カリマンタン/ダイヤモンド鉱山
バンジャルマシンには、水上マーケットをのぞけば、たいした名所も旧跡もない。
ガイドブックにも記述が少なくて、水上マーケットのほかに載っていたのはダイヤモンド鉱山くらい。
ダイヤモンドに縁も興味もないわたしだけど、ほかに行くところもないから、それを見学に行くことにした。
もしかするとセバスチャン・サルガドによって撮影された、南米の金鉱山のような、極限状態の人間の営みが見られるかもしれない。
というわけで、ここに載せた何枚かの写真は、サルガドにならってモノクロ写真でせまることにする。
長髪クンに相談すると、ああいいですよと、すぐに車をチャーターしてくれた。
車はまだ新しそうな日本車だった。
走りだしてすぐにガソリンスタンドに寄ったけど、セルフではなく、まっ黒な覆面をしたイスラム娘が給油してくれた。
ここではイスラム教徒の女性といえども、労働によって対価を得ているのである。
戒律もへったくれもないというインドネシアの姿勢はエライ。
車は飛行場のわきをかすめていく。
郊外に出ると、バンジャルマシンの地形は、遠くに低い山並みが見えるくらいで、関東平野のように、ほとんど起伏のないまっ平らなものであることがわかる。
これでは川が蛇行するはずだ。
ダイヤモンド鉱山に近づくに従い、景色は農村らしくなり、気持ちのよい景色が続く。
これは楽しいドライブだった。
とある町でとつぜん細いわき道に分け入った。
ダイヤモンド鉱山は、まったくなんの変哲もない農家の裏庭みたいなところにあった。
サルガドの極限状態どころか、ニワトリがのんびりと餌をついばんでいるようなところだった。
こんなところでダイヤモンドが出るなら、うちのアパートの庭からも出そうなくらい。
赤茶けた農地のあちこちに池が掘られ、そこに半身をひたして、大きな皿状のもので砂をこしている男たちがいた。
その背後には直径が6、70メートルもある噴火口のような穴が掘られ、その底で泥まみれになって掘削機を使っている男たちがいた。
お粗末な洗浄機があって、泥水が流れている。
スケールはサルガドの写真に比べるとだいぶ小規模だけど、ここにはやはり極限状況としかいえない人間の営みがあった。
一攫千金を夢見る男たちが、泥水につかり、太陽にじりじりと焼かれながら、ひねもす泥をこしているのである。
ひとりの男が寄ってきて、手のひらに乗せたダイヤモンドらしきモノを、買わないかという。
それは2、3ミリの、研磨もしていないジャリ粒みたいなもので、磨いたら顕微鏡サイズになってしまいそうだったから、買わなかった。
つぎの男が持ってきたのは、いちおう研磨ずみの宝石みたいなものだったけど、わたしにはガラス細工にしか見えなかったから、もちろん買わなかった。
気のドクだけど、わたしに宝石なんて、それこそブタに真珠のたとえどおりだから、相手を間違えているとしかいいようがない。
でも、ここでも人々はみんな愛想がよかった。
わたしがそのへんの草花の写真を撮っていると、ほれ、これもといって、わざわざ花を摘んできたおじさんもいた。
調子狂っちゃうなと思われていたんだろうなあ。
鉱山の帰りにダイヤモンドの研磨工房に寄ったけど、ここでも親切な説明を、はあはあとうわの空で聞いていた。
ダイヤを買う金があったら旅行をするほうがよっぽどいいいというのがわたしの信条である。
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