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2016年3月

2016年3月30日 (水)

吾輩は猫である

A

なんとか部数減をくい止めたい朝日新聞が、4月1日から、そ今度は 「吾輩は猫である」 の復刻連載を始めるそうだ。
ところで〝復刻〟という言葉を使うとき、わたしはいつもためらいをおぼえてしまう。
紀田順一郎さんの本に、〝復刻〟〝復刊〟〝覆刻〟はては〝翻刻〟なんて言葉について説明したものがあって、専門家でないわたしにはそのへんの区別がよくわからないのだ。
明治時代の連載をもういちど載せる場合はなんていったらいいのかしら。

とはいうものの、じっさいには 「猫」 は再連載ではない。
夏目漱石というと朝日新聞専属の作家だったから、ついこの小説も朝日新聞に連載されていたんだろうと考えてしまう人がいるかもしれないけど、これは漱石が大学教授だった時分にノイローゼにかかったことがあり、友人の高浜虚子から気分転換になにか書いてみたらとすすめられて、雑誌 「ホトトギス」 に書いたものだからである。
だから本来は転載というのが正しい。

「猫」 ほど有名な本になると、いっぱしの読書家で読んでない人はいないだろうけど、もしも読んでない人がいたらこの機会に読んでみたらいい。
え、青空文庫でただで読めるって?
でも、パソコン持ってない人もいるでしょ。
そうか、パソコン持ってなけりゃこのブログも読めないよな。
ちょっと矛盾があるけど、先に進もう。

ネトウヨの人ってのは、親が憎けりゃその孫まで、朝日が憎ければその連載までというのが多いけど、そういう人たちにもイデオロギー抜きでぜひ読んでもらいたい小説だ。
これまで再連載されていた 「三四郎」 「こころ」 「門」 なんて作品は、けっして他人に無条件でお薦めはしない。
しかし 「猫」 はおもしろい。
まともなストーリーがあるわけでもなく、まだ文語文の影響も残る時期に書かれたものなので、読みにくい点はあるにしても、バウムクーヘンのようにどこを切ってもおもしろく、抱腹絶倒という言葉はこの小説のためにあるような本なのである。

わたしたちは漱石という人を肖像写真で知っているけど、どんな性格だったのか、どんな癖があったのか、ふだんはなにをしていたのかなどという詳細な人間像は知りようがない。
しかし 「猫」 の登場人物である苦沙味先生は漱石がモデルとされているので、彼を通じて、ヒゲをひねくる癖だとか、顔にあばたがあるとか、本を読むふりをして書斎で寝ていることが多かったとか、女性に冷淡そうでじつはそうではないとか、漱石という人について血のかよった人間像を知ることができるのである。

ちょっと引用が長いけど、以下は主人公の学校教師が、胃弱を治そうとして四苦八苦する描写。

せんだって○○は朝飯を廃すると胃がよくなると云うたから二三日朝飯をやめて見たが腹がぐうぐう鳴るばかりで功能はない。
△△は是非香の物を断てと忠告した。彼の説によるとすべて胃病の源因は漬物にある。漬物さえ断てば胃病の源を涸らす訳だから本復は疑なしという論法であった。それから一週間ばかり香の物に箸を触れなかったが別段の験も見えなかったから近頃はまた食い出した。
□□に聞くとそれは按腹揉療治に限る。ただし普通のではゆかぬ。皆川流という古流な揉み方で一二度やらせれば大抵の胃病は根治出来る。安井息軒も大変この按摩術を愛していた。坂本竜馬のような豪傑でも時々は治療をうけたと云うから、早速上根岸まで出掛けて揉まして見た。ところが骨を揉まなければ癒らぬとか、臓腑の位置を一度顛倒しなければ根治がしにくいとかいって、それはそれは残酷な揉み方をやる。後で身体が綿のようになって昏睡病にかかったような心持ちがしたので、一度で閉口してやめにした。
A君は是非固形体を食うなという。それから、一日牛乳ばかり飲んで暮して見たが、この時は腸の中でどぼりどぼりと音がして大水でも出たように思われて終夜眠れなかった。
B氏は横膈膜で呼吸して内臓を運動させれば自然と胃の働きが健全になる訳だから試しにやって御覧という。これも多少やったが何となく腹中が不安で困る。それに時々思い出したように一心不乱にかかりはするものの五六分立つと忘れてしまう。忘れまいとすると横膈膜が気になって本を読む事も文章をかく事も出来ぬ。美学者の迷亭がこの体を見て、産気のついた男じゃあるまいし止すがいいと冷かしたからこの頃は廃してしまった。
C先生は蕎麦を食ったらよかろうと云うから、早速かけともりをかわるがわる食ったが、これは腹が下るばかりで何等の功能もなかった。
余は年来の胃弱を直すために出来得る限りの方法を講じて見たがすべて駄目である。ただ昨夜寒月と傾けた三杯の正宗はたしかに利目がある。これからは毎晩二三杯ずつ飲む事にしよう

こんな調子で、ヒマ人のだぼらを聞かされているような内容で、恋愛もスリルも起承転結もないし、現代の忙しい人たちに気に入られるかどうかわからないけど、「猫」 と 「坊ちゃん」 がなかったら、その後の夏目漱石の名声もなかったと思われる。

ま、これ以上はいわない。
なんといってもバウムクーヘンだ。
好きなときに好きなところをつまみ食いしてかまわないから、皮肉屋、諧謔家としての漱石をじっくりと味わってほしい。

念願するのは、中村不折や浅井忠の当時のイラストをそのまま載せること。
「三四郎」 や 「こころ」 の復刻は、もともと朝日新聞に連載されていたものだから問題はないだろうけど、「猫」 はそうではないから著作権が心配だ。
この挿絵があるかどうかで、「猫」 のおもしろさは、そうだな、1〜2割かた増減するんだけどねえ。

添付したのが、以前にもこのブログに載せたことのある2人の画家の挿絵だ。

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2016年3月29日 (火)

うんざり

今朝のウチの新聞もツッコミどころがいっぱい。
リベラルの旗を下ろしたくないんだろうけど、それにしてもムチャな論理だ。
この時期に支持する政党が、民進党とその他の野党しかいないってのは。
もううんざりしてなにも書く気がおきない。
いい天気だし、散歩にでも行くか。

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2016年3月28日 (月)

メガネ

目が見えなくなったら仕事をやめようと思っている。
今日、寝っ転がったままタブレットを使おうとしたら、なんか視界がおかしい。
左の目で見たものがぼんやりと二重にかすんでいる。
とうとうそのときが来たか。
終活も最終段階だなと覚悟したけど、よく見たらメガネの左レンズがはずれていた。

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今朝の新聞

おー、また長谷部、杉田両教授サンの登場だ。
ウチの新聞のこと。
今回はなにやら図表を示して、わかりやすくするつもりでさっぱりわからない説明だ。
選挙で争点をひとまとめのパッケージにした場合と、争点ごとに投票にかけるのとでは、結果が違ってくるということを、表にしてわかりやすく説明したらしいけど、これってレトリックと違うか。

たとえばパッケージにした場合は有利だけど、争点ごとにすると不利であるを、争点ごとにすると不利だけど、パッケージにすると有利と、言葉の順序を入れ替えるだけで、イメージはがらりと変わってくる。
両教授は、なにがなんでも現政権をけなしたい、そのつもりの文章を書いているだけじゃないか。

小選挙区制についてもゴタクをいい、民進党の結成についても擁護するようなことをいう。
こういうふうに世間にさからうようなことを大新聞が書くと、もうなにがなんだかわからなくなる。
ああいえばこういう、こういえばああいうといった屁理屈はもう止めてほしいやね。
わたしの意見は単純明解だ。
まん中をはしょって、いっきに結論に持っていってしまうのである。

不平をいう人はいつでもいるけど、日本が世界からうらやましがられる国であることは間違いがない。
アメリカよりも治安がよく、国民がいいたいことをいえる点では中国にまさり、ミシュランの星はフランスより多く、製造されている車の性能ではドイツみたいにインチキをしないし、英国ほど斜陽でもなく、日本の男と結婚したいとロシア美人が押し寄せ、韓国よりもコンビニで売られているお菓子のクォリティがすぐれ、北朝鮮みたいに親分が肥満して国民が飢えているわけでもない。
政治家がまじめに政治をしない国は世界中に数え切れないくらいあるけど、日本の場合、立場や見解が異なるというだけで、与党も野党もまあまあまじめに勤めを果たしているではないか。

これでも保育所が足りない、死ねなどと発言する人はいる。
その原因が政府の無策にあると、政治家に責任を押しつける人はあいかわらず多い。
いま世界中の国が構造的な不況で悩み、迷走している時代だ。
日本の政治家が打ち出の小槌を持ってるわけでもあるまいに、雑多な国民の要望をハイハイとかなえる方法があるなら教えてほしいや。

わたしは右翼じゃないつもりだけど、ウチの新聞を読んでいると、どうしてもそっちに傾きたくなってしまう。
中国や韓国が安倍首相を右傾化した極悪人のようにいうのは、朝日新聞の記事によるところが大きいんだろうなあと思うこともある。

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2016年3月27日 (日)

旅の道連れ

来月になったら富山湾のホタルイカを見物に行く予定。
相手は生きものだから都合よく出現してくれるかどうかわからないし、見られなかった場合、ほかにヒマつぶしを考えなくてはならない。
能登半島を一周してくる手もあるけど、だいぶくたびれそうだ。
それよりも寝ている時間の比率が、世間の標準よりだいぶ長いわたしにとって、宿屋でごろごろしているあいだのヒマつぶしが大切だ。
湯沢温泉で「雪国」を読んだように、読書はお手軽でいいヒマつぶしになるものだから、なんか能登のあたりを舞台にした小説はないだろうかと考えた。

過去に読んでみようと思ってまだ読んでなかった、高橋治という作家の「風の盆恋歌」という小説がある。
この小説は、富山市のすぐとなりの八尾市を舞台にしており、タイトルを聞いただけで幼いころの郷愁をさそわれるような気分になる。
でも、このブログの2009年9月3日にも書いたことがあるけど、わたしはこの作家も作品も、その時点までほとんどなにも知らなかった。
いい機会だからこれを読んでやろう。

そう考えて図書館で新潮社版の文庫を借りてきた。
たちまち読み終えてしまって、これじゃヒマつぶしにならないと困っているけど、どうもわたしの好みの小説じゃないね。
若いころ野坂昭如の小説を読みふけったわたしとは、方向性がぜんぜんちがうのである。
でもまあ、仕方がない。
今回は風の盆を道連れにして、ふらふらと思索(と妄想)の旅。

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2016年3月26日 (土)

極上ホテルのプール

A

世界的な旅行サイトのトリップアドバイザーからメールが来た。
「世界の人気観光地いよいよ発表」 だって。
どれどれと読んでみる。
「極上ホテルのプール14選」 という紹介があって、ここに載せたのは、上からモルディブにある某ホテル、つぎは上海の外資系ホテル、最後はギリシアのサントリーニ島にあるホテルのプールだ。

B

なんか異次元の世界って感じ。
いいなあ、5月の連休にでも行ってみるかねえと、あまり気にならないけど少しだけ気になって、確認してみたら、ここで紹介されているホテルの中には、1泊が11万円なんてものもあった。
身のほど知らずにもほどがある。
いえ、わたしじゃなく、トリップアドバイザーのこと。
相手を見てからメールを出せ。

こんなホテルに(無理して)泊まっていたとすると、まわりは金持ちばかりで、こっちまでセレブだと思われてしまうのではないか。
うちのビルを買ってくれませんか、いっしょに◯◯に投資しませんか、今夜はタキシードパーティですよ、なんて話を持ちかけてくる手合いは無視するとして、ホテルのプールでだらしなくくつろいでいると、きれいな女の子がささやきかけてくるかもしれない。

C

バブル華やかなりしころ、日本の群馬県の草津温泉に 「クーアプラザ草津」 という温泉施設があった。
デラックスな高層マンションに付属した施設で、屋根つき温泉プールとサウナ、ジャグジーに、さまざまアスレチック設備がつき、屋内に定期的に虹がかかり、スタッフの女の子は20人ぐらいいて、いずれも美人ばかりという、とにかくハンパじゃない豪華な施設だった。

近くの安い旅館に泊まっていたわたしが、タオルを下げて泳ぎに行ってみたら、スタッフの娘に話しかけられた。
ここのマンションにお住いの方ですかと聞く。
いえ、そこの安ホテルに泊まってますとはいえなくて、ええ、まあ、そのなんて曖昧な返事をしていたら、田舎育ちの彼女の目には、たぶんまだ若かったわたしが金持ちの御曹司にでも見えたのだろう。
触れなば落ちんという感じで、しきりに自分を売り込む。
わたしがマンションにお住いだったら、ワインでもえさにして、彼女を部屋に引っ張り込むのは容易であったと思われる。

こんな簡単に女の子がくどけるものかと、そのときだけはつくづくお金持ちがうらやましいと思ったね。
いまは現実を受け入れて、身分相応に、大切なのはゆるやかに生きることだという確固たる信念を持っているからそうでもない。
いえ、負け惜しみではなく。

ついつい思い出にひたってしまったけど、わたしもひとつ貯金をはたいて、トリップアドバイザーが押し売りしてきたホテルに泊まってみるか。
調べてみたら、上記のプールのあるギリシアのサントリーニ島のホテルは3カ月先までふさがっていた。
アホらしくなってそれ以上調べなかったけど、世間にはいるんだねえ、こういう人が。

妄想はこのくらいにして現実に舞いもどると、草津の 「クーアプラザ草津」 はその後零落して、現在は施設がどうなったかもわからない。
バブルの夢よ、いまいずこ。
ザマミロ。
貧乏人は性格がわるいのだ。

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2016年3月24日 (木)

ヨーロッパの変化

ヨーロッパが戦場になると、困るのはわたしみたいな旅行好きだ。
ISは警戒の手うすなところを狙うらしいから、これではいま安全なところもそのうち安全ではなくなってしまう。

そんな危険なヨーロッパよりも、今度はひとつアフリカに行ってみるかと考えた。
世界の急激な変化を知ろうと思ったら、やはりアフリカや東南アジアだ。
去年ボルネオに行って、そこがやっぱりグローバル化されてしまったことに、感心と同時にガッカリさせられもしたわたしだけど、アフリカの変化もただならぬものがある。
これまでにアジア人、ヨーロッパ人、トルコ人の国に行ったことのあるわたしには、黒人ばかりの国というのも新鮮だ。

でもアフリカはヨーロッパ以上に戦場ってとこが多いからな。
よく調べないと物騒だ。
と思って調べてみたら、最近フランスのパリに出かけた日本人の女の子が、そこがあまりに雑多な(もちろん黒人も多い)民族の入り混じる都市だったので、ここはアフリカかと仰天している記事を見つけた。
そういえば以前英国の空港に立ち寄ったとき、インド人、イスラム教徒、黒人が、空港のあちこちで働いているのに驚きを感じたことがある。
いまやヨーロッパは、わたしたちが考えているような白人の国ではなくなっているらしい。

テロリスト以上に注意していないと、いつのまにか世界中に、わたしの知ってる国はひとつもなくなっているかもしれない。
ま、これが現実で、わたしの時計が遅れているだけなんだろうけどネ。
やっぱり年寄りは富山県でホタルイカでも食っているほうが相応か。

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2016年3月23日 (水)

今年も出番

651

このブログのタイトルは魑魅魍魎のナントカというので、たまにはそれにふさわしい写真を載せなくちゃ。
この季節の恒例になった、石垣の水抜き穴にひそむモノ。
シマヘビさんだけど、こうやってみると、穴倉の中で獲物をまちかまえるヤマタノオロチみたいで、なかなかの迫力。

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キューバ

オバマ君がキューバを訪問して、なんかゴタクをいってるな。
民主化や人権の改善を要求してるらしいけど、アンタにいわれたくないねと思ってしまうのはわたしだけかしら。
社会主義がなにがなんでもいけないという考えは、いいかげんにやめてもらいたいね。
いまやアメリカでさえ社会主義思想を持つ大統領候補があらわれる時代だ。
おりしもそのサンダースさんが圧倒的勝利だって(日本における海外在住者の予備選結果だけど)。

「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」や、「シッコ」なんて映画を観ても、平等で、みんなが支えあって生きていて、保険会社や製薬会社がぼったくりをしないキューバの社会制度にあこがれる米国人は少なくないのだ。
資本主義がベストという考えは、それが行きつくところまでいったアメリカが、自ら否定してみせたんではないかい。

カストロやゲバラが蜂起したキューバ革命から、現在までのあいだに半世紀以上の歳月が横たわる。
いまのアメリカはかってのアメリカじゃないから、国交を回復したからって、また強欲な米国資本がキューバを搾取することもないだろう。
そんなアメリカのよい点だけを吸収し、格差のない平等な社会を目指すとしたら、キューバの行き方は、人類の未来のためのひとつのモデルケースになるんじゃないかと、わたしは期待しているんだけどねえ。

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2016年3月22日 (火)

政治活動をするキミへ

今朝の新聞の投書欄に、高校生の政治活動を届け出制にすることへの賛否意見が載っていた。
ある人はケシカランといい、ある人はそのくらいいいじゃないかという。
こういう世論をまっぷたつにする問題こそ、わたしのブログの得意とするところである。

だいたいいまどきの高校生が校則なんてものを遵守すると思ってんのか。
届け出制にするのはかまわない。
それを守るかどうかは、高校生の自主的判断にまかせる。
そのくらいの気構えがなかったら、政治活動なんかできっこない。
おとなしく校則を守っているような学生が、政治に口を出すのがそもそもの間違いだ。

校則を破って政治活動なんかしたら、それだけで学校はキミを退学にするだろうか、警察に引き渡すだろうか。
いちいち届けずに、たとえば共産党の活動に参加したり、保守党の応援をしたりして、これがこじれて裁判になったとする。
でも心配はいらない。
日本の司法はこのていどのことで、キミの人生を抹殺しようとは考えないだろう。
若い者はしようがねえなと、これが日本のおおらかな伝統だ。

いったいぜんたい、なんで校則を作ろうとするのか。
じつは、こういう規則があれば先生たちも安心だからだ。
なにか問題が起こっても、いやあ、あの学生が校則を無視したもんですから(つまり学校には責任がないんです)と主張できるわけだ。

届けをせずに政治活動をする校則破りの生徒諸君にいっておくけど、くれぐれも暴力沙汰やテロ行為に走るんじゃないぞ。
そんな問題を起こせば、そのときこそ校則を盾にとって、学校はキミを退学にでもなんにでもできるのだから。

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2016年3月21日 (月)

◯◯回目の誕生日

まだ富山に出かけていませんよ。
出発は来月に入ってからです。
昨日は知り合いに、ちょっと早いけど、◯◯回目の誕生日だってことで、ご馳走をしてもらってきました。
吉祥寺にあるちょっと高級な店で、ひと足早くホタルイカを食べてきましたっけが。

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2016年3月19日 (土)

ホタルイカ

01

自称ナチュラリストとしては、この世界のさまざまな森羅万象に興味がある。
3月から5月にかけて、富山湾でホタルイカの饗宴が見られるというので、今度はそれを見にいくことにした。
なんでも夜光虫のように蛍光を発する、人間の指ていどの小さなイカが、産卵のために海岸を埋めつくし、それはそれは幻想的な光景をかもしだすのだそうだ。

こんな超自然現象を、わたしひとりで独占するのはモッタイナイ。
で、自分からはけっして旅行に出かけず、いつも不遇な生活をしている知り合いを誘ってみたら、わたしがみつくろった費用が高いから行かないという。
費用は3泊4日で10万円だ。
こりゃ高い。
妻帯者、家族持ちにはおいそれと行ける値段じゃない。
でもわたしが誘った相手は、独身で、大金持ちとうわさのある、そう、このブログにときどき登場する、いっしょにハワイに行って、ダイヤモンドヘッドにも登ったことのあるO君なんだけど。

10万円は高いけど、このうちの半分ちかくは、富山の味覚や酒を味わうための費用だ。
今回も費用節約のために、片道は高速バス(5千円)で、宿もネットでいろいろ調べて、展望風呂つきで、1泊が6千円ていどのホテルを見つけたのだ。

安い代わりに食事はいっさいつかない。
でも、目の前が富山湾だぞ。
あふれるような日本海の珍味にかこまれて、宿屋のあてがいメシに満足する人の気がしれない。
宿なんか寝るだけでいい。
そのぶんレストランで外食をして、ホタルイカの醤油づけ、塩辛や、ます寿司、氷見の寒ブリ、刺身、シロエビ、越前ガニ(ズワイガニ)など、富山の名物をたらふく食べ、満寿泉、勝駒、銀嶺立山などの酒を味わわってくるつもりだ。
かわいそうなのはO君で、座して待つだけでは、彼の人生にこんな幸運はけっして訪れないだろう。
読んでるんかね、えっ、O君、このブログ。

02

あ、もちろんホタルイカも見物して、写真に収めてくるつもりだけど、これがちとむずかしそう。
相手は生きものだから、都合よく出現してくれるかどうかも運まかせだし、漁船に乗って夜の海の上で、ホタルていどの微量な光を撮ろうというんだから。
確実なのは食べるほうだけになるかもしれない。

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2016年3月18日 (金)

イカの足

650

ヒマなのでまたイカの塩辛を作った。
わたしは塩辛の中にイカの吸盤が入っているのがキライで、もっぱら胴体の部分だけで作るから、かなり贅沢な塩辛といえる。
でも、おかげで使わなかった足の部分をどうしようかと、いつも悩む。

昨日は麺つゆにつけておいたイカの足のバター炒めをした。
見てくれはよくないけど、味とかたちはどこかで見たような。
そうか、マルタ島で食べたタコによく似てるな。
わたしもいっぱしのイタリア料理人になれるんじゃないか。

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2016年3月17日 (木)

ユーモア

4月から再連載が始まるという夏目漱石の「吾輩は猫である」の中に、美学者の迷亭という人物が登場する。
それなりの知識人だけど、相手をからかって喜んでいるような、つまりわたしみたいにヒトのわるい皮肉屋である。

いやあ、先日の学会の演説会で、これこれこういう話をしましてねという。
話というのは古い文章に関するもので、内容はまったくのでたらめだったそうだけど、聴衆の中にその通りだと賛同する人間がいて、ははあ、こいつもこの文章を読んでないなと、迷亭クンに看破されている。
そんなでたらめをいって、バレたらどうする気かと心配な人は「猫」の続きを読むヨロシ。
来月から始まるそうですから、連載が。

今日の朝刊を読んでいたら、石破地方創生相が法案説明で、1年前の説明書を読み上げるというミスがあったそうだ。
そしてそれを野党のみなさんは感心して聞いていたそうだ。
感心していたかどうかは異論があるにしても、これはウチの新聞が夕刊の素粒子ってコーナーで取り上げてもおかしくない事件だ。
はたして取り上げるかどうか、今日の夕刊に注目しましょう。
ああ、人生は楽しいな。

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困る

わたしがアメリカ人だったとする。
選挙権を持っていたとする。
さあ、困っちまうよな。

新聞によると、今度の大統領選挙は民主、共和の両党で、利権と縁のない候補が躍進中だそうだ。
民主党ではサンダースさん、共和党では進撃の巨人のトランプさんだ。
この2人とも財界のしがらみのない候補で、わたしもそういう立場の候補にもろ手をあげて賛成だけど、どこか現実にドクされているところがあるから、アノ米国で、企業の献金なしの政治がほんとうに可能なのかという不安もある。
とくにトランプさんの壮大なビジョンは、すぐに行きづまりそうで心配。
やっぱりヒラリーにしとくかと、安易な考えに走りそうなわたしが心配。

じっさいのわたしはアメリカ人ではない。
それなら安心かというと
サンダースさんが勝てば高校大学の学費無償化のために、トランプさんが勝てば国境のフェンス建造のために、いろいろと経費がかかって、とても日本の防衛にまで手がまわりそうもないから、やはり中国の脅威にさらされている日本としては、自国の防衛産業に税金をつぎこまないといけない。
日本がつぎこめば、対抗して中国もさらにつぎこみ、被害妄想の韓国もつぎこむ。
これでは極東の軍拡競争はとめどがない。
わたしがアメリカ人であってもなくても、やっぱり心配ばかりだ。
ドウシヨウ。

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2016年3月16日 (水)

あの娘

Chinagirl2

FACEBOOK(以後はFB)に関心のない当方だけど、義理でページを開設している。
そこへ中国人から友達リクエストがきた。
わたしと中国は因縁浅からぬところがあるから、中国人からリクエストがきても不思議じゃない。
名前を見て、ははあ、あの娘かとすぐにピンと来た。
わたしはずっとむかし、上海にあるこの娘の実家で、彼女の高校生時分の写真を見たことがあるんだけど、それで見たかぎりでは、上海一の美少女といってもおかしくないステキな女の子だった。
まだわたしが若くて目をぎらぎらさせているころだったから、こういう娘を嫁にもらうのもわるくないなと考えた。

しかし男女の交わりというものは、そううまくはいかないものだ。
その後彼女は日本にやってきて、けっこうわたしの身近といっていい場所に住まわっていたから、くどきおとすチャンスはいくらでもあったんだけど、けっきょくほかの男と結婚してしまい、わたしはくやしくって夜も眠れなかったということは、まあ、どうでもいいことだ。
しかしこんなふうに、むかしなじみの娘からリクエストがきたときはどうすればいいだろう。

上海一の美貌をほこった彼女も、いまでは子供のいるフツーのおばさんになったみたいだから、渡辺淳一サンの小説みたくなる可能性もなさそうだし、とりあえずほっておくか。
ところであの娘、どこからわたしのFBを知ったのか。
わたしは本名を登録してないし、FBに共通の友人名もないのである。
もっともFB以外では、彼女とわたしのことを知っている知り合いは多いから、誰かがわたしのことを話したにちがいない。
こういうとき、すぐにリクエストに応じるとガッついていると思われるから、しばらく放っておこう。
どうもすなおじゃないね。

写真は上海の実家の額に入っていた彼女だけど、往年の美少女が現在でもそのままとは思わないほうがいい。

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2016年3月15日 (火)

新聞ウラ読み

新聞やネットニュースを読んで比較する。
今朝のウチの新聞では、巨人軍で現金のやりとりというのがトップ記事だ。
これがバクチと認定されれば、巨人の今シーズンの出場はなくなり、プロ野球そのものが成立しなくなる。
もちろん読売(デジタル版)には、この件はひとこともなし。

ウチの新聞を読むかぎり、民主党の党名変更は(民主党の支持者にかぎれば)、期待するがしないを上まわっているそうだ。
でも民主党の支持者ってどれだけいるのかしら。

この党名変更について、おちょくるような記事があったから、出どころを確認したら、産経(デジタル版)だった。
ウチの新聞と立場が正反対なのは、左翼と右翼を代表するような新聞だから仕方がないかもしれない。

ウチの新聞は、巨人軍の記事の下のほうに、憲法改正を評価しないが、するを上まわったというアンケート結果を持ち出した。
これは朝日には都合のいいアンケートだけど、しょっちゅうやってるから、だいたい結果はわかっている。
こういう記事を持ち出しているかぎり、ウチの新聞に未来はないような気がする。

こうやって裏を読み取りながらニュースを読んでいると、ああ、今日もブログネタに困らない。

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2016年3月14日 (月)

コーヒー店

知り合いがやってきて、「コメダ珈琲」なるものに行きたいという。
なんだ、そりゃと聞いてみると、なんでもちまたでブームになってるコーヒー屋さんだそうだ。
わたしみたいにコーヒーに興味のない人間をそんなものに誘うほうがどうかしているけど、話のタネに、家から近い白糸台店までぶらぶらと出かけてみた。

昨日の日曜日のことなので、えらく混雑していて、席を確保するまでにちょっと待たされた。
店内はきれいだけど、それはまあ、新しい店なのだから当然だ。
ウエイトレスは、べつに萌えちゃんスタイルではないし、ローラースケートをはいているわけでもない。
スターバックスなどとちがい、彼女たちが注文を取りにきて、品物も運んできてくれる。
つまり、最近流行りのセルフの店でないところが売りモノかいとわたし。
わたしの高校生時代はこういう店のほうが当たり前だったけど。

甘いケーキをいっしょに頼んだから、コーヒーはブラックのまま飲んだ。
正露丸と変わらないくらい苦いことはわたしにもわかったけど、まあ、味についてこれ以上の評価はやめておこう。

まわりをながめてみる。
おつまみはサンドイッチやスィーツぐらいしか置いてないようだったから、ファミレスではない。
じいさんばあさんを含む家族連れや、うぶなアベック、例によってマックをかかえて仕事をしている(らしい)人もいた。
ジャズ喫茶なら2、3時間思索に耽ることもできたけど、つぎの客がひかえている店でそんなことはできないし、彼らはいったいなにが楽しいのか。

勘定は、知り合いにいわせると、高くもないし、とくに安くもなかったそうだ。
店の存在理由、客の心理など、日曜日の午後にいろいろ考えさせられる店だった。

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2016年3月13日 (日)

AIと人間

今朝の新聞に「囲碁の人工知能・勝ち越し」という記事。
AI(人工知能)が、人間界最強とされる棋士に3連勝だそうだ。
だからいわんこっちゃない。
記憶とその処理では、人間がAIに勝てるはずがない。
ここで人間が一矢報いるとしたら、それは創造の分野にかぎる。

文句あんのか。
くやしかったら宮沢賢治みたいな詩を書いてみろ、イングマル・ベルイマンみたいな映画を作ってみろ、ビートルズみたいな音楽を作ってみろ、つげ義春みたいなマンガを描いてみろ、不肖ワタシのブログみたいなのを書いてみろ。
最後はおまけだけど、これがAIに対する人間の最後の砦だ。
ま、わたしが生きているうちの逆転は無理よ、ムリ。

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2016年3月11日 (金)

あれから5年

今日は東日本大震災から5年の節目だ。
なにか書かなくちゃと、必要もないのに義務感にせまられて、そうか、1年目の節目にもなんか書いたっけなと思い出し、時間がないからその流用だ。
以下の文章は、2012年の3月11日に書いたものだけど、どうせおぼえている人はいないでしょ、こんな泡沫ブログ。

『あの日のわたしが何をしていたかというと、このブログにも何度か書いたような気がするけど、ずっとテレビにしがみついていた。
これだけ監視カメラ、防犯カメラの完備した日本では、いつか大津波の生中継が観られるのではないかとずっと思っていたから。
それが図星ということになっちゃったのは悲しいことだ。
なんて他人ごとのように言ってられるのは、その震災でもわたしの生活はぜんぜん変化がなかったからである。
親戚知人にも亡くなった人間はひとりもいないし、部屋も仕事もそのまんま。
翌日にはもういつものコースへ散歩に出かけていた』

世間は騒々しいけど、わたし個人的には、そのあいだに母親が亡くなったくらいで、あいかわらず人間も生活もぜんぜん変化なし。
恥をしのんで生きております。

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2016年3月10日 (木)

高浜原発

これってどういうことなんだろう。
ウチの新聞が今日はおおいに張り切っている。
見出しは大きく「高浜原発差し止め」ということだけど、よく見ると仮処分を出したのは地方裁判所になっている。
つまり揉め事はまだ序の口にさしかかっただけなのに、もう勝った勝ったと大喜びしているように感じてしまう。
わたしは本物のジャーナリストじゃないから、これもよく知らないけど、沖縄の例などをみても、こういう裁判て、地裁ではわりあい地方の言い分が認められ、高裁、最高裁へと上がるにしたがって、国よりの判決が出る、そういう傾向があるってことはないのかしら。
まあ、なければないでいいけどねえ。
最高裁でひっくり返されたら、ウチの新聞はどう落とし前をつけるつもりなのか。

ウチの新聞に高浜原発に関する記事がいくつあるかと数えていたら、3面の下の方に、あの小泉もと首相の意見も載っていた。
あまり目立たない扱いだけど、わたしは彼のファンなので、おひさしぶりですと挨拶したくなってしまう。
どうも、もと首相もわたし自身の信念も、右に行ったり左に揺れたり、さっぱりわけがわからんな。

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進撃の巨人

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アメリカにおそるべき 「進撃の巨人」 の登場だ。
あのトランプさんのことだけど、不法移民を阻止するために国境にフェンスを築くとか、輸入の不均衡を是正するために同盟国の日本をたたくとか、移民の国のアメリカでマイノリティもイスラム教徒もぜーんぶキライ、女はすっこんでろとフェミニストのアメリカでいいたい放題。
世界中のまともな国家の代表たちや、欧米や日本の名だたるマスコミから総スカンくらっても動じる気配なし。
アノ共和党の主流派さえ迷惑顔なのに、人気は依然として落ちる気配はなく、ヘタを、しなくてもこのまま大統領候補になってしまうかもしれない。
ま、本番の選挙までは世界中の人々を楽しませてやっとくれ。
じつはわたしも変人だから、こういうひとを得がたいタレントと思ってしまう傾向がある。
はたして、アメリカの良心が最後に巨人を倒すことになるのか。
マンガやアニメより、わたし、こっちのほうに注目しています。

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2016年3月 9日 (水)

第一夜

今日は108年ぶりの連載と、ウチの新聞がブチあげる「夢十夜」の第1回目。
わたしのブログを読んで、そうかい、それじゃ読んでみようかと思った人が、なんだこれは、女の子が好みそうなロマンチックな文言をならべただけじゃないかって、がっかりしてしまわないかと心配だ。
ま、全部読んでからゴタクをいって下さいな。
どうせいちにち1話で、10日でおしまいだ。

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2016年3月 8日 (火)

女性の日

わたしのアパートにはロシア人の美人が2人住んでいるけど(2人とも既婚者)、そのうちの片方の旦那さんが大きな花束を持ってうろうろ。
きれいですねと声をかけ、ついでにソレをどうするんですかと訊いてみた。
今日は「女性の日」なんだそうだ。
それで花束を女性に贈るんだそうだ。
しかも2人の女性、つまり自分の奥さんと、階下のもうひとりの奥さん、ようするに他人の奥さんにも贈るんだそうだ。
へえ、大変ですねえと返事せざるを得ない。
花束のひとつは胡蝶蘭なのだ。
安くない。
あなたも贈ったらどうですかといわれたけど、日本でそんなことをしたら、相手に気があると誤解されて、旦那に張り飛ばされますと返事しておいた。
いや、ホント、外国に生まれなくてよかった。

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2016年3月 7日 (月)

夢十夜

夏目漱石に社運を賭けようというウチの新聞が、こんどは「夢十夜」の連載を始めるらしく、今朝の新聞にその前置きみたいな文章が載っていた。
これは短いエピソードを10個集めた風変わりな小説だけど、さて、万人向けとはいいがたいこの奇妙な物語を、読んでごらんなさいと人に薦められるかどうか。
悩んでイマス。

「吾輩は猫である」にしても、「坊ちゃん」、「草枕」にしても、「三四郎」から続く一連の作品にしても、他人に薦めるのにはそれなりの根拠がある。
しかし「夢十夜」だけは、なんといったらいいか、まったくとりとめのない、曖昧模糊とした、不思議な物語なのだ。
どのくらい不思議かというと、ほかならぬ漱石自身が「猫」の中で揶揄しているくらいだ。
〝せんだっても私の友人で送籍(そうせき)と云う男が一夜という短篇をかきましたが、誰が読んでも朦朧として取り留とめがつかないので、当人に逢って篤と主意のあるところを糺して見たのですが、当人もそんな事は知らないよと云って取り合わないのです〟
これは「猫」の中の文章である。

夢というものは、見ているときには不思議だと思わない。
そのくせ夢から覚めると、そんなことがありうるはずがないと思う。
そんな知覚のどんでん返しのような、つかもうとしてつかめない不思議な感覚。
漱石の潜在意識をつづったとされる、ホラー小説のような不気味なエピゾードの数々。
わたしはこれを読んだとき、夏目漱石という作家のべつの一面を発見したような気分になったものだ。
とまあ、このていどのことを書いておくから、興味のある人だけドーゾ。

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2016年3月 5日 (土)

牧志市場

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テレビを見ていたら、「ブラタモリ」 という番組に沖縄の那覇が出てきた。
国際通りの牧志公設市場が出てこないのが不満だったけど、そういえは市場の見学が好きなわたしが、まだいちどもブログでこの市場を紹介してないことに思い当たった。
わたしのハードディスクには、陽の目を見ないままの可哀想な写真がたくさん眠っているのだ。
えいっと、もう8年も前の写真だけど、ここで那覇の牧志市場を紹介してしまう。

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最初は市場のある通り。
2番目から6番目までは市場で扱われている海産物で、わたしの好みの刺身の材料がいっぱい。
6番目は夜光貝という貝で、大きさの比較のために人間の手をそえてある。

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7番目は、わたしにはオドロキだったブタの顔で、沖縄の人の好物らしい。

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8番目は野菜だけど、食べてみなかったからどんな味がするのかわからない。
サボテンの葉っぱ見たいで、枝豆みたいにビールのつまみにでもなるのかしら。

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9、10番目の写真は、市場の二階にある食堂で、階下の市場でみつくろった食材を、ここですぐに調理してもらって食べられるのだ。
沖縄に何度も行っているわたしだけど、この市場の二階で、イッパイやりながら好きなものを食べるという理由だけで、また沖縄に行きたい。

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戦争のつくりかた

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新聞に「戦争のつくりかた」というアニメのことが出ていた。
これは憲法9条の保護を訴える7分半ほどのアニメで、YouTube にアップされているから誰でも見ることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=cUGu73hnjdY

わたしも見てみた。
感心した。
わたしの信念からすると、内容に必ずしも感心するわけじゃないけど、その絵について。

わたしは日ごろから水でうすめたようなジブリの絵がきらいで、芸術を標榜するアニメなら、絵そのものも宮崎アニメから脱却した、個性的なものであってほしいと力説している。
「戦争の」 の絵はわたしが求めるものだ。
絵に一貫した統一性がないといわれるかもしれないけど、さまざまな画家たちの作品をコラージュしたみたいで、見ていて楽しい。

子供たちにテーマをわかりやすく訴えるアニメになっているけど、逆にいわせれば、子供たちに間違った考えを植えつけるアニメともいえる。
政府が国民を洗脳し、自由にモノをいわせないなんて、まるっきりまえの戦争のころのままの状況を設定しており、これでは未来に起こりうるかもしれない、私たちの知らない新しい危機に対処できるのだろうかと心配になってしまう。

こんなことを書いていたら、ああ、またお風呂のお湯がじゃあじゃあと溢れていた。
忙しいわたしに、いちゃもんをつけたくなる問題は山積みなのだ。

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湯沢温泉/結末

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「雪国」 は過去に2度ほど映画化されている。
わたしの部屋にもテレビから録画したそれがあったはずだと、帰京してからDVDをひっかきまわしてみた。
見つけたのは岸恵子(駒子)と八千草薫(葉子)の1957年版。
参考のために観てみた。

映画は文芸作品としては、まあわるくない出来。
文章で描かれたものを視覚化してくれた功績は認めなくちゃ。
ただ、たいていの場合、原作と映画化された作品は異なるのが当たり前だ。
ましてこの作品の場合、原作はなにがなんだかわからない結末なので、そのまま映画化したのでは観衆が納得しない。
それで映画は一般大衆にも納得できそうな結末になっている。
そのために原作者からいちゃもんをつけられたって話は聞かないから、これは川端康成さんも合意の上の結末なのだろう。
でもこれでもって 「雪国」 のストーリーをうんぬんする気にはなれないな。

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『雪国を訪れた男が、温泉町でひたむきに生きる女たちの諸相、ゆらめき、定めない命の各瞬間の純粋を見つめる物語』
『愛し生きる女の情熱の美しく哀しい徒労が、男の無情に研ぎ澄まされた鏡のような心理の抒情に映されながら、美的に抽出されて描かれている』
これはウィキペディアの説明だけど、ちょっとオーバー。
女たちといっても記憶に残るのは駒子と葉子だけだし、島村もナレーターみたいな感じで、本気で駒子を愛しているのかどうかも疑わしい。

「雪国」 を読んでいて、ふと夏目漱石の 「草枕」 を思い出した。
ちょっと唐突な場面で終わっているところが共通しているけど、こちらはぴしゃりと決まった俳諧趣味的なオチであって、それが読書家にとって気持ちのよい余韻を残す。
ところが 「雪国」 で残ったのは、美味しいものをとちゅうまで食べて止めたみたいな欲求不満ばかりだ。
薄情な男に徒労に終わる愛を尽くす女を描いた小説といわれるかもしれないけど、島村はそこまで情け知らずとも思えないし、わたしなら無理やりハッピーエンドの結果を考えることだってできる。
この先は読者が勝手に想像してくださいってことだとしても、どうも不親切な小説だ。
というのがわたしの 「雪国」 の感想。
名作を冒涜するのかといわれても、返す言葉がありません。

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湯沢温泉からの帰りは上越新幹線にした。
わたしが新幹線なるものに乗るのは、17年ぶりである。
「雪国」が書かれた当時、急行で7時間かかっていた区間を、いま新幹線は1時間半で走ってしまう。
同時に情こまやかな芸者、行きずりの客の部屋に押しかけてくるような芸者、のいた時代も隔世のものになってしまった。
たとえわたしに宝くじが当たったとしても、こうした日本的なものに逢う機会はもうないだろう。

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2016年3月 4日 (金)

湯沢温泉/ナニこれ

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3日目はまた朝から雪だった。
遠くの山々は雲にかくされてしまった。
3階の窓から眺めると、ふっくらとおおいかぶさった民家の屋根の雪に、さらに細かな雪の粉が吸いこまれていくのが見える。

「雪国」の大半は、まあまあ、雪国の宿でじっくり読むのにふさわしい。
ところが最後になって、火事の起こるあたりから、なんだか最近のアメリカ映画みたいにアップテンポになったような気がした。
そのくせ文章は冗長ともいえて、このへんがわたしには感覚的にしっくりこない。

火災の中で葉子も被災者になる。
焼け跡の中に転落した葉子を、駒子が抱きしめる。
ああ、感動の一瞬。
いよいよふたりの秘密があばかれるのか。
と思ったら小説はここで終わりだった。
ページの落丁ではないかと、あわてて本をひっくり返してみたけど、やっぱり終わりだった。
部屋にあったもう1冊の本で確認してみたが、やはり終わりだった。
ナニこれ。

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なにがなんだかわからず、本の後ろの解説を読んでみた。
解説は竹西寛子サンと伊藤整である。
両方ともまじめな文章で、川端文学を語って不足はない。
しかし、個人的にはなんとか理解しても、その文章は万人向きとはいいがたい。
こんな堅苦しい文章を書いているから、最近は漫画家のほうが文学的といわれてしまうのだ。
そんなことはどうでもいけど、解説を読んでも意味がわからないのはいっしょ。

仕方がないから自分なりの解釈をしてみた。
葉子という娘は、きっかけはよくわからないけど、駒子に嫉妬しているらしい。
最初は踊りのお師匠さんの息子をめぐって嫉妬し、彼が死ぬと、今度は島村をめぐって嫉妬する。
彼女の嫉妬は根拠のないものなんだけど、そんな葉子を、駒子のほうは子供扱いして相手にしない。
相手にされないとよけい気にさわる。
自分より派手な相手に、病的な嫉妬心をいだく女の子というのは、たまにいるようだ。

以前このブログで、ユーチューバーのミラって女の子に触れたことがある。
同じユーチューバー仲間から友人と思われていた彼女が、じつは嫉妬のかたまりで、ひそかに仲間をけなす行為を繰り返していたというもの。
これも生きた実例のひとつだな。

こんなふうに解釈したうえで、唐突な結末について考える。
作者は通俗的なストーリーよりも、観念的な内容で終わらせたかったのか。
小説の行き方としてそれは正しいことなのか。
青空文庫に載ったばかりの谷崎潤一郎の「春琴抄」には、最後まですじの通った物語がある。
そしてそれは「雪国」よりも文学的価値は高い(とわたしには思われる)。
最後にきちんとした結末、わたしみたいな凡人にもわかるもの、を考えてくれればよかったのにと思う。

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2016年3月 3日 (木)

湯沢温泉/縮と雁木

湯沢温泉にもどって、駅中のショッピングルモールをうろうろする。
いろんな郷土の名産が売られている。
新潟の名産といえばお米だ。
コシヒカリも売られていた。
米というのは本来南方系の植物なんだけど、それが雪の多い寒冷な土地に適合して、そのうえ一級品になってしまった。
日本人の農作物を改良する手腕にはほんとうに感心する。

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米ができれば酒もできるというのは当然で、モールの中のある店には、百円玉で各地の地酒の試飲ができる機械がずらりと並んでいた。
わたしの知っている酒はほとんどないので、ひとつも味わってみなかった。
でも、みやげに越後の笹団子と野沢菜の漬物を買っておいた。

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小説の 「雪国」 は紀行記ではないから、男女のからみがほとんどで、地方の物産や風物についての記述は多くない。
それでも越後縮(ちぢみ) や雁木(がんぎ) のことが出てくる箇所がある。

小説の中には、島村という男がいかに縮の着物に愛着を持っているか、それを大切に扱っているかという記述がある。
着物に縁のない当方にも、大切に扱われれば、着物は親から子へ、子から孫へと、数代にわたって着続けられるものであるということがよくわかる。
雪原に縮の反物をさらす光景は、作業する人たちの労苦さえ無視できれば、越後の初春の風物詩としても美しい。
蛾が卵を産む季節には衣類を干さないようにという、むかしの教訓なども興味のあるところだ。

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雁木のある町並みは、わたしもむかし長岡や小千谷あたりの小さな町で見たおぼえがある。
雪を避けて歩けるよう、通りの軒先につらなったアーケードみたいなもので、古くなって黒っぽくなった雁木は、北国の風物としてなかなか味わいのあるものだ。
残念なことに、町全体が近代化され、雪対策もいろいろなされるようになると、これも必然的に消滅する運命になってしまったようだ。
湯沢温泉には、むかしは雁木を必要とするほど人々の往来が多くなかったらしく、小説の中には駒子さんのいる湯沢には雁木がなかったという記述がある。

ショッピングモール内の待合室で無線LANできますという看板を発見した。
しかしパスワードを要求されたから、どうなってんですかと訊いてみたら、外国人の旅行者専用ですという。
わたしも旅行者なんだけどとぼやいてみたけど、パスポートを見せろといわれそうで、それ以上追及できなかった。

その後 Wi-Fiスポットの地図をもらい、駅の正面にある 「井仙」 という喫茶店で利用できることがわかった。
喫茶店だから酒はない。
おかげで湯沢にいるあいだに、苦いコーヒーを2杯飲まされた。
プリンも食ったけど。

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2016年3月 2日 (水)

湯沢温泉/アホばかり

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湯沢から車で苗場方向に上っていくと、坂道がとちゅうでつづら折れになっている箇所があって、まだ関越道が完成するよりずっとむかし、わたしはここを大型トラックで何度か往復したことがある。
春先には道の両側に4、5メートルもの雪の壁ができていた。
現在ではそんなことはなさそうだから、やっぱり地球って暖かくなってんのねと思う。

ぼんやりとそんなことを考えていたら、バスはみつまたかぐらを通り越して、苗場まで行ってしまった。
この季節の苗場はスキー客以外に用事はない。
仕方なしにたまたま通りかかったタクシーを掴まえて引き返す。
たいした距離ではないと思ったのに、こちらのタクシーはメーターが変わるのがやけに早いのだ。
おかげで2500円も取られた。
あいかわらずアホなことばかり。

平日のせいもあって、みつまたかぐらスキー場はがらがらだった。
駐車場なんて2割ぐらいしか埋まっていない。
バブルのころの駐車場なんだから仕方がないか。
気のせいかロープウエイもくすんだ感じで、これは塗装をしなおす予算がないのかもしれない。

ロープウエイ乗り場ですったもんだした。
わたしの記憶では、ロープウエイで山頂に行き、ゴンドラから降りると、雪におおわれた大きな湖があって、わぁーっと歓声をあげたくなるような壮大な景色がひろがっていたはずなのだが、切符売り場の女の子は、スキーをやらないなら行ってもつまらないですよという。
湖は凍っていてなにも見えませんという。
どうもたんなる観光客には切符を売りたくない雰囲気である。
料金は往復で2200円だし、うーんと悩んで、けっきょくゴンドラに乗るのをあきらめた。

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駐車場の近くに小さな村があった。
たしか以前スキーに来たとき泊まった民宿がこのあたりにあったはずだと、村の中をうろうろしてみた。
しかしすでに30年以上まえのことで、記憶がはっきりしない。
たしか古い神社があったはず。
村内に神社はあったけど、記憶にあるもののようではなかった。
雪の上にイヌが寝ころんで、そんなわたしを見ていた。
彼もまだ生まれていなかった遠いむかしのことだものねえ。

写真は上から、がらがらの苗場スキー場、ぶらぶらしてみた村にあった宿屋、あまり番犬の役に立ちそうにないイヌ。

とうとう泊まった民宿もわからず、また路線バスで帰ってきてしまった。
あきらめが早すぎるのがわたしの欠点だけど、でもなにがなんでもスキー場に行ってみたかったわけでも、民宿を探し求めていたわけでもない。
バスの中で、つげ義春の 「ほんやら洞のべんさん」 に出てくるような、素朴な農村の雪景色をながめたからいいことにしよう。
今回のわたしの旅は、こんなふうに、マンガや思い出の中をさまようのが目的だといって自分をなぐさめる。

https://youtu.be/nRbbOMbefok


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その後

孤独死の覚悟はしているものの、部屋で腐乱死体で発見されたりしたら、なによりアパートの大家さんに迷惑だ。
で、昨日は知り合いに電話して、今日になったらわたしんところへ電話してみてくれよと頼んでおいた。
昼すぎに電話がかかってきたから、いやあ、今日は免許証の更新に行ってきてね。
適性診断で優良だったよなんて話す。
大山鳴動してネズミ1匹みたいで、またがっかりさせて申し訳ないけど、なんとかくらくらは収まったようだ。

あまりしょっちゅう死ぬ死ぬと騒いでいると、オオカミ少年のようで、そのうちだれも信用しなくなる。
しかし、このトシになると、死ぬことについてきちんと考えておくことも必要だ。
とはいうものの、自分の健康がどういう状態なのか、自分でもさっぱりわからないのだ。
同じ世代の知り合いよりずっと健康に思えることもあれば、明日をも知れぬ不安要素をかかえているような気もする。
おそらくみんなそう考えて生きてんだろうなあ。
いさぎよく自分の人生を自分で断ち切った人間が、わたしの友人の中に2人いるけど。

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2016年3月 1日 (火)

くらくらの2

まだ頭はくらくらしてるよ。
いまからイチかバチか風呂に入るところだ。
明日からブログの更新がなくなるかもね。
おたちあい。

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くらくら

頭がくらくらする。
インフルエンザかもしれない。
わたしの知り合いは体調不調で病院へ行ったら、インフルエンザですといわれたそうだ。
だから注意して下さいってメールを寄こしたけど、ウイルスはメールを伝ってもうつるからな。
注意しなくちゃ。

頭がくらくらすると、このまま死んでしまうのかなと思う。
今年に入ってからも、わたしより若い知り合いがひとり、頭の血管がプッツンして仕事を続けられなくなったそうだ。
彼がいまなにをしているかわからない。
まだ意識があるなら、なぜ元気なうちにさっさと死んでしまわなかったのかと後悔しているだろう。
ひるがえってわたしはどうだ。
最後のチャンスは今日あしたであってもおかしくないのに。

いま台所にすわって、かたわらの炊飯器でご飯が炊けるのをぼんやり待っている。
お風呂も熱い湯を張ってある。
メシが先か、お風呂が先か、死んでもいいだけの用意はできているのである。

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湯沢温泉/芸者の値段

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みつまたかぐらスキー場への路線バスは湯沢駅の東口から出ている。
乗り場でバスを待っていると、苗場プリンスホテルの送迎バスが、目の前で外国人らしい客をぞろぞろ下ろした。
苗場はみつまたかぐらの先だから、帰り便に乗せてもらえると助かる。
で、これってホテルの客しか乗せてくれないんですかと訊いてみた。
ええ、そうですといって、バスは空っぽで帰っていった。
やってきた路線バスに乗り込んだのはわたしひとりである。
いまに始まったことじゃないが、世間に対してなんか壮大な不条理を感じてしまう。

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バスの中でまた思索の続き。
いったい芸者をあげるといくらかかるのか。
島村の場合、駒子を2時間や3時間だけお座敷に呼んだわけではなく、へたすればひと晩中いっしよにいることがしょっちゅうある。
彼女は湯沢では売れっ子の芸者だったらしいから、そんな芸者とこれだけ親密になったら、あとの支払いが大変だ。
プラトニックな関係なのだから金は払ってないのではないかという人がいるかも。
しかし小説の中に、ちゃんと時間いくらで料金を清算する場面も出てくる。
ただ売れっ子芸者になると、けっこう自分の裁量がきいたようで、駒子もひいきの島村には時間を割り引いているのである。
線香がなん本でいくらとか、芸者の給与のしくみもわかっておもしろい。

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川端康成という作家の経歴をみると、若くして両親を失い、若いころは今東光の家に世話になったり、いろいろと苦学をした人のようである。
その一方で、「伊豆の踊り子」などを読んでも、これが彼の実体験に基づくものなら、けっこう若いころから花柳界の遊びにも詳しかったようだ。
むかしの作家って、芸者をあげるほど儲かったのか。
それともこのていどは、当時の常識だったのか。

いずれにしたって島村がそうとうに資産家でなければ、この小説は成り立たない。
わたしみたいにひきこもり傾向の、さえない男にとっては、「雪国」はやっぱり男の願望を体現した小説なのだ。
それなのに島村はあいかわらず、どこまでも頼りない男なのである。
このへんの事情は川端康成本人が語っている。
つまり島村は駒子を写す鏡でありさえすればいいのであって、いてもいなくてもいい存在だそうだ。

おかげでこの本の中では、駒子さんが一方的に身もだえしているような雰囲気もある。
本の主題をひとことでいうと、〝徒労〟ということだそうだ。

添付したいちばん上の画像は、湯沢温泉の帰りに乗った新幹線の車内誌より。

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