2015年9月30日 (水)
ネットニュースを見ていたら、『日本が中国と競ってきたインドネシアの高速鉄道は中国が建設することが決まった』 って。
『日本政府はインフラ輸出を成長戦略の柱の一つにかかげ、新興国を中心に受注を続けてきただけに戦略の見直しが必要になりそうだ』 とも。
そんな大騒ぎするようなことかい。
これでもって日本の鉄道技術が中国に遅れをとったわけじゃあるまいし、むしろ開業以来事故なしの日本の技術が、事故車を大慌てで穴を掘って埋める中国にますます差をつけちゃって、もはやそんじょそこいらの国民には使いこなせない高みに到達しちゃったってことじゃないかい。
幸か不幸か、わたしはちょっとまえにインドネシアに行ってきたばかりだ。
飛行機で送ったはずの荷物が届かなくって、航空会社に文句をいったら、こちらはいまラマダンでみんな仕事をやる気がありませんから、夕方まで待ってくださいってお国柄だ。
鉄道を安全に快速で運用するのは、技術だけじゃなく、そこで働く人々のこころがまえがモノをいう。
インドネシア人にはとても無理、無理。
あちらの人だって、そんな秒刻みの時刻表なんか望んでないだろうし、いささか迷っていたところへ、中国が費用は全額こちら持ちなんて条件を出せば、そりゃ飛びつくわな。
日本としては、たかられなくてよかったと胸をなでおろしておけばいいことだ。
そのうち中国経済が破綻して、鉄道建設が道半ばで挫折したら、インドネシアはまた日本を頼りにしてくるに決まっている。
破綻するするといわれて、なかなか破綻しないのが北朝鮮と中国経済だけど、どっちが早いかなって、日本人はそれまでサイコロでも振っていればよい。
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2015年9月29日 (火)

パソコンを使っていたら、最近はあまり使ってないスカイプに、なにやら英語のささやきが。
わたしの名前や顔写真がどっか英語圏の女の子にもれて、興味をもったその子が話しかけてきたらしい。
そういえば以前は中国の女の子が、李白というわたしのハンドルネームに興味を持って、しょっちゅう話しかけてきたもんだ。
今回は、相手の名前がダンプだなんて、プロレスラーみたいなのが気に入らないけど、わたしに興味を持つのは女の子に違いないと、勝手に決めつけて、しばらくチャットをしてみた。
チャットだから文章によるリアルタイムの会話で、相手の言葉をその場で翻訳サイトで訳して、返事もただちに翻訳サイトで訳して送るという忙しい会話。
話の内容がだんだんイヤらしくなる。
米国のませた少女が日本人のおじさんをからかっているのかも。
どんな顔をしてるのか興味があったので、その旨を伝えたら、ここを見ればわかりますってホームページのアドレスを送信してきた。
アドレスをクリックしたら、どーんと画面に表示されたのがこの画像。
なんでえ、アダルトサイトじゃねえか。
くそ、どうも調子がいいと思った。
おじさんはね、そんなもん相手にしてるほどヒマじゃないの。
金払ってまで。
なんか今回は2ちゃんねるみたいな発言になっちゃったなあ。
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2015年9月28日 (月)
ある場所で CAR GRAPHIC の最新号を読む機会があった(自分で金を出して買ったわけじゃない)。
車の雑誌としては日本でいちばん高い月刊誌だと思うけど、わたしは若いころこの本をずっと購読していたことがある。
それなりわたしを啓蒙してくれた本であることは間違いがない。
この本をひとくちでいうと、外車至上主義というか。
そのこと自体はわるいことではない。
まるっきり外車に縁のない当方みたいな人間に、ひとときの夢を味あわせてくれる本なのだから。
この本の、とくにドイツ車をほめたたえることは、ほとんど盲目的といっていくらい。
日本の車がどんなに努力しても、ポルシェやBMWはつねに一歩先を行ってるように思えてしまう、この本を読んでいるかぎり。
でもわたしはベンツのオーナーと話をしたことがあるんだけど、コンピューターを組み込むような先端技術では、すでに日本の車のほうがドイツ車より進んでいるとか。
そのへんの真偽のほどは、ベンツを持ったことのないわたしにはわからない。
ところで最近のこの業界の大きな事件というと、フォルクスワーゲンが排ガス規制をごまかしたインチキがある。
以前トヨタのプリウスが米国に叩かれたことがあるけど、あれがやむを得ないといえなくもない製造上のミスだったのに比べ、そして売れる外車は叩くというアメリカの、国を挙げての謀略の犠牲だったと思えなくもない事件だったのに比べ、今回のワーゲンのインチキは、故意としかいえない悪らつな事件だったことが特徴だ。
こうなると、ハイブリットなどの先端技術で遅れをとったドイツが、あせって引き起こした事件のような気がしてしまう。
トヨタの豊田章男社長は、相手の敵失に乗じてはならないと厳命しているそうである。
プリウスが叩かれていたころ、口には出さねど、ドイツ車は好機到来とばかり世界で売り上げを伸ばした。
トヨタだって社長のいうことを文言どおりに受け取る人はいないかもしれないけど、日本は生真面目さを世界に披露し、いちおう理性的といえる行動をとった。
だから日本車は素晴らしいとか、日本人は奥ゆかしいなどとはいわない。
トヨタの株が上がり、ワーゲンの株が下がっても、そもそも株なんてものを持ってないわたしには関係がない。
わたしに興味のあるのは、ドイツ車を溺愛する CAR GRAPHIC が、来月号でこの問題をどう書くかってことである。
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2015年9月26日 (土)

今月は、なぜか土曜日になるとブログの更新がないね。
そりゃ土曜日は呑みに行ったり、遊びに行ったり、いろいろ忙しいって事情はありますんですが、これじゃいけない。
なんか話題をってことで、そうさな、先日塩辛 (=シオカラ) を作った話でも書くか。
わたしはときどき美味しいものを自分で作ってみたくなるんだけど、たとえばマーボトーフはもうプロに負けないものを作れるようになった (丸美屋の麻婆豆腐の素があるから)。
今度は塩辛ってわけである。
ほんとうは、いまごろ塩辛かいといわれそうで恥ずかしいんだけどね。
釣りをする人というのはたいてい魚を自分でさばくことができる。
塩辛だって同じことで、イカ釣りをしたことのある人なら、たいてい自家製の塩辛を作ったことがあるだろう。
釣りをやらないわたしが無理に自家製にこだわる必要はないんだけど、塩分控えめを医者から強要されているわたしには、どうも市販されている塩辛は辛すぎるのである。
先日デパートに行ったら、まだ産地から直送されたばかりみたいな凍りついたイカを売っていた。
で、なんか運命の出会いみたいなものを感じて、2杯ばかり買ってきてしまった。
じっさいにやってみると、ぐちゃぐちゃと扱いにくい点はあるものの、こんなに簡単な調理はないくらい。
もちろん塩分の調整も自由自在だ。
味付けのために入れる日本酒の量を多めになんてことも自由である。
材料費を惜しまないわたしの手作りだから、イカのいちばん贅沢な部分ばかりを使う (残った部分はバター炒めにして食べた)。
このへんまではレシピ通りだけど、なにごとも教本通りというのがキライなわたしのことだから、どこか人と違った塩辛を作れないかと考える。
イカの胴体をまっぷたつにして内臓をとり出すとき、墨の袋があるのに気がつく。
これを有効活用はできないだろうか。
イカの墨を使ったまっ黒なパスタがあるくらいだから、まっ黒な塩辛があってもいいのではないか。
と思ったけど、今回は初めてだからやめておいた。
あとで調べたらじっさいにそういう塩辛もあるようだから、そのうちやってみよう。
できあがった塩辛でイッパイやる。
うまいかまずいか判断つきかねるけど、土曜の晩のささやかな贅沢といっていいみたいヨ。
やみつきになりそう。
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2015年9月25日 (金)

最近もいっしょにお酒を呑んだ熊本のKさん。
彼はわたしより年上にもかかわらず、キャンピングカーに奥さん、飼い犬を乗せて、日本全国を走りまわっている。
目的は各地のクラフト・フェアに参加して、自作の笛や竹ペンを売って歩くことだから、そういうものを制作する工房がそのまま動き出したような感じだ。
なかなかユニークなキャンピングカーだけど、彼はさらにこの車にパソコンやカメラなどのIT機器を積み込み、移動しながらもブログやフェイスブック (以後はFB) の更新を続けている。
つい先ごろは、新潟県の防波堤で釣りをしましたって、FBにイシダイやカワハギの写真を載せていた。
添付した写真はKさんのFBより。
同じひきこもりでも (Kさんはけっしてひきこもりじゃないけど)、こんなふうに、どこからも、いつでも、気のむくままに情報を発信できるということは、わたしにはステキな可能性を感じさせる。
できることなら、わたしもキャンピングカーにIT機器一式を積み込み、世界中から発信してみたいものだ。
残念ながらわたしの知り合いの中には、パソコン同好会のメンバーの中にさえ、情報の発信ということに興味を持たない輩が多い。
いまや日本でも外国でも、小学生、中学生たちまでがスニーカーをはくように、気軽にLINEやスカイプで情報をやりとりし、ツイッターやFBを愛用し、写真や映像をネットに載せている時代だ。
これほど情報の発信が容易になっているのに、なんでそれをしないのか。
オレには電話があるって人もいるけど、電話ってのはいまでは化石の範疇に入る通信手段ではないか。
どうして情報発信に興味がないのか、つらつら考えると、他人と比較されたくないとか、炎上でもして笑いものになりたくないとか、思い当たることもいくつかあるんだけど、それをいうのはよそう。
パソコンといのは道具であって、骨董品ではない (使い捨ての消耗品と思ったほうがいい) のだから、道具そのものを愛しても仕方がない。
なにも毎日情報を発信する必要はないのだ。
さいわいというかなんというか、わたしの知り合いには棺桶に片足突っ込んだ人間も多い。
ブログでもツィッターでもFBでも、たまに更新することによって、まだ生きてますよという、安否情報のグッズになり得るのである。
情報が途切れたら、すわ、あいつは死んでいるなと理解してもらえ、いちいち訃報のお知らせをする必要もなくなるではないか。
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2015年9月24日 (木)
今日のニュースで気になったのは、阪神タイガースのGMだった中村勝広さんの急死のコト。
ぜんぜん面識のない人だし、プロ野球に興味はないし、阪神のファンでもないんだけど、気になったというのは、この人が66歳だったってことだ。
そんな歳で死んじゃう人もいるのか。
わたしもまごまごしちゃいられない。
後悔しないようにめちゃくちゃ遊んじゃうぞって、ホント、わたしも懲りないオトコ。
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2015年9月23日 (水)
録画しておいたテレビ番組と同様に、いま取り置きしてもらっていた新聞をまとめ読みしている。
22日のウチの新聞のオピニオン面で、中西寛さんという政治学者がインタビューに答えていた。
この人の意見はわたしとほぼ同じである。
こういう意見を載せた朝日新聞の英断に拍手を送りたい。
読者の投稿欄もそうだけど、最近のウチの新聞は偏向しているといわれるのを恐れてか、対立する意見を並べて載せることが多い。
“しかし” とか “でも” とか、どこか気持ちの落ちつかない取材だったとか、同時に反発もおぼえるとか、朝日の言い分はまだまだ未練たっぷりだけど、こういう姿勢は評価できる。
ガンバレ、朝日。
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連休中は遊びまくって、いま留守中に録画しておいたテレビ番組を観ている。
そんな録画番組の中に「世界入りにくい居酒屋スペシャル」というものがあった。
これはNHKのBSで放映されていた番組の特集版で、内容は世界各国の、地元の人しか知らないような、街のかたすみにある個性的な居酒屋を訪ねるシリーズで、呑兵衛の若い娘2人が解説というか、ヤジというかを入れる番組なんだけど、見始めると非常におもしろい。
民放の番組だと、その場で笑わせなくちゃいけないような即物的な番組が目立つけど、NHKは黙っていても視聴料が入ってくるせいか、こういうふうな、じっくり観ているとおもしろいという番組を作るのがうまいのだ。
火野正平が自転車で日本の各地を旅する番組も、最初は自転車かよとバカにしていたけど、じつはなかなか人気があるようだ。
「居酒屋」シリーズについては、終わってしまったのを残念に思っていたら、特集版によるとまた新シリーズが始まるらしい。
釣りをしないくせに開高健さんの釣り紀行がおもしろいように、けっして呑兵衛ではないわたしが楽しみにしている番組なのである。
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2015年9月20日 (日)
昨日は、ウチの新聞を読んでいるかぎり、安保法案が成立しただけで、もう戦争がはじまったようなでっかい見出しだった。
でも、わからない。
ヨーロッパにある軍事同盟のNATOのように、安保法案=安保同盟が戦争抑止につながったまま、またしばらく日本は繁栄を謳歌するのかもしれない。
中国の共産党政権が勝手に崩壊して、取り越し苦労だったなって、日本人はみんな安心するのかもしれない。
ISがますます強力になって、日本も中国も手を組んでそれに対抗するようになるかもしれない。
未来は予測不可能だけど、すくなくとも安保法案のおかげで戦争が始まるとは、わたしは思わない。
アメリカと仲良くしたいとは、なぜかほとんどの国の国民が思っていることだから、日本がアメリカと同盟を強化したってことで、日本の立場がまずくなるとも思えない。
むしろこれからは日本の発言力が増すのだから、合衆国のアホな大統領が、どっかの国に鉄槌を振り下ろすなんてわめいたら、それはまずいでしょうと冷静に忠告すればよい。
ISのようなむちゃくちゃな相手の場合は、軍事協力もやむを得ないけど、これをケシカランという日本人はいないと思う。
もうしわけないけど、わたしはそれほど心配していないのだ。
ほかに気になることは山ほどある。
しかし、今日から連休だ。
また遊びに行っちゃうのだ。
ゴメンナサイ。
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2015年9月18日 (金)
いまNHKのBSで 「博士の異常な愛情」 をやってます。
以前ふれたけど、この映画を酷評する人もいます。
ほんとにそんなひどい映画なのか、じっくり観て確かめてほしい。
ラストに流れるヴェラ・リンの歌をじっくり聴いてほしい。
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2015年9月17日 (木)
朝になって安保法案はどうなったかいねと新聞を見たら、まだぜんぜんはかどってないようだ。
こういうゴタゴタは国会ではおなじみだし、わたしは60年安保も知っているので、べつにおどろかない。
おどろくとしたら、むかしとまったく同じ状況だってコト。
達観した気持ちでながめていると、人間のすることのなんたる卑小なことよと思えてしまう。
このブログにも載せた、水死したシリア難民の子供の写真、直後は世界中に同情の声が湧き上がったのに、あっという間にもとの黙阿弥だ。
けっきょく現実のまえに、理想や個人の感情は無意味ということか。
安保法案は粛々と、おさまるところにおさまりつつあるように思える。
はっきりいえるのは、日本が戦後70年、平和を維持できたのは、平和憲法のおかげじゃないってことだ。
状況が変われば、いま安保法案阻止に熱中している国民の大半が、こんどは戦争やむなしって考えに乗り換えるのは必至。
ちょうど、三国干渉ケシカラン、やつらを討つべしと、日本中が世界大戦に突っ走ったように。
ああ、わたしの右傾化はいよいよ急だ。
毒をくらわば皿までと、わたしもいよいよまっしぐら。
これじゃいけない。
やっぱりどこか旅行のことでも考えているほうが無難だろうか。
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2015年9月16日 (水)
今朝の新聞を読んでみた。
昨日は中央公聴会なるものが開かれたそうである。
安保法案について識者がどうのこうのというものだけど、なんか茶番にすぎないように思えてしまう。
案の定、与党が推薦した識者は、法案についてゴモットモといい、野党が推薦した識者はケシカランという。
いま話題になっている大学生も呼ばれていたけど、国会のまえで反対イベントを開いていた学生だから、スタンスは最初からあきらか。
結局のところ、外でこれまでごたごたと論じあっていたことを、国会内で仰々しく繰り返しただけ。
本音とたてまえの衝突じゃないのというわたしの見立ては変わらない。
公聴会を聴いて、どっちが正しいと結論を出せた人がどれだけいるだろう。
ことの次第を要約すれば、状況が変わったから、それに対応するためにこちらも安全保障を強固にしておこうというだけで、問題はそれほど複雑なことじゃない。
こういうときになにもしなければ、政治家として鼎の軽重を問われるってやつだ。
戦後秩序が平穏なまま推移しておりさえすれば、安倍クンだってけっして持ち出さなかった問題だろう。
民主党あたりが政権をにぎれば、彼らもきっと同じことをする。
国民には選択肢がたくさんあっても、政権与党はそうじゃないのである。
いまだにたてまえ論を持ち出す人がおり、持ち出していけない理由もないし、新聞がそれを強調するから(そういう新聞もあるから)、大半の国民にはなにがなんだかわからなくなる。
わからないから、とりあえず反対しとけっていう人が増える。
ウチの新聞は国民が納得していない法案だという。
説明不足だともいう。
その新聞の社説には、衆院で200時間も審議を重ねた結果とある。
200時間が不足かどうかわからないけど、たぶんいまの国民には1000時間の審議を重ねてもわかってもらえないんじゃないか。
昼のネットニュースでは、ついに芸能人も声を上げ始めたそうである。
その大半は安保法案に反対する立場だ。
賛成する芸能人はあまりいない。
なーんでかっ。
この問題では安保法案をけなす人が正義の味方(なにしろ戦争反対だ)、支持する人は悪人みたいな(なにしろ戦争賛成だ)雰囲気があるので、うっかり政権の肩をもつと、集中攻撃にさらされるおそれがある。
そういう理由で、識者、芸能人の中にも賛成といえない人がたくさんいるんじゃないか。
朝日新聞のアンケートを見るときには、つねにそうした深読みが必要だ。
ああ、ますます右傾化しゃうな、わたしって。
困ったもん。
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2015年9月14日 (月)

野暮用と、先週は雨の日も多かったので、ひきこもりに拍車がかかって、散歩に出るのはひさしぶり。
自然観察園まで行ってみたけど、とくに花の季節ってわけでもないし、何年も同じ場所を行ったり来たりしてるので、いまさら珍しい花が見られるわけでもない。
彼岸花がぼちぼち咲き始めた。
満開になるとけっこう派手だけど、今日見たかぎりでは、ピークまであと2週間というところかな。
花期が短いから注意してないと見逃してしまう。

帰りに野川の対岸にピンク色の花が群生しているのを発見した。
1年前にもいちど紹介してるけど、そのときは名前がわからなかったので、また写真を撮り、帰宅して調べてみたら、「るつぼ」 という名前の花だった。
この花の名前については、ネットで調べたんだけど、その後知り合いからルツボではなくツルボでしょと指摘があった。
あわててまだ調べてみたらやっぱりルツボ、じゃないようだ。
検索するとルツボでもたくさん引っかかるけれど、間違えやすい名前だとわざわざことわっているサイトもある。
やはり正解はツルボらしい、まぎらわしい。
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2015年9月13日 (日)
今朝の新聞の投書欄に日本政府を非難する意見。
首相は政権を私物化しているとか、戦争を知らない人間ほど戦争をしたがると書いてるところは、どこかの泡沫政党のいいぐさみたい。
せんだっての国会のデモについて、ひとりひとりの国民が、独裁者に人生を破壊されないように集結しているのであるとも。
ま、このへんはウチの新聞じゃめずらしくない意見だ。
ところがこの投書をした人が、作家の森村誠一サンであることに驚いた。
アノネ。
と作家であるという人にお説教したくなってしまう。
立場が異なるだけで、安倍クンだって一生懸命やっていることは同じでしょ。
変化する国際情勢の中で、平和憲法だけにしがみついているわけにはいかないというのは、異なる立場の、一個の見識と思えないこともない。
政治家としてはきわめてまじめな行き方かもしれない。
それを私物化とか独裁者だとか。
これじゃいくらなんでも安倍クンがカワイソ。
安倍クンだって国民の目はつねに気にしているのだ。
森村サンや共産党の意見がつねに正しいというわけもない。
意見をいうのは結構だけど、もうすこし相手の立場をおもんばかった発言はできないもんかね。
地球上には独裁者にふさわしい政治家、国家も多いけど、新聞でこんな自由な発言ができるってことはどういうことなのか。
このていどの思想しかない人が、作家という商売で食っていける日本の政治体制になんで感謝しないのか。
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2015年9月11日 (金)
今日の新聞で瀬戸内寂聴さんが谷崎潤一郎について書いている。
谷崎潤一郎が奥さんを、すったもんだのあげく、友人の佐藤春夫に譲ったことは知っていたけど、このドタバタにはさらに第三の男がいたなんて知らなかった。
なにしろ大正、昭和にかかわる人たちだから、もっとモラルに厳格かと思ったら、そうでもなかったようだ。
谷崎は最初の奥さんと結婚したあと、性格不一致、彼女の妹のほうがいいやというんで、15歳の妹を引き取り、性的関係を持っていたとある。
そういえば島崎藤村にもそんなことがあったっけな。
また年端もいかない相手を、自分の名声を利用してもてあそぶ。
いいなあとため息が出てしまう。
現代なら未成年略取誘拐かなんかでお縄になりそう。
ナニ考えてんだといわれそうだけど、もともとわたしは男女の仲にはタブーはないと考えているタチ。
未成年だからいけないとか、人妻だからダメといってたら、小説は成り立たないゾ。
がんじがらめだった戦前のファッショに逆戻りだ。
さすがに歴戦のつわもの、寂聴さんもこの点では話がわかる。
ところで谷崎潤一郎の小説、今年で著作権が切れたはずなのに、まだ青空文庫に載らないね。
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2015年9月10日 (木)
夕刊にも出ていたけど、難民が殺到しているハンガリーで、警察の取り締まりから子供をかかえて逃げまどう難民の父親に、足をひっかけて転ばせる女性カメラマン。
こういう特異な女性がいるとすぐに、どんな顔をしているのかと興味を持つのがわたしのわるいクセだ。
さっそくネットでこの映像を探してみた。
なにしろ世界的ニュースだから、すぐに見つかった。
彼女はジーンズ姿で(スカートじゃないね)、マスクをしているから顔はわからない。
しかし、どうしてそういうことをしたのかということは国際的関心事だから、そのうちどこかの海外放送局が彼女にインタビューをするんじゃないか。
彼女の弁明を心待ちにしよう。
その映像が載るのを楽しみに待とう。
その後、思いついて彼女の名前を検索してみたら、さすが有名人、彼女の顔写真もすぐに見つかった。
なかなかの美人で、ケンカも強そう。
いったいどんなトラウマが、彼女をしてこんな性ワルな人間に育てあげたのか。
やっばりインタビューを待つしかないな。
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2015年9月 9日 (水)

最近ぜんぜん情報を聞かなかったイラストレーターの宇野亜喜良さん。
今日の夕刊にひさしぶりに音信が。
いまどきの若いモンはこの人のことを知らないかもしれないから、説明しておくと、団塊の世代が青少年だったころ、漫画家やデザイナーをこころざす若者から、ほとんど神格化されるくらいの人気を博していたイラストレーターであるといったらいいか。
漫画家をこころざしていたわたしも、当然すぎるくらい影響を受けた。
どんな画風かは、グーグルでこの人を検索すればいくらでも作品が見つかるけど、わたしにはパルコのポスターや、寺山修司とのコラボレーションが印象に残っている。
これとはべつに、わたしが東京で夢と迷いの青春を踏み出したころ、「初恋・地獄篇」 というアングラ映画があった。
あ、アングラというのは “アンダーグラウンド” の略だかんね、念のため。
いま見るとどこがアンダーグラウンドだいと思われるかもしれない映画だけど、当時はこれでも斬新な作品だったのだ (興味のある人は YouTube あたりを探してみるといいかも)。
この映画のポスターを描いたのが亜喜良さんで、映画の魅力の半分以上はこの人の功績といっていいくらい。
今日の夕刊から 「初恋・地獄篇」 に誘引され、同時にわたし自身のなつかしい体験や、当時つきあっていたカノジョのことを思い出した。
そのころからわたしは貧乏人だったから、冬の寒い夜に、カノジョと2人で屋台のラーメンをすするような、これってまるっきり 「初恋・地獄篇」 のまんまじゃないか。
すぐにラブホに行くほど、そのころの若者はすれてなかったんだよ、え、お若いの。
添付した写真は、わたしにとってのナナミ (地獄篇の中のヒロイン) だった少女で、いまはとっくに孫もいるおばあさんになっちゃってるはず。
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2015年9月 8日 (火)
仰向けに寝っころがったまま、タブレットでメールを書く。
書き終わったら、それを、やはり寝っころがったまま発信する。
相手先はタブレットが記憶しているので、ポンポンポンと画面をはじくだけだ。
最後のポンをはじいたあと、画面をじっとながめる。
いまこの瞬間にメールが空中を飛んで、相手のところ送られているのかと思う。
送信済みが表示されるまで、ほんの数秒である。
まあ、便利な時代になったものだ。
むかしなら机に向かって手紙を書き、切手を貼って、ポストに投函しなければいけなかったものを。
なんとなく幸せを感じないところもありますんですが。
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2015年9月 7日 (月)
ぜんぜんブログ書こうって気がおきないね。
雨のせいかしら。
人生がつまらないせいかしら。
栄養の不足かな。
アクセスがちっとも向上しないせいかねえ。
このままでは認知症になってしまいそう。
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2015年9月 6日 (日)
前項の溺死したシリア人の子供について、世界に衝撃を与えたと書いたマスコミが多い。
おかげで欧州では難民に対して、同情的な反応が生じているみたいである。
でもそれでことが解決するほど単純な問題じゃない。
移民政策が緩和されれば、平和を求める難民だけではなく、仕事を求める失業者も大喜びでヨーロッパを目指すだろう。
来たる者はこばまずってことにしたら、人気のある国は殺到する難民で埋め尽くされてしまい、自国民の就職もままならないということもありうるだろう。
ドイツの苦悩もよくわかるのだ。
同時に周辺国の中で、突出して豊かな日本の置かれたむずかしい状況もよくわかる。
問題は全地球的なもので、富める国と貧しい国があれば、当然のように民族大移動がおきる。
それじゃ貧しい国の政治がわるいのか。
わるいのだ。
といいたくなるのは、じっさいにそういう政治家をかかえた途上国が多すぎるからである。
しかし権力を握れば、それを自分の快楽のために使いたいというのは、人間の持って生まれた特質なので、やめなさいで終わる問題でもない。
それで国内においしい権力をめぐってその亡者どもが乱立し、混乱から逃れようとする難民が生じる。
居場所を失った彼らを責めるわけにはいかないし、そうかといって受け入れ国の迷惑もごもっとも。
不正な権力者を排除すればよさそうだけど、そうしようとして余計に混乱を招いているのが現在の国際情勢だ。
結局のところ、難民に対して目をつぶる、知らん顔をする、孤立主義を守るという日本のやり方が、いちばん望ましかったってことになりかねない。
ああ、もう考えるのもイヤだ。
わたしの頭もパニック状態で、ますますひきこもりに傾きそう。
ひきこもってしまえば、わたしひとりが平和で豊かで、快適な世界に安んじることになる。
どうしてわたしは荒ぶるシリアではなく、ノーテンキな日本に生まれたのだろう。
現在の世界情勢をながめれば、日本に生まれたということは、稀有の僥倖に思えてしまうではないか。
やはりこの世界ってのは、わたしの精神の忠実な具現化にすぎないんじゃないか。
時空を超えたこの世界の森羅万象のすべてが、わたしの脳ミソが作り出した幻想じゃないのか。
え、このブログを読んでいるあなたは、実体をもった、実在するほんもののあなたなのか。
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2015年9月 4日 (金)

昨夜、ネットニュースを見ていたら、1枚の写真が欧米に衝撃を与えたという記事。
船でヨーロッパに逃れようとしたシリア難民の子供が、船が沈没して、遺体がトルコの海岸に打ち上げられたというもの。
聞いただけでも悲惨だけど、良識をそなえた日本のマスコミは、こういう写真をゼッタイに掲載しないのだ。
いったいどんな写真なのかと、例によってその写真をネットで探してみた。
そして見つけたのがこの写真。
知らずに見れば、子供が波打ちぎわで遊んでいるようにも、知っていてながめても、静かで崇高ささえ感じる写真である。
欧米のマスコミでは、どうどうとこの写真を掲載したものもあるという。
そのインパクトは大きかった。
小さな遺体からは想像もできないくらい。
体がぶち切れた、脳ミソが飛び出したなんてことがめずらしくないこの世界で、わたしは悲惨な写真を野放図に紹介すべきだとは思わないけど、今日のこの写真は目をそむけるべきものではないと思う。

今朝の新聞によると、その後この子供の身元が判明したようで、ネットにはこの子の生前の写真も見つかる。
愛らしいその子の写真をながめて、無神論者のわたしは、神様ってのはどこにいるんだい、何をしていたんだいと叫んでしまう。
バカバカしい!
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2015年9月 3日 (木)

うちのトイレがウォシュレットになったことは、すこし前にこのブログに書いた。
でも肝心の機能をあまり使わない。
あれを使うとお尻がぐしょぐしょになるので。
どっちにしても最終的には紙も使うんだし。
でも、たまに使わないと水の噴出口が目づまりするかもしれない。
で、ひさしぶりに使おうとして、ビデボタンというものがあるのに気がついた。
なんのために使うのか、そのくらいは知っている。
でもボタンを見ているうちに好奇心がむらむら。
女の人のアソコの構造にあまり詳しくないけど、ビデの場合、水はどのへんを直撃するのか。
なんとなくお尻の穴より前方を狙いそうな気がする。
ということは、男ならタマタマを収納する袋のあたりを狙うのか。
水の勢いはお尻の場合より強いのか弱いのか。
あいかわらずくだらないことに興味を持ってるなといわれてしまいそう。
でもこれが好奇心というもので、人類の進歩と繁栄はこれによるところ大なのだ。
ビデボタンを押してみた。
結果は、特に報告するようなものではなかったねえ。
つまらない。
こんな記事のために、わざわざトイレまで写真を撮りにいったわたしがずいぶんアホに思えるけど、でもこれを読んで、オレもやってみようという人がきっといるに違いない。
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2015年9月 2日 (水)
五輪エンブレムのデザイナー氏も運がつきたようだ。
デザイナーといえばその道のブロであるはずなのに、他人の画像を勝手に使えば、著作権法違反であるってことを知らなかったのだろうか
ネット社会は他人の作品を参照するには便利だけど、パクリがばれるのも簡単だということに気がつかなくちゃ。
でも、わたしもネットで見つけた画像をしょっちゅうブログに転載している。
うーむである。
弁解とあわせて、最近の事情について説明しておこ。
最近はスマホの普及などで、ネットに写真や映像を載せる人がひじょうに多い。
中には自分が撮った作品を、できるだけたくさんの人に見てもらいたいと望む人もいて、そういう人は自分の作品が転載されると喜んじゃう。
ネットには他人のサイトの引用だけで成り立っているものも多く、ツィッターやフェイスブックには、こんなおもしろい写真を見つけたよと、わざわざ他人の写真を紹介しているものもたくさんある。
そんな時代なのだから、絵でも写真でもネットに載せたら、あるていどは他人に利用されることを覚悟しておくべきだ。
しかし決定的なことがひとつある。
商用目的、つまり金儲けのために他人の作品を使うのは厳禁ということだ。
そういう目的なら相手にきちんと説明して、分け前を払うべきなのである。
五輪エンブレムのデザイナー氏のような立場の人間の無断借用は許されることではないのだ。
その点わたしのブログは、世間にごまんとある泡沫ブログだからいいのである。
わたしのブログでは1円も儲からない。
かりに将来、わたしのブログがブレークして、コマーシャルがついて、お金ががばがば入ってきたらどうするか。
そんなことありそうもないけど、あったとして、そのときは、スイマセン、あなたさまの写真を使ったのは、まだブログが無名のころでしたと謝っちゃうしかないね。
わたしの撮った写真もどこかで借用されているかもしれないけど、じつはそれにはちゃんと対策がとってあるのだ。
わたしがブログに載せている写真は、サイズが縮小してあって、印刷してもせいぜい2L版くらいにしか使えない。
つまり最初からブログ専用の写真にしてあるわけで、これを全紙サイズに印刷しようと思ったら、わたしに連絡してオリジナル・ファイルを送ってもらうしかないのである。
ま、いまんところもこれからも、そういうキトクな人はあらわれそうにないから、杞憂というものなんだけど。
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2015年9月 1日 (火)
たまたまネットで2チャンネルの、嫌韓みたいなサイトをのぞく機会があった。
そこに国連の潘基文(パン・ギムン)さんが、日本は国連の敵だという発言をし、怒った日本政府が負担金の支払いを止めるなんて記事があった。
おどろいて今朝の新聞で確認してみたら、そんなことは1行も書いてない。
ウチの新聞だから意識して載せなかった可能生もなきにしもだけど、どうやらガセのひとつみたいだ。
ここんところ、中国の抗日パレードと、それに国連総長サンが参加するって問題をめぐって、おもしろくないと考える日本人が多いようだけど、ここはまあ、おとなの対応ってことで。
日本が怒ると喜ぶ人もいるみたいだし。
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