« 展望 | トップページ | 翻訳システム »

2015年12月 1日 (火)

終活の方式

634

これは昨日の新聞だけど、それを読んでいたら、「いまからの終活」 という記事があった。
おお、これはいいと、熱心に読む。
わたしもそういう問題には敏感で、死後のことをいろいろ考えているのだ。

わたし個人的には、死んだあと、骨は (棒でつっついて粉末状にして) そのへんの川か山にぶん投げてもらえばいいと考えているのに、そうしてくれというと、親戚も知り合いもみんなイヤな顔をする。
本人がそうしてほしいといってるのだから、警察沙汰になるわけでもないだろうに、そしてこれがいちばん故人の希望をかなえることになるはずなのに、なぜかみんなイヤがる。
薄情なやつら。
このままではわたしも両親といっしょの、あの暗くてじめじめした墓石の下に押し込まれてしまいそうだ。

新聞記事によると、現在は葬儀のあり方もいろいろあって、わたしの希望にいちばん近いのは 「散骨」 というやり方らしい。
これだとそもそも墓地不要で、海に撒くなら5万円から50万円ぐらいで済むという。
葬式費用としてはいちばん安そう。
うん、これがいい、これにしようと、スーパーでバーゲン品でも買うような気分。

新聞のべつの面には 「納骨場はビジネスか」 という記事もあった。
食いっぱぐれがないといわれた坊さんも、わたしみたいに死後のことに関心のない人間が増えると大変である。
これからはビジネスの才覚が必要になる。
一軒家みたいな墓はあとあと管理が大変で、遺族も面倒を見切れなくなり、すると寺に管理費が入らないから、これはいかんと、最近はマンション形式の共同墓地も多いらしい。
都内には ICカードで骨壷を出し入れする、ホテルみたいな墓地もあるそうだ。
経営は宗教法人だというから、どうせ脱税の温床だろうと思っていたら、やはり税務署から税金払えと迫られているそうである。
こんなところに葬られて、やれ安心と思っていると、そのうち不渡りでも出して、お墓は本物のホテルかビジネス・マンション用に売っ払われかねない。
そうでなくても見知らぬ他人とごちゃまぜに葬られてなにが楽しいのかね。

わたしはやっぱり散骨だな。
散骨ではなにも残らないのが不満という人には、骨の一部を置物やペンダントに入れる方法もあるそうだけど、そこまでして自分の痕跡を残したいのかい。
添付したのはインドネシアのサソリを入れたキーホルダー。
つまりこうやって永久標本になりたいってわけか。

自分の人生をふりかえるとイヤ気がさす。
とにかくさっさと忘れられたい。
わたしのことをいつまでも記憶していたいというキトクな人がいたら、命日に酒でも飲んで騒げばいい。

|

« 展望 | トップページ | 翻訳システム »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 終活の方式:

« 展望 | トップページ | 翻訳システム »