2015年6月30日 (火)
えっえっえっ、ガルーダって成田じゃないの?
いや、アセったね。
以前バリ島に行ったときも成田発だったから、そのつもりで空港バスも予約しちゃったのに、出発の前日になってチケットを確認したら、出発は羽田空港になっていた。
あわててバスを羽田行きに予約しなおし。
気がつかなけりゃそのまま成田で途方にくれていたところ。
出発前日の夕方に気がついたってのもツキのうちに入るのかどうか。
先が思いやられるよねえ。
そういうわけで、いま羽田空港にいますよ。
飛行機にまだ時間があるので、ヒマつぶしにブログ記事を書いて、更新までやっちまおうってところ。
これがタダのWi-Fiの使い始め。
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2015年6月29日 (月)
いいトシこいて何をしてるんだといわれそう。 家にも家庭にも縁がないまま、わたしはまた風来坊を決めこもうというのだ。 カリマンタンに出発するのはいよいよ明日(30日)になったけど、鬼が出るかニシキヘビが出るか、行き当たりばったりのひとり旅。 エライと思われちゃ迷惑だ。 たいしたもんだと思われても困るのだ。 わたしは終活の一環として旅をするのである。 こういう男の末路が惨憺たるものであることは覚悟のうえで、貯金をはたいて出かけるのである。
英国の作家サムセット・モームは、日本を含めた世界各地を旅して、旅から拾い上げたような一連の作品を書いている。 うらやましいことである。 彼は作家としてあるていど名声を確立してから旅行をしたので、経済的にも恵まれていたし、まだ大英帝国が世界中に植民地を持っていた時代に、英語圏の国民として旅をしたのだから、会話もそれほど不自由しなかっただろう。 英語のできないわたしはと、またなげき節が入ってしまう。 もっとも、最近では言語だけが必須じゃないこともわかってきたけどネ。
モームの旅はどんなものだったろう。 彼は好奇心のおもむくままに、南海の小島や、アジアの僻地のようなところへも足を運んでいるけど、ほとんどの場合、一種の特権階級の旅だったのではないか。 そのあたりではまずまず一流とされるホテルに泊まり、ホテルでは給仕や小間使いにかしづかれ、酒と料理を楽しみ、宿で知り合いができれば世間話やトランプをし、ひとりになったら思索にふける。 そんな調子で、著名人としてかなりめぐまれた旅をしていたのだろう。 これはキューバにいすわったヘミングウェイにもいえる。
もちろん特権階級の旅といっても、自分の時間がぜんぜんないパック旅行や、いまどきのブランド商品買い出し、食べ歩き旅行といっしょにされちゃあ困る。 モームは名所旧跡にそれほど興味がないことを公言していたし、それよりも旅先で見かける人間の多様な生き方のほうに興味があった。
こういう旅を、かりに 「モーム流」 と名付けよう。 考えてみると、貧乏学生や勤労青年ならいざ知らず、世界を見てまわろうと考えるほどの、あるていどトシをくった男性ならば、こういうスタイルの旅がいちばん理想ではないだろうか。 わたしは有名でも金持ちでもないけど、幸運にも日本という国に生まれたおかげで (そしてひねくれた人生を選択したおかげで)、モーム流の旅をすることができる。 これからわたしはインドネシアのカリマンタン島というところへ行くのだけど、金満国の日本人であるわたしは、そこで特権階級みたいな旅ができるはずだ。 でもいたずらにそれに耽溺することなく、モームのようにいろいろ考えてこよう。 そう、ホテルのベランダで風に吹かれながら。 テーブルにワインでも置いて。
というわけで、明日からしばらくブログの行方がわかりません。 いちおうWi-Fiの使えるホテルを予約したので、あちらで更新できるならするつもりなんだけど。 添付画像は、上が今回の旅で予約したホテルで、下はモームにちなむ文様。 宿はなかなかすてきに見えますが、ネット上の写真は、じっさいに見るまで信用できないことをロシアの旅で実証ずみ。 だから予約したのは最初の3日間だけで、その後はやっぱり行き当たりばったり。
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2015年6月28日 (日)
いま金髪クンがロシアから里帰りしてきているので、昨夜は部屋でいっしょに呑んだ。 かっての彼はぜんぜん呑まない男だったけど、今年の冬にモスクワで会ってみたら、北朝鮮のレストランで呑みましょうと、逆にわたしを誘う男になっていた。 なかなか話のわかる男になったじゃないかと、昨夜はビールを出してみた。 冷蔵庫で冷やした缶ビールだけど、冷たいものは体によくありませんといって、彼はそれをお湯で温めて飲むのだ。 マジかいといってみたら、ロシアではみんなこうしてますという。 んなバカな。 カリマンタンから帰ってきたら、また試してみよう。
写真はモスクワにて、官能的な絵画のまえの金髪クン。
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2015年6月25日 (木)
飛行機がジャカルタの空港に着陸する。 そのまえに出入国カードに記載をすませておく。 入国審査のまえにビザを手に入れる。 インドネシアのビザは35ドルで、到着したとき空港で入手できるそうである。 そうやって首尾よく入国審査が終わったら、つぎに・・・・・
こんなことをいま必死でおぼえている。 ジャカルタからカリマンタン島へ行く飛行機の乗り換え時間は1時間半しかない。 ビザの発行所や入国審査が混雑していたら、すぐに30分ぐらいたってしまう。 そろそろ認知症が心配なわたしは、ぜったいに間違いがないように、飛行機に乗り遅れないための手順をおぼえるのに必死なのである。
入国審査が終わったら、到着フロアで両替をして、タクシー代ていどの現地通貨ルピアを用意しておいたほうがよい。 これをやらずにカリマンタンまで飛んで行ってしまった場合、すでに深夜になっているから、向こうの、たぶんローカルな空港で、両替できるかどうかわからない。 ルピアがなければ地方のタクシーは乗せてくれないかもしれない。 乗せてもらえなければホテルまでたどりつけない。 少額の米ドルを用意してあるけど、それで乗せてもらえるという保証はないのである。 深夜になっているのだから、ホテルに着いてからフロントで両替してもらえる保証もない。
だから国際空港であるジャカルタ空港で両替をすませたいんだけど、両替所が混雑していたらまた30分のロスだ。 ビザや両替にそんなに時間がかかるはずはないという人がいるかもしれないけど、どこになにがあるかわからない、まったく初めての空港なのだ。 サイフが見つからないとか、パスポートはどこだと慌てることはよくあるもので、そうなると30分ぐらいあっという間だ。 もっともわたしもそうとうにトロいほうだけど。
これに、慣れない空港をうろうろする時間、ひょっとすると入国審査でいちゃもんをつけられるかもしれない時間などを加えれば、もう1時間半でも足りないくらい。 ほんとに飛行機に間に合うのかい。
旅行会社の話では、搭乗予定の客が現れないと、航空会社は放送を流したりして一生懸命探すそうである。 んなら慌てることもないか。 ひとりの日本人のおかげで飛行機が1時間遅延したって、そもそも1時間あとの飛行機を勝手にキャンセルしたガルーダが悪いのだ。 そう開きなおってゆるゆると行くとするか。
写真は世界最大の花とされるラフレシア。 汲み取り便所の香りだそうだ。
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2015年6月24日 (水)
日本が発祥みたいな勢いのネコ・カフェは、いまではパリにもあるそうである。 こういうのも日本発の文化といえるかどうか。 マンガやネコカ・フェが話題になってるくらいなら、安保法制だの集団的自衛権より平和でいいや。
今夜はBSの 「世界で一番美しい瞬間」 という番組を観た。 ベルギーのイーペルという街では年に1回、猫祭りというものが開かれているそうだ。 祭りのようすを眺めると、街全体がミュージカル 「キャッツ」 を演っているようなものだった。 もともとはささやかな祭りだったものが、「キャッツ」 が大当たりしたので、住人による派手なネコ化け大会になっちまったのかも。 ミュージカルのほうはきたえぬかれたプロのダンサーだけど、こっちはしろうとの女の子ネコだから、太めのネコばかり。
ネコというのは世界のどこでも人気がある。 日本でも鉄道の駅長を勤めるネコがいて、これは海外でも有名で、わざわざこのネコを見るために来日する外国人もいるらしい。 そのネコの駅長さんが今日亡くなった。 わたしもネコがキライじゃないから、合掌。
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2015年6月23日 (火)
よくわからない。 素朴な疑問だけど、辺野古移設がどうしてこんなに問題になるのか。 辺野古への移設を見なおせというのは、つまりこれまで沖縄にあった普天間の米軍施設をそのままにしておけということなのか。 それとも沖縄の米軍基地は、すべからくとっぱらえということなのか。
詳しく訊かれるとわたしには説明できないから、ウィキペディアで 「普天間基地移設問題」 という項目について調べてみた。 すると、まずわかったのはこれについての記述がひじょうに長いということ。 しかも色気もなにもない無味乾燥な文章だから、全部読み通せるのは、よっぽどこの問題に興味がある人にかぎられるだろう (ウソだと思うなら読んでみよ)。
わたしもずっこけた。 沖縄全戦没者追悼式のあった今日中にブログにまとめられそうもないので、この問題について書くのは、まあまあそのうちに。
ウチの新聞だけを読んでいると、辺野古の問題は日本の政治家が無策・無能だからと思ってしまうけど、ウィキペディアを読むと、日本の政治家もこの問題については、これまでずっと真剣に考えていたことがわかる。 それまでの米軍基地の周辺環境が悪化して、なんとかしなくちゃいけないと、辺野古以前にさまざまなアイディアや移設先が考えられたこともわかった。 しかし政治家というのは民意を無視してものごとを決められないものだ。 経緯やしがらみを考えると、米軍基地の移設は簡単ではないし、政治家の一声で変えられるような単純なものではない。 なんのかんのといっても、法律に抵触しないように権謀術数のかぎりをつくす日本の政治家は、よくやっているほうだと思うしかない。
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2015年6月22日 (月)
インドネシアは信者の数が世界一のイスラム国である。 バリ島のように住人のほとんどがヒンドゥー教徒という島もあるけど、カリマンタン島はイスラム教徒が多いという。 これはゆゆしき問題である、飲んべえには。 イスラムでは酒が厳禁だ。 豚肉も厳禁だけど、わたしはもともと肉がキライだから、そっちのほうは痛痒を感じない。
同じイスラム国でも、中国の新疆ウイグル自治区なんか、漢族がたくさん入りこんでいるから、わりあい苦労しないで酒が飲めるんだけど、それでもまちがえてイスラム教徒ばかりの店に入ってしまい、ビールを注文して、白い目で見られたおぼえがある。 インドネシアはそんなに戒律が厳しそうに見えないけど、そうでもないらしい。 困ったもんだね。 トルコなんかかなり世俗的で、自分の国で酒を製造しているくらいだし、ワイン発祥の国という噂もあるくらいなのに。 バリ島にしたってその繁栄は、インドネシアの他の場所に比べれば、たまたまイスラム教徒が少なかったせいで、酒が飲めなきゃ観光客は半減していただろう。
わたしはアル中ではないから1週間ぐらい飲まなくても平気だけど、そう思うけど、わからんね。 なにしろ暑いところらしいから、ビールくらい飲みたくなるんじゃないか。 ガイドブックを読んだら、そういうときはホテルで相談すると、こっそり飲める場所を教えてくれると書いてあった。 なんだ、そうか、あははって、まるで禁酒法時代のアメリカに乗り込むような感じ。
イスラムにはラマダンというものがある。 この時期は禁酒の原則がことさら厳しくて、ふだん酒が飲めるところでも飲めなくなるという情報もある。 そんなことはぜんぜん考えてなかったけど、ラマダンにぶつかったらひどい目に遭いそうだ。 で、また調べてみた。 インドネシアのラマダンは、今年は7月9日から1ヶ月だそうだ。 タッチの差でわたしの旅行とずれていた。 やはりわたしの幸運は続いているようだけど、ほんと、ムズカシイもんだね、イスラムの国へ行くっていうのは。
画像はネットで見つけたもの。 なぜか 「インドネシア」 「女性」 というキーワードで検索すると、髪や肌を露出した女性の写真が多い。 わからん国だ。
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2015年6月20日 (土)
2015年6月19日 (金)
ふつう日本の警察は、相手が初犯であれば、錠剤ナン個ぐらいの麻薬の密輸でいきなりパクったりしない。
まして大企業の幹部でアメリカ人じゃ、かならず否定、弁護士、裁判になるに決まっているから、よほど確証がないかぎり立件はしないだろう。
日本に輸入されるダンボール箱がいくつあるか知らないけど、そんな中から、たまたま麻薬の入っていた小さな箱を発見したっていうのもおかしい。
ようするに彼女は過去に何度も同じ行為を繰り返しており、誰かがそれを警察にチクったってことじゃないか。
さすがに日本の警察も堪忍袋の緒がきれた。
そんな気がする、今回の事件て。
被告がアメリカ人なら、これは過去に行ったトヨタ叩きの報復だなんて、裁判所で叫ぶかもしれない。
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わたしぐらい疑い深い人間はいないかもしれない。
どうせヤラセだろうと、民放のテレビ番組というのは原則として信用しない。
これは報道番組でもいっしょ。
YouTube に民放の番組のお下がりみたいな映像があって、金慶珠さんという韓国女性がなにやらまくしたてていた。
彼女は日本のどこかの大学の准教授で、けっこう有名な人らしいけど、わたしの観た範囲ではNHKにあまり出てこないから、どういう人なのかよく知らなかった。
YouTube の映像を観ると、嫌韓ブームのかたき役を一手に引き受けているような人らしい。
つまり韓国の立場を擁護する彼女が、テレビの中で討論相手にこてんこてんにやっつけられる。
それを観て視聴者が胸をスカッとさせる、そういう役柄のタレントさんなんじゃないか。
そう考えると、韓国生まれで、日本語も堪能で、才色兼備というのは得がたいキャラだし、彼女自身もそういう役割をよく理解して、テレビ局の期待に応えているように思えてしまう。
あらかじめ脚本があって、今日はこんなことを主張して(できるだけ早口でむきになって)、最後はこんな具合にボコボコにされて下さいなんて打ち合わせているんじゃないか。
そうでなければ彼女がいまでもにこやかにほほ笑んで、テレビにひんぱんに出て、日本の大学で准教授をしている理由がわからない。
そんな番組を観てよろこんでいる嫌韓者の気持ちもわからない。
わたしも韓国にはいいかげんにしてくれって立場だけど、嫌韓ブームなんぞに乗っかる気はないから、彼女を観ると、おっ、きれいな人じゃんてすなおに感心してしまう。
そういう美女がいじめられているのを観ると、つい快感を感じてしまうから、テレビ局の思うツボだ。
こうやって疑いだすとキリがない。
ウチの新聞が性懲りもなく慰安婦を持ち出すのも、これは社としての信念ではなく、営業政策なんだろうなあって思ってしまう。
そう考えないと、さまざまな意見が乱立する問題について、頭のいい人がたくさんいるはずの朝日新聞で、ああも簡単に一方的な見方ができる理由がわからない。
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出発まえからもうトラブルだーっ!
わたしは傍若無人にいいたいことをずけずけいうクセがあって、まわりからきらわれている。 これは自分の想像だけど、そんな周囲の人間の中には、わたしになにか不運が襲いかからないかと、つねに期待している人がいそうである。 そういう人に耳よりなニュースだ。 これからカリマンタンに行こうというわたしには、とんだ不運なんだけど。
わたしはインドネシアのジャカルタに行くのが初めてである。 飛行機は羽田(出発直前まで成田だと思っていた)を11時45分発のガルーダ・インドネシアで、これがジャカルタに着くのが17時5分 (到着は現地時間らしい)。 そのままバンジャルマシン行の飛行機に乗り換えるとすると、乗り換え時間が1時間半しかない。 ロシアのときといっしょで、ジャカルタの空港に詳しくないわたしば、これではヤバイというので、乗り換えの飛行機を1本あとのものにしてもらった。 これなら乗り換え時間は2時間半あるから、オタオタすることもないだろう。
これで余裕しゃくしゃくと思っていたら、2週間まえになって旅行会社から連絡があり、乗り換え便がキャンセルになって、1本まえの飛行機に振り替えになりましたという。 つまり、せっかく時間に余裕をみたつもりなのに、客を客と思わないガルーダの身勝手な都合で、それがフイになったということだ。
うーむ。 どうする?
これではせっかく飛行機を遅らせた意味がないじゃないの。 もっともっとあとの便はないのかと訊くと、翌日早朝の便しかありませんという。 早起きをしたくないわたしには、とてもムリな相談だ。 どうしてくれるのか。 わたしは英語がわからないので、現地で臨機応変の対応なんかできそうもない。 もう旅行なんかやめちまおうかと考えたけど、航空券とホテルは予約ずみで、わたしはすでにルビコンを渡ってしまったらしい。
仕方がないので、目下対策を研究中。 乗り換え時間を節約するために、今回はバックパックひとつの旅にすることにした。 冬のロシアと違って、Tシャツ1枚でいいところだから、もともと荷物は少ないし、バックパックを機内に持ち込んでしまえば、受け取りのためにターンテーブルに並ばなくても済むから、時間の節約になる。
こうやっていろいろ考えながら自省する。 そもそも僻地の旅行なんかめざしたわたしが悪いのだ。 カリマンタン (ボルネオ) で飛行機が予定どうりに飛ぶと思うのがマチガイだ。 あきらめて自分の運命を受け入れることにした。 なんの、行き当たりばったりの旅こそ望むところではないか。 やれやれ。 トホホ。
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2015年6月18日 (木)
与党の肩を持ちたくないけど、まともな政治をしているのは自民党だけじゃないかと、これホンネ。
民主党なんて、なんにでもいちゃもんをつけるどこかの泡沫政党になり下がって、橋下クンのつれない態度はごもっとも。
憲法学者から違反を指摘された安保法案にしたって、ようするにホンネとたてまえの衝突じゃないのかなと思ってしまう。
たてまえ論でいけば違憲であるという意見と、ホンネじゃそうとばかりいってられないという意見のガチンコ勝負じゃないのかね。
日本の憲法第9条は世界に誇れる立派な憲法であるけれど、どんどん変化する国際情勢のもと、いつまでそれにしがみついているのが正しいことか、まともな政治家なら考えるべき問題だ。
変化するする国際情勢というのは、たとえばアメリカの衰退、中国の台頭だけど、軍事力でおとるベトナムやフィリピンが、中国に一方的に押しまくられているのを見て、良識をもった政治家なら平静ではいられないだろう。
だから平和憲法にしがみついているのはキケンであると、政府としてはなんとかして武力を行使できる体制を整えておきたい。
しかし目の前に立ちふさがるのが憲法第9条だ。
日本人の政治家は、ほかの国の政治家に比べればマジメなほうだから、なんとか9条を守ったまま、それをかいくぐろうと、あのテこのテの屁理屈を考える。
ようするにいま憲法違反が騒がれている問題の、全体像はこんなところじゃあるまいか。
もちろんそれでメシを食ってる憲法学者サンは原則に忠実だ。
平和というものが憲法だけで維持できるものかどうか、そんなことはぜんぜん考えず、日本が他国のごり押しにさらされようとナニしようと、彼らは正しい憲法の運営に固執し続けるのだろう。
こういう融通のきかない原則論者に日本の未来を託していいものか。
なんなら平和憲法はそのまんま、ウラで抜け道に妥協するくらいのずる賢さがあってもいいんじゃないか。
歴史をながめても、国際関係においては、そういうことのほうが多かったような気がするから。
わたしはこの国に生まれたことを幸運と思っているほうだけど、世間には政府のやることはなんでもキライという人がたくさんいる。
そういう人たちを巻き込んで実体が見えにくくなっているだけで、ようするにこれはホンネとたてまえのガチンコ勝負じゃないかと、わたしは思ってんだけどね。
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2015年6月17日 (水)
以前このブログでも取り上げた 「カイカイ反応通信」 というサイトを、韓国の民意を探るために定期的に眺めてるんだけど、最新のそれに 「日本人の英語力」 というスレッドが立っていた。
日本の学校で、I Live in Tokyo という文章を過去形にしなさいという問題を出したら、I live in Edo という答えがあったそうだ。
ユーモア大賞だな、これって。
もう、涙が出るほどおかしかった。
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昨日の夕刊に時事小言というコラムがあって、国際政治学者のフジワラさんという人がムズカシそうな文章を書いていた。
ちょい目には立派な文章だけど、これがいかにもウチの新聞(朝日)らしくて気になった。
つまり最初に結論ありきってやつだ。
いま問題になっている新安保法案は、抑止戦略になるのかならないのかというのが主旨らしいけど、いろいろ理屈を並べたうえで、フジワラさんは最後に
『軍事にばかり頼る対外政策は緊張を助長する危険がある』
『同盟強化を第一とする政策は政策の優先順位を誤るものではないか』
と結論づける。
これがウチの新聞の代弁であったとしても、このこと自体は個人の発言としてべつに問題ないものだ。
しかし、全体を通してみるとおかしな点がいくつか。
同盟諸国が協力したって紛争を打開できるわけでもないという証明のために、フジワラさんはロシアとウクライナの問題、あるいは中国の外洋展開を持ち出した。
いずれの問題も、NATOや日米同盟は紛争の解決に至ってない。
極端な言い方をすれば、だから同盟なんぞは役に立たないといいたいらしいけど、ほんとにそうだろうか。
彼はウクライナ問題を持ち出すくせに、かってのボスニア・ヘルツェゴビナの問題には触れようともしない。
たぶん知っていて知らん顔をしてるんだろうけど、ボスニア紛争はNATOを始めとする多国籍軍が介入して、紛争が解決した数少ない事例で、わたしでさえそれをよくおぼえているくらいだ。
この世の中には、同盟が紛争解決に役立つこともあるのである。
どうやらフジワラさんは、自分の都合のいい事例だけを取り上げるという、どこかの新興宗教と同じ手法を使っているようである。
彼はけっして肯定的な立場から「同盟」を見ようとしないのだ。
フジワラさんにいわせると、軍事同盟のNATOもウクライナでは抑止効果がなかった、日米同盟は東シナ海で中国の進出をくいとめることができなかった。
だから同盟強化と軍事力の役割を過大視するのは危険だという。
彼はなにがなんでも、ものごとを一方から見たいのである。
ヨーロッパの安定には同盟の効果があったと認めているくせに、しかしそれでもと、主張を強引に自分の見方に引きもどしてしまう。
日本に足りないのは外交努力だそうだけど、外交が無力であったことは歴史が証明しているではないか。
ウクライナ問題ではドイツのメルケルさんが重要な働きをしたというけど、彼女が相手にしたのは話せばわかるプーチンで、話してもわからない北朝鮮とは違うのだ。
日独の宰相を同じ俎板に乗せるほうがおかしいのに、ドイツの首相の外交戦略は立派で、日本の安倍クンはどうしようもないと結論づける。
早い話が、メルケルさんなら拉致問題をすんなり解決できたとでもいうのだろうか。
ロシアとの北方四島の交渉もうまくいってないなんて理屈をこねているけど、日本政府はアメリカに遠慮しつつ、プーチンにもいろ目を使うという、むずかしい外交努力を現在も重ねているではないか。
ひょっとするとヨーロッパや尖閣諸島が、まがりなりにも武力紛争を回避しているのは、同盟の効果や日本の潜在的武力かもしれないのに、フジワラさんはこういうことは無視するのである。
わたしは新安保法案や集団的自衛権に、賛否両論があってかまわないという立場だし、安倍クンに義理も恩義も感じているわけじゃないけど、ウチの新聞の代弁者である彼の意見には疑問を持ってしまうのだ。
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2015年6月16日 (火)
カリマンタンに出発する日は刻一刻と迫ってくる。 忘れてしまった人もいるだろうから、あらためて説明をすると、カリマンタンというのはインドネシア領のボルネオ島のことである。 かってゴーギャンという画家が文明に愛想をつかしてタヒチを目指したように、現代日本で、先端文明と周囲とのしがらみに疲弊したわたしは、トカゲやヘビや、わけのわからない虫がうようよのボルネオを目指すのである。
でも現在の地球上に、ゴーギャンが目指したような、近代社会から隔絶した、ほんとうの意味での原始のままの理想郷なんてありそうにない。 できるだけ日本人が行ったことのない場所をめざすつもりで、目的地にカリマンタン島のバンジャルマシンという小さな街を選んだつもりが、ネットで調べるともう誰かが紀行記や口コミを書いていた。 いいかげんにせいよと、自分のことは棚に上げて日本人全般に文句をいいたくなる。 あらためて大航海時代の探検家がうらやましい。 貪欲なヨーロッパの船乗りたちにとって、アジアや大洋州、新世界は、すべてがやらずぶったくりの処女地だったのだ。
でもいいやと思う。 いつかのこのブログで、えらい哲学者の意見を紹介したように、わたしは幻想を求めてカリマンタンに行くのである。 ホテルの一室で妄想をたくましうすれば、乱立する高層ビルも天然の岩山に見える。 わたしってそういう頭の中のでっちあげは得意なのよね。
バンジャルマシンという街は、カリマンタン島のいちばん南のほうにあって、グーグルの地図と衛星写真を駆使してみると、バリト川という大きな川に面した街である。 大きな建物は数えるほどしかないようで、街の画像というとベトナムのメコンデルタにあるような水上集落、水上マーケットのものが多い。 ここに載せた写真はネットで見つけたものだけど、ナショナル・ジオグラフィックで採用されてもおかしくないみごとな写真だ。 何年かまえに、出発直前のアクシデントでベトナムへ行きそこなったわたしは、水上マーケットというものをぜひ見たいと思っていた。 ところが、出かけるのはまだ先だというのにもうトラブル発生だ(詳細は次回)。
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2015年6月15日 (月)
小石川後楽園のすぐとなりに日中友好会館がある。 そこで中国人漫画家たちの個展が開かれているというので、じつは昨日の日曜日は、後楽園のほうはおまけのつもりで出かけたのである。
この個展ではおもにひとコマ形式の時事漫画が多かった。 ただウチの新聞に載っている山田紳さんの絵あたりに比べると、まだまだひと目でニンマリするほどの強力なエスプリが足りないような気がした。 エスプリを効かせすぎると逮捕されかねない国の漫画家としては、これが精一杯かもしれないけど。
ここに載せたのはパンフレットからの転載で、並ぶ順番がちがうでしょというキャプションつき。 中国のひとりっ子政策を皮肉ったものだそうだ。
会場に 「現代中国報」 という新聞が置かれていたので、その一部をもらってきた。 すべて中国語なので、てっきり中国から直輸入の新聞かと思ったけど、比率からするとやけに日本に関する記事が多い。 よくよく見たら、発行もとの在所が池袋になっていたからから、日本で発行されている中国人のための新聞らしかった。
漢字ばかりの紙面をじっとながめていると、いろいろおもしろいことがわかる。 家電量販店のラオックスが、新宿に大型の免税店を開いたという記事が大きな扱いになっていて、開店のセレモニーに中国女優の林志玲さんがかつぎだされたという写真つき記事。 この女優は 「レッドクリフ」 に出ていたリン・チーリンさんという美人のことだけど、中国の新聞では原則としてカタカナ表記はしない。 しかしラオックスという企業名は漢字表記ができなかったらしく、英語のままの表記になっていた。
普京で “欧盟団結” がどうのこうのという記事もある。 欧盟団結というのはEUかNATOのことらしいから、てっきり普京というところでなにか会議でもあったのかと思った。 しかしこの記事でどかんと掲げられているのはロシアのプーチン大統領の写真だから、そうか、“普京” ってのはプーチンの漢字表記かと思い当たった。
意大利米蘭でなにか催し物があって、モデルみたいな中国美人が大量に動員されている写真もあった。 意大利がイタリアであることはわかる。 じゃ米蘭 (蘭は簡体字) というのはどこだと考えて、ミラノのことかと思い当たる。 まるで判じ物だけど、こうやって推理しながら読むとなかなかおもしろい。 総じてまじめな記事が多く、韓国のMERS (また英語表記) や、PKO隊員が支援物資の見返りに、現地の女性200余名と関係を持ったなんて記事も。 これなんかいまふうの慰安婦問題だな。
むかしのわたしは中国熱が高じて、中国語もすこしかじったことがあるんだけど、それもだいぶ錆びついたようだ。 ある場所になんとかいう美容院の広告があって、わざわざ 「日本人経営」 とことわってあった。 日本人もまだまだ捨てたもんじゃないらしいから、わたしがもっと若けりゃもういちど勉強したっていいんだけどねえ。 そしたら井上純一サンみたく、中国人の嫁さんもらって、それをネタにマンガ描けるかも。
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昨日の日曜日は後楽園まで出かけてきた。 野球を観に行ったわけじゃなく、ドームのすぐとなりにあって、都心ではまれな深山幽谷の風情を楽しむことができる(という)「小石川後楽園」。 もともとは水戸徳川家の江戸屋敷にあった庭園だそうである (興味のある人はまたウィキペディアを参照のこと)。
はじめて行ったけど、東京のまん中にあるにしては、想像していたより広いのに感心した。 でも深山幽谷を誇るには、木々のあいだからドームの屋根も、周囲の高層ビルものぞけてしまうので、イマイチという感じ。 池や築山の配置、へんてこな枝ぶりの樹木、そして竹生島や竜田川、木曽川など、日本全国の名所の名を冠した地形が作ってあるところなんか見ると、あらゆるものに人間の手のおよんだ人工の風景であることがわかる。 中国の儒学者、朱舜水 (ウィキペディア参照のこと) もこの庭園作りの監修に参加してるそうだけど、わたしはこの人が日本人から持ち上げられすぎみたいに思っているので、あまり感心しない。 そんなまがいものみたいな名称をつけなくても、足もとの石畳みなんか計算されつくしているという感じで、なかなかステキなのに。
菖蒲が満開という噂だったけど、これも3年前に行ったことのある武蔵村山市の菖蒲園に比べるとだいぶセコイ。 園内の池に生まれたばかりのカルガモのヒナがいたのはおもしろかった。 円安の昨今は、外国人の見学者も多いようだった。 考えてみると日本は、朱舜水という人にずいぶん恩を売っているのだから、彼の子孫たちが後楽園を訪ねてくれれば、現代の日中のもつれた糸を解きほぐすのに、いくらかでも貢献してくれるかもしれない。 どうもとってつけたような感想だけど、じつはこの日の目的はほかにあったのだ。
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2015年6月14日 (日)
ついさっきホタルの撮影に行ってきた。 肝心のホタルがほとんど見られなかったので、そのまま新しいキャノンのテストを1枚。 なんだかよくわからない写真だけど、これ、深夜の2時ごろ、まっ暗ななかで撮った写真で、知らない人が見たら、昼間撮った写真のように見える。 シャッター・スピードはほとんどバルブ状態、ASA感度を1600まで上げて撮った写真だ。 以前のコンパクトも悪くはないけど、ここまではできない。
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2015年6月13日 (土)
そういえば今朝の新聞に、自民党の重鎮らが安保法案に反対なんて記事が出ていたっけな。
自民党の中にも反対する議員がいるのかと、おどろいて記事をよく読んでみたら、重鎮は重鎮でも「もと」のつく人ばかりで、自民党を追い出された人や、かっては敵対政党に所属していた人たちだった。
いずれも現在は発言力のない、あるいはまだ生きていたのかと思われる人々だから、こういう人なら執行部の意思に反することをいってももっともだと思う。
こういう人たちが発言するのはわるいことではない。
でも、どんな発言でも、発言者たちの経歴を知るってことが大切だ。
そうでないと、ウチの新聞がトップ面に載せているからって、つい過大な影響を期待してしまい、あなたもポピュリズムに踊らされる愚衆のひとりってことになってしまう。
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2015年6月12日 (金)
今日はハナ金なんていって、世間が華やぐ日である。
しかしわたしみたいなおじさんが華やぐ必要はぜんぜんないわけで、また仕事を休んでひきこもりだ。
休んでばかりだと食っていけなくなるのが相場だけど、わたしの場合、ほかの日の稼ぎだけでなんとか食っていけるし、食は細いし、家にも車にも興味はないし、いまさら若い娘につぎこむこともないだろうし、ささやかに地味に生きることを最優先しているから、あまり経費はかからないのである。
先のみじかいおじさんが、なんで若者と競合して、彼らの稼ぎを奪わなければならないのだと、へ理屈だけはいくらでも思いつく。
国民が活発にお金を使わないと景気はよくならないという説がある。
わたしがアベノミクスに貢献することはあり得ないようだ。
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2015年6月11日 (木)
大谷崎の作品がネットの「青空文庫」に載らないかと、たまに注意してるんだけど、掲載作業中の作家欄に名前があるからもう遠くない将来のようだ。
谷崎潤一郎の亡くなったのはちょうど50年前の7月30日なので、来月の30日を過ぎるとどばーっという具合になるのだろう。
昨夜は彼の作品を探して、その下のほうに名前のあったカレル・チャペックに気がつき、ついそのまま「RUR」を読破してしまった。
「RUR」は、世界ではじめて “ロボット” という言葉を使った小説(戯曲)である。
SF小説にとってこれほど重要な言葉を創作した作品であるのに、戯曲だから読みにくいということで、これまでずっと敬遠していて、彼の作品では、紙の媒体の「山椒魚戦争」と「園芸家12カ月」を読んだだけである。
この両作品、ことに「園芸家」のほうは、ぜひ青空文庫に載せてほしい、イラストもそのままにという作品なのに、目下のところ、そのための作業もしてないようだ。
タダで読めるんだから文句をいうわけにもいかず、苦慮しているぞ、オイ。
「RUR」は人間が作った機械が人間を押しつぶすという、書かれた当時としては斬新で、100年後の現代においても十分に通じるテーマの作品であるけれど、それだけじゃないとあと書きにいろいろ書かれている。
難しいことを言い出すときりがないので、わたしのブログではそのあたりを省略。
青空文庫から YouTube に飛ぶと、RURの舞台をとらえた映像も見つかる。
100年前にはまだビデオがなかったから、現代劇に翻訳された最近の舞台のようだけど、外国語なのでなにをいってるかサッパリ。
しかし戯曲を読んだばかりだから、なんとなくここがあの場面かということはわかる。
出演者が机に向かってみんなしかめっつらをしていたから、深遠な哲学的内容を持った劇のようである。
こんなことばかりしていて、昨夜も、金儲けにでも使えばもっと有効に使えたはずの時間を浪費した。
こういう人生って無駄だろうかと、わたしも哲学的に悩んでしまう。
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2015年6月 9日 (火)
今日のウチの新聞に、思わず、そうだそうだと賛同したくなる記事が。
おまえは朝日の天敵だろうという人からみれば不思議に思われるかもしれないけど、オピニオン面で朝日新聞紙面審議会委員という人の発言だ。
この委員さんは朝日新聞の記事や社説を取り上げて、その主張に異論をとなえている。
大阪の橋下クンの敗戦について、ウチの新聞の書き方は、どっちかというと彼の独断専行を非難する内容で、これは朝日の女性記者が満座の中で罵倒された怨恨もあるのかもしれないけど、かりに彼がもっとおとなしい「時間をかけかける」政治をしていれば、マスコミは今度は「決められない政治」と騒ぐだろうと、この審議会委員さんはいう。
そうだそうだというのはこのあたり。
オピニオンというのは世間を啓蒙し、人々の認識改革に貢献しなければいけないはずなのに、マスコミの雄であるウチの新聞は、民主党の辻本サンみたく、他人のあげ足とりみたいなことばかりしている(そんなイメージがある)。
早く質問しろよとヤジりたくなるのはわたしもいっしょ。
余計なことはさておいて、いちばん大事なのは、苦虫を噛みつぶしたような朝日新聞が、それでもこの審議会委員さんの発言を(不承不承かもしんないけど)ちゃんと載せたってことだ。
ガンバレ、朝日、もうちっとだ。
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2015年6月 8日 (月)
新聞に林芙美子のことが出ていた。
彼女の本はとっくに整理してしまったので、青空文庫の「放浪記」をちょいと読み返してみた。
石川啄木の歌が出ていた。
函館の青柳町こそ悲しけれってやつである。
室生犀星の詩の断片も出ていたので、彼の小説の「杏っ子」を思い出した。
その小説を終いまで読みとおした記憶がないんだけど、冒頭に印象深い文章があったことをおぼえていた。
その部分だけを読んでみようとまた青空文庫をのぞいてみたら、これはまだ上梓されてなかった。
林芙美子、石川啄木、室生犀星。
うまくいえないけど、みんなわたしの琴線の同じ部分を刺激する。
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2015年6月 7日 (日)
知り合いが 「府中の森公園」 でアジサイが見ごろだというので、今日はまた新しいキャノンを持ちだして出かけてみた。 バカチョンに馴れてしまうと、ほんと、ミラーレスでもかったるく感じられる。 おまけに想像していたほどアジサイは咲いてなかった。 でも、おかげで園内はあまり混雑してないのがヨカッタ。 いっしょうけんめい歩いたおかげで、とにかくくたびれた。
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2015年6月 6日 (土)
こんどはひとつ、一風変わったところへ行ってやろうと、ボルネオに目をつけたワタシ。 調べてみたらボルネオは世界で3番目に大きい島だそうで、ひとつの島の上に3つの国の領土が乗っかっていた。 大きいほうからインドネシア、マレーシア、ブルネイである。 こんな島だから、あらかじめどの国の領土に行くか決めておかないと、ビザの取得や入国審査で齟齬が生じるかもしれない。 たとえば、ブルネイに行くつもりでマレーシアの空港に降り立ってもダメである。
日本からいちばん行きやすいのはと考えると、やはりバリ島のあるインドネシアじゃないか。 インドネシアは日本と同じように島だけで成り立ってる国で、島の数は世界一だそうだ。 トカゲやヘビのいる田舎でのんびりすごす程度の目的しかないわたしには、どこだっていいんだけど、ここは初めてだし、やはりいちばん大きいところが無難でいいかもしれない。
自然探究派のわたしにとっては、この島には野生のゾウやサイもいるらしいし、オランウータンもここのスターだ。 しかしいくらボルネオの田舎だって、いまどきそんなものが町外れをうろうろしてるとは考えられないし、わざわざ野生動物の保護区まで出かけようって気になるかどうかもわからない。 ひょっとするとホテルで寝てばかりかもしれず、あまり積極的な理由を追求されると困るのは、わたしのいつもの旅のスタイルである。
ボルネオは赤道直下にある。 そんな暑いところへ、どうして夏のまっ最中に行くのかと訊いた輩がいた。 彼の考えはおかしい。 なにしろ赤道直下なのだ。 理論的に考えてもこの島には季節がないのである。 平均気温は1年を通してほとんどいっしょ、いつ行ってもだいたい日本の真夏なみだそうだ。 空気が乾燥しているから、むしろ日本の夏よりもしのぎやすいという説もある。
出発はまだ先だけど、飛行機とホテルはすでに予約した。 インドネシア領に行くなら、島の名前もインドネシア式でいかなくてはならないから、以降の記述では、特例のことがないかぎり、ボルネオではなくカリマンタンでいくことにする。
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2015年6月 4日 (木)
やけっぱちでバッカヤローと叫んでいる空の下(わたしが叫んでいるわけじゃないヨ) 、自然観察園に行ってみた。
園内に剪定された樹木が積まれているところがあって、そのすきまをのぞきこんでいるおじさんがいた。 わたしもつられてのぞきこんでみたら、枯れ枝のあいだからアシナガバチがひょろひょろと。 ハチじゃありません。 カミキリムシですとおじさん。 いわゆる擬態というやつで、ハチに似せて天敵の目をそらすトラフカミキリというやつだそうだ。
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新聞にあまり大きくないけど、革命家ゲバラの死の真相に迫る連載。
わたしも以前にこのブログで、ほんのちょっとだけゲバラに触れたことがある。
わたしが書いたのは、ゲバラもアメリカによって問答無用で殺されたってものだけど、連載を読むと内情はもっと複雑だ。
ゲバラを殺したのはボリビア政府ということになっている。
しかしゲバラの闘争相手は米国が世界に拡散させていた資本主義の劣悪部分だったし、当時のボリビア軍にはCIAの協力や指導もあったらしいから、やはりアメリカに殺されたって書いても問題ないんじゃなかろうか。
新聞の連載を読むのは悲しい。
ゲバラという人は、憎しみの対象への怨念が暴発して、せまいキューバをはみ出してしまい、自らの居場所まで失って、けっきょく追いつめられて殺されたように思える。
現代の中東のテロリストたちも、居場所を失ったよその国からの志願兵が多いという。
そんな彼らも、やがてどこかに追いつめられて、最新の火器で掃討されることになるのか。
そんな死を軽んじるヤケッパチ精神て、これはやっぱりわたしのこころの反映じゃないのか。
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2015年6月 3日 (水)
テレビでニュースを見ていたら、千葉県でボロボロの状態で保護されたオットセイが、元気になって海に放されたという。 水族館で手当てをしたら、彼女は2カ月で20キロも太ったそうで、海に放されたとき、なごりおしそうにふり返りふり返り去っていったそうである。 そりゃそうだ。 3食昼寝つきで、手厚い介護までついた怠惰な生活から、これからはきびしい生存競争の世界で自立していかなければいけないのだ。 水族館でイルカを飼ってはいけないという世論も、こうした事情をよく考えて、野生動物にとっても水族館は天国ナンダということをよおく考えてもらいたい。 もちろん全部のイルカが怠惰な生活におぼれちゃ困るけど、そのうちのほんの少しが、人間を啓発するために水族館で暮らしたって、けっして虐待には当たらないのである。
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2015年6月 2日 (火)
残り少ない人生なのに、どこへも出かけないとストレスがたまるばかりだ。 行きたい国はたくさんあるのに、イスタンブールやサンクトペテルブルクをじっくり見てきたら、ヨーロッパ方面はツキモノが落ちたみたいにその気が失せてしまった。 そもそもサンクトペテルブルクは、ヨーロッパの街をなぞって建てられた街なのだから、パリもローマもマドリッドも、基本的には同じようなものだろう。 同じようなものを見ても仕方がない。 ここはひとつ、思いきり風変わりなところへ行ってみたい。
すこしまえにこのブログで、ヘビやトカゲや、変わった昆虫がうようよしているところへ行きたいなんて書いたばかりだけど、そうなるとアフリカやアマゾンが候補になりそう。 しかしわたしは知っているのだが、アフリカもアマゾンも発展しすぎで、いまどき裸の原住民が野生動物を弓矢で追っかけていると考えるほうがおかしい。 開高健の 「オーパ!」 なんて世界は、出版社の後押しで、ボートを乗り継いで3日かかるような奥地まで行かなければとても見られるはずがない。 わたしの後押しをしてくれる出版社なんてありそうもないし。
うーんと考えた。 ボルネオだとか、ニューギニアなんてのはどうだろう。 このあたりはかって日本軍が進駐したくらいだからそれほど遠いわけじゃないし、名前を聞いただけで、爬虫類や昆虫がうじゃうじゃと湧いて出そうではないか。 たしかロックフェラーの息子が原住民に食われたのもニューギニアだったよな。 よし、決めた。 冬のロシアからいきなり南洋の島というのも極端だし、べつに原住民の食卓に上りたいわけじゃないけど、つぎはあのへんに行こうと、例によっていろいろ調べてみた。
3年前にバリ島に行って、じつはそっち方面になじみがないわけじゃない。 バリ島は世界最多の島嶼国家であるインドネシアの、その無数にある島のひとつであり、この国の人々は敬虔なイスラム教徒、もしくはヒンドゥー教徒 (ほかにキリスト教徒もいる) で、人心はおだやか、治安もいいことは確認ずみだ。 そういう長所は誰でも認めるらしく、欠点は押し寄せる観光客がやたらに多いこと。 わたしは混雑がキライである。 しかし同じインドネシアでも、もっとずっと田舎、あまり有名でないところならどうだろう。 そういうつもりで、インドネシアの一部であるカリマンタン島というところに目をつけた。 この島こそ、いわゆるボルネオなのである。
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2015年6月 1日 (月)
今朝の新聞の 「いちからわかる!」 ってコーナーに、サムスン、現代自動車、LGなど、10の財閥の利益だけで、韓国のすべての企業利益の4割を占めるという記事が載っていた。 だからケシカランというだけでは、嫌韓のネトウヨみたくなってしまうので、そういうことはいわない。 ここでは韓国民のためにも、まじめな考察をしよう。
韓国のネット記事を翻訳したカイカイ反応通信なんか読んでいると、よく日本製品と韓国製品を比較したスレッドが立っていて、同じような商品なのに、韓国のものはヒドイ、サイテーなんて発言が多い。 カップラーメンなんかでも、中身のクォリティがぜんぜん違うのだそうだ。 どうしてそうなるのだろう。
財閥が事業を独占している国では、競争原理が働かないということは誰にでも想像できる。 競争相手がいないのだから、製品に金をかける必要がない。 しかし海外に出ると、日本の優秀な製品ともガチンコ勝負だから、こっちでは猛烈に競争原理が働く。 競争に勝とうと必死になって、研究開発にお金をつぎこみ、たまたま円高にもめぐまれ、サムスンなんか国際市場でも優位に立つことができた。 その分ますます国内の製品には金をかけない。 韓国民のぼやきはこのへんに原因があるのだろう。
同業他社がひしめく日本では、国内の製品であろうと手抜きをするわけにはいかない。 企業はつねに他社よりいいものを作ろうと必死である。 だからカップラーメンひとつとっても、日本のそれは韓国民の垂涎の的ってことになる。 ひとたび円安に振れると、そうやって競争原理でしごかれた日本製品は、韓国企業の歯の立つ相手ではないってことになってしまう。
だいたい資本主義が健全に発展すれば、フツーは自然に競争原理が働くはずなのに、なぜ韓国はそうではないのか。 これが、つまり、アレだな。 北朝鮮の正恩クンが、いつ倒されるかと期待されながら、依然として踏んばっているのと同じ図式だ。 中国・韓国にはむかしから権力にひれ伏す伝統がある。 日本なら独善的な権力者は、かならず寄ってたかって引きずり降ろされるのに、儒教の国の韓国では、口で文句をいいつつも、けっきょく相手に従ってしまうのだ。 王朝制度は北朝鮮だけではなく、現代の韓国にも連綿と引き継がれているのである。 そんな韓国人の精神を端的に象徴しているのが、かの有名なナッツ姫の存在のように思える。 彼女の場合はあまりにひどいというので裁判になったけど、国民が権力にひれ伏しているようでは、未来はクラい。 困ったモンだけど、正恩クンも財閥もまだまだ幅をきかせそうだ。
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