カリマンタン/水上マーケット
水上マーケットは早朝から始まるので、ホテルをまだ暗いうちに出発しなければならない。
しかし朝の5時というと、わたしの生活サイクルではちょうど就寝タイムである。
案の定うとうととしたころ電話で叩き起こされた。
あわてて飛び出して、おかげで財布を忘れた。
この晩は満月で、こうこうと輝く月の下、川面にはなまぬるい風が吹き抜けていた。
そんな中、わたしひとりで30人ぐらい乗れそうな船を借り切るのだから、これはけっこうぜいたくな体験だ。
前日のはきだめ運河クルーズと異なり、この日のクルーズはもっと広い川を行くので、臭いもあまり気にならない。
わたしは舷側にもたれてぼんやり景色をながめる。
走り出してまもなく、船はマルタプラ川からその支流に入りこんだ。
川幅は30メートルくらいあるだろうか。
列車の旅もそうだけど、こうやって自分はどっかり腰をおろし、景色のほうが流れすぎていくという状態が、わたしはとっても好きである。
しかも船によるクルーズはスピードも最適なくらいで、自分で運転して車で行くのとは大違いだから、つくづくいいところに来たなと思ってしまった。
両岸の家屋の大半はまだ寝静まっているようである。
しかしときおり現れるモスクを窓ごしにうかがうと、早くもお祈りをする信者の姿も見える。
カーテンで男女を前後に仕切り、前方に男、後方に白い衣装の女性たちがたたずんでいる。
なにかお説教を聞いているらしいけど、声が聞こえないだけに、よけい敬虔な雰囲気が感じられて、なかなかいい景色だ。
そうはいうものの、わたしはイスラムに対して複雑な考えを持っている。
酒はダメ、豚肉はダメ、このクソ暑いのに女の人がロングドレスだなんて、イスラム教徒の戒律を守ろうという信念は、他の宗教に勝ることはあってもけっして劣るものではないはずだ。
バチ当たりのわたしなんか、早起きしてお祈りをしなさいといわれただけで逃げ出したくなってしまうのに、そんなわたしのほうが (わたしの価値観によれば) 満たされた生活を営んでいるというのはどういうことだろう。
イスラムから見たら人間以下のはずのわたしが、ノーテンキに旅行を楽しみ、お酒をがぶがぶ飲み、トンカツを食べ、メタボに悩み、自爆を強要されることもない平和な生活を満喫している。
イスラムが求めているのは現世のご利益ではないのだという人がいるかも。
しかし現世のご利益に意味がないとしたら、わたしたちはなんのために生きるのか。
あ、もうやめよう。
また答えの出ない堂々巡りにおちいりそう。
そのうち船は湖のようにだだっ広い水面に出た。
だいだい色の月が中空にぽっかり浮かび、向こう岸の明かりが点々とまたたいている。
東の空が白んできた。
なんかおかしいなと思う。
わたしは目的地までの行程をおおざっぱにおぼえていたけど、わたしの行きたい水上マーケットに行くのに、こんな大きな湖を通るはずがない。
これはじつはカリマンタン南部を流れる、全長890キロの大河バリト川だった。
この日のクルーズは、わたしが目的としていたものではなかったのである。
このあと水上マーケットの現場に着いてみたら、どうも舟の数が想像していたより少ない。
まわりの景色も材木の集積場みたいで、写真で見たマーケットと様子がちがう。
どうやら船頭は、時間や燃料をケチって、わたしの希望よりもっと近場にあるマーケットで間に合わせようとしたらしい。
アテがはずれたけど、わたしの希望する目的地の場所や名前を正確におぼえてなかったから、きちんと船頭に伝えることができなかった。
仕方がない。
ホテルに帰って、そういう点をしっかりおぼえて出直そうと考える。
しかし、なんとなくごまかされたみたいでおもしろくない。
ところがこれもツキなのか、帰りは船が運河の橋げたにひっかかって、往路のコースをもどれなくなってしまった。
バンジャルマシンの運河は潮の干満の影響を受けるのである。
船頭がぐるっとまわり道をしてもどりますという。
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