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2015年8月

2015年8月31日 (月)

歴史は

A001

新聞に国会に押し寄せたデモ隊の写真。
ずいぶん大勢の人が参加しているみたいだけど、わたしはあまり驚かないのだ。
ずっとむかしにも今回と同じような騒ぎがあったんだけど、知っているかねえ、お若いの。

60年安保、70年安保とよばれた騒動では、デモ隊と警官隊に右翼や暴力団、労働組合から左翼の過激派まで加わって、その激しさは今回とは比較にならなかった。
混乱の中で樺美智子さんという女子大生が押しつぶされて亡くなったくらいだ。

当時のデモ隊のスローガンは「戦争にまきこまれたくない」、「民主主義の破壊」だって。
今回のデモになんと似ていることか。
あれも安全保障をめぐる騒ぎで、奇しくも当時の首相が現在の首相のお祖父さんだ。
歴史はみごとに繰り返したって感じ。

新聞をみてうーんと考える。
若い人が政治に関心を持ち、行動に移すのはいいことだ。
しかし55年前の騒動、つまり政府がアメリカと結んだ安全保障条約について、政府のやり方に問題があったにせよ、その後の日本の繁栄と民主化をながめれば、それがケシカランと決めつけることもできない。
冷戦時代に米国の後ろ盾がなければ、ソ連がどうどうと日本に乗り込んできた可能性もある。
どっちがよかっただろう。
当時のデモに参加した若者はいまどう思っているのだろう。

新聞を読んでまだまだ考える。
わたしは時間を置いてながめているから冷静なものいいができるけど、自分がその渦中にある歴史の全体像を、現場で俯瞰できる人間などいやしないのだ。
だからかっての安保闘争に参加した若者を責めるわけにはいかない。
その反面、今回のデモについてなにかいおうって気にもなれない。
わたしはもう若くないのだ。
さいわいデモ隊も警官隊も、むかしに比べれば平和的で、押しつぶされる人もいないようだから、若い人ならいちどは情熱のたぎるままに行動してみたらいいと、そのくらいしか。

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2015年8月30日 (日)

自首しろ

中野の劇団員女性殺害事件。
事件の経緯をながめると、わりあい単純な事件にみえる。
たぶんこの事件では、もう警察にはホシの見当はついているんじゃないか。
しかし、せんだっての中学生の男女殺害事件でもそうだったけど、防犯カメラの映像などで犯行に使われた車がバレ、ああでもないこうでもないと捜査の進展ぶりが逐一報じられているのに、なかなか逮捕までいかない。

すぐに犯人を捕まえない理由は、証拠を固めるのに慎重になってることと、犯人に自首する余裕を与えるためじゃないかと、わたしは思っているんだけどね。
犯人に告ぐ。
日本の警察は犯罪者にかくもやさしいのだ。
さっさと自首すれば、いくらかは罪が減じられるのではないか。
えっ、聞いてんのか。
日本の警察をごまかそうたってそりゃ無理だ。
さっさと出てきたほうがアナタのためです。

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2015年8月29日 (土)

ほどからなんばん

001

わたしが野菜好きなことを知っている知り合いが、めずらしいものといって 「ほどからなんばん」 というものをくれた。
初めて見たけど、長さが10センチ少々の、緑色の唐辛子みたいなやつである。
どうやって食べたらいいか見当がつかなかったけど、わたしは野菜をたいていそのままサラダで食べる。
で、キュウリやトマトといっしょに生で食べてみた。

ひと口食べて口から火を吹いた。
名前の由来はほどほどに辛いから 「ほどから」 というらしいけど、とてもほどほどどころじゃない。
辛いの辛くないの。

知り合いにどうやって食べるのかと問い合わせてみたら、炒めると辛味が少なくなるという。
しかし、とりあえす炒めものをする予定がなかったから、それはしばらく冷蔵庫にしまっておいた。

今夜は自分では麻婆豆腐を作った。
わたしの作るのはいつも激辛マーボで、市販の麻婆豆腐の素に、タバスコを振ったりする。
あいにくタバスコを切らしていた。
で思いついたのが 「ほどからなんばん」。
こいつを刻んで炒めたものならきっとタバスコの代わりになる。

結果的にはたしかにタバスコの代用品になったけど、あらためてこいつの辛さを思い知った。
細かく刻んで、バターで軽く炒めただけで、台所いっぱいに辛味のガスが充満して、くしゃみは出るわ、鼻水は垂れるわ。
窓をいっぱいに開け、換気扇をまわしながら食べる激辛マーボになってしまったけど、美味しいといえばたしかに美味しい。

そ、人生のやる気はないけど、わたしは元気ですよ。

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2015年8月27日 (木)

電話

電話が鳴る。
出ない。
鳴り続けるけど、出ない。

先日ある営業マンから電話がかかってきて、パンフレットを送っていいですかという。
そういうことはしょっちゅうあるから、メンドくさくなって、送りたけりゃ勝手に送りなさいと返事したら、まもなく分厚いパンフレットが届いた。
どうせロクなもんじゃあるまいとほっぽらかしにしておいたけど、こうなるとかならず追い電話があるに決まっている。
電話の主はその営業マンにちがいない。

ほかの重要な電話だったらどうするんだという人がいるかもしれない、
しかし親はもう2人ともいないし、親族とも疎遠だ。
なによりも重要な電話ならケータイのほうにかかってくるだろう。
もともと寝ているときの電話には出ないことにしているし、世間から隔絶して生きることに喜びを見出しているので、なんの電話の1本や2本。
だいたい電話がなけりゃ生きられないという人生のほうがおかしい。
かくして、優雅で贅沢な、わたしの仙人的生活は果てしなく続くのだ。

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2015年8月26日 (水)

創作

コピーじゃないかと問題になってる五輪エンブレム。
今朝の新聞にこれを擁護する意見。
さらにそれを引用して、ネットにも擁護する記事。
でも注意しなくちゃいけないのは、擁護している人物というのが、そもそもこのエンブレムを最初に採用した審査委員の代表だってこと。
こういう人が自分の選んだエンブレムの悪口をいうはずがないじゃないか。
もっともこれは朝日新聞の責任じゃないみたいだけど。

コピーしたと問題視されているデザイナーさん、五輪のエンブレムだけなら微妙なところはあっても、コピーと断定するのはムズカシイ。
ところがその後ぞろぞろと出てくるわ、出てくるわ。
中には部下がコピーしたと本人が認めるものまで。
部下がやったか本人がやったかは別にして、こうなるとこのデザイナー事務所では、他人の作品からアイディアを借用するってことを、日常的に続けていたのではないかと疑われても仕方がない。

そもそもデザイナーは無から有を生じさせるのが商売。
大部分のデザイナーは、個性的な創造物を作り出すために日夜悪戦苦闘しているのだ。
忙しいのにそんなことをやっていられるかというんじゃ、本人の無能をさらすだけで、デザイナーとしちゃ失格だな。
同じ創造作家の分野でも、たとえば漫画家の世界じゃぜったいに通用しない手法だ。

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2015年8月25日 (火)

極東アジアの夜明け

極東アジアの情勢は新局面に入ったのかも。
これまで北朝鮮から挑発があるたび、一度は怒って報復するものの、相手から下手に出られると腰砕けになって、忘れたころにまたゲリラ的攻撃をくらっていた韓国が、徹底抗議というふうに方針を変えたとしたら、これは北朝鮮崩壊の前兆になり得る。

下手に出たにもかかわらず、ゼッタイに勘弁しないと突っぱねられたら、北朝鮮のぼんぼんに取るべき対抗策はない。
なにもしなけりゃ権威にキズがつくし、そうかといって本格的攻勢に訴えても勝ち目はない。
潜水艦を発進させたり、砲撃の準備を整えたなんていっても、それが脅かしであることぐらい、最新の装備を備えた米韓連合軍が心得てないはずがない。
いまの北朝鮮にできることは、戦術的撤退なんて、むかしどこかの軍隊がやったような言い訳をしておいて、相手の油断を誘うことぐらいだ。

それまでいいように暗躍されていた日本が、本気で怒り出して不審船を追跡、撃沈したら、それっきり北朝鮮のスパイ活動がぴたりと止んだように、北朝鮮を屈服させるのは受けて立つという固い決意である。
時代錯誤のワンマン帝国だけが、古いやり方がいまでも通じると思っているだけで、国際情勢ももはやあらゆる部分で北朝鮮を裏切るばかりなのだ。
そうした情勢から、このへんで一気に壊滅させるべきと、パクちゃん(韓国の大統領)か決心したのだとしたら、彼女の株はまた上がるだろう。
極東アジアの新しい夜明けだ。

ただひとつコワいのは、やけになったぼんぼんが、不正確なミサイルをやみくもに発射することだ。
その瞬間彼の命運は尽きるだろうけど、発射されてしまったミサイルのひとつかふたつは、日本にも落下するかもしれない。
心配な人はせいぜい生命保険に入っておくヨロシ。

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2015年8月24日 (月)

西之島

001n

NHKのBSで録画した 「西之島」 のドキュメントを観ている。
小笠原諸島近くの海底火山が噴火して、溶岩が新しい島を形成しているという天変地異の現況報告である。

たかが海底火山というなかれ。
いまのところ噴火のやむ気配はなく、溶岩の堆積も止まりそうもないから、最初は小さな岩礁ていどだったものが、ずいぶん大きくなった。
そのうちあのへんに、九州や四国に匹敵する新しい領土が出現するかもしれない。
そうなったらもう尖閣だの竹島などとケチなことはいわない。
西ノ島は、武力を使わない平和的な領土拡張政策の見本なのだ。

まあ、そんなにオイシイ話になるかどうかわからないけど、番組はひじょうに興味深いもので、わたしには映画 「2001年宇宙の旅」 をはじめて観たときと同じような興奮があった。

火山がすべてをチャラにして、つまり熱でもってすべての生命を焼きつくして、そのあとに新しい島を作ろうというのだから、これは大陸創生のミニチュアモデルといっていいものである。
現在のこの島はまったく生き物が生存できるところではない。
しかし噴火がやむと、じょじょに植物が生え、小さな生きものが出現する。
やがてなにもなかった島が緑に覆われ、大型の動物たちも棲むようになるだろう。
ここまでいくには長い年月が必要だけど、この島のそうした変化をじっと観察していれば、無から有が生じる現場、つまり島や大陸にどうやって生命が登場したのかという謎を究明できるのだという。

じっさいには噴火している海底火山はここだけではないから、地球上にはほかにも同様の例があって、世界の科学者が注目したことはある。
しかし西之島は最新モデルであるから、最新の研究機器が使えるわけで、やはり注目度は高い。
昨夜の番組でも、火山学者、地質学者、生物学者などが動員され、無人ヘリコプターやドローン、定点カメラ、海底探査機などを駆使して、まだ噴火をしている現場を詳細に観測していた。
無人ヘリで回収した観測機器を船の甲板に着地させるあたりは、ヘタなSF映画顔負けのおもしろさ。

おどろいたのは、こんな焦熱地獄みたいな島の、ほんのわずかに残されたスポットに、カツオドリが生息していたこと。
生命というのはかくも強靱なものなのか。
数十年後にこの島の変転を早送りで眺めたら、黒い溶岩の無人島が、あっというまに生命に浸食されるさまを見ることができるだろう。

緑におおわれた島には、とうぜん日本人(日本の領土なんだから)が上陸する。
勤勉な彼らは、農地を開拓し、町をつくり、必然的に赤提灯がともり、ネオンが輝き、やがては歓楽の巷が出現することも必至だ。
わたしがそれまで生きているはずないから、無責任に確約してしまう。

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2015年8月23日 (日)

一転

N02

おお、こりゃなんだといいたくなる写真。
前項の記事を書くためにネット上の北朝鮮の写真を探していたら、見つけた。
さすがは先軍主義のお国柄。
やたらに勲章を乱発して軍隊のご機嫌をとるもんだから、勲章をつけるところがなくなって、ズボンにまで。
菊人形ならぬ勲章人形って感じだけど、虚栄心をくすぐられた、こういう軍隊が強いわけがない。

大見栄を切ったぼんぼんだけど、韓国が開き直ったら、一転して双方の高官による緊張緩和のための会談だって。
しかもふだんは 「南朝鮮」 などと呼び捨てが、このたびは 「大韓民国」 だって。
強気に出ると下手に出る、下手に出るといい気になるっていうのは、北朝鮮の常套手段だからべつにおどろかないけど、これで緊張が緩和されるなんて誰も思ってやしない。
どうせまた忘れたころ、韓国の油断をみすかして、ゲリラ的に一発かまし、やったやった、資本主義の走狗に鉄槌を下してやったと大喜びするに決まっている。

こういう相手じゃ韓国も困るよな。
日本に苦情をいうのに忙しい韓国が、四六時中の警戒なんて、いつまでしちゃいられないしねえ。

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2015年8月22日 (土)

近未来SF

N01

北朝鮮のぼんぼんが大見得を切った。
48時間以内に放送をやめろ、さもなければ攻撃する。
あの国でこの発言は重い。
親分がいちど口に出したら、実行しないわけにはいかないからだ。
弁解も忠言もすべて口答えと解釈されて、粛清の対象になるお国柄だ。

落ち目のパクちゃん (韓国大統領) にとって起死回生のチャンス。
ここで引いたら男が、いや、女だけど、すたる。
売り言葉に買い言葉だ。
やれるもんならやってみろ。
こうなるとぼんぼんも後にひけない。
実力の差は歴然としているにもかかわらず、兵隊たちもやる気がないのにかかわらず、朝鮮半島でドンパチの始まりだ。

添付した写真はネットで見つけた、一見強そうな北朝鮮軍。

ぼんぼんの期待もむなしく、古代の牧野の戦いの再現で、たちまち韓国軍は平壌まで怒涛のごとく進撃だ。
むかしならここで中国軍の参戦だけど、最近の中国は株の人為的操作、あるいは天津爆発のもみ消しに必死だし、いまさら北朝鮮の存在になんのメリットもない。
たかられっぱなしの北朝鮮より、韓国との貿易のほうがずっと重要だ。
経済制裁をくらってるロシアだって、これ以上揉め事に関わりたくない。
ぼんぼんはようやく自分が裸の王様であることに気がついた。

しかし、ここでやっぱり中国のお出ましだ。
韓国軍の背後にはアメリカがいる。
おもてには出て来ないけど、アメリカの傀儡みたいな韓国に北朝鮮を占領されたのでは、アジアの新興大国である自分とこの沽券にかかわる。
でもまあ、いまどき大国同士の本格的な戦争ってわけにもいかないし。

そこで中国はひそかに米国と通じて、謀略を練る。
どうだろう、アタシんところに正男 (正恩クンの兄貴) という隠し玉がある。
ここはひとつ、北朝鮮内部のクーデターでぼんぼんを追い落とし、正男クンをあとがまに据える。
彼は弟ほど残忍ではないし、ディズニーランドが好きな親日家だ。
そのうち韓国と手打ちをして、平和裏に半島統一を成し遂げるんじゃないか。
これなら米国も中国もおたがいにメンツが立つ。

なるほどと、これ以上世界から反感を持たれたくないアメリカも、中国の狡猾なアイディアに感心をする。
緊張関係をアジアにひとつくらい残したいという勢力もいるらしいけど、大統領が民主党出身であるかぎりは、アメリカも反対はすまい。
頭ごしに勝手なことを決められて、不満なのはぼんぼんだけかもしれないけど、そのころには彼はとっくにカダフィの二の舞になっているのではないか。
メデタシ、メデタシ。

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2015年8月21日 (金)

生きた教材

また朝鮮半島がキナくさい。
ちょうどいいから、ずっとまえに書いておいて、使われずにお蔵入りになっていた文章を載せちまえ。

000

まえに北朝鮮のぼんぼんについて書いた。
皇帝制度を3代にわたって維持してるっていうのは、これはひじょうに貴重なことであると。
つまり北朝鮮は、学校で教師が歴史を教えるとき、絶好の生きた教材なのだ。

あの国では大臣だの官僚だのって人たちが、やたらに機関銃でハチの巣にされる。
じつは役人官僚の浮き沈みがはげしいのが、皇帝制度を維持した国の特徴であって、中国なんかいつの時代にも、嫉妬反目が日常化していて、皇帝のおひざもとでは誹謗中傷が飛び交っていた。
つまり、自分が有力者に取り立ててもらいたいものだから、なんとか理由をつけて、それまでの有力者を追い落とそうとする。
そのために他人のかげぐちをいう。
皇帝というのはたいてい世間知らずのぼんぼんだから、そんな他人への悪口を信じて、それまでの近臣を降格、粛清ということが数え切れないくらいあった。
史記を書いた司馬遷も被害者のひとりで、正々堂々とある将軍の弁護をしたら、将軍を追い落とそうとする一味の謀略にあって、罪を被り、タマを抜かれてしまった。

最近の北朝鮮では、本来ならぼんぼんがいちばん頼りにすべき軍の幹部が、居眠りをしたって理由で、高射砲で蜂の巣・・・・・・じゃないな。
高射砲じゃ木っ端みじんだよ。
これもどうせ誰かがチクったんだろうけど、いくらなんでも高射砲ってのは、これって兵器の試し撃ちのつもりなんだろうか。
そのうちミサイルにしばりつけられて、宇宙に発射なんて処刑が行われるのかしら。

こうやって最高指導者が思いつきみたいな処刑方法を考えつくのも皇帝制度の国の特徴だ。
手足をもいでみたり、皮をはいでみたり、胴体をまっ二つにしたり、熱湯で茹であげてみたり、カンカンにおきた炭火の上に油を塗った銅パイプを渡して罪人にその上を渡らせるなんて、これはもうショーとまちがえてんじゃないかと、かっての中国でもこういう残忍で珍奇な処刑がたくさんあった。

中国の有名な暴君である紂王なんて、専属の楽隊にイヤらしい音楽や舞踏を演じさせて喜んでいたというから、まったく現在のあの国のよろこび組といっしょ。
こういう暴君はあのカダフィのごとく、さっさと打倒されてしかるべきなのに、国民がいつまでもひれ伏したままってのもアジア型皇帝制度の特徴だな。
易姓革命はいつのことやら。

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2015年8月20日 (木)

また今朝の新聞

今朝の新聞。
いちいち触れたくないけど、ウチの新聞はいちいち触れたいことばかり書くもんで。

1面トップに 「銃声、群衆が 陸自包囲」 だって。
すわや、どこかの国で自衛隊が戦闘にまきこまれたのかと思ったら、10年前のイラクでのことだった。
朝日新聞の、例によって現政権を非難する記事の一環だけど、そんな古い事件をいちばん目立つところに持ってくんなよ。

でもまあ、当時現地に派遣された自衛官には、よそごととは思えない事件だったろう。
ただ、朝日新聞のことだから、また一種のプロパガンダと考えて、じっくり読み解く必要がある。

じっくり読み解くのがニガ手な人に説明するけど、たとえば一触即発の事態であったとしても、最終的には自衛隊は襲撃されることもなく、なんとか危機を回避できたのはなぜだろう。
新聞には地元のイラク人に逃げ道を作ってもらったとある。
近くにいたオーストラリア軍に援護してもらったともある。

同時に自衛隊を援護してくれたオーストラリア軍についても考えてみよう。
なにがなんでも戦闘に関わりたくない自衛隊と比べて、彼らはあるていど戦闘にまきこまれることを覚悟していたはず。
結果をながめれば、イラク戦争はブッシュの馬鹿が同盟国を引きずり込んだ誤った戦争であったことは明白だ。
それでも豪州は同盟の義務をきちんと守った。

それはいったいどうしてだろうと、深読みというのはそういうことである。
戦争にまきこまれるのがイヤという軍隊は珍しい。
まして徴兵制度があるわけでもない日本の自衛隊がそれでは、豪州軍にはとても理解してもらえそうもない。
それでも人間死ぬのはイヤだ。
イヤならさっさと退職して、ほかの仕事を探してもらわないと、安全で安定した雇用先と思われちゃ、税金を払う日本国民もメイワクだ。

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先日の新聞

先日の夕刊に歴史社会学者という肩書きの、小熊英二サンという人がおもしろいことを書いていた。
この人は朝日新聞の御用作家みたいなところがあって、その書く内容にときどき反発を感じることもあるんだけど、昨日の文章はなかなか卓見だと思う。
彼は言う(じつは大半は他人の文章の引き写しで、小熊サンのものではないのだが)。

情報技術の革新でパソコンやスマホ上に、いわゆるSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)のような仲良しの集団ばかりが増えちゃって、そういうものに参加している人間は、自分たちの用語や隠語を共有しない相手とコミュニケーションを取りにくくなっている。
キーボードを使わないスマホの普及で、言葉を打ち込んで検索するという文化が衰退し、お手軽に仲良しの情報だけに接するようになった。
このために最近は、自分で調べるグーグルのような検索グッズが人気がなく、フェイスブックのように仲間同士で情報を共有しあうグッズの人気が急伸中だそうだ。

この現象は日本でも起きているという。
こうやって仲間同志の気持ちイイ情報だけに接していると、どうしても情報がかたよって、自分たちだけの意見にとらわれるようになる。
仲間うちの言葉だけで話し、他人の考えを理解しようとしないから、そういう人間が不用意な発言をすると、なにしろ情報の伝達の速い時代なので、たちまち “炎上” なんて事態におちいってしまう。
こうした現象は情報機器(スマホと言い替えてもいいだろう)の普及で、ますます顕著になってきた。

ウームである。
じつは昨日は吉祥寺までiPhoneを見に行ったんだけど、やっぱり現在所有のガラケーのバッテリーを交換しただけで、帰ってきてしまった。
わたしがスマホやフェイスブックに乗り気でないのは、この新聞記事のようなことをひそかに感じているからである。

そんなことはさておいて、小熊サンもたまにはいいことを書くなと感心した。
でもあとがいけないね。
彼が言いたかったのはこっちらしいけど、最後はたちまち朝日新聞の論調にもどって、現政権が仲間同士のカラに閉じこもっていると書く。
他人にわからせるための丁寧な説明に欠けると書く。

そうだろうか。
何度でも「丁寧な説明」をしなけりゃわからない国民のほうに、相手の言い分がどんなものか、斟酌する能力が欠けているような気がするんだけど。
情報機器の普及に問題があるなら、影響を受けるのは、政治家よりむしろ国民のほうじゃありませんか。
下品なヤジや、緩んだ顔での答弁なんて、小熊サンは現政権ばかりを責めるけど、質問するほうはムキになっているようにみえても、重箱のすみをつっつき、他人の揚げ足取りみたいなバカバカしい質問ばかりでは、どっちもどっちだ。
しかもこれはスマホが普及した最近の傾向ではなく、「永田村」ではずっとむかしからそうだったのだ。

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2015年8月18日 (火)

やれやれ

ヒマつぶしに 「カイカイ反応通信」、これはネット上にたくさんある嫌韓サイトのひとつだけど、嫌韓の中ではまあまあ常識的なほうなので、わたしもときどき参考にしているモノ、を見てみたら、キム・ヨナが大統領につれないそぶりをしたという事件が話題になっていた。
なんかの祝賀行事で、パク大統領がとなりにいたヨナの手を握ろうとしたら、あからさまにイヤな態度。
何か話しかけられてオホホと笑顔を見せるものの、すぐに顔をそむけて硬い表情をするところが、なんともおもしろい。

それにしても熱しやすくさめやすい国民だな。
日本もそういう傾向があるけど、政治家にうんと期待して、それがかなえられないと、たちまち非難の対象にする。
政治家は国民の顔を無視してはなにもできないのに(少なくとも民主主義国では)、なんでもかんでも政治家におまかせして、文句をいう、不満をいう。
パク大統領だって、本心では父親ゆずりの、あるいは彼女の妹のごとく、熱烈な親日家かもしれないのに、この国ではそんなことをおくびに出したら、それだけで大統領失格だ。
ああ、早く大統領をやめたい、そして日本に行って寿司を腹いっぱい食べたいと、もしかすると彼女はそう考えているのではないか。
最近はボロクソにいわれっぱなしのバクちゃんを見て、フェミニストのわたしはつくづく同情するね。

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2015年8月17日 (月)

カリマンタン/屁理屈

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モーム流カリマンタンの旅は終わり。
たいしたものを見たわけでもなく、おいしいものを食べたわけでもない。
バカバカしい旅と言われりゃそのとおり。
でもこれがわたしの旅だ。
わたしはもうドラマの主人公になるには遅すぎる人間なのだ。
険しい高山に登り、灼熱の砂漠を踏破し、危険な猛獣でいっぱいの密林をうろつき、手当たり次第にむしゃむしゃ食い、みずから望んで肉欲を追い求め、あげくに帰国したあとグッタリとなってしまうような旅は、もはやわたしには無理である。

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ホテルでごろごろし、たまに近所をぶらぶらする。
これだけじゃいつものオマエとぜんぜん変わらんじゃないかという人がいるかもしれない。
しかしその程度でも、注意をしていればいろんなものが見えてくるものだ。

ブログで報告した◯◯フェスタの会場はマルタプラ川の河岸にあって、この川のほとりはきれいな遊歩道になっていた。
そこにスケートボードで遊ぶ、しかもそれをデジタルカメラで自撮りしている少年たちがいた。
たぶん撮った映像は YouTube に載るのだろう。
野生動物がうじゃうじゃいるはずのカリマンタンには、こういうグローバルな一面もあるのである。

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その一方で、はきだめのような運河で泳ぐ子供たちもいる。
街で見かけた敬虔なイスラム教徒たちもいれば、深い穴の底で泥まみれになって一攫千金を夢見る男たちもいる。
貧富の差は日本より激しくとも、人々はどこへ行っても、現在の日本人よりずっと健康的で明るかった。
これは幸せとはナンダと考える好材料だけど、偽善者ぶりを発揮するのはもうやめよう。
そういうむずかしい問題は、いまを盛りの人におまかせして、わたしは残りの人生を楽しむだけに専念しよう。
いくつか認識をあらたにしたこと、現実をこの目でながめられたこと、それだけでもわたしのカリマンタンの旅は有意義なものだった。

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機会があるなら、わたしはまたカリマンタンに行ってみたい。
今回は時間をとれなかった水田のへりなどをゆっくり歩いてみたい。
冒険をしたいとは思わないけど、とりとめのない散策みたいなことはまだまだしたいのである。
こういう不活性で、観念的な部分ばかりに喜びを見出す人間も世の中にはいるのだ。
サムセット・モームだって好んで危険な旅をしたわけじゃない。
山や川や海をながめ、市井の人々の生きざまを見て、彼もひたすら思索したことだろう。
平凡なことがらから連想をふくらませるのが作家というものだから、彼がいまこの国を旅したとしたら、やはり創作本能を刺激されて、おもしろい作品をいくつも書いたんじゃなかろうか。

という屁理屈をこねあげて、この紀行記の終わり。

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2015年8月15日 (土)

今朝の新聞

安倍クンが戦後70年談話を発表したって、今日の新聞はその話題でいっぱい。
ウチの新聞は朝日新聞だから、内容は当たりまえすぎるくらい、いちゃもんに終始していて、これじゃもうぜんぜん読まなくても想像がつくっていうやつ。
んならば読まなければいいものを、ついつい今日はどんなふうにいちゃもんをつけているのかなと、興味をひかれてしまうのが困ったもん。

1面トップに 「政治は歴史を変えられない」 だって。
アンタにいわれたくないね。
歴史は変えられなくても、すくなくても朝日新聞によってねじまげられた部分については、修正は可能なんじゃないの。

全体としては中国なんか、談話について、まあまあ納得したように思えるのに、朝日の書き方はそうではない。
中韓とも(朝日新聞も含めて)村山談話の踏襲にやけにこだわっていたけど、村山サンが談話を出したあとも、中韓はついこのあいだまで文句をいい続けてきた。
こんな相手になにをいっても無駄だ。
戦争を知らない子供たちがそういうわからず屋から、これからも非難にさらされるのを止めようという政治家の決意のどこがケシカランのか。

かつぎ出されたもと英国の駐日大使というヒトが、談話について、修正主義だといっているのにはマイッタ。
日本が侵略をしたとされるころ、世界のほとんどが欧米列強に蹂躙されていたことを思えば、日本のやったことなんて、お手本を忠実になぞっただけではないか。
日本は悪くない!
文句をいうならまず先輩の英国に言え。
日本を人身御供にして、自分だけしらばっくれるな。
エラそうなことを、アンタにいわれたくないね。
少なくとも欧米列強からはいわれたくないね。

朝日新聞全体をながめてみると、あいかわらず当時は植民地主義の時代であったことを、ころりと失念している人が多いようだ。
まるで当時イケナイことをしていたのは日本だけみたい。
もちろん他人がしてるから自分もしていいというわけじゃないけど、それでも日本が欧米列強への、アジアで、いや世界でゆいいつの対抗軸になったということは、評価すべきだとわたしは思っているんだゾ。

ウチの新聞を読んでいると、ついイライラして、考えがどんどん右傾化してしまうので困ってマス。
朝日はほんとうに商売のうまい新聞社だ。

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2015年8月14日 (金)

カリマンタン/最後のクルーズ

132a

帰国する日、飛行機がバンジャルマシンを出るのは夜の8時である。
こういう状況は何度も体験しているけど、昼にホテルをチェックアウトして、それから夜まで時間をつぶすのはけっこうツライ。
荷物はまとめてしまってあるし、遠っ走りして事故にでも遭ったらまずいから、行けるところもかぎられている。

そういうわけで、帰国日は昼のぎりぎりまでホテルでごろごろし、チェックアウトと同時に荷物をホテルに預け、身軽になって2、3時間ていどの小旅行に出ることにした。
その後、土産を買ったりメシでも食っていれば、そろそろ夕方になるだろうから、早めに飛行場へ行っていればいい。

で、小旅行の行き先として選んだのが、またしても運河クルーズだ。
この旅でいちばん印象に残り、いちばん素晴らしいと思ったのがこれだから、最後にもういちどしっかり記憶しておこうというわけ。
長髪クンと交渉して2000円でアレンジしてもらったから、費用の点でもまあまあ格好のヒマつぶしだろう。

132b

運河クルーズといっても例の “はきだめ運河” ではない。
コースは2回目のもの、つまりマルタプラ川をさかのぼり、途中から支流に入ってプラト川に抜け、クンパン島のわきを通って、二つの川の合流地点からまたマルタプラ川にもどって、帰ってくるというものにした。
今度ははじめからまっ昼間の航海で、2、3時間でもどれるコースとしては、これがいちばん変化があっておもしろい。
このときのようすを6分ほどの映像にまとめてみたので、興味のある人は以下のアドレスをクリックするか、YouTube で 「バンジャルマシン運河クルーズ」 という言葉を検索してみればよい。

https://youtu.be/CAF5abGRtHg

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ただこの運河クルーズは、思っていたより短時間で終わってしまった。
これじゃヒマつぶしの効果がないというので、長髪クンのオフィスに行き、となりにあるガルーダインドネシアの営業所に顔を出したのが混乱の始まり。
その顛末はこの紀行記の最初に書いたので繰り返さないけど、わたしは大慌てで空港へ向かうことになった。
おかげで最後はあわただしいまま、10枚ぐらいまとめて買って帰ろうと思っていたTシャツも買うヒマがなかった。

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2015年8月13日 (木)

カリマンタン/市内点描の2

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あとはもうなんの脈絡もない写真をぞろぞろと。

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最後の2枚は、わたしがカメラを向けたらわあっと顔をそむけた女の子たちと、マルタプラ川にかかる橋の上からながめたバンジャルマシンの日没。

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2015年8月12日 (水)

カリマンタン/市内点描の1

そろそろこの紀行記も終わりに近づいたので、バンジャルマシンの街をぶらぶらしているとき見たものを一挙公開だ。

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最初の写真はマルタプラ川の河岸にある立派な建物。
ホテルかと思ったけど、そのへんにいた女性兵士に訊いてみたら、イイエという。
建物のまわりにやけに軍人がうろうろしていたから、軍の関連施設か、テロの警戒をする政府の建物かもしれない。
2番目の写真は格差社会の象徴みたいな水上民家。
傾いた家にもちゃんと人が住んでおります。

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3、4枚目の写真は、街角にあったネットカフェ(というべきか)。
ただ回線を提供しているだけで、パソコンは自分のものを持ち込むらしい。
パソコンを持っている人間が、どうして外でわざわざ回線を借りるのかわからないけど、家でゲームをすると親がうるさいという道楽息子の事情があるのかも。
飲みものが出るわけでもなく、ここでひたすらゲームにふけるようだった。

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5、6枚目はパソコンと縁のないおとなたちのゲーム場。
縁台で将棋をさすようなもんか。

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7、8、9枚目は市内でみかけたいろんなお店。
レトロな床屋、アラビア文字がめだつ本屋、そしてイスラム圏でよく見かける額縁屋さんなど。

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2015年8月10日 (月)

カリマンタン/フェスタの2

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なんのフェスティバルかわからないから、いいかげんに◯◯フェスタなんてタイトルをつけたけど、写真はまだまだあります。
紹介の後半は甘いお菓子からで、2番目の写真はネジ棒みたいなスナックで、あちこちでよく見かけたもの。

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食べもの以外の品物も売っていて、古本、手作りアクセサリー、生きた動物から、これぞ縁日ってなガラクタ商品まで。
最後から2番目の写真は、丸太を輪切りにしたもので、なにに使うかわからない。
そんなふうに、質問されても困るものもあります。
最後の写真は子供のための汽車ポッポの乗りもの。

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2015年8月 9日 (日)

カリマンタン/○○フェスタ

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長髪クンにおもしろいものがアリマスというので連れて行かれたのが、なにかの物産展のような催し。
ベルホテルからすこし上流の、川岸にそった道路を閉鎖して開かれていた。
ちなみに会場のすぐわきには、Masjid Raya Sabilal Muhtadin Banjarmasin という、たぶんバンジャルマシンで、いちばん大きくて立派なんじゃないかなと思えるモスクがある。
おそれ多くて入ってみなかったけど、あとでネット上の写真を見て後悔した。

さて、フェスタのほうはというと
こういうものは日本でもよくやっているけど、市場を見るのが好きなわたしには、これもとてもおもしろかった。
いちいち説明しないで、したってわかりっこないので、また写真をずらりと並べる。

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ここでカメラを持っているわたしは人気者。
最後の写真は、イスラム教徒ではないのか、平気で顔や髪を露出した女の子たちで、中には欧米人のような顔立ちの子もいる。
撮って撮ってと騒ぐから、もっけの幸いでパチリ。
やはり撮って楽しいのは女の子だね。

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2015年8月 8日 (土)

カリマンタン/モスクと周辺

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ダイヤモンド鉱山への往復で、モスクをいくつも見た。
ある町で長髪クンがわざわざ立ち寄ったのは、周囲にバザールまであるひときわ大きなモスクだった。
日本でも大きな寺院のまわりは門前町を形成していることが多いから、モスクのまわりがにぎやかな町になっていてもおかしくない。

現地にいるときはわからなかったので、いったいどこのモスクなのかと、帰国してからグーグルの地図、衛星写真をじっとにらんでみた。
寺院の前がタイルの敷きつめられた広い庭になっていること、バザールの位置関係などから、どうやらマルタプラという町にあるモスクがそれらしい。
ひときわ大きいだけではなく、まだ建物がピカピカというモスクで、参拝者はタイルの庭の入り口に履き物をぬいで、裸足で参拝していた。

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モスクの内部にあまり興味がないから、露店やバザールをのぞいてみた。
バザールはイスタンブールのそれよりだいぶスケールが小さいけど、せまい場所に店舗が立て込んで、ごちゃごちゃした雰囲気はよく似ている。
売られているものは衣料品、雑貨から生鮮食品までで、バザールがこの国では日本のスーパーの役割を果たしていることがわかる。
IT機器や先進の家電製品はなく、そういうものでは、うーん、電卓を売っていたくらい。

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露店で豆腐を見つけた。
食べてみたわけではないから味はわからないけど、日本の豆腐をもうすこし小さく裁断したような感じで、見た目はまったく日本の豆腐といっしょ。

長髪クンが貴金属店に案内しようとしたけど、そんなものを買うつもりはないからことわった。
買いものをする気はぜんぜんなく、ある店でブドウをひと房買ったきりで、あとはほとんど見物オンリーである。
車にもどったら長髪クンが運転手に、ダメダメ、なにも買わないよとぼやいているような口ぶり。
わたしが買いものをすると、店からキックバックがあるらしい。

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2015年8月 7日 (金)

カリマンタン/伝統様式の民家

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ダイヤモンド鉱山をあとにして、また田舎の町にもどると、そのあたりの民家の様式がちと変わっていることに気がついた。
屋根が木の皮で葺かれた木造住宅で、どこか日本の民家のようにも見える。
インドネシアには極端に屋根の傾斜・彎曲した寺院や、これまでさんざん見てきた水上集落の高床式民家、ほかにもたくさんの島に無数の少数部族をかかえる国だから、変わった様式の建物は多そうである。
しかしここで見た民家は、そのまま日本に持って帰っても違和感なく風景にとけこみそうだった。

とつぜん民家に興味を持ったわたしを見て、長髪クンが、これからカリマンタンの伝統様式の農家を見にいきましょうという。
そんなものがあるなんてぜんぜん知らなかったけど、まだホテルに帰るには早すぎる。
まあ、いいだろうと返事する。

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車はしばらく、ヤシの木さえなければ日本のどこかの田舎といわれてもわからない農村風景の中を走った。
これはおもしろい体験だった。
バリ島でも棚田の見物をぜったいはずせない目標にしていたくらい、わたしは農村風景というものに興味があるのである。

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やがて車が乗りつけたのは、水田のまん中にある立派な木造家屋だった。
写真でわかるように高床式で、日本人から見てどぎもを抜かれるほど奇抜な建物ではない。
なにか特別に保存された博物館のような感じだったけど、入口には鍵がかけられていた。
長髪クンがそのあたりの子供に問い合わせ、別棟にいた管理人らしい女性を呼び出して、ようやく建物に入ることができた。

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長髪クンがいろいろ説明してくれたけど、英語で説明されてもわからない。
どうやらこの家は、かってこの地方の豪族だった人のもので、カリマンタンの伝統様式をよく残しているということらしい。
高い天井とそれをささえる梁や柱、カーテンでかこまれたきれいなベッド、鉈でけずったような荒っぽい細工の床板などが印象的だった。
ベッドがあるといっても、ほかは吹き抜けのように広々としていて、あまり住みやすそうではないから、祭礼やなにか特別の目的のために使われた家かもしれない。

アルバムが置いてあったのでバラバラとめくってみたら、日本人の名前と顔写真もあった。
家を保存するのに日本も尽力したってことだろうか。
来訪者ノートに日本人の名前はなかったけど、いちおうわたしの名前を書いておいた。

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でもまあ、とっくに人間が住まなくなった家を見ても仕方がない。
家というものは人が住んでナンボのものだから、元型を保って保存されているといっても、セミの抜けがらとたいして変わらない。
それよりわたしが関心を持ったのは、家のまわりの水田だった。
ここはまったくわたしの幼少時代に見た景色そのままだ。
カエルやヘビはいないかしら。

そういうものはいませんかと尋ねると、いますよ、いくらでもという返事だった。
なるほど、ときおりチャポンと何か水に飛び込むものがいる。
しかし数はそんなに多くない。
逃げ足の速いやつらで、じっくり確認するヒマもない。
ここでもわたしは、あらゆる生きものに満ち溢れていた、はるかむかしの日本の農村を思って涙してしまったのだ。

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2015年8月 6日 (木)

カリマンタン/ダイヤモンド鉱山

バンジャルマシンには、水上マーケットをのぞけば、たいした名所も旧跡もない。
ガイドブックにも記述が少なくて、水上マーケットのほかに載っていたのはダイヤモンド鉱山くらい。
ダイヤモンドに縁も興味もないわたしだけど、ほかに行くところもないから、それを見学に行くことにした。
もしかするとセバスチャン・サルガドによって撮影された、南米の金鉱山のような、極限状態の人間の営みが見られるかもしれない。

というわけで、ここに載せた何枚かの写真は、サルガドにならってモノクロ写真でせまることにする。

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長髪クンに相談すると、ああいいですよと、すぐに車をチャーターしてくれた。
車はまだ新しそうな日本車だった。
走りだしてすぐにガソリンスタンドに寄ったけど、セルフではなく、まっ黒な覆面をしたイスラム娘が給油してくれた。
ここではイスラム教徒の女性といえども、労働によって対価を得ているのである。
戒律もへったくれもないというインドネシアの姿勢はエライ。

車は飛行場のわきをかすめていく。
郊外に出ると、バンジャルマシンの地形は、遠くに低い山並みが見えるくらいで、関東平野のように、ほとんど起伏のないまっ平らなものであることがわかる。
これでは川が蛇行するはずだ。
ダイヤモンド鉱山に近づくに従い、景色は農村らしくなり、気持ちのよい景色が続く。
これは楽しいドライブだった。

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とある町でとつぜん細いわき道に分け入った。
ダイヤモンド鉱山は、まったくなんの変哲もない農家の裏庭みたいなところにあった。
サルガドの極限状態どころか、ニワトリがのんびりと餌をついばんでいるようなところだった。
こんなところでダイヤモンドが出るなら、うちのアパートの庭からも出そうなくらい。

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赤茶けた農地のあちこちに池が掘られ、そこに半身をひたして、大きな皿状のもので砂をこしている男たちがいた。
その背後には直径が6、70メートルもある噴火口のような穴が掘られ、その底で泥まみれになって掘削機を使っている男たちがいた。
お粗末な洗浄機があって、泥水が流れている。
スケールはサルガドの写真に比べるとだいぶ小規模だけど、ここにはやはり極限状況としかいえない人間の営みがあった。
一攫千金を夢見る男たちが、泥水につかり、太陽にじりじりと焼かれながら、ひねもす泥をこしているのである。

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ひとりの男が寄ってきて、手のひらに乗せたダイヤモンドらしきモノを、買わないかという。
それは2、3ミリの、研磨もしていないジャリ粒みたいなもので、磨いたら顕微鏡サイズになってしまいそうだったから、買わなかった。
つぎの男が持ってきたのは、いちおう研磨ずみの宝石みたいなものだったけど、わたしにはガラス細工にしか見えなかったから、もちろん買わなかった。

気のドクだけど、わたしに宝石なんて、それこそブタに真珠のたとえどおりだから、相手を間違えているとしかいいようがない。
でも、ここでも人々はみんな愛想がよかった。
わたしがそのへんの草花の写真を撮っていると、ほれ、これもといって、わざわざ花を摘んできたおじさんもいた。
調子狂っちゃうなと思われていたんだろうなあ。

鉱山の帰りにダイヤモンドの研磨工房に寄ったけど、ここでも親切な説明を、はあはあとうわの空で聞いていた。
ダイヤを買う金があったら旅行をするほうがよっぽどいいいというのがわたしの信条である。

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2015年8月 5日 (水)

尾瀬に寄す

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こないだ彫刻家のカトー君のコンサートに行き、そこで聴いた 「尾瀬に寄す」 という歌について書いたら、さっそく彼から歌詞の全文が送られてきた。
わたしのブログのネタにでもなればという配慮らしいけど、わたしのブログって、読者が多いときでも200か300だかんね。
世間に広報するには力不足で、あまり頼りにされても困るんだけど。

歌の歌詞というものは、勝手に転載するとそっち方面の協会から文句をいわれる。
そのへんがちと気になっていたけど、しかし個人のオリジナルで、その個人がいいというならゴタゴタいわれるすじはない。

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送られてきた全文を読むかぎり、カトー・ファミリーの自作曲らしいので、安心してブログに転載してしまう。
ただしかなり長い歌詞なので、ハイライトというべき尾瀬の花の名前や地名がずらずら出てくる後半部分を紹介すると

もしも君が 本当に 尾瀬を愛しているのなら
夏が来てもこのままそっと
思い出だけを楽しみましょう

君の子供が大きくなって 尾瀬へ連れてってとねだったら
君は アルバムの写真を見せながら
やさしい声で 語ってやりましょう

誰もがいちどは行くところ
青春の白いノートに カラー写真を押し花代わりに

長蔵小屋 尾瀬沼 ひうち 至仏 三条の滝 浮島 アヤメ平
ニッコウキスゲ 水芭蕉 ごぜん橘 薄雪草 綿すげ 姫石楠花
ヨッピ川 シラカンバ 水辺を彩るリュウキンカ
明日は三平峠 明日は三平峠

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この曲は YouTube にも上がっているので、楽しい曲であることは、それを聴いてもらえばわかる。
ただし正直にいわせてもらうと、耳のわるいわたしは、曲のテンポやリズムに感心したものの、歌詞については、「綿すげ」 や 「リュウキンカ」 という花の名前をなんとか聴きとっただけだった。
念のため友人も聴かせてみたら、彼はちゃんと聴きとれたという。
わたしの難聴も困ったもんだけど、これも若いころロックをものすごい音量で聴きまくったせいかもしれない。
音楽好きが嵩じて、音楽を聴くための道具をパアにしたとしたら、泣くに泣けない悲劇だな。

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はるかな尾瀬は遠い空、わたしも尾瀬を愛する者のひとりだから、そこに咲く花の名前だけでもするどく反応してしまうのだ。
わたしの撮った尾瀬の写真を4枚ばかり。

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2015年8月 4日 (火)

カリマンタン/ビール

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あまり真剣に考えてなかったけど、バンジャルマシンはカリマンタン島にある街で、カリマンタンはボルネオ島のインドネシア領のことである。
インドネシアは世界最大のイスラム教徒をかかえる国だ。
そしてイスラムでは酒が厳禁である。
デパートに行ってもコンビニに行っても酒はない。
ないといったら、ほんとにない。
土日の晩はわたしの泊まっているホテルで盛大にパーティをしていたけど、それもぜんぜん酒のないパーティらしい(それでも派手に盛り上がっていたからフシギ)。

うーむ。
そんなことが許されるのだろうか。
そんなことが信じられるだろうか。
なんの1週間ぐらい、酒なんざ飲まなくったって平気を豪語していたわたしだけど、昼間暑い中を歩きまわっているもんだから、4日目にとうとうギブアップ。
冷たいビールが頭の中をぐるぐるまわっちゃって。

フロントでさりげない顔をよそおって、ホテルのレストランにはビール置いてないよねと訊く。
フロントの女の人、これはなんというか、和服の似合いそうなしっとりとした美人が、うふふと意味ありげに微笑んで、あたりをはばかるように小さな声でアリマスという。
そうですか、それではひとつお願いしますかなと、内心では飛び上がりそうな気分をじっと抑えつけて、わたしも冷静に。

レストランでおおっぴらに飲ませるわけにはいかないから、部屋で飲んでほしいという。
もちろん需要と供給という資本主義の原理にしたがって、値段は高い。
写真のボトル1本が日本円で約1000円だ。
しかしこのさい、値段についてごたごたいう飲ん兵衛はまずいないだろう。
部屋でこっそり飲むビンタンビールは、わたしがこれまでに飲んだいかなるビールよりも美味しかったのだから。

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ボトルのまま布でくるんで持ってきたのは最初のときだけ。
2回目からは写真のように、ティーポットに入れられていた。
ちゃんと冷えてたからなんでもいいけど。

もちろんバリ島のような国際的な観光地では、酒はいくらでも飲めるし、たぶんジャカルタのような大都市でも外国人はかなり自由ではないか。
酒が飲めないなんてと、カリマンタン訪問に乗り気でない人にいっとくけど、窮すれば通ず、案ずるより産むがやすし、心配は無用なのである。

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2015年8月 3日 (月)

カリマンタン/野生について

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好奇心旺盛というのはおそろしいところがある。
わたしについていうと、水上マーケットの小舟群だけではなく、岸辺の水上集落にも注目していた。
民家のまえでは起きてきたばかりの住人が、顔を洗ったり、朝から洗濯を始めたりしている。
その足もとには、ちょうど引き潮らしく泥の地面が露出していて、いかにもシオマネキやトビハゼなんかがいそう。
しかし双眼鏡でのぞいても生きものはなにも見えなかった。

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集落の中には商店もある。
わたしが見たのは岸辺にある店だったけど、昭和半ばごろの日本の田舎の商店みたいで、雑貨が積まれ、何人かが店頭で立ち話なんぞをしている。
できればわたしも会話の仲間入りをして、どうですか、景気はなんて話をしてみたいと思ってしまった。

朝の7時ごろロクバレンタンの水上マーケットをあとにした。
ふたたびマルタプラ川を下る。
今度はもう明るくなっているから野生動物を観察するのに絶好の機会だ。
しかしどうも、そういうものがとくべつ多いとは思えなかった。
例のはきだめ運河クルーズの最後のほうでは、水田のある風景を進んでいるとき、白黒の水玉模様のナマズの死骸を見たことがあるから、川の中にはアマゾンみたいな奇怪な魚がたくさんいそうだけど、とにかく濁った川ばかりだから、水中の魚なんかまったく見えないのである。

水鳥もけっして多くない。
いちどだけ青と赤のきれいな小鳥が水面をかすめていくのを見たくらいで、野鳥といえばあとはツバメがたくさんいたくらい。
ツバメじゃ速すぎて双眼鏡で観察もできない。

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帰りにながめると、来るときにジャングルと見えた両岸の景色は、その背後がすべて青々とした稲田になっていた。
いかにも東南アジアらしい素朴な農村風景も見えて、このクルーズがすてきに牧歌的であったことは間違いない。

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こんな調子で、野生動物の宝庫という期待は裏切られたけど、バンジャルマシンにいすわって、近郊の農村地帯を歩きまわり、もっと長期間観察してみたらどうだろう。
わたしはべつの日に、ホテルのすぐわきにある橋の下を見下ろして、メリケン袋を積み上げた堰堤の上に、尻尾の先まで60~70センチはありそうな大きなトカゲを発見したことがある。
大きいといっても同じインドネシアのコモド島にいるトカゲに比べれば、まだ人間の手にあまるほどじゃない。
例のはきだめ運河をクルーズしているときにも1匹見たから、市内にはまだこの種のトカゲが何匹も棲息しているようだ。
最後の写真は、よくわからないと思うけど、はきだめ運河で見たそのトカゲなんだけどね。

オランウータンやスマトラサイやコモドオオトカゲなどの野生動物が見たければ、最初からもっと奥地の、国立公園から近い街を目標にしないと無理なようである。
しかしナチュラリストにとってもっと大きな問題は、カリマンタンでも自然の植生がアブラヤシのような換金植物の農地に変わっていて、野生動物の棲まいがどんどん失われているということだ。
同じ悩みをかかえるアマゾンなどとともに、これは人類の未来を左右する深刻な問題といえる (ナショナル・ジオグラフィックにそう書いてあった)。

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2015年8月 2日 (日)

たそがれ楽団

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幼なじみで彫刻家のカトー君から、今度はコンサートの招待だ。
なんでも 「たそがれ楽団」 というファミリーバンドで、暑気払いコンサートをするのだそうだ。
で、昨日は猛暑の中をひとっ走り、郷里まで車で往復してきた。

芸術家の中には本職以外に才能を発揮する人がよくいる。
わたしの知り合いの熊本のKさんもそうだし、カトー君もギターの弾き語りが得意である。
彼によりそう女性がまた音楽好きで、彼の伴奏で人前でどうどうと歌をうたう。
そのくらいならカラオケに行けばいくらでもいそうだけど、人を集めてコンサートをやるとなると、これはもうしろうとの域を抜けている。

「たそがれ楽団」では、カトー君がギターと歌を、奥さんがボーカル、娘さんがピアノとリコーダー (縦笛) を担当する。
歌われた曲は、「ケ・セラ・セラ」、「憧れの郵便馬車」、「ふるさと」 など、ポピュラーからロックンロール、唱歌までで、わたしの世代を感じさせるものが多かった。
聴衆もわたしの世代が多かったからちょうどよかったのかも。
出だしはいくらか緊張もあったようで、演奏がずっこけて、おいコラ、演奏中に打ち合わせなんかすんなというヤジも飛んだけど、3、4曲目あたりからテンポが快調になり、歌っている本人も楽しそう。

「尾瀬に寄す」 という曲が素敵だったので、あとで歌詞を調べようとしたらネットに見つからない。
これは彼らのオリジナルかもしれない。
カトー君の解説があったのに、耳のわるいわたしは聞き洩らしてしまったようだ。
機会があったら確認してみよう。

このコンサートを見てつくづく思ったこと。
カトー君はほんとうに、現実生活と夢の世界を両立させて生きている男であるなと。
現実世界というのは社会人として過不足のない生き方のことで、夢の世界というのは、彼が幼少のみぎりからあこがれていた、ビートルズに倣った生き方を追求するということである。
プログラムの中にはビートルズ・ナンバーもあり、しかも 「ツイスト・アンド・シャウト」 なのがスゴイ。
そういえば彼は、修学旅行のバスの中でもビートルズを歌ってしまう少年だったねえ。
わたしと変わらないトシで、そんなふうに、幼少のころからのあこがれに突進してしまう精神力もスゴイ。

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ギターをかかえた彼がメキシコ人かなんかに見えたので、ソンブレロのつもりでわたしの帽子をかぶらせてみた。
なかなか似合うと思うけど、あいにくわたしの郷里というのは名だたる保守の牙城である。
ちょっとでも規格にはずれた格好をすると、すぐ街中のうわさになり、あいつは変人だってことにされてしまう。
カトー君だって本心では耳ピアスに、手首のあたりのさりげないタトゥーで決めたいのかもしれないけど、そんなことをしたらみんな目ん玉を丸くして、おそらくコンサートも総スカンだ。
彼もこういう点では常識的なおとなだった。
やはり田舎で暮らすというのは、いろいろムズカシイことがあるようである。
それともワタシのほうがおかしいのかしら。

許可を得ていないので家族の写真は載せません。
本人については、YouTube に映像を載せているくらいだから、たぶんいいんじゃないかと思う。

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2015年8月 1日 (土)

まだかよー

一昨日が谷崎潤一郎の没後50年じゃなかったっけか。
著作権切れで、青空文庫に作品が載るかと思ったけど、今朝の時点じゃまだみたいだ。
仕方ないから彼の作品で、目下いちばん読みたい作品のベストスリーでも選定してヒマつぶし。
「春琴抄」、「吉野葛」、「少将滋幹の母」あたりかね。
どっちかというと地味めかもしれないけど、話題作でもいまさらまた読みたくないってものもあるからねえ。
本屋や図書館に行けばすぐに読める本ばかりでも、わたしはいまさら金を出すのはイヤだし、ベッドに寝ころんだまま、タブレットで読みたいのだ。

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