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2015年11月24日 (火)

フクロウ・カフェ

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知り合いと吉祥寺のフクロウ・カフェに行ってみた。
猫カフェとかうさぎカフェとか、はては爬虫類カフェだとか、最近こういう店が多いけど、この店ではフクロウが呼びモノになっている。
頭でっかちで、まん丸い目で、もの静かな哲学者のようにみえるフクロウという鳥が、わたしはとても好きなので、行こうと誘ったのはわたしのほうだ。

行くまえは、ゆったりしたフロアで、お茶でも飲みながら、合い間にフクロウを間近に眺めたり、さわったりできるところだろうと思っていた。
残念ながら、まずゆったりしたフロアという点で落第。
街の小さなペットショップみたいなところで、なんとなくごちゃごちゃした雰囲気の店だった。
向こうも商売でやっているのだから、店舗にお金をかけられないのはわかるけど、動物にさわれるのが売りというだけで、カフェを名乗るにはちと無理な感じ。

フクロウは大小あわせて全部で7羽が、店内のガラスで仕切られた部屋の中にいた。
いちおうこまごまとした説明を受けたり、消毒をされたりしてから、その中へ入るようになっているんだけど、いろいろ規制がうるさくて、自由な精神が不足している国の住人になった気分だ。
わたしはフクロウ (にかぎらない、たいていの動物) が好きで、知識もそれなりあるつもりだけど、さわれる機会だけはめったにないから、これでも楽しくなかったといえばウソになる。

しかし正直にいうと、店に入って最初にいちべつしただけで、フクロウたちが幸福であるとはとても思えなかった。
まず、明るい部屋の中で、ヒモでつながれ、人工芝の上に置かれた彼らの風情が、なんとなくみじめったらしく見えた。
野生動物の習性にくわしい人なら、こんな状況がフクロウにとって健全であるとは思わないだろう。
猫カフェのネコたちはもともとペットなのだから、人間にさわられるのを迷惑がるとも思えないけど、フクロウは本来、昼間は木のほらの中なんかで寝ていて、そもそも人間と関わりをもちたがる動物ではない。
くすぐられて喜んでいるようなそぶりをみせるものもいたけど、わたしは言葉を発することができない彼らの言い分について考えてしまった。

店では鳥たちに対していろいろ気遣っているようなことをいうけど、どんなに弁解したって、フクロウを展示してさわらせるという行為は虐待にしか映らない。
はたして展示品のフクロウの平均寿命はどのくらいなのかと気になった。
しかしわたしはシーシェパードのような原理主義者ではないから、お金儲けをしなけれはならない人間の習性もやむを得ないと思うし、野生のフクロウはつねに生死の境界で生きていて、その平均寿命は展示品のフクロウよりも短いのだと自分を納得させるしかない。
去勢されたネコとこの店のフクロウと、どっちが悲惨な境遇かといわれたら、きっと答えに窮するだろう。

帰宅してフェイスブックで、この店に 「いいね!」 をしておいた。
その条件で料金を割引きしてもらったから約束を守ったんだけど、わたしの本心はここに書いたとおり。

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