (シャンツァイ) のことという記述もあるけど、それならわたしは中国で何度も食べたことがある。
家庭で栽培する人もいるというから、やはり種がどこかの乙女の手からこぼれたもののよう。

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一緒に歌える洋楽ブログ

「一緒に歌える洋楽ブログ」 というサイトを発見した。
ビートルズからテンプテーションズまで、「ワイルドで行こう」 から 「テネシー・ワルツ」 まで、ほんの少しだけどシャンソン、カンツォーネまで、ちょっと懐かしい洋楽を、英語の歌詞と対訳をならべて、英語の勉強にもなりますとうたった労作だ。
英語がわからないくせに、この歌の歌詞はどういう意味だろうという疑問をしょっちゅうかかえているわたしには、バイブルになり得るサイトである。
でも思うんだけど、あちらの歌の翻訳には、スラングなんかも多いだろうから、英語に堪能だけじゃなく、しもじもの世間話にも通じた人でなければできっこない仕事ではないか。

このサイトは個人によって運営されているようだけど、運営者の音楽に対する博識には驚かされてしまう。
意味だけではなく、たくさんの曲の裏話まで紹介されていておもしろい。

たとえば、ずっとむかし聴いたピーター・ポール&マリーの 「虹と共に消えた恋」 という曲の中に、“シュー、シュー、シューラール” という、英語にしてはちょっと変、だけど劣等生のわたしはたぶん英語なんだろうと、この歳までだらしなく信じていた語句がくり返し出てくる。
このサイトを読んでわかったけど、じつはこの部分はゲール語なんだそうだ。
この歌は、じつはアイルランド (ゲール語) の古いフォークソングだったのである。
そういうことをいまごろ知ったのかといわれると恥ずかしいけど、なにしろ田舎の学生だった若いころ聴いた曲だもんで、当時はまだ世間に疑問をもつことも少なかったし。

たとえばをもうひとつ。
ビートルズの最後のアルバム 「レット・イット・ビー」 に入っている 「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」 という曲。
ポール・マッカートニーが歌っているきれいなバラードだけど、バックにオーケストラの入った編曲を、じつはポールはとても嫌っていて、ビートルズが解散したずっとあとになって、オリジナルのままの曲にもどしたものをリリースしたそうである。
へえ、そりゃ聴いてみたいと思うのは人情だ。

問題の曲はビートルズの 「ネイキッド Naked」 というアルバムに入っているらしい。
そんなアルバムあったっけと思ったけど、上記のように、これはほとんどの曲をオリジナルにもどした、もうひとつの 「レット・イット・ビー」 らしい。

さっそくCDを注文した。
というとウソだ。
こういうとき、最近のわたしはまず YouTube を当たってみるというイケナイ男なのである。
そういえば幼なじみで版画家のカトー君もビートルズのファンだ。
彼がまだこのアルバムのことを知らないなら、こっそり耳打ちしてあげたい。

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2015年5月19日 (火)

気まぐれ美術館

前項の外口書店の均一台から引っこ抜いてきた文庫本は、洲之内徹という人の書いた 「気まぐれ美術館」 という本である。
わたしはこの著者についてなにも知らなかった。
調べてみると、戦前の生まれで、召集されて兵隊も経験しているし、プロレタリア運動に傾注して当局ににらまれ、転向したあとは作家をしたり、出版会社や映画プロダクションを作ったり、最後は銀座で小さな美術商を営んでいたという。

写真で見ると、風貌は作家の吉行淳之介か漫画家のはらたいらみたいで、なかなかハンサムな人なんだけど、収入もないのに小説を書くことに熱中したというから、家計はどうしていたのかと心配してみたら、案の定、そのため一家離散の憂き目に遭ったとか。
1987年に他界しているけど、なんかむかしの文士の典型みたいな人である。
この本の中で、四畳半ひと間のアパートに20年以上居座っていたと書いているから、好きなことをやれれば住まいなんぞ気にしない人だったようだ。
うん、わたしにも似たところがあるな。

芥川賞の候補になること数回というくらいなので、文章はしっかりしていて、なかなかおもしろい。
本の内容は、彼が美術商時代に関わりを持った、たくさんの画家たちとその因縁話について書いたものである。
無知をさらすようだけど、出てくる名前は、井上肇、佐藤哲三、杉本鷹、吉岡憲、岡鹿之助、林倭衛、松本竣介などなどで、わたしの知らない画家がほとんどだ。
美術商ではないわたしが画家の名前に詳しい必要はないんだけど、どうもわたしには、日本の油絵なんてみんな欧米の模造じゃないかという偏見があるらしい。
おまけに日本人が西洋の絵画に出会ったのは印象派以降なので、日本にはレンブラントやゴヤがいないもんねとうそぶいてしまう。

余計な私感はさておいて、古本屋の均一台で見つけた 「気まぐれ美術館」 は、くだらない映画やアホらしいテレビ番組にうんざりして、たまにはおもしろい本をじっくり読みたいと思ったときにふさわしい本だ。
わたしにとってやっぱり掘り出し物である。

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2015年5月18日 (月)

古本屋

吉祥寺へ出たついでに古本屋に寄って、店頭のカートにならべてある、いわゆる均一本というやつをながめてみた。
均一本といっても馬鹿にはできない。
こういう本の中から掘り出し物が見つかる場合もあるということを、以前読んだ紀田順一郎さんの本で知っていた。

最近のわたしは部屋の整理中なので、めったに本を買わないことにしているんだけど、おもしろそうな文庫本があったので、最初の数ページをパラパラとめくってみた。
それだけで冒頭のグラビア・ページが取れてしまった。
読めればなんだっていいやと、そのまま店主のところへ持っていくと、200円ですといったあとで、ページの脱落に気づき、この本はコワれているからお金は要りませんという。
なかなか良心的な本屋である。
そもそもかんたんにコワれる本にも問題があるけれど、コワしたのはわたしであるから、ただでもらうのもわるい。
払う、要らないのやりとりがあって、けっきょく100円だけ置いてきた。

この古本屋のすぐ近くに、わたしのキライな 「ブックオフ」 という古本のチェーン店がある。
そっちの店でこんなことはまず起きそうにない。
本屋の口コミを書いたって一文にもならないけど、この良心的な古本屋はサンロードの中へんにある 「外口書店」 である。
こんな人間的なふれあいの残る古本屋はどんどん廃れていき、かって外口書店のすぐとなりにあったもう1軒の古本屋はとっくに廃業した。
なんでもいいや。
どうせわたしの人生長くはないし、いまどきの若者に古本屋の延命を訴える気にもなれない。

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太田記念美術館

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知り合いが六本木の国立新美術館まで、「ルーブル美術館展」 を観に行きたいといいだした。
ロシアでエルミタージュを見てきたばかりのわたしは、なんか来日した作品がもの足りなくて、見学を保留していた展覧会である。
知り合いはルーブルと聞くと嬉しがる人。
それでもブログネタぐらいにはなるかなというさもしさでお付き合いするわたし。

原宿の駅から美術館まで歩いてしまえということで、表参道の雑踏の中を歩き出したら、すぐに路地の奥に 「太田記念美術館」 の看板を見つけた。
浮世絵専門の美術館として名前ぐらいは知っていたけど、こんなところにあったのかとウカツ。
この日の催し物は 「歌川広重と小林清親」 というものだったから、これもおもしろそうだというので、寄り道をしていくことにした。

広重はよく知っているけど、清親という画家についてはよく知らない。
広重は北斎とならぶ江戸浮世絵の大家で、清親はその画風を引き継いだ明治維新前後の画家ということだった。
残念だったのは、思っていたより小ぶりな作品が多く、うす暗い館内では老眼鏡をかけても細部がよく見えないこと。
もっと高いメガネにしないとだめだな。

日本の浮世絵版画は、その大胆な作風が印象派の画家たちに衝撃を与え、西洋絵画の発展に大きな影響をもたらしたことはよく知られている。
この展示でもそういう点が比較論証されていた。
これは日本人が自慢してもいいことだと思うけど、これほど美術史にとって重要なことがらを、おとなりの韓国では教科書に載せないそうである。
やれやれ、偏狭のきわみとつぶやいてしまう。

政治的問題はさておいて、広重らの風景画の中には思わず郷愁を誘われてしまうものがいくつもある。
おまえは江戸時代の人間かっていわれてしまいそう。
いやいや、わたしは昭和生まれの若僧だ (そのつもりだ)。
郷愁を感じるというのはこういうことである。

広重の作品などを見ると、デフォルメされた部分があるけれど、わたしはその部分を想像力で矯正してしまうのが得意な男だから、もとの景色を想像するのはむずかしくない。
カヤ葺きの屋根、田植えをする人々、大河の上をこぎゆく小舟、竹やぶのシルエット、畑のあいだの小道には、駕籠さえ通らないものの和服の女性はめずらしくなかったし、牛がいる馬がいる、放し飼いのイヌがいる、みんなわたしの子供時代にはまだかろうじて残っていたものばかりなのだ。
浮世絵に描かれた世界をながめるたびに、わたしは江戸時代の日本が、どれほど人間的で活性に満ちた社会であったかと思う。

感動に打ち震えながら太田美術館をあとにし、国立新美術館のほうに行ってみたら、もの好きが長い行列をつくっていたので、さっさとあきらめて、回転寿司を食って帰ってきた。

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2015年5月17日 (日)

B・B・キング

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ブログほどには関心のないフェイスブックだけど、いちおう会員になっていて、好きな音楽というところにストーンズやドアーズ、アンジェラ・ブラウンの名を登録しておいたら、そっち方面からB・B・キングの訃報が舞い込んできた。
そういえばおとといの新聞にも記事が出ていたっけな。
なにか書こうと思ってけろりと忘れていたのは、やっぱり認知症かねえ。
ここに載っけたのは上記の3ミュージシャンから送られてきたキングの写真(1枚に合成してある)。

むかしロック・ミュージシャンたちが猫も杓子もブルースに凝ったことがあり、ロックに狂っていたわたしも、当然ながらブルースをよく聴いたことがある。
つい気安くブルースというけど、12小節であること、コード進行はどうのと、音楽的にきちんとしたきまりがあるそうだ。
わたしは理屈で音楽を聴くわけではないから、きまりはどうでもよくて、とにかくしゃにむにレコードを聴きあさったものである。

趣味に凝るとそれを徹底的に追求するのがわたしのイケナイ性格で、そのうち輸入盤専門店で、ベッシー・スミスやロバート・ジョンソン、ジェシー・フラーらのレコードまで買いあさり、これはどうも、さすがにマニアックすぎると後悔したこともある。
B・B・キングについては、自分のギターにルシールという名前をつけ、それとかけあい漫才ををするような彼の演奏がのっけから心地よくて、もう最初から熱心なファンになってしまった。

彼はアメリカでもトップ・クラスの人気を得たブルース歌手で、多くのミュージシャンと共演しているから、YouTube にもストーンズやクラプトンと共演した、たくさんの映像が上がっている。
エド・サリバン・ショーに出演していた映像まであるくらいだ。
こうやって YouTube を愛用しているわたしがいうのは申し訳ないけど、足でレコード店をめぐり、めずらしいレコードを掘り出す楽しみはまったく過去のものになってしまったようだ。

わたしがとくに気にいったキングの曲が、新しいスタイルのブルースに挑戦した「スリル・イズ・ゴーン」。
これはもともとは他人の歌のカバーらしいけど、キングのかけあい漫才の背景にストリングスを入れた、イージーリスニング的なブルースである。
厳格なファンというやつは、新しいスタイルというとたいてい文句をいうものだから、この曲を大衆に迎合したポップスみたいとけなす人がいるかもしれない。

なんだっていいさ。
この曲は旅のビデオなどを自作するとき、ゆるゆると流れる景色のBGMにももってこいのところがあって、何度も勝手に使わせてもらったことがある。
著作権料を払ってないけど、どうもありがとうと、追悼の気持ちにあわせて、ここで彼に感謝しておこう。

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2015年5月16日 (土)

カメラ・テスト

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新しいカメラ(キャノン)のテストをしている。
といってもカメラ・レビューをしようというわけじゃないし、もともとわたしはかなりいいかげんなところがあるので、この結果をまともに受け取られても困るんだけど。

カメラのテストというと、露出やピントがどうのこうのと騒ぐ人がいる。
キャノンといっただけで、盲目的に信頼し、さすがと賞賛する人もいるかもしれない。
しかしこのブログに載せた過去の写真と、ここに載せた新しいカメラで撮った写真を比較して、どっちがいいかわかる人なんかゼッタイにいないはず。
いたとしたら、それはウソである。
わたしは写真をブログに載せるとき、かならずパソコンで露出の調整やトリミングをするし、データ量を節約するために圧縮もしてしまうから、掲載写真が撮ったまんまのオリジナルと思われちゃ困るのだ。
むかしなら暗室でやった作業を、現在はパソコンでかんたんにらできる時代なのだから、そういう利点をおおいに活用しない人は、やはりあまり頭がいい人ではない(と思う)。
つまり、最初から芸術写真には目もくれず、ネットに載せればお役御免という写真のつもりなので、深くこだわっちゃいないのである。

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そういうわけで、わたしのテストというのは、自分がよく使う機能をマスターするのが目的だ。
たとえば可愛い女の子の写真を撮るとき(そういう機会はあまりないんだけど)、背景をきれいにぼかさなければならない。
そのときになってオタオタしないように、手動ですばやく露出を変える方法をおぼえておかなければならない。

スポーツ写真を撮る機会もあまりないんだけど、わたしの場合、逆にシャッタースピードを遅くして、故意のピンボケ写真を撮ることのほうが多いかもしれない。
やはりシャッタースピードを変える方法もマスターしておかなくちゃ。
絞りとシャッタースピードはカメラの基本だけど、それがいつでも簡単に、自分の裁量でできるかどうかが、わたしにとっていいカメラかどうかの判断基準なのである。

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とりあえずこういう基本をおさえておこう。
と思って出かけたのに、新しいカメラって、バッテリーの持ちがぜんぜん悪いのね。
これまで使っていたオリンパスのタフ(コンパクトデジカメ)に比べると、1/2ぐらいの感じで、最初のテストは途中で切り上げざるを得なかった。
そもそもわたしは街を歩くとき、カメラの電源を入れっぱなしにしておいて、目についたものをばしゃばしゃ撮るタイプ。
あわてて予備のバッテリーを注文した。

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こういうとき悩むのは、カメラのバッテリーってのは高価であること。
競争の激しいカメラ本体は安くしておいて、ほかに選択肢のないバッテリーで儲けようというメーカーの気持ちはわかるけど、貧乏人にはツライ。
そこで遺憾ながら、予備のバッテリーは純正品じゃないものにした。
安もの買いはロクな結果にならないことを、わたしは経験から学んでいるので、いちおうネット通販の口コミを調べてみたら、安ものでもけっこう使えますなんて情報が多かった。
疑い深いわたしはヤラセ情報を疑ったけど、まだボロが出るほど使ってないから点数はつけられない。

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とりあえずテスト写真を何枚か。
パンフォーカスあり、露出調整やトリミングをすませたものあり、マクロ写真ありだけど、すべて新しいカメラで撮ったもの。

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2015年5月14日 (木)

奇跡

中国の古い王朝の名前をあげよといわれたら、まあ、当節では歴史に興味のある人か、受験生ぐらいしかすらすらと答えは出てこないんじゃないか。

秦の始皇帝という人がいた。
キリストよりまえの人だからかなり古い人である。
このことを知っていれば、キリスト以前に、つまり紀元前の中国に「秦」という国があったことがわかる。
でも4000年の歴史を誇るあの中国のことだから、もちろん秦がいちばん古いわけではなく、それ以前にも「周」「殷」「夏」なんて国(王朝)があった。
それよりさらにまえの王朝もあったらしいけど、そこまでいくと伝説や神話の範疇に入ってしまうので、じっさいに存在が確認されているのは夏あたりまで。
夏王朝になると、その成立は紀元前2000年ごろというから、キリストの上にもうひとりキリストを乗っけたくらい古い。

でも、このブログで中国の歴史を勉強をしようってわけじゃない。
昨日の夕刊と今朝の新聞を読んで思ったんだけど、北朝鮮のぼんぼんが、また幹部を粛清したようだって。
周も殷も夏も、その衰退は暴君の出現によるものだった(らしい)から、そうだとすれば現在の北朝鮮になんと似ていることか。
独裁国家はほかにも多いけど、まがりなりにもグローバル社会に組み込まれている国がほとんどなのに、この国だけは頑としてそれを拒絶している。
なんたる奇跡。
世界遺産にふわしい皇帝制度を維持する国の、末路がちかいというのは残念な気も、いえ、ぜんぜんしませんけど、わたしは生きているうちにもうひとつ歴史に立ち会えるかもね。

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2015年5月13日 (水)

ショック

郵便受けに灰色のでっかい封筒が入っていた。
厚生年金基金の解散のお知らせだそうだ。
オイオイ。

ということは年金が半分になるってことかい?
ホントかよ。

あわてて中味の書類をよく読んでみた。
なんだかさっぱりわからない。
わからないのは、どこがどうなるのか、具体的な数字で書いてないせいだ。
厚生年金は代行年金というものに代わるだけで、損はしません、さらに上乗せもありますなんて書いてある。
んなバカな。
年金が解散するのは不景気で運用が立ち行かなくなったからでしょ。
そういう理由なのにもらうほうが損をしないはずがない。
意味はさっぱりわからないけど、きっとなにがなんだかわからないうちにごまかされて、年金をがっさり削られるに決まってる。
終活もいよいよあとがないところまできたか。

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2015年5月12日 (火)

イラン

I001

2、3日まえに放映された 「アジアハイウェイを行く」 という番組は、このシリーズの2回目で、“知られざるイスラムの大国イラン” という副題つき。
イランというと、最近ではとてもコワイ国という印象があるけど、番組の中ではなんとかいう俳優が平和に旅をしていて、むしろ日本人はイランの人たちから好感を持たれているような雰囲気があった。

念のためネットで検索してみると、イランを自由旅行した人の紀行記も見つかるし、それもそんなむかしの話ではないから、この国はけっして日本人に門戸をとざした国ではない。
イスラムの戒律のきびしいイランでは、女性がひとりで旅をしても男にまとわりつかれることもないだろうし、わたしの感じでは、国境の一部をのぞけば、現在のエジプトより安全な国かもしれない。

ロシアのサンクトペテルブルクで西洋ふうの都市をたっぷり見てきたわたしは、もうパリもローマもマドリードもどうでもいいやという感じ。
ひとつ意表をつく目的地ということで、イランにでも行ってやるか。
そう考えて、やっぱり止めた。
なんのかんのといっても砂漠の国だ。
かって旅をした中国の西域を思い出すけど、酷暑の中のハードな旅になりそうで、もはや若くないわたしにはとってもムリ。

思い出すのは北京で開催されたアジア競技大会のときのイラン選手団の入場行進。
おそろいのスカーフで頭をつつんだ女子選手たちの美しさ。
美貌競技というものがあるなら、イランはまちがいなくメダル候補だと思ったもんだよねえ。
動機が不純だなんていわないで。
イスラムの女性の身持ちがとっても固いことは百も承知デス。

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2015年5月11日 (月)

高血圧のその後

3、4日まえに薬が切れたけど、どうでもいいやって気分でほったらかし。
健康なわたしのゆいいつの汚点である高血圧のことである。
わたしの友人なんか、1日でも薬が切れると、すぐに血管がぶち切れるんじゃないかと右往左往してるのがいるけど、あいつは糖尿もかかえているからな。
それに比べたら、わたしぐらい健康なおじさんはいないよ。

今日は天気もいいし、午前中ヒマだから近所の診療所に行って、その後の経過報告と、ついでに薬をもらってきた。
もう2カ月ばかり、血圧管理手帳なるものをつけている。
それによると、薬を飲み始めて3カ月になるのにぜんぜん効果なし。
いや、上が200を超えることがなくなったから、すこしは効果があったのかも。
下だってたまに100を切る日があるし。

どうして下がらないんでしょうと訊くと、医師もうーんと困惑の態。
薬を飲むと、大船に乗った気分になって、つい漬けものをぱくぱく食べる (塩分を取り過ぎる) のがいけないのかもしれない。
しかし漬けものは以前から好きだった。
減らさないかわり、増えすぎてもいないはずだから、薬を飲めばそれなり効果があっておかしくない。
それなのに、いまのところ製薬会社を喜ばせるだけってのはナンダ。

わたしの親父はやせっぽちのくせして、それでも晩年は高血圧だから注意しろといわれていた。
80近くまで生きた老人がなにを注意する必要があるんだって、親父は最後まで好きなお酒を飲み続け、死んだのは老衰みたいなものだった。
お医者さんは医学の常識を忠実に守りたがる。
でもわたしは時々考える。
常識の通じない患者がいたっておかしくないんじゃないか。
それともわたしはエイリアンの息子か。

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2015年5月10日 (日)

新しいカメラ

新しいカメラを買った。
今度はキャノンである。
カメラ好きのくせして、考えてみると、フィルムカメラの時代から通しても、キャノンのカメラを買うのは初めてだ。
もちろん、いまさらフルサイズの35ミリに、レンズ数本というには体力不足のわたしのことだから、買ったのはコンバクト・デジカメ・・・・・ではなく、それに毛の生えたミラーレスカメラ。
カメラを自分に合わせてしまうと豪語するわたしのことだから、モデルチェンジしたばかりというのに、買ったのはわざわざひとつまえの型落ちタイプ。
これだけで値段は劇的に下がる。

いまのカメラが壊れたわけじゃないから、無理して新しいものを買う必要はないんだけど、これまで使っていたオリンパスのタフは、魚眼のコンパージョンレンズの接続部分がプラスチックなので、その部分がすり減って、だんだんゆるゆるになってきた。
超広角のゆがんた写真に愛着をもつわたしは、魚眼をひんぱんに使うことが多いので、これではいつ落っことしてレンズを破損するかわからない。
それでとくに魚眼にこだわらない写真を撮るときはべつのカメラを使おうと、ま、新しいカメラの購入動機はそういうわけ。

そんなら安いカメラにしておけばいいものを、こういうときにこだわりが出てしまう。
先日たまたまカメラ店に入ったら、目についたのがキャノンのミラーレスで、大きさなんか (レンズをのぞけば) コンパクト・デジカメとほとんど変わらない。
そのくせ手動で露出もシャッター・スピードも変えられるし、バルブ撮影もできて、最新のデジタルカメラだからWi-Fiも使えて、さらに35ミリ用の、あのそうそうたるキャノン・レンズ群も使えるのである (1本も持ってないけど)。
このあたりが安くもないし、高くもないというこだわりの妥協点だろう。

問題があるとすれば、この小さなカメラでさえ、ズームレンズを2、3本も持つと (ストロボも外付けだ)、気楽な旅を愛するわたしにはけっこうな荷物になってしまうことだ。
だらしないといわれそうだけど、外国で街をぶらぶらするとき、わたしは iPad や双眼鏡やガイドブックに、予備のカメラまで持つんで、大変なんですヨ。

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2015年5月 9日 (土)

シャーロット

お猿の “シャーロット” に苦情が殺到したそうだけど、それについて見解を述べるにはおそすぎた。
わたしのブログは原則として、世論がひとつの意見に集約されてしまったことにはふれない主義。
「シャーロット」 についても、名前は動物園が勝手につけて文句ありませんという英国王室のおおらかさに、そのままでいいんじゃないかという結論が出てしまったようだ。
あとからエラそうに、わたしも問題はないと思っていたなんて、コケンにかかわるからいわない。
でもこのブログを読んでいる人は、わたしがヘソ曲がり的にユーモアを愛する人間で、世間の常識にこだわらない人間であることは知ってるでしょ。
お猿のシャーロットちゃん、愛子ちゃんなんて、可愛らしくていいじゃないの。

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2015年5月 8日 (金)

我田引水

米国の日本研究者らが 「偏見なき清算」 を呼びかけた。
という記事が今朝の新聞の1面、および3面にも載っていたから、わりあい大きな扱いといっていいようだ。
偏見なき清算なんていうと、すぐに慰安婦問題に結びつけちゃうのがウチの新聞の悪いクセだから、疑惑いっぱいで読んでみた。

わたしの知ってる人はあまりいないけど、ここに名を連ねた研究者は日本についてのエキスパートばかりらしい。
しかし引用されている文章を読んだかぎりでは、きわめて真摯な、現在の日本をとりまく状況に対する提言のようである。
「慰安婦問題に限らず、日本政府に向けられたものでもない」 とことわっていることや、中韓への批判も盛り込まれているというから、どちらか一方に加担しているわけでもなさそうだし、「国家主義、史実曲げる」 という見出しにしても、どうもウチの新聞とはべつの意図を持った呼びかけだったような気がする。

日本の研究者であるなら、とうぜん慰安婦問題で朝日新聞が訂正謝罪したことも知っているだろう。
それなのに研究者らの発言を我田引水して、自分たちの主張に沿ったように解釈されては、彼らも迷惑だ。
そもそも誤りを認めたくせに、いつまで慰安婦、慰安婦といい続けるのか。
後段の 「政府の姿勢を憂慮」 という記事にしても、日本政府が米国の教科書に注文をつけたということが、それほどおかしいとは思えない。
間違った内容なら訂正を求めるのが当然で、これを圧力や干渉ととらえるほうがおかしい。
そして慰安婦問題が間違いだったことは、そもそも朝日新聞が認めたことではないか (これは去年の10大ニュースのひとつだ、とわたしは思う)。

あいかわらず、ウチの新聞の内部に巣くった病根は根絶されてないなあと、ひさしぶりに腹の立つ記事。
それでも購読をやめない自分について、いろいろ考えてしまう。

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2015年5月 7日 (木)

連休のすごし方

家でごろごろしていて、連休ボケが認知症を昂進させてはたまらんと、このゴールデンウィークは海外に行って・・・・・こない! こない!
混雑していて料金も高いこの時期にわざわざ旅行するほど、わたしは無謀な生活をしていない。
そのかわり YouTube で、外国人が日本を紹介する映像にハマっていた。

YouTube には日本を訪れた外国人が撮影した映像があふれている。
それを見るたび、日本という国はほんとうにユニークな国だと思う。
いくつか具体的な例を挙げると、奈良公園でシカとたわむれる欧米人の映像があった。
日本人にはめずらしくもない光景だけど、狩猟民族にとって、狩りの対象が人間にからだをすり寄せてくるなんて体験は、それこそファンタスティックということになるらしい。
これでは、ホント、日本くらい動物にやさしい国はないということになってしまう。

食べものについて報告する映像もたくさんあるけど、これも日本ぐらいユニークな国はほかにない。
欧米人が寿司を食べて恍惚の表情を浮かべる映像があった。
生魚は食べないといわれていた外国人がこれだから、日本人は世界の味覚を変えたといって過言じゃない。
マグロたちにさぞかし恨まれているんじゃなかろうか。

ほかにも日本のユニークなものはいっぱいあって、カラオケ、マンガ、コスプレなんて、これみんな日本が本家本元なのだ。
本来もっと日かげの存在のはずのそういうものが、日本ではお日様の下をどうどうと手をふって歩ける立派な文化になっちゃっている。
ガチャガチャをするのが楽しみで訪日したという外国人もいた。
ナニ考えてんのかねえ。

こんな日本の欠点は宿泊代が高いことかと思ったら、カプセルホテルに泊まったという映像もあった。
ひと部屋に大勢が押し込められるドミトリーは外国にもあるけど、日本のカプセルホテルはそれよりずっとスマートで、まるで宇宙船に泊まっているみたいとよろこぶ外国人旅行者も多いのだそうだ。
こういう情報は、ネット時代にはすぐ世界に拡散するから、ますます日本ファンが増えることはまちがいがない。
日本て工業立国かと思っていたら、いつのまにか観光立国になっていたんだね。

こんな国に生まれついちゃった幸運を、しみじみと噛みしめるだけじゃなく、この幸運は神がかり的とまで、あ、また思ってしまう。
そんなゴールデンウィークももう終わり。やれやれ。

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2015年5月 5日 (火)

自立

ウチの新聞の 「プーチンの素顔」 という連載が今日で終った。
つながりかけたパイプが断絶しているということで、ロシアのプーチン大統領のファンであるわたしにとっては、残念な結末である。
日本という純真な好青年が、米国という継母にいびられて、泣く泣く恋人のロシアと別れさせられたようなものだ。
継母のくびきから脱するには、自立するしかない。
自立するためには継母に頼らなくてもいいだけの力をたくわえることが必要だ。
まあ、事態はその方向に進んでいる気がしないでもないけど、そんな乱暴者になっては心配だという人が身内にもいる。
それじゃ永久に自立できないじゃん。
周囲に迷惑をおよぼすようじゃ困るけど、柔道のこころえのように、どんな場合にも相手に屈しないていどの実力は必要だ。
そうやって自立して、もういちどハルキとマチコみたいに、恋人同士がまた手をとりあえる日が来るよう願ってマス。
ハルキとマチコってのは・・・・・
ええ、知らなくてもよござんすよ、いまどきの若いモンが。

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2015年5月 3日 (日)

ムリ

ここんところ YouTube で日本を紹介する映像にハマっているんだけど、その中に日本の鉄道の正確さを賞賛するものがあった。
日本人のわたしは誉められてもべつにおどろかないけど、外国人には列車のダイヤだけじゃなく、車内の清掃係のおばちゃんたちのスピーディな仕事ぶりさえ感動モノなんだそうだ。

そんなおりに安倍クンが米国で日本の鉄道を売り込みなんてニュースを目にした。
そりゃ無理でしょうといいたくなる。
なんで?
正確無比な日本の鉄道技術を、どうして外国に売り込んでいけないの?
そんなことを聞かれそう。

でもねえ。
いくら技術が素晴らしくったって、それを運用するほうがだらしない性格だったら、とてもついていけないでしょ。
たとえばのんきなラテン系や、たとえばおおらかなロシア人に、日本の鉄道の秒単位の運行表を見せたら、すぐに目がくらくらしてノイローゼになるんとちがうか。
すべてをオートメ化して、人間はマンガでも読んでいればOKというぐらいの技術にしてやらないと、いきなり外国に日本の鉄道を売り込むのはトッテモ無理だと思う。
中国が日本に張り合って、あちこちの国に鉄道を売り込んでいるけど、ああ、この程度ならうちでも使えそうって、安心する国が多いのかも。

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2015年5月 2日 (土)

煩悩

F001

わたしのフェイスブック (FB) に 「友達かも」 って、女の子の写真がベタベタと載る。
ほんの少しだけロシアに知り合いがいるもんで、ロシアの女の子の写真が多い。
もうそんなトシじゃないから相手にしないでいたけど、中にたまたま、日本のなにかのマンガの主人公のカッコをした、コスプレの女の子の写真があった。
相手のFBの名前は個人名ではなく、お店かグループみたいな名前になっていたから、コスプレ愛好家のそういう団体があるのかもしれない。

ロシアの女の子がコスプレに凝るというのに興味があって、お酒のいきおいで友達リクエストをしてみたら、たちまち返事があった。
これがその子の写真だけど、なんか 「ドラゴンタトゥーの女」 っていう映画のヒロインみたい。
これでもいちおう女の子です。
もしかしたらこのつぎロシアに行ったとき、デイトできるんじゃないかって馬鹿なことを考えたけど、そりゃ無理だよな。
よく考えたら、よく考えなくても、わたしってもうこんな若い女の子とは永遠に縁のないトシになっちゃったんだものね。

そんな現実を自覚するととっても悲しい。
川端康成という作家は年老いてから自殺した。
彼は作家だから、その原因についていろんな人がいろんなことを言っているけど、たいていは偉大な作家にふさわしい高尚な理由をならべている。
でも、ひょっとすると真実は意外と単純で、煩悩に苦しんだあげくのことだったかもしれない。
男が若い娘に相手にされないトシになったことを自覚して苦しむというのは、思想的にも文学的にも、わたしにはきわめてレベルの高い悩みに思えるんだけど。

それはともかく、こんな可愛い女の子を独占しようってのは罪なんで、みなさんにも眼福のおすそ分けだ。
2枚目の写真を見れば、女の子ということは一目瞭然です。

F002

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2015年5月 1日 (金)

ご注意

昨日の深夜に買ってきたコンビニのぶっかけウドンを、台所に出しっぱなしにしておいて、今日の夕方食べたらもうお腹が下りぎみ。
そんなくらいでへこたれるわたしじゃないけど、そろそろ食あたりに注意しなくちゃ。

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