カリマンタン/屁理屈
モーム流カリマンタンの旅は終わり。
たいしたものを見たわけでもなく、おいしいものを食べたわけでもない。
バカバカしい旅と言われりゃそのとおり。
でもこれがわたしの旅だ。
わたしはもうドラマの主人公になるには遅すぎる人間なのだ。
険しい高山に登り、灼熱の砂漠を踏破し、危険な猛獣でいっぱいの密林をうろつき、手当たり次第にむしゃむしゃ食い、みずから望んで肉欲を追い求め、あげくに帰国したあとグッタリとなってしまうような旅は、もはやわたしには無理である。
ホテルでごろごろし、たまに近所をぶらぶらする。
これだけじゃいつものオマエとぜんぜん変わらんじゃないかという人がいるかもしれない。
しかしその程度でも、注意をしていればいろんなものが見えてくるものだ。
ブログで報告した◯◯フェスタの会場はマルタプラ川の河岸にあって、この川のほとりはきれいな遊歩道になっていた。
そこにスケートボードで遊ぶ、しかもそれをデジタルカメラで自撮りしている少年たちがいた。
たぶん撮った映像は YouTube に載るのだろう。
野生動物がうじゃうじゃいるはずのカリマンタンには、こういうグローバルな一面もあるのである。
その一方で、はきだめのような運河で泳ぐ子供たちもいる。
街で見かけた敬虔なイスラム教徒たちもいれば、深い穴の底で泥まみれになって一攫千金を夢見る男たちもいる。
貧富の差は日本より激しくとも、人々はどこへ行っても、現在の日本人よりずっと健康的で明るかった。
これは幸せとはナンダと考える好材料だけど、偽善者ぶりを発揮するのはもうやめよう。
そういうむずかしい問題は、いまを盛りの人におまかせして、わたしは残りの人生を楽しむだけに専念しよう。
いくつか認識をあらたにしたこと、現実をこの目でながめられたこと、それだけでもわたしのカリマンタンの旅は有意義なものだった。
機会があるなら、わたしはまたカリマンタンに行ってみたい。
今回は時間をとれなかった水田のへりなどをゆっくり歩いてみたい。
冒険をしたいとは思わないけど、とりとめのない散策みたいなことはまだまだしたいのである。
こういう不活性で、観念的な部分ばかりに喜びを見出す人間も世の中にはいるのだ。
サムセット・モームだって好んで危険な旅をしたわけじゃない。
山や川や海をながめ、市井の人々の生きざまを見て、彼もひたすら思索したことだろう。
平凡なことがらから連想をふくらませるのが作家というものだから、彼がいまこの国を旅したとしたら、やはり創作本能を刺激されて、おもしろい作品をいくつも書いたんじゃなかろうか。
という屁理屈をこねあげて、この紀行記の終わり。
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