展望
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知り合いから喪中のハガキが来た。
考えてみると、わたしも母親が亡くなってまだ1年もたってない。
我が家も喪中の広報をすべきだろうけど、さてどうしよう。
調べてみたら、今年わたしのところに来た年賀状は17枚だけだった。
この中には車を整備に出しているトヨタ自動車や、以前泊まった旅館からの宣伝用年賀状もある。
ほうっておくと来年もまた来そうだけど、こういうところにもわざわざ喪中のお知らせをするべきだろうか。
だいたいわたしのところに年賀状をよこすような人間は、たいていこのブログを読んでいるんじゃないか。
だったらブログに、うちは喪中であると書いておけばすむことだ。
ずほらのきわみだけど、うちは喪中です。
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いまBSで小津安二郎の「東京物語」を観てる。
派手な娯楽映画で評価された黒澤明の映画に比べると、しみじみと胸にせまる、どっちかというと(どっちかといわなくても)地味な映画だ。
当時はまだ途上国とみられていた日本のこんな映画を、正当に評価した欧米の批評家たちの目利きに感心してしまう。
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プリンタがいかれそうだ。
調べてみたら6年前に他人から引き継いだものだったから、変化の激しいこの世界では、そろそろ買い替え時かもしれない。
最近あまり品物を買わないね。
パソコンと周辺機器は仕事のうえでも必要なものだから、壊れればすぐに新しいものを買うけど、むかしのように、本やレコード、カメラや音響機器のような趣味に金をつぎこむことはなくなった。
先日腕時計を買ったのは、スマホを買いにいったつもりが、話を聞いているうちイヤになって、たまたま同じ店にあった時計に化けてしまったもので、積極的に購入したとはいえない。
若いころは身のほどもわきまえず、欲しいものがあれば即ゲットしていた。
明日のおまんまより今日の趣味のほうが大事という具合で、結婚に縁がなかったのはこれが原因かもしれない。
結婚できなかったけど、趣味だけは充実していて、わたしの人生はそういう点ではまあまあ恵まれていたといっていいかも。
どうしてモノを買わなくなったかというと、変化の早いこの時代、最先端の品物でもアッという間にガラクタになり、これじゃいくらなんでも浪費のきわみということに気がついたこと、それ以上に、ただいま終活中で、部屋をすっきりさせたいからである。
本やレコードについては、最近のものはあまりにもわたしの世代の感性とはかけ離れてしまって、そもそも買ってまで読みたい、聴きたいとは思わない。
わたしにふさわしい時代遅れの書物や音楽は、ありがたいことに、たいていはネットで楽しむことができるから、無理して買う必要もないのである。
品物を買わなくなったくせに、あいかわらずピーピーしてるのはなんでだろう。
旅行につぎこむせいかしら。
まっとうな人間としての義務を放棄しているからといわれると、ひとこともないけどねえ。
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昨日、BSで溝口健二の 「雨月物語」 をやっていた。
歌舞伎や文楽の様式美をそのまま持ち込んだような映画で、まだ若者の (そのつもりの) わたしから観ると、かったるいことこのうえなし。
でもこの映画は、1953年のヴェネチア映画祭で銀獅子賞をもらっているのだ。
いったいどこが欧米人の琴線に触れたのか。
それを知るために、まず時空を飛び越えて、1953年という時代に立ち返ってみよう。
太平洋戦争でいちやく名をとどろかせたものの、国際的にもまだ日本という国の実態があまり知られてなかった時代に 、とつぜん日本的なものを前面に押し出した映画が現れたのだから、欧米人が喫驚したことは間違いない。
この当時、もうすでにウイリアム・ワイラーやジョン・ヒューストン、ロッセリーニなどの巨匠が、シリアスな文芸作品をいくつも発表していたから、「雨月物語」 の内容が特別にすばらしかったわけではなく、やはり映画のジャポニズムがあちらの人を惹きつけたのだろう。
もちろん最近の、アホで馬鹿でデタラメで、安っぽくてせせこましくてお気楽で、マンガみたいといったらマンガのほうから苦情がきそうな映画に比べたら、なんぼかマシだけど。
こういうゆったりした映画が絶滅して久しいと嘆いていたら、こういう映画を代表する女優の原節子さんが亡くなっていたそうだ。
彼女の場合も、いまどきの若者のわたしは、じつはあまり美人だと思わない。
わたしはどっちかというと、土屋アンナや滝川クリステルのほうが好きだ。
そもそもわたしは原節子という女優を、リアルタイムで観たというほど年寄りじゃない。
そう思って、でも心配だから、いちおう彼女の出演映画をなぞってみた。
するとリアルタイムで観た映画もいくつかあることがわかった。
たとえば 「ノンちゃん雲に乗る」、「日本誕生」 なんて映画である。
これはたしか文部省推薦映画ということで、学校で連れていってくれたものだったけど、両方とも原節子目当てで観たわけじゃないし、その当時は彼女の名前も知らなかったのだから、これをもって彼女を観たことにはならない。
原節子を意識したのはずっと後になって、場末の映画館で小津安二郎の 「東京物語」 を観てからである。
だいぶ時代がずれていたから、やはり美人とは思わなかったけど、映画がすばらしいことだけはわかった。
いろいろ思うところはあるけれど、こういう映画や女優を知ることができたというだけで、わたしは自分の人生に感謝する。
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新聞を読む。
オピニオン面を読む。
マケインさんという人がなんかまくしたてている。
よく聞く名前だけどだれだっけと、横に書いてある経歴を読んでみた。
共和党のもと大統領候補だった人だそうで、これだけでもういってることが想像できてしまった。
あいかわらず共和党は元気がいい。
世界はオレのもの、アメリカのものって感じ。
こんなのと付き合わされるほうも大変だ。
アメリカの常識に期待しよう。
ふだんはほどほどに付き合って、一朝有事のさいだけ頼りにすることにしよう。
ねえ、安倍クン。
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知り合いと吉祥寺のフクロウ・カフェに行ってみた。
猫カフェとかうさぎカフェとか、はては爬虫類カフェだとか、最近こういう店が多いけど、この店ではフクロウが呼びモノになっている。
頭でっかちで、まん丸い目で、もの静かな哲学者のようにみえるフクロウという鳥が、わたしはとても好きなので、行こうと誘ったのはわたしのほうだ。
行くまえは、ゆったりしたフロアで、お茶でも飲みながら、合い間にフクロウを間近に眺めたり、さわったりできるところだろうと思っていた。
残念ながら、まずゆったりしたフロアという点で落第。
街の小さなペットショップみたいなところで、なんとなくごちゃごちゃした雰囲気の店だった。
向こうも商売でやっているのだから、店舗にお金をかけられないのはわかるけど、動物にさわれるのが売りというだけで、カフェを名乗るにはちと無理な感じ。
フクロウは大小あわせて全部で7羽が、店内のガラスで仕切られた部屋の中にいた。
いちおうこまごまとした説明を受けたり、消毒をされたりしてから、その中へ入るようになっているんだけど、いろいろ規制がうるさくて、自由な精神が不足している国の住人になった気分だ。
わたしはフクロウ (にかぎらない、たいていの動物) が好きで、知識もそれなりあるつもりだけど、さわれる機会だけはめったにないから、これでも楽しくなかったといえばウソになる。
しかし正直にいうと、店に入って最初にいちべつしただけで、フクロウたちが幸福であるとはとても思えなかった。
まず、明るい部屋の中で、ヒモでつながれ、人工芝の上に置かれた彼らの風情が、なんとなくみじめったらしく見えた。
野生動物の習性にくわしい人なら、こんな状況がフクロウにとって健全であるとは思わないだろう。
猫カフェのネコたちはもともとペットなのだから、人間にさわられるのを迷惑がるとも思えないけど、フクロウは本来、昼間は木のほらの中なんかで寝ていて、そもそも人間と関わりをもちたがる動物ではない。
くすぐられて喜んでいるようなそぶりをみせるものもいたけど、わたしは言葉を発することができない彼らの言い分について考えてしまった。
店では鳥たちに対していろいろ気遣っているようなことをいうけど、どんなに弁解したって、フクロウを展示してさわらせるという行為は虐待にしか映らない。
はたして展示品のフクロウの平均寿命はどのくらいなのかと気になった。
しかしわたしはシーシェパードのような原理主義者ではないから、お金儲けをしなけれはならない人間の習性もやむを得ないと思うし、野生のフクロウはつねに生死の境界で生きていて、その平均寿命は展示品のフクロウよりも短いのだと自分を納得させるしかない。
去勢されたネコとこの店のフクロウと、どっちが悲惨な境遇かといわれたら、きっと答えに窮するだろう。
帰宅してフェイスブックで、この店に 「いいね!」 をしておいた。
その条件で料金を割引きしてもらったから約束を守ったんだけど、わたしの本心はここに書いたとおり。
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ウチの新聞が社説で韓国を非難しているぞ。
朴裕河さんという女性学者が、従軍慰安婦についてまじめな研究をして本を出したら、韓国の検察から訴えられたそうだけど、それっていくらなんでもおかしいでしょって。
これについてはネットでも様々に取りざたされているから、わたしはあらためて書かないけど、朝日新聞も変わりつつあるな。
いきすぎた偏向や捏造なんてものがなければ、わたしは左よりの発言も尊重してるんだよ。
一億総火の玉と、わたしの右傾化を止めるのは、朝日新聞、アンタしかない。
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よそ行き用にタンスの奥にしまっておいたズボンがムシに食われた。
怒り狂ってパラゾールをそこいら中にぶちまけたけど、こういうことは食われてからやっても遅い。
食われてからじゃ穴はふさがらない。
人生が暗くなって、マイナンバーの書類が届いたのに、目を通す気にもなれない。
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『菜花金黄染大地 月上東天日沈西』
これは蕪村の 「菜の花や月は東に日は西に」 という俳句を中国語に訳したものだそうだ。
さすが中国はスケールがでっかい。
わたしには自分が生まれそだった北関東の農村の、もっとこじんまりとした菜の花畑しか思い浮かばないけど、漢字の俳句のほうからは、まるで李白の詩のような雄大さを感じてしまう。
添付した写真は中国の菜の花畑 (これはネットで見つけたもの)。
わたしはじっさいに中国の青海省や陝西省で、広々とした菜の花畑を見たことがあるけど、残念ながら時期がすこし早すぎたので、はるかかなたまで一面の黄色というわけにはいかなかった。
思い出す。
若い娘をひとり連れた、まるでドン・キホーテとサンチョ・パンサみたいな旅。
あの日にかえりたい。
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秋深し。
わたしのアパートは樹木の多いところなので、部屋にいながらにして黄葉が見られるのはいいんだけど、木々の葉がスカスカになってきたので、パンツひとつでごろごろしていると、近所の家から丸見えになる。
今年もそういう季節になったか。
いったいわたしはあとどのくらい生きられるのか。
いや、わたしの場合はあとどのくらい生きるべきなのか。
どんな元気な人間でもいつか寝たきりになる。
家族のいないわたしには切実な問題だ。
そんなムズカシイことを考えて、ガスコンロの中のマグロの味噌漬けのことを忘れていた。
あわてて火を止めて、仕方がない、これから焼き過ぎの、もとは魚だったらしきものを食べるところ。
しろうとがまじめなことを考えるとロクないことが起きない。
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昨日はわたしの所属する団体の講習会だった。
人間が古くなると、初心を忘れることが多いから、ときどきこういう講習を受けて、こころを新たにしなければいけないのである。
でもまあ、つまらない講習会だったな。
話すほうも聞くほうも、とにかく自分の義務を果たすのに必死。
わたしは行列に並ぶのがキライだけど、歳とともに人間がますますわがままになってきて、つまらない話を長時間聞かされるのは苦行でしかない。
なんとか時計の針を進めるために、こっそり北朝鮮のことなんか考えていた。
あの国では親分が話をしているとき、居眠りをして機関銃で処刑された幹部がいたそうだけど、よっぽどつまらない話だったんだろうなあ。
つまらない話でも、わたしみたいにほかのことを考えているわけにはいかないから気のドクだ。
親分が話をしているとき、みんな内容をメモ帳にひかえている。
それを忘れたら大変だ。
ひとりだけメモしないと目立つから、おめえはなんでオレの話をメモしねんだと、親分から難くせをつけられる。
いえ、その、じつは、たまたまメモ帳が・・・・・
たまたまってのはなんだよ。
つ、つまり、さっきまで確かに持っていたんですが。
さっきまで持っていたのがなんでねえんだ。
で、ですから、その、あの・・・・・
ばかやろう、言いわけすんな、言いわけを。
だいたいてめえは気にくわねえ。
けっ、忠義づらしやがって。
ほんとはオレを馬鹿にしてんな。
そうか、そうか、てめえみたいな三下になめられるようじゃ、オレも落ちぶれたもんだ。
こうなったらもう何をいっても無駄。
弁解も説明もすべて口ごたえと解釈されて、運がよくて矯正のための収容所、親分のムシの居所が悪ければ(悪い場合が多いんだけど)、もうほとんど命はないと覚悟したほうがいい。
こないだなんか、親分推奨の発電所の稼働率が低いというんで、また幹部が粛清されたそうだ。
おい、なんだ、これっぽっちの数字ってのは。
申し訳ありません、燃料がとどこおっておりまして。
なんでとどこおってんだよ。
それがその、平壌のほうに優先的にまわされていますもんで・・・・・
オレがたくさん使ってるっていいてえのか。
いえ、その・・・・・
ばかやろう、なければないで、なんとかするのがてめえの仕事だろう。
は、はい、左様で。
左様で、左様でって、ちっともわかってねえじゃねえか。
申し訳ありません。
電気を起こすのがそんなにむずかしいことかよ。
でも、その、燃料が・・・・・
やかましい!
てめえみたいな役立たずは、ちっと鑑別所で勉強してこい。
と、こういうむちゃくちゃな親分をかかえた国で、どうして体制打倒の革命が起きないのか不思議。
これが中国、韓国の国民性なんだな。
そんなことを考えて退屈をまぎらしていたら、最後に、もと旅客機の客室乗務員というきれいなオンナの人が出てきた。
サービス業のいろはについてなんて話をしていたけど、相手がきれいというだけで、このときだけは北朝鮮のことを考えずにすんだ。
いやもう、ホント、今回のブログ記事と同じくらい、退屈でつまらない講習会だったんだよ。
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これもネットを閲覧して見つけた事件なんだけど、まだ日本の他のマスコミは報じてないようだ。
英国の地下鉄で、日本人の81歳のじいさんが、イスラム女性を走ってくる列車に突き飛ばしたという(映像あり)。
さいわい女性は列車の側面にぶつかっただけで軽傷ですんだらしいけど、恥知らずといわれても弁解できない。
ほかの時期ならともかく、ウラがとれれば、そのうち日本の新聞でも大きな記事になるも。
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フランスも踏んだり蹴ったり。
テロのあった同じ日に、フランスの高速鉄道TGVが脱線事故を起こしたそうだ。
この時期だから、てっきりこれもテロの一環じゃないかと思ったけど、そうじゃないみたい。
じつはこれは嫌韓サイトを閲覧していて、たまたま見つけた事件なんだけど、ウチの新聞はひとことも触れてない。
ぼんやりしていて、こんな事故があったことを知らずに生きている人もいるかもしれない。
新聞が触れてない理由は、たまたま試験走行のときに起こった脱線事故で、亡くなったのは客ではなく、技師さんたちだったせいか。
どっちにせよ、死者が10人というから、テロがなければ海外面のトップ記事になっていた可能性もある事件じゃないか。
事故の写真を見つけるために、グーグルで〝鉄道〟〝事故〟という言葉をキーワードにしてみたら、いや、あるわあるわ。
日本の新幹線が人身事故ゼロできていることが奇跡に思えるくらい、世界中で鉄道事故ってのは多いのねえ。
知らんぞ、中国に新幹線を作ってもらうことにしたインドネシア。
フランスにしたって、テロリストの攻撃目標になっている国と考えれば、こわくて新幹線なんか乗れないじゃん。
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スーチーさんが政権交代が確実な大勝利。
水を差すわけじゃないけど、これからが心配だ。
いや、軍部がまたひっくり返すことじゃなく、彼女の政治のこと。
スーチーさんのひきいるNLDが政権をにぎるとどうなっちゃうのか。
民主的で公平で、諸外国から資本を導入して、安定的な発展がのぞめる社会?
そんなうまくいくかしら。
これまで軍部と、それと結託した一部の人間だけが我が世の春を謳歌していた。
そういう権力構造に参加できなかった人間は、なんでもいいからと、反対勢力に加わって権力の交代をもくろむ。
最近は世界のどこでも、政権さえ変われば世の中はよくなると考えるヒトが多いから、公平な選挙をすれば、今回のように民意は圧倒的だ。
首尾よく政権奪取に成功した。
今度は自分たちが甘い汁を吸う番だ。
NLDの幹部の中にだって、そういうおもわくで運動をしていた輩がいないとはいえない。
スーチーさんの試練はこれからだ。
スーチーさんは、大統領なんかメじゃない、いちばんえらいのはワタシだといってるらしいけど、これはある意味正しい。
清廉な政治をするつもりさえあるなら、彼女は強権を発動して、独裁者になるべきである。
シンガポール建国の父リー・クアンユーさんは、文句をいわせない政治で、シンガポールをアジアの小さな大国に引き上げた。
途上国に必要なのは、クアンユーさんがやったような開発独裁という政治だ。
民主化に逆行するみたいだけど、まだミャンマーは成熟した国ではないから、みんなの意見を聞いていたら国がガタガタになる。
軍部をあるていど尊重して、彼らを手なづけ、スーチーさんが影の大統領として(将来は公認された大統領として)、ロシアのプーチンのような強引な政治をするのがいちばんいい。
問題は彼女にそれができるかどうかだ。
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また新聞を読む。
なにしろ毎日来るんだから仕方がない。
オピニオン面の下のほうで社会部の記者という人が、小渕優子もと経産相について、彼女が不明朗な会計処理の調査打ち切りを宣言したのがケシカランと書いている。
経産相を辞任するとき、説明責任を果たすと約束し、直後の衆院選挙で群馬の有権者は、それを信じて11万あまりの票を投じたのにという。
バカいってんじゃない。
何年記者をやってんだ。
群馬の有権者がそんな言葉を信じて投票すると思ってんのか。
わたしもあのへんの出身だから知っているけど、有権者が投票する根拠は、なんといっても義理と人情だ。
親の代から世話になったというしがらみと、おらが国からまた総理という偏屈な郷土意識に決まっている。
かてて加えてあの美貌。
これでは支持するなというほうが無理だ。
だいたい不明朗な会計処理だなんて、政治家がいちいち自分とこの収支報告にまで目を通していられるか。
安倍クンだってそんなものは担当の秘書にぜんぶおまかせに違いないし、政治家というものはほかにやらなけりゃいけないことがゴマンとある。
担当の秘書が余計な忠義を尽くしていたとしても、政治家本人にわかりっこないのである。
バレたら秘書が切腹して終わり。
これが群馬の、そして日本の政治の伝統だ。
この社会部の記者っていう人の顔っつらを見るとまだ若そう。
安易な正義感をふりまわすようじゃ、キミはまだ未熟だ。
もうちっと勉強してから記事を書くように。
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朝早くから新聞を読んでいる。
と書くと、あ、また朝日新聞をけなすんだなと、わたしのブログをいつも読んでいる人ならきっとそう思う。
そうではなくて、今回は投書欄の一般国民の意見について。
ここも本誌面と同じくらい、たてまえ論や、見識のせまい主張が氾濫しているところなので、あまりわたしは好感をもってないんだけどね。
今日の投書欄には、「電車で妊婦への冷たさを知る」という意見が先にあり、それについての反応が載っていた。
わたしは妊婦になったことがないから知らないけど、そういう立場の人からすると、乗り物の中の優先席というのはあまり役に立ってないらしい。
マタニティマークなんかつけるとかえっていじわるされる場合もあるそうだ。
でもわたしのよく乗るバスでは、ラッシュの時間帯に乗ることが少ないせいかもしれないけど、おじいさんおばあさんが乗ってくると、あわてて席を譲っているのをよく見かけるぞ。
もちろん若いくせにどうどうと座っているバカもいるが、中国や途上国に比べればマシなほうじゃないか。
ロシアも女性優先と聞いていたけど、ぜんぜんそんなことはなかったし。
ものごとは相対的に見ないとわからない場合が多いのだ。
家に帰宅するときは、たいてい駅から始発バスに乗るので、座れないことはあまりない。
しかもわたしはどんな場合でも、いちばん最後に埋まる最後尾に座ることにしているから、ますます座れないことはない。
じいさんばあさんが乗ってきても、最後部までやってくることはあまりないから、ここなら無用な気遣いをしなくてすむ。
ずるいといわれそう。
でもわたしだって、近くに年寄りや妊婦がいれば、席をゆずるにやぶさかじゃないぞ。
いつもそういうふうに若者の手本になることをこころがけているんだけど、先日は若い娘に、ドーゾと席をゆずられてしまった。
ショック。
え、わたしもそんな歳になったんかい。
そんな歳に見えるのかい。
くやしくって3日ぐらい悶々としたっけが。
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検索サイト 「グーグル」 のロゴはしょっちゅう変わっているけど、今回はヘディ・ラマーのアニメーションがあしらわれていた。
わたしはラマーを古いハリウッド女優、それもとびきりの美貌と、スキャンダラスな映画に出演したという経歴で知っていただけだった。
ところがグーグルのアニメは、女優と科学者が渾然とした作りになっていた。
科学者のラマーなんて想像もしたことがなかったら、ひょっとすると同姓同名の女性学者がべつにいるのではないかと疑問に思ったらくらい。
でもこれは、検索サイトのグーグル自体に説明がある。
ラマーは女優であると同時にすぐれた科学者でもあって(ひええ!)、周波数ホッピングなんとかいう発明で特許まで取っていて、しかもこの発明は携帯電話や無線LANにも応用される、現代でも十分に有益なものであるそうだ。
そんなことはひとことも書いてなかったぞ、川本三郎さんの 「忘れられた女神たち」 という本には。
今年は彼女の生誕101年であるそうだ。
またひとつ、いまさら知ってもあまり役に立たない知識が増えた。
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今日はわたしが所属する団体の健康診断の日。
今年から場所が変わって、家から近くなったのはいいんだけど、市役所のホールの1室だ。
そこへ大勢が押しかけるものだから、たとえば聴力の検査なんて、ただでさえ難聴のわたしには、やかましくてひとつも聞き取れなかった。
それでも検査技師さんとはちゃんと応答しているのだから、じゃこのへんにしときますかと、最低ランクでなんとか及第点。
ほかに、最近なんだかオシッコの匂いがきついような気がする。
ひょっとすると糖か蛋白でも出てるんじやないかと心配だったけど、その気配はぜんぜんないそうである。
あいかわらず憎まれっ子世にはばかるってやつだな。
いいトシこいて元気なのも、どんどん外国旅行をしなさいっていう天の配慮かもしれない。
こういうことには素直に応じないとバチが当たるな、きっと。
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CAR GRAPHIC(以後CG)の最新号を読んだ。
やっとフォルクスワーゲンの排ガス問題が取り上げられていた。
いっていることはしごくまともなことで、思ったとおり自分のところが、ワーゲンならびにドイツ車を徹底的に賛美していたことには触れてない。
きちんとテストしていれば、CGがワーゲンのスキャンダルを、世界で最初にあばくという栄誉を手にしていたかもしれないのに。
もっとも日本のCARジャーナリズムにそれを期待するのは無理だよな。
CGをひやかしても始まらない。
問題の本質を考えよう。
最近読んだネット上のサイトに、日本をきらいな国というスレッドが立っていた。
こういうことになると、戦後70年も経ってるのに、いまだにぶつぶついっているアノ国とアノ国がすぐに浮かぶけど、ドイツが3位に入っていたには驚いた。
ドイツと日本は戦後の歩みも似ているし、技術立国で、民主主義の先進国で、域内の重鎮であることも似ている。
アジアとヨーロッパというふうに住み分けもきちんとしていていて、人種もぜんぜん違うから、利害関係も近親憎悪もなく、お互いに相手を好きになることはあってもきらいになることはないと思っていた。
日本人でドイツがきらいという人はあまりいないだろう。
それなのに、なんでドイツは日本がきらいなのだ。
これについてランキングを引用した掲示板では、ドイツは戦争犯罪についてきちんと謝罪したのに日本はそうではないからとか、まえの大戦のとき日本がロシアとまともに戦わず、結果的にドイツの後方支援をしなかったせいだという意見もあった。
しかし大戦の悪夢を早く忘れたがっているドイツが、そんな過去にいつまでこだわっているとは思えない。
ここでまたフォルクスワーゲンのことになるんだけど、自分の国が世界一の技術先進国だと思っていた。
ところがアジアにひとつだけ、突き放しても突き放しても執拗にくいさがってくる、そればかりか、まごまごしてるとこちらを凌駕しかねない国がひとつだけある。
こういうときにイライラするのは人間も国家もいっしょ。
ついいらだちが高じて不正行為に手を染めた。
なんてことは考えられないだろうか。
ドイツが日本をきらいというのは、ワーゲンの問題ではなく、わたしにはもっと根の深い、いってみれば人種差別、白人優位主義が根本にあるような気さえしてしまう。
この問題で漁夫の利を得るのは日本の自動車メーカーだという説がある。
それはそうかもしれないけど、日本のメーカーがほくそ笑んでいるというのはどうだろう。
いまは何百万台のうちのほんの数十台の問題でも不良品のレッテルを貼られ、莫大な費用を計上するリコール、ヘタすりゃ聴問会にひっぱり出されかねない時代だ。
それも日本の車のように、売れている車が標的にされる可能性が高い。
エアバッグのタカタがいい例だし、かってはトヨタもひどい目にあった。
対岸の火事だなんてのんきにかまえちゃいられない。
日本のメーカーも、明日はわが身と戦々恐々としているのが本当のところじゃないか。
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朝早く新聞を読んでいる。
そしてぶつくさいっても、アクセス向上に寄与しないことはわかってるけど、脳細胞の活性化のためにまたなにか書いてしまう、もとい、書きたくなってしまう。
わたしがブウたれてるせいじゃないだろうけど、ここんところ朝日新聞もずいぶんまともな新聞になってきた。
今日のオピニオン面では、日本人と韓国人と米国人の3人が意見を寄せているけど、かってのようなネトウヨが騒ぎそうなものではなく、きわめて常識的な意見ばかりだ(わたしはネトウヨじゃないぞ)。
文句をいうならむしろ「ザ・コラム」を書いている編集委員さんのほうだけど、この人はどういうおもわくで記事を書いているだろう。
写真でみると理知的で、なかなか意思の強そうな人だけど、理知的ということはものごとを多面的に考えられる人のことである。
だとしたら、日本とドイツの、戦中戦後の立場の違いもわかりそうなものだし、さらにいうなら中国と韓国の特殊な国民性についてもわかりそうなものだ。
編集委員さんがそういうことを知らないとは思えない。
ただ、そうやって公平客観的なものの見方をしていたら、どっちつかずの意見ばかりになってしまい、いつまでも結論が出せず、 新聞の営業戦略にも影響が出るってことだろうか。
それなら納得しよう。
左翼系の発言をぜんぶ封じるほど、わたしは非寛容じゃない。
こんな常識的なことばかり書いていたんでは、アクセスが増えるはずないけどな。
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先日閉会したミラノ万博。
日本が金賞を受賞したっていうから、へえ、と感心していたら、韓国が銀賞、ロシアが銅賞だって。
ナニこれ。
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認知症じゃないと思うけど、昨日、用事があって所属する団体の支部に顔を出し、ついとカレンダーを見たら、今日の3日は祭日で休みになっていた。
ひとりでつつましく暮らしていると、時間の経過がわからず、そんなふうにアレっと思うことがたまにある。
困るんだよな。
唐突に休みといわれても、なにも予定してないから、遊びに行くアテもない。
仕方がないから部屋でぼんやり、ま、これはいつものことだけど。
テレビのニュースを観ていたら、70なん歳の夫婦が山で遭難だって。
元気なのはいいけど、死んじまっちゃあねえ。
スリ歴50年の68歳の女がまた逮捕だなんてニュースもあった。
90なん歳のおばあちゃんが、交通事故をやって、車で通行人をなぎ倒したとも。
元気な人はどこまでも元気なんだねえと、わたしはストレートに感心してしまう。
ブログに書くことはこのていどだ。
またアクセスが下がるな。
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朝早く新聞を読んでいる。
日中韓首脳会談が1面トップだ。
それはそうだろうけど、またウチの新聞がおかしなことを書きやしないかと、興味を持って読む。
むかしに比べれば、ウチの新聞の書き方は、まあまあおとなしい。
このくらい抑えた書き方だと、文句をつけたくてもつけられないで困っている右翼系の人もいるんじゃないか。
70年もむかしのことをぶつぶついってるのは、もはや中国、韓国(そして朝日新聞)だけ。
時代は変わって、日中韓のいずれも経済協力なしではやってられない時代なのだから、さっさとそれだけを話し合えばいいものを、クネちゃん(そして朝日新聞)はやっぱりなにかいいたそうである。
でもそれはいわない約束なのか、今回は彼女もぐっとガマンだ。
この点では、歴史認識なんぞはわきにおいて、未来志向で行きましょうという安倍クンのほうがすっきりしていてわかりやすい。
新聞ではわからないけど、昨夜のテレビを観ていると、3首脳が手をにぎりあう場面で、クネちゃんが国民の目を意識しているのがありあり。
ヘタに愛想をふりまくわけにはいかないし、さりとてしかめっ面をして会談をぶっ壊すわけにもいかない。
苦渋にみちた彼女の表情を読み取ってやらなくちゃ。
やっぱり彼女は、隠れ親日家なんだろうなあと思う。
政治家をやめたらただちに日本へ行って、ミラノ万博でもいちばん人気だった和食、つまり寿司やスキヤキをほうばるにちがいない。
世論を最優先で気にしなければいけない政治家の悲哀を、しみじみと感じてしまった今回の会談でありました。
ネトウヨにはわかんねえだろうなあ。
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