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2016年1月

2016年1月31日 (日)

ターミネーター

先日、もう何度もTV放映されている「ターミネーター」がまた放映された。
なにをいまさらって感じだけど、第一作はもうだいぶ記憶が薄れているから、ヒマつぶしに観てみた。
荒唐無稽な娯楽映画なので、思想や哲学についてゴタクをいっても仕方がない。
でもこれを観て、ふと思ったことがある。

映画のストーリーは、未来社会から人間のかたちをした殺人マシーンが、時空を超えて現代にあらわれるというもので、この未来社会では、人間とコンピューターに支配された機械軍が争っているという設定らしい。
戦闘は機械軍のほうが優勢で、人間軍は一方的に押しまくられている。
このへんは優秀な火器を持ったスペイン人と、弓矢しか持たないインカ帝国軍の戦いのようである。
そして現代の多国籍軍と、イスラムの過激派の戦いのようでもある。

イスラムの過激派はピックアップトラックに重火器を積んで、あっちこっち移動しつつのゲリラ作戦。
多国籍軍のほうは無人機を飛ばして、遠くはなれた場所から暗視カメラで標的を狙い、ピンポイントのミサイル攻撃だ。
過激派を人間軍に変えれば、映画の中でも似たような光景があった。

J・キャメロンがこの映画を作ったのはもう30年以上も前だ。
未来の戦争については、こうなることは誰にでも予測できたけど、それにしても現実が空想を、いまちょうど凌駕しているようでオソロシイ。
コンピューターなんぞに縁のない無知な人々にとって、グローバル化を受け入れるのは、格差社会の底辺に固定されるようなものだ。
コンピューターを操る、あるいはそのしもべとなって操られる人間だけが幅をきかす。
そんな世界秩序におとなしく従えというのか。
「ターミネーター」の世界では、人間は無慈悲なコンピューターと絶望的な戦いを続けているのである。

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2016年1月30日 (土)

マイナス金利政策

なにがニガ手かといって、経済の問題くらい不得意なものはない。
朝夕の新聞をとっているくせに、ぜんぜん読んだことのないのが株式欄だ。
そのぶん新聞代を割り引いてほしいと思うくらいだ。
そういうわたしだから、日銀がマイナス金利政策なんていっても、なにも書くことがない。
これがいいことなのか悪いことなのか、さっぱりわからない。
でもウチの新聞は明瞭だ。
政府や役所がやることは、結果が出るまえからもう全部イケナイをつらぬいているのだ。

でもねえ。
なにひとつ対案を出さずに、冷やかしやいちゃもんをつけるだけってのはどうなのか。
マイナス金利政策について、わたしには是非の判断ができないけど、それでも日本の政治家や役人が、この世界同時の経済不安に対して、なんとかしようと頭をひねっていることぐらいはわかる。
ほかに打つべき手がないんだろうということもわかる。
こういうときに、冷やかしやいちゃもんだけというのは、程度の低い人間がよくやることだ。
いくらリベラルのつもりか知らんけど、こんな書き方を続けていると、ホント、赤旗みたいに世間の不満分子をすくい上げるだけの新聞になってしまう。
世間に不満分子はいることはいるけど、平和な時代においてはつねにほんの少数派だから、支持者(この場合は読者)がかぎられるということになってしまわないか。

と、ウチの新聞の将来を案じているんだけど、わたしみたいないじけた人間がいっても仕方がないね。
やはり温泉計画でもひねってるほうがいいかしらと、話はつねにそこへもどるのだ。

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2016年1月29日 (金)

行幸

今朝の新聞にはびっくりした。
中国あたりから、100万円で辞めるのかと驚嘆されている甘利クンが、またアメリカにテロリストが突っ込んだようなでっかい扱いだ。
1、2、3、7面、そして社会面を見開き使ってまで。
あらためて、甘利クンてそんなにエライ人だったのねと感心しちゃう。

それよりもぐっと地味な扱いの天皇陛下のフィリピン行幸。
行幸というとこっちがずいぶんエラそうに聞こえるので、この言葉を使うのにいささかためらいがあるけど、フィリピンの人にはどうせ意味はわからないから、ま、いいんでないの。

“行幸” 以外に “御幸” という言葉もある。
「平家物語」を読んでいたら、あちこちにこの言葉が出てきて、いずれも高貴な方の外出をいうらしく、しかもギョウコウとゴコウ(どちらもミユキとも読める)と、読み方も似ているので、どこが違うんだいと混乱したことがある。
でもこれは本を何度も読んでいるうち自然にわかった。
行幸は現職の天皇の、御幸は引退した天皇や、その他の高貴な人たちの外出をいう言葉だ。

さらにさらに、天皇についても、ただ引退しただけなら “上皇”、出家した場合は “法王” ということがわかった。
そういうわけで、引退して出家したくせにオンナ癖のわるさが止まない後白河法王が、大原に建礼門院を訪ねた巻は「大原御幸」と呼ばれる。
揶揄するみたいな書き方をしたけど、これは「平家物語」のフィナーレを飾る、白眉といっていい名文だ。
この文章を読んだときには、日本に生まれたことをしみじみと感謝した。

天皇がフィリピンで歓迎されているというニュースを読むと、いまだにケンカごしの韓国の異常さをつくづく感じてしまう。
韓国のいう戦争被害はフィリピンにも当てはまるはずなのに、その後の行き方はぜんぜん違う。
いったいどちらが日本と相手国の友好親善に寄与しているだろう。

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2016年1月28日 (木)

肩すかし

甘利さーん、やめないでーってのは民主党。
相手の尻尾をつかんで、さあ、これから政治家の不正をあばくぞって意気込んでいたら、すなおに認めて大臣辞めますっていわれたんじゃ、肩すかしをくらったようなもの。
それどころか、自分たちがいかに敵失に乗じるだけの旧態依然な政治をしているか、自民党のほうが責任ある政治をしているかをきわだたせたようなものじゃないか。
自民党がおごりたかぶって金権体質にもどるにはまだ時間がかかる。
ま、地道にやりなせえ。

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新手のメッセージ

「民主党は嫌いだけど、民主主義は守りたい」
「そういうあなたに… 野党として止める役割をやらせてください」
民主党の新しいポスターが新手のメッセージ発信だそうだ。
相手のウラをかく自虐的メッセージだけど、これって、2015年の1月11日にこのブログで書いた
「民主党が政権を取ってもなにも変わりません」
「でも政権というものは定期的に交代すべきです」
「それが馴れ合いや金権体質と無縁な政治を続けるコツです」
「ですから今回は民主党の番ということにして下さい」
というメッセージに似ているな。
ようやく現実がわたしの発言に近づいてきたってことか。

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2016年1月27日 (水)

また中国より

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運転免許をとるといっていた中国の知り合い。
試験に落っこちて、その後どうなったかと思っていたら、またメールが来た。
一度や二度でへこたれてたまるかと意気軒昂。
このたびは試験場の写真を添付してきた。
ね、見て、中国の試験場はこんなにひどいのよってわけで、凸凹の試験コースの写真である。

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政府没有修理 考试场地的意思
政府は試験場を修理する気がない。
大约有30多个考生 或者40多个 没有一个人能够顺利过关
だいたい30人から40人が受験して、ひとりも関門を通過できない。
所以1号车道是死亡车道
だから (わたしの受験する)1号コースは殺人コースと呼ばれている。

けっして自分の技量がおとるせいだと書かないのは中国人らしいけど、この調子じゃ彼女が中国でわたしを案内してくれるのはいつになるやら。

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2016年1月26日 (火)

頓挫

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現在の日本という国は、わたしみたいな自由気ままを愛する旅行者にますます冷たくなっている。

じつはこの冬は、タイに、あるいは中国に行ってみようと、その準備をしていたんだけど、諸般の事情によりそうもいかなくなった。
このこと自体は冒頭の “冷たくなった” には関係がない。
問題はこのつぎの段階で、なにも海外でなくても、日本国内でも行ってみたいところはたくさんある。
それで考えたのが小笠原諸島。
日本では西表島に匹敵する、貴重な動植物の宝庫である。
自称ナチュラリストにとってはぜひ行ってみたい島なのだ。
じつはわたしは20年以上まえに2度ほど行ったことがあり、これは自分の青春を回顧するセンチメンタルな旅になるんじゃないかとも思う。

それでいろいろ調べてみた。
なにしろ交通手段が連絡船しかない島なのだ。
連絡船はおがさわら丸で、これは乗客定員が1000名あまりの船だそうだ。
船会社に電話してみたら、2月のしょっぱなはシーズンオフであるし、2等船室はガラガラらしい。
それなら宿屋もガラガラだろうと考えるのは当然のなりゆきだ。
ここまでのわたしの思考になにか問題があるだろうか。

そう思って余裕で1週間まえに予約をしてみたら、あにはからんや、5軒の宿屋に電話して、ぜんぶ満員ですと断られた。
こうなるとわたしのもの言いのどこかに、宿屋が敬遠したくなる要素でもあったかと勘ぐりたくなる。
しかし中には親切に、観光案内所に聞いてみたらとアドバイスしてくれる宿屋もあったくらいだから、そんなことはなさそう。

つまり、不景気だのなんだのといわれている日本には、現在でもいたるところに旅行者があふれているということだ。
そして早い時期の予約をしないかぎり、宿屋はすぐにいっぱいになるのである。
わたしみたいに、気のむくまま、足の向くままという旅人には、ひじょうに不便な時代になっているのだ。
なんか最近は世間の風が冷たいよな、としみじみ思うこのごろ。

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2016年1月25日 (月)

ウチの新聞

おー、さすがは朝日新聞。
翁長さんが支援した候補が敗れると、これが民意だとは書かないな。
政府が支援したからイケナイと、そんなことは今回の選挙にかぎった話じゃないでしょ。
でも一億総火の玉、翼賛国家になっちゃっても困るんで、ウチの新聞には無理を押し通してもらわないと。

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悔悟と懺悔

昨日はわたしの所属する団体の新年会。
招待客のほうが多いんじゃないかという大人数に、義理儀礼が氾濫した、およそおもしろくもなんともない集まり。
そんなものに出席したのは、家にいたってやることもないという消極的な理由だったんだけどね。

終わったあとは、境遇の似た人間と連れだって、ああ、三次会まで行っちゃって、酔いのさめた今朝は、懺悔と自己嫌悪で胸がいっぱい。
わたしの人生の後半は、なんだかヤケに幸運につきまとわれているなんて考えていたけど、それも錯覚だったかもしれない。
街をぶらつけば、はなやいだ若い娘がいっぱいだ。
でもそれって全部手のとどかない高嶺の花。
わたし、まだ元気だけど、高嶺の花。
こころの中に風が吹く。
奇妙な生きものがうごめく辺境の惑星に、たったひとりで置いてけぼりにされたみたい。

わたしの歳で人生がむなしくない人間はいないはずなのに、まわりを見ればノーテンキで、平和に世間を押しわたっている人ばかりだ。
おめでたい奴らめ。
おめでたくないわたしが、ひとりカヤの外だなんて。
くそ、死んでやる!
いえ、貯金を全部使い切ってから。

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2016年1月23日 (土)

アノネ

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トリップアドバイザーといえば、世界的にも知られた旅行サイト。
会員になったおぼえはないんだけど、ここでなにか調べものをしたら、それからしょっちゅうツアーや口コミを書けという案内がくる。
先日は 「人気ホテル/トップ25」 というお知らせだ。
好奇心でのぞいてみたら、「リッツカールトン京都」 というのがナンバーワンになっていた。
好奇心で宿泊費を調べてみたら、一泊が7万6千円 (平日) だそうだ。
ナンバーツー以下も、フォーシーズンズやマンダリン、コンラッド、ハィアットなど、お呼びじゃないホテルが目白押しだ。

アノネ。
人の趣味をスパイするのはかまいませんけど、わたしはホテルのサービスより、その地域への知的好奇心を優先させるタイプなんで、もうちっと的確な情報をお願いシマス。
いいえ、けっして貧乏を売りモノにするわけじゃありませんヨ。

画像はリッツカールトンの京都出張所。

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2016年1月22日 (金)

雪山

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やまとは国のまほろばとうたったのは、西征、東征に疲れて死んだヤマトタケルノミコト。
古事記の世界の人たちが、土偶じゃなく、ちゃんとこころを持った人間であることがわかる。
この季節になるとわたしも似たような心境。
危険を伴うような冬山登山をしたわけじゃないけれど、雪山の思い出は、そのかけがえのない美しさでまほろばのようにわたしの胸にせまる。

でも、もう無理だよな。
アイゼンもスパッツも散逸したし、足はなえてきちゃったし、四輪駆動車も持ってないもんね。
先日の雪で、奥多摩の山もまっ白。
こうなりゃ魂魄に頼ってひとっ飛びするか。

写真は2000年2月の八ヶ岳・黒百合ヒュッテあたり。

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2016年1月21日 (木)

またナマコ

ナマコの刺身でイッパイやっている。
なぜかナマコを見ているとさまざまな思いが。

スライスされて薄い断片になっちゃったナマコだけど、もともとはキュウリみたいにどろーんとした生きものだったはずだ。
泥の上をもぞもぞと動きまわっていた無害な存在。
こんなやつにも親や子供がいただろう。
それがある日、とつぜん人間に拉致され、機械で切り刻まれて、わたしの家のテーブルに乗っている。
まもなく彼はわたしのお腹に消える運命だ。

うーんと、べつに食欲がなくなったわけでも、悲劇を感じたわけでもないけれど、なにか哲学的なものを感じてしまう。
そういえば以前、ナマコって栄養があるんだろうかなんて考えたこともある。
マグロの刺身からはけっしてそんなことはないのに、どうしてナマコを見ているとしみじみ考えてしまうのだろう。

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2016年1月20日 (水)

今日の富士山

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富士山の写真。
べつに素晴らしいというつもりで載せたわけじゃない。
こんなもの、今日の午後4時ごろ、富士の見えるアパートに住んでいれば、だれにでも撮れた。
わたしの部屋からは、夏には富士山に登る登山者たちの灯りの列まで見えるのだ。

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とろろ汁

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雨や雪が降ると、ただでさえ引きこもりぎみのわたしは、ますます家に閉じこもりがちだ。
閉じこもってパソコンばかりじゃ、そのへんのオタクや変態と変わらない。
そんなわけで、昨日はヒマつぶしに家でとろろ汁を作った。

わたしはとろろが好きで、よく作るけど、たいていはヤマイモを大根おろしですりおろすだけ、せいぜいマグロのぶつ切りを混ぜ込んだり、タマゴを落とすくらいだから、これでは料理の範疇に入らない。
昨夜はひさしぶりに本格的なとろろ汁。
この日のために仕入れたエビとホタテで出し汁を取り、ヤマイモをすり鉢に入れ、山椒のすりこぎで念入りにすって作ったのだ。

でもわざわざエビやホタテを仕入れてくる必要はない。
むかしヤマイモを手土産に知り合いの家を訪問したら、彼女は冷蔵庫の中からカレイの縁側を見つけ出して、それで出しを取っていたから、出し汁の材料はなんでもいいのだ。
冷蔵庫に残っている賞味期限切れの肉や魚介類、シイタケ、コンブの有効活用になるかも。

このていどでも手間ひまがかかっている分だけ、美味しさも倍増である。
魯山人のいいぐさみたいだけど、ああ、自分で作った美味しいものを食べる幸せ、生きててよかったと思うのはこういうときだ。
料理というには、やっぱりおこがましいでしょうか。

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2016年1月19日 (火)

疲れた

なんかブログネタはないかと、また朝っぱらから新聞を読んでいる。
わたしみたいなおじさんが口を出す話じゃないけど、なんとかいうアイドル・グループのカワイ子ちゃんが、恋愛をしたらプロダクションから訴えられたそうだ。
裁判所では、恋愛は幸福を追求する個人の権利だということで、これを却下したらしい。

どうでもいいような問題だな。
いまどきの若い娘に恋愛禁止を強制するプロダクションがわるいや。
いや、プロダクションはグループに大金をつぎこんでいるのだから、こちらの指示どおりにしてくれないと困るというだろう。
それじゃいちばんわるいのは、いまどきの若い娘に清廉さなんかを期待するファンということになるか。
SMAPが別れるのくっついたのって、ああ、おじさんにはどうでもいい問題ばかりだ。

ウチの新聞に突っ込みどころもあったけど、もう疲れた。

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2016年1月18日 (月)

悲哀

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そろそろ明るくなったころ、ロシア装備で雪景色の写真を撮りに出かけてみた。
あいにく雪が雨に変わっちゃって、這々の体で帰宅した。
世の中にはわたしみたいな極道もんとちがって、雪が降っても仕事に出かけなければならない人もいる。
仕方がないから、そういう人たちの写真でお茶をにごす。

じつは今日は、わたしもそういう人たちといっしょで、やむを得ない事情があって通勤時間帯に出かけてきたんだよね。
わたしは午前中は寝ていることが多いから、ひさしぶりのラッシュ体験だ。

ひさしぶりだけど、まあ、間のわるい日だったよなあ。
まず、いつも利用している武蔵境行きのバスがすし詰めで、早々に乗るのをあきらめた。
すこし遠めの三鷹駅に行くべつの路線バスを利用したんだけど、これもいつもの倍はかかったようだ。
三鷹からまたバスに乗り換えたけど、これは都心とは反対方向へ向かうバスだから、混雑は悲惨というほどじゃない。

用事をすませて、また路線バスで、今度はストレートに武蔵境にもどった。
駅のまわりに長い行列ができていて、これはJRに乗ろうという人たちらしかった。
正確無比ということで外国にも名を響かせている日本のJRだけど、欠点は天変地異にヨワイこと。
雪が降ろうが、鉄道が止まろうが、なにがなんでも出社しなければいけない日本のサラリーマンの悲哀を、つくづくと感じた今日のワタシでありました。

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雪の朝

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天気予報があたって、朝早く新聞を取りにいったら、街灯の光の中を雪がしんしんと。
こういう日はふだんなかなか撮れない写真が撮れそう。
明るくなったらロシア装備で出かけてみるか。

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2016年1月17日 (日)

不安

寒い夜にひとりで部屋でイッパイやっていると、沖縄に移住した知り合いが気になる。
いまごろいったいなにをしてるのやら。
やはり部屋でひとりで呑んでいるんだろうか。

彼が移住したのはわたしのずけずけいう性格が原因かと思ったけど、親類知人からも縁を切って、世捨て人のように飛び出したというから、はたからうかがい知れぬもっと複雑な事情があったようだ。
ただ幸運なことに、そうしたことが可能なくらい、彼は資産的には恵まれた人間だった。
わたしも沖縄に永住したいけど、先立つものがないのである。

彼は一見陽気な人間だったけど、わたしの見たところでは、それに反する屈折した性格をかかえていた。
人間はおもしろいと同時に悲しい生きものだ。
相手の弱みをずけずけ突くくせに、一方でわたしは悲しい部分につくづく同情する。
わたし自身も二面性をもった悲しい生きものなのである。

屈折してるほうじゃ負けてないけど、旅行したり、写真を撮ったり、ブログやフェイスブックでそれを公開したり、ひとりでいてもわたしはヒマつぶしに苦労しない。
しかも人間ギライのくせに、月にいちどくらい呑む相手にも不自由はしない。
かってはこの知り合いもそうした呑み仲間のひとりだったのである。

沖縄に永住した彼の趣味は写真だった。
それならやるべきことはいっぱいあるはずだ。
東京に住んでいるわたしたちからすれば、沖縄の生活そのものがめずらしいものなのだから、沖縄の風俗や生きものの生態を記録することは、貴重な仕事になる可能性だってある。
やりがいのある人生を求めるには、彼のほうがわたしより、よほど有利な位置にいるのである。

それなのに彼がなにか活動をしているという話がまったく伝わってこない。
いったい何をしているのだろう。
どうして日記のようなものをつけて、それをブログやフェイスブックで発表してくれないのだろう。
わたしと同じように、自由できままな独居生活に安堵感のようなものを感じて、それにどっぷりと埋没してしまったのだろうか。
孤独に苦しんでいないだろうか。
いまのわたしは、グラスを置いて、不安が的中してないことを祈るばかりだ。

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2016年1月16日 (土)

また中国より

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中国の知り合いのその後。
運転免許の試験に落っこちたそうだ。
実地試験でコースからはみだしたのがまずかったという。
寒い日なのに緊張して汗をかいたとも。

だいぶがっかりしているみたいだから、日本のおばさんもいちどで受かるのはむずかしいよとなぐさめてやった。
彼女と最後に会ったのはもう11年まえだから、彼女ももうおばさんで間違いがないだろう。

いまの中国では受験者の数が多いので、  いちど落ちるとだいぶ先までつぎの試験を受けられないらしい。
よっぽどくやしかったとみえて、先日は山の上から路上の試験コースを偵察に行ってきたという。
自分の技量は棚に上げて、どうもコースが凸凹なのがいけないという。
彼女の名前は、いちおう通称でミンミンと呼んでいたけど、本名の頭文字は英語で書くとBである。
Bだとアルファベット順で、どうしても第1コースで試験を受けさせられる。
第1コースだと凸凹がいちばん多いのです。
だから偵察に行った日の受験者もみんな落ちてましたという。
ごていねいに道路の段差の写真まで送ってきた (添付写真)。

負けおしみの強いやつだ。
わたしの想像では、試験がむずかしいのは、技量不足とおばさんの緊張という以外にも、排ガス問題に悩む中国政府のさしがねがあるんじゃないかと思っているんだけど。

例によって翻訳サイトに全面的に頼って翻訳しているので、解釈に間違いがあるかもしれない。
以下はメールの一部。
考试场地的凹槽 比这个图片上的凹槽多 横七竖八的
在倒车入库 和 侧方位停车 处有很多上上下下的凹槽

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2016年1月15日 (金)

墓参

母親の一周忌に帰省して墓参りに行ってきたことはもう書いた。
神さまやあの世を信じてないバチ当たりのわたしが、なんで墓参りなんて殊勝な気持ちになったのか。
そのへんが矛盾してるけど、世間から情け知らずと思われたくないし、会えるものならもういちど母親に会いたいという気持ちもある。
それで今回だけは人並みなことをしておこうと、どっちにしたってそんなにいつまで墓参りを続けられるトシじゃないのだから、むなしいことは百も承知で、自分をなぐさめるために行ったようなものだ。

形式的に花を捧げ、墓石のまえに立ってぼんやりと考える。
この墓石の下の暗闇の中に、骨壷に入った白い骨が収まっており、それがわたし、つまり身長が1メートル70センチほどのわたしの肉体を、この世におくり出したおおもとなのだ。
その骨にしみこんだ劣等感は、たぶんわたしの骨にも受け継がれている。
わたしの人生を考えると、余計なことをしてくれた、生まれなければこんなに悩むこともなかったのにと、恨みがましく思ってしまうこともある。
でもそれは母親の責任じゃない。

どうも申し訳ありませんでした、許して下さいと腹の中でつぶやく。
すでに存在の失われたことを確信しているくせに、わたしはいったい誰に向かって謝ったのだろう。

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2016年1月14日 (木)

帰りたくない

母親の一周忌で田舎に帰省してきた。
ついでに2軒の親戚に寄ってきたんだけど、わたしの郷里は保守的な考えが強いところで、そんなところへ変人ぶりが知れ渡っているわたしが乗り込んだのだから、ひじょうに肩身のせまい思いをした。
ことわっておくけど、親戚に罪はない。
これはわたしの田舎にかぎらず、世間一般の風潮かもしれないのである。

まず思ったのは、財産の有無や社会的地位がどれほど大切かということ。
個人の生き方や考えより、大事なのはどれだけ世間から評価されているかということだ。
あそこのうちじゃせがれが部長になったとか、でかい家を建てたとか、そんな話ばかり出る。
職業にもヒエラルキーがあるようで、単純労働者より政治家や社長や教師などのほうが尊ばれる。
単純労働者のわたしは、はあはあと絶望的な気分で話を聞くしかない。

ここで、人間はお金じゃないでしょ、いかに自分に満足して生きるかが大切でしょなんてわめいても勝ち目はない。
なにしろ相手は一国一城のあるじで、家族を養い、娘を嫁にやり、息子の家まで新築し、ネコまで飼っているのだ(1軒は農家で広い土地を、もう1軒はベンツを所有)。
風来坊のわたしが、ブログで世情について嘆いたり、国際情勢を論じてみたり、いろいろエラそうなことをほざいても、こちらは家も家族もない貧乏人だし、おまけに極度の怠け者ではあるし、これじゃあ負け惜しみにしかならない。

ああ、いやだ。
わたし個人的にはいまの境遇に満足してますけど、田舎には帰りたくないわー。

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2016年1月12日 (火)

これからは

困ってる。
どっちかというと書斎派のわたしは、机にむかってしこしこと何かやっているのが好きで、いちじホームページ(HP)を作るのに熱心だったことがある。
「ホームページビルダー」だけでは飽きたらず、「フォトショップ」で画像の加工はむろんのこと、「ムービーメーカー」で動画を作ったり、「FLASH」で簡単なアニメを作って載せたり、けっこう凝ったことをしたものだ。
出来栄えはプロが作ったものほどスマートじゃないけど、凝ること自体が目的だから、これは楽しかった。

しかしその当時使っていたソフトはもうかなり古くなったので、最新のパソコンの間尺には合わない。
だからといって、何万円もするソフトをいちいち買い換えてもいられない。
さらに問題は、現在はスマホやタブレットでHPを見る人が増えたということだ。
苦労してムービーメーカーやFLASHを駆使しても、そうやって作ったHPは、スマホ、タブレットでは見られない場合が多いのである。
どうしたらいいだろう。

この場合、方法はふたつある。
ひとつはむずかしいソフトなど使わずに、HPを、たとえばホームページビルダーだけで作ること。
これだとかんたんな代わり、誰でも作れるようなつまらないHPしか作れないから、制作の楽しみが失われてしまう。
もうひとつは、スマホやタブレットを無視して、ちゃんとしたパソコンで見る人だけを対象としたHPを作ること。
これならいくらでも凝ったHPが作れるけど、前述したとおり、スマホ、タブレットでは見られない。

さて、どうしようかという前に、最近ではここにもうひとつの大きな問題が立ちふさがった。
ようするに、わたしもトシをとって、パソコンで細かい作業が不可能になりつつあるということだ。
困ったけど、おかげで悩む必要はなくなった。
ややこしい仕事はしない、つまりこれはパソコンから解放されるということでもある。
これまでのわたしはパソコンに対して、あまりに挑戦的でありすぎた。
これからはのんびり、それを楽しみのためにだけ使うことにしようと思う。

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2016年1月11日 (月)

よみうりランド

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「よみうりランド」 でイルミネーションをしているというので出かけてみた。
イルミネーションはほかでもやってるし、巨人ファンでもないわたしが、なぜよみうりランドなのか。
先日の高尾山といっしょで、わたしの家からだと、散歩の延長ていどの気楽さで出かけられるというのがその理由。

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年末になるとあちこちでイルミネーションが灯る。
混雑のキライなわたしだけど、そういうのが好きな知り合いに引っ張られて、六本木や汐留や恵比寿、また立川の昭和公園など、都内の有名なイルミネーションを観に行ったことはある。
よみうりランドのそれは、スケールとしてはこれまでに観たもののうち最大といっていいイルミネーションだった。
なにしろ敷地が広いところへもってきて、飾り付けられた発光ダイオード (LED) の数は400万個だそうだ。
400万個といってもどのくらいの明るさなのか想像しにくいだろうけど、ふもとからゴンドラで近づき、上空からながめると、まるで壮大なおとぎの国に接近するみたい。

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でも褒めるのはそのていど。
よみうりランドは遊園地だからさまざまな乗り物がある。
絶叫マシンやバンジージャンプなんて、若者がよろこぶ遊戯施設がたくさんあるんだけど、わたしみたいにだいぶ平衡感覚の衰えている人間がそんなものに乗ったら、めまいや嘔吐が関の山。
だからただぶらぶらして、きれいなイルミネーションを観賞し、あとは足の運動をしてきただけ。
情けないけど、いまのわたしにはスリルを味わうより、足の運動のほうが大切だ。
この日に歩いた歩数は1万と2千歩くらい。
帰宅したあと、血圧を測るのが楽しみだ。

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2016年1月10日 (日)

今日の新聞

今朝のウチの新聞ではまた御用達の杉田、長谷部両大学教授がなんかゴタクを述べている。
なにを言ってるのかよくわからないし、知るのもメンドくさい。
戦争のような緊急事態になれば、もう憲法も法律も関係ないでしょ。
ごたごたいってるより先に手が出る足が出るに決まっている。
そう考えるわたしには、この二人の意見はたてまえ論か、机上の論理にしか聞こえないんだけど。

それより今朝の新聞で気になったのは、「政治断簡」というコラムを書いてる編集委員さんの記事。
なんかわびしい書きようだから、またひとり朝日の記者が定年まえ退職に追い込まれたのかと思ったら、そうじゃないらしい。
まだクビはつながっているようだけど、この人はバツイチで独身、子供もいないというから、わたしと共通点がありそうだ。
いるんだねえ、朝日新聞内部にもこういう人が。

記事の中で彼はいう。
わたしは長く政治部担当の記者を務めてきた。
おかげで一般庶民の生活とかけ離れた位置から、世界をながめていたのではないだろうか。
自分のような生活実感を欠くおじさんが、この社会にはたくさんいるんじゃないか。
そういう人間(ここでは政治家を対象に含めている)が大きな顔をして、国民生活をどうのこうのといっていていいものか。
だからもう永田町のことは書かない、という決意の表明らしいけど、彼がなにを書くつもりなのかわからないまま、頑張れとエールを送ってしまう。

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2016年1月 8日 (金)

FB

わたしの知り合いが今度フェイスブック(FB)を始めた。
彼はアメリカに親戚がふた組もいる人だから、始めるのが遅きに失したくらいだ。
アメリカ人もロシア人もFBが大好きである。
好きだというより、それをやらない人間は人間にあらずという雰囲気で、なにしろ大統領もやってるらしい。

問題は、わたしの周辺にもいるけど、始めたものの、あとがぜんぜん続かない人が多いこと。
せっせと活用すればこんな便利なものはないのに。
というわたしが、そもそもFBにあまり熱心ではない。
つまり他人と交わるのがキライという偏屈人間には、FBもあまり役に立たないのである。

たまになにか書くと、相手をひやかしたり、辛辣なことをいったりで、まわりからイヤがられているんじゃあるまいか。
でも「いいね!」を押すだけの関係なんてつまらない。
ありきたりの月並みな慣用句ばかりもつまらない。
わたし個人的には、今年も他人のFBにずけずけ本音を書いて、世間の常識をさげすむという変人ぶりを発揮するつもりでアリマス。

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2016年1月 7日 (木)

中東なら

北朝鮮が水爆実験だそうだ。
裸の王様のぼんぼんは、自分のせいでまわりが騒ぐと、なんとなく自分もオバマ君に匹敵する実力者になったとカン違いするのだろう。
わたしは騒ぎませんヨ。

でもウチの新聞は大騒ぎだ。
去年の暮れの日韓合意に匹敵するくらい大きな扱いだ。
いまごろ北朝鮮では
殿、ご覧ください、日本の新聞がこんなに大きく取り上げておりますぞ!
ぼんぼん
そうか、そうか、うはははって具合で、喜色満面、大満悦なんだろうなあ。
これが中東だったら、とっくに民衆に虐殺されてるよ。

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2016年1月 6日 (水)

またCG

わたしは凝り性なので、たとえばホームページを作らせたりすると、ならべた画像の上端をきっちり揃えなくちゃいかんとか、ロゴをあと1ミリ右に寄せなければならないなどと細かいことを言い出して、まわりの人間を困惑させることがある。
わたしはプロのデザイナーじゃないけれど、わたしのまわりはわたしよりさらに素人、つまりデザインなんてものと無縁の人間ばかりだから、どうしてもそこまでやるかという話になってしまうのである。

しかし、わたしの凝り加減など可愛いものだ。
昨夜NHKで放映された 「『スター・ウォーズ』とILMの40年」 という番組、そこで観たあちらの映画スタッフの凝り加減はハンパじゃなかった。
ILMというのはジョージ・ルーカスが、自分の映画のために設立した特殊効果を作るためのスタジオで、コンピューター・グラフィック (CG) を使う技術では、最先端をいく制作集団のことである。

わたしはSFファンだし、映画のCG技術にも興味があるので、この番組をひじょうな好奇心をもって観た。
以前 「ゼロ・グラビティ」 という映画を観たときも思ったけど、こういうアメリカ映画で、スタッフの凝りまくりようはなみたいていじゃない。
大勢のスタッフが集まって、もうちっと砂漠の砂つぶを表現できないか、このロボットの塗装が強すぎる、遠くから見た宇宙船の窓が本物らしくない、あそこがおかしい、ここを直すべきだとけんけんがくがく、わたしが見てさえ、そこまでやるかってなもん。
でもそこまで凝っても、わたしにはテレビゲームとおんなじにしか見えない映像もあったけど。

そういうケチはべつにして、これを観ていてつくづくうらやましかった。
わたしがもっと若けりゃCGの勉強をしてみたかったものを。
「スター・ウォーズ」 みたいな映画を作ってみたかったものを。
現在のわたしには、老眼の進行で、もうコンピューターの勉強はムリである。
すこし生まれるのが早すぎたなあと思う。

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せめて3Dで絵を描いてみたいと思って、むかし「シェイド」なんてソフトの勉強をしたことがある。
マスターすることはできなかったけど、おかげでCGの楽しさや、はかりしれないその可能性について、すこしは知ることができた。
過去にも披露したことがあるそのころの絵を、未練たらしくまた載せてしまおう。

最後にグチをもうひとつ。
最近のこの手の映画、どうしてああせせこましいのかねえ。
アップテンポで目まぐるしくなけりゃ映画じゃないみたい。
映画ファンの大半を占める最近のバカ者、いや若者は、それを求めているっていうのかい。
わたしの世代が求めているのは 「2001年宇宙の旅」 みたいな、ゆったりした、自分の頭で考える映画なんだけど。

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2016年1月 5日 (火)

揉め事

去年12月18日のこのブログで、カナダ人ユーチューバーのミラって女の子に触れた。
ユーチューバーというのは、他人が興味を持ちそうな映像を作って、それを YouTube に載せ、アクセスいくつでいくらというふうに報酬をもらっている人のこと。
世間にはこれで食っていこうという人も多いみたいだけど、アクセスを稼げるような映像を持続的に作るのは簡単ではない。

YouTube に日本を紹介する映像を上げている外国人はたくさんいるけど、ミラって子は政治的な発言もするので、なかなか勇気のある子だなと感心していたら、じつはその勇気をべつの方角でも発揮していたんだと。
最近知ったんだけど、彼女は他のユーチューバーを中傷する書き込みの常習犯みたいなところがあって、関係者といろいろ摩擦を起こしていたのだそうだ。
YouTube の映像には制作時期が明記されてないから、へえ、最近の話かいと調べてみたら、どうやら1年半以上まえのことらしかった。
知らなかったのはわたしだけか。

わたしは外国人が日本のことをどう思っているかということに興味があるので、こういう映像はよく観るほうだ。
ただ、いわれてみるとミラって子は、もの言いがはっきりしているだけに、ちょっと態度にとんがった印象がある。
なにくわぬ顔で、自分が中傷した相手と共演している映像まであるけど、そういう場合の彼女はちょっと投げやりで、すなおに相手に協力してないような雰囲気だ。
もっと早くわかっていれば、すこし減点評価をしておいたかもしれない。

彼女のうらの顔がわかったのは、中傷された側のユーチューバーが、文章の中の独特の言いまわしや、くりかえされる同じ間違いを分析した結果だという。
なるほどね。
文章というものは偽名で書いたって、見る人が見れば、誰が書いたかよくわかるものなのだ。
たとえばこのワタシ、ブログにこれだけの量の文章を書いているのだから、もはや個性やクセは隠せないものになっているだろう。
悪いことはできません。

ユーチューバーも大変だ。
最近は映像の報酬が以前とくらべるとガタ減りして、投稿のうまみも減っているようだし、ヘタに人気が出ると嫉妬や非難中傷のマトにされる。
わたしもときどき YouTube に映像を載せてるんだけど、まったくアクセスが増えないから、その点はじつにこころやすらかな毎日だ。

ミラって子の問題がその後どうなったのかわからない。
あいかわらず YouTube には、中傷した側の映像も、された側の映像も載っているし、ミラって子の映像は去年(2015年)の暮れにも載っていた。
そんな揉め事を知らなければ、いまでもけっこうおもしろい、役に立つ映像も多いんだけどね。

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2016年1月 4日 (月)

出初式

昨日はわたしの出初式。
今年もどこへ行ってやろうかと、そんなことぐらいしか楽しみがないもんだから、ポカポカ陽気に誘われて、京王線でふらりと高尾山まで。

山はたくさんあるのに、なぜ高尾山なのか。
じつは、散歩の延長でかんたんに出かけられるっていうのがその理由だ。
わたしの家からいちばん近い京王線の駅まで、徒歩でも20分。
そこから鈍行で (これだとしっかり座っていけるのだ) 高尾山まで30~40分くらい。
おまけにミシュランの三つ星観光地に指定されている山なのだ。
外国人にもあこがれの山なのだ。

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もう何度も登っている山だから、どのコースを攻めるかって悩んだけど、いっしょに行った知り合いが、稲荷山コースは初めてというので、今回はそのコースにした。
何本もある高尾山の登山コースのうち、稲荷山コースは薬王院を迂回する尾根づたいの道で、景色はあまりおもしろくない。
そのかわり比較的すいているから、混雑のキライな人にはむいているかも。

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山頂まで往復してきたけど、つくづく思ったのは、やはり足のおとろえだ。
来年からは杖が必要になりそうだ。
再来年あたりは車椅子が必要になるかも。
うしろからペチャペチャとやかましい若い娘たちがやってくる。
彼女らの足もとを見ると、ひとりはハイヒールのままだ。
わたしだって君らみたいに元気な時代もあったんだよと、これは負け惜しみになりそうだから黙っていた。

いかげんぐったりして、下山はロープウエイを使ってしまった。
若いころのわたしはこんなじゃなかった。
日本アルプスにだって登ったことがあるんだぞ。
と、ぶつくさいっても仕方がない。
人は誰でもいつか歳をとる。
年寄りが若い者に勝てないのは自然の道理だ。

こんなふうに口惜しい登山だったけど、ゆいいつ救いがあったとすれば、這うようにして帰宅したあと、血圧を測ってみたら、それがわたしの年代の平均にまで下がっていたことだ。
やはりわたしの高血圧は、たんなる運動不足であったのね。

添付したのは、上から稲荷山コース、山頂の富士山、ロープウエイ乗り場。

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2016年1月 3日 (日)

晩酌

晩酌をやろうとして、テーブルに酒の肴をずらりと並べる。
右から左へ、自分でスライスした酢ダコ、知り合いからもらったカズノコ、コンビニの枝豆、ドレッシングをどばどばとかけた新鮮トマトとキュウリ、ホウレンソウのおひたし、ぬか漬けのタクアンだ。
野菜主体なのはいいけど、酒の肴にしちゃあ多すぎるかも。

呑み始めるまえに、たまたまテーブル上にあった血圧計で血圧を計ってみた。
また◯◯◯の大台を超えていた。
とたんに食欲がなくなって、なにしろ目の前にあるものの塩分を合計したらどれだけになるのか。
しかし並べたものを食わないわけにはいかない。
せっかくの肴のうち、酢ダコとカズノコとホウレンソウと枝豆は、半分を冷蔵庫にもどし、タクアンも2切れだけ食べてあとは残した。
全部食べたのはサラダだけ。

肉類はなし、食事量も過度ではない。
それなのに血圧だけはタケノコみたいにするすると上昇する。
いったい何をどうすりゃいいんだ。
画家で詩人の村山槐多は、どうやっても結核の宿痾から逃れられないことを悟って・・・・・
いったいどうしたと思う?
一升瓶を抱えて、海岸の岩の上でそれをがぶがぶと空けたそうだ。
おお、このヤケッパチ精神。
なんたる見上げたこころざし。
塩分控えめの、病人食みたいなまずい肴で酒を呑もうなんて、いったい誰が思うのか。

このつぎから食事のまえに血圧を計るのはやめよう。
こんな不健康な食生活を続けていて、まだ生きているんですよ、わたし。
いつポックリいっても文句がないくらい長生きしちゃって。

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2016年1月 2日 (土)

ああ!

新聞が休みだからネットニュースを見てみたら、NHKの紅白歌合戦が過去最低の視聴率になったとかなんとか。
で、ウラ番組の民放でいちばん人気はナンダと思ったら、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」という番組だったそうだ。
ああ!
どっちに転んでも日本の未来はクラい。
わたしは古い名画を見ていたから、紅白もダウンタウンも知らないけどね。
もう、好きにやっとくれという気分。
戦争になろうが経済が破綻しようが、わたし(の世代)は いっさい責任を持ちません。
早くお迎えが来ないかなと、ひたすら念じる今日このごろです。

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プチプチ

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正月そうそう、わたしが悲惨な食生活を送ってるんじゃないかと心配した知り合いが、おせちの煮物と大きなカズノコをくれた。
悲惨な食生活だけはよけいなお世話だけど、カズノコは写真に収めておきたくなるくらいみごとなものだ。
でもと、ここでまたわたしのわるいクセが頭をもたげる。

カズノコって美味しいんだろうか。
食べてみると、ふだんあまり口にしたことのないプチプチ感があるのはわかる。
でもそれ以上なにがあるっていうのさ。
血圧の高いわたしには塩分が気になるくらいで、もらいものでなければ買ってまで食べたいとは思えない味だ。

数百年来の伝統食品を、なにがなんでも食べ続けなきゃいけないという日本人の保守頑迷ぶり。
ええ、あきれかえっおりますと、そういうことをニシンになりかわって主張いたします。プチプチ。

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2016年1月 1日 (金)

サル年

Monky

今年はサル年だ。動物ならたいていのものに理解のあるわたしだけど、サルだけはキライだ。
なぜかとつらつら考えると、人間に似ているからとしか考えられない。
わたしにはかなり人間ギライな一面がある。
つまりそんなわたしの偏屈な性格が、罪のないサルにまで累をおよぼしているわけだ。

サルは英語でモンキーだ。
でも尻尾のないサルはモンキーとはいわない。
チンパンジー、ゴリラ、オランウータンは尻尾のないサルであり、これらはエイプ (Ape) として区別される。
「猿の惑星」 という映画のタイトルで使われているのはむろん Ape だ。

ちょっと集まるとすぐに徒党を組み、オレがお山の大将だと、たちまち権力争いを始めるのがサルという動物である。
こういう習性からみても、人間の先祖がサルであったことは間違いない。

サルはサルでもチンパンジーだ。
先祖がゴリラかオランウータンなら、人間はもっと平和でおだやかな生きものになっていただろう。
そうすれば戦争を繰り返すこともなく、ISのような残忍な組織も生まれてなかっただろうにと思う。
ああ、今度進化するときはチンパンジーの末裔にだけはなりたくない。

添付写真は世界的に有名な日本のサルで、これ目当てに来日する外国人も多いというから、今年の文化勲章はアベノミクスに貢献したってことで、エテ公が受賞してもおかしくない。

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