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2016年2月 4日 (木)

落ちた偶像

清原和博サンが逮捕というニュース。
あまり野球に興味のないわたしがごちゃごちゃいう問題じゃないけど、彼みたいなタイプはよくいるな。
わたしの周辺にもいるよ。
いわゆる体育会系で、若いころはその天分にモノをいわせ、まわりからちやほやされ、女にはもてて、○○の種馬なんて名前を轟かせていた人が。
うらやましいけど、わたしにはそんな天分がひとつもないから、やっかみと呼ばれるのを覚悟の上で書いてしまう。

天分なんて書くと、それだけじゃない、本人の努力も必要なんだという人がいるだろう。
そうかもしれないけど、努力してスーパースターになれるなら、たいていのアスリートがみんなスターになってしまう。
清原サンほどになるには、やはり天分のほうが重要だ。
だから彼も幸運の星の下に、すくなくともその前半生は、生まれついた人といえる。

ただ困ったことに天分というものはたいていひとつで、こちらが秀でていればあちらは劣るという場合が多い。
とくに体育会系の場合、若いころはいいけど、トシをとって体がいうことをきかなくなると、さあ、大変。
ほかに趣味はないし、景気のいい時代の呑み仲間にはあっという間に逃げられるという、これ、わたしの周辺のじっさいの話。
若いころからはなやかな生活になれているから、寂しくて寂しくて、ついクスリなんかに手を出すことになる。

ほんとうはここから先にモノをいうのが努力というやつで、たとえば清原サンの同僚だった桑田真澄サン。
彼は清原サンと好対照で、野球から身をひいても食っていけるだけのスキルを、現役時代から蓄えていた。
天分に頼って努力を惜しんだヒーローの典型が清原サンだ。

でも彼はまだ若い。
1年ぐらいクスリと無縁なところに押し込まれ、あとは本人の努力さえあれば、こういうタイプに魅力を感じる人も多いのだから、スターダムに復帰も可能だろう。
まだ彼は幸せなのだ、わたしみたいなのよりは。
わたしに天分があるとすれば、つまらないゴタクや念仏をとなえるような、年寄りにしか役に立たない天分だもんね。

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