カリマンタン/伝統様式の民家
ダイヤモンド鉱山をあとにして、また田舎の町にもどると、そのあたりの民家の様式がちと変わっていることに気がついた。
屋根が木の皮で葺かれた木造住宅で、どこか日本の民家のようにも見える。
インドネシアには極端に屋根の傾斜・彎曲した寺院や、これまでさんざん見てきた水上集落の高床式民家、ほかにもたくさんの島に無数の少数部族をかかえる国だから、変わった様式の建物は多そうである。
しかしここで見た民家は、そのまま日本に持って帰っても違和感なく風景にとけこみそうだった。
とつぜん民家に興味を持ったわたしを見て、長髪クンが、これからカリマンタンの伝統様式の農家を見にいきましょうという。
そんなものがあるなんてぜんぜん知らなかったけど、まだホテルに帰るには早すぎる。
まあ、いいだろうと返事する。
車はしばらく、ヤシの木さえなければ日本のどこかの田舎といわれてもわからない農村風景の中を走った。
これはおもしろい体験だった。
バリ島でも棚田の見物をぜったいはずせない目標にしていたくらい、わたしは農村風景というものに興味があるのである。
やがて車が乗りつけたのは、水田のまん中にある立派な木造家屋だった。
写真でわかるように高床式で、日本人から見てどぎもを抜かれるほど奇抜な建物ではない。
なにか特別に保存された博物館のような感じだったけど、入口には鍵がかけられていた。
長髪クンがそのあたりの子供に問い合わせ、別棟にいた管理人らしい女性を呼び出して、ようやく建物に入ることができた。
長髪クンがいろいろ説明してくれたけど、英語で説明されてもわからない。
どうやらこの家は、かってこの地方の豪族だった人のもので、カリマンタンの伝統様式をよく残しているということらしい。
高い天井とそれをささえる梁や柱、カーテンでかこまれたきれいなベッド、鉈でけずったような荒っぽい細工の床板などが印象的だった。
ベッドがあるといっても、ほかは吹き抜けのように広々としていて、あまり住みやすそうではないから、祭礼やなにか特別の目的のために使われた家かもしれない。
アルバムが置いてあったのでバラバラとめくってみたら、日本人の名前と顔写真もあった。
家を保存するのに日本も尽力したってことだろうか。
来訪者ノートに日本人の名前はなかったけど、いちおうわたしの名前を書いておいた。
でもまあ、とっくに人間が住まなくなった家を見ても仕方がない。
家というものは人が住んでナンボのものだから、元型を保って保存されているといっても、セミの抜けがらとたいして変わらない。
それよりわたしが関心を持ったのは、家のまわりの水田だった。
ここはまったくわたしの幼少時代に見た景色そのままだ。
カエルやヘビはいないかしら。
そういうものはいませんかと尋ねると、いますよ、いくらでもという返事だった。
なるほど、ときおりチャポンと何か水に飛び込むものがいる。
しかし数はそんなに多くない。
逃げ足の速いやつらで、じっくり確認するヒマもない。
ここでもわたしは、あらゆる生きものに満ち溢れていた、はるかむかしの日本の農村を思って涙してしまったのだ。
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