あのころの映画
昨日、BSで溝口健二の 「雨月物語」 をやっていた。
歌舞伎や文楽の様式美をそのまま持ち込んだような映画で、まだ若者の (そのつもりの) わたしから観ると、かったるいことこのうえなし。
でもこの映画は、1953年のヴェネチア映画祭で銀獅子賞をもらっているのだ。
いったいどこが欧米人の琴線に触れたのか。
それを知るために、まず時空を飛び越えて、1953年という時代に立ち返ってみよう。
太平洋戦争でいちやく名をとどろかせたものの、国際的にもまだ日本という国の実態があまり知られてなかった時代に 、とつぜん日本的なものを前面に押し出した映画が現れたのだから、欧米人が喫驚したことは間違いない。
この当時、もうすでにウイリアム・ワイラーやジョン・ヒューストン、ロッセリーニなどの巨匠が、シリアスな文芸作品をいくつも発表していたから、「雨月物語」 の内容が特別にすばらしかったわけではなく、やはり映画のジャポニズムがあちらの人を惹きつけたのだろう。
もちろん最近の、アホで馬鹿でデタラメで、安っぽくてせせこましくてお気楽で、マンガみたいといったらマンガのほうから苦情がきそうな映画に比べたら、なんぼかマシだけど。
こういうゆったりした映画が絶滅して久しいと嘆いていたら、こういう映画を代表する女優の原節子さんが亡くなっていたそうだ。
彼女の場合も、いまどきの若者のわたしは、じつはあまり美人だと思わない。
わたしはどっちかというと、土屋アンナや滝川クリステルのほうが好きだ。
そもそもわたしは原節子という女優を、リアルタイムで観たというほど年寄りじゃない。
そう思って、でも心配だから、いちおう彼女の出演映画をなぞってみた。
するとリアルタイムで観た映画もいくつかあることがわかった。
たとえば 「ノンちゃん雲に乗る」、「日本誕生」 なんて映画である。
これはたしか文部省推薦映画ということで、学校で連れていってくれたものだったけど、両方とも原節子目当てで観たわけじゃないし、その当時は彼女の名前も知らなかったのだから、これをもって彼女を観たことにはならない。
原節子を意識したのはずっと後になって、場末の映画館で小津安二郎の 「東京物語」 を観てからである。
だいぶ時代がずれていたから、やはり美人とは思わなかったけど、映画がすばらしいことだけはわかった。
いろいろ思うところはあるけれど、こういう映画や女優を知ることができたというだけで、わたしは自分の人生に感謝する。
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