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2016年3月 4日 (金)

湯沢温泉/ナニこれ

Y011

3日目はまた朝から雪だった。
遠くの山々は雲にかくされてしまった。
3階の窓から眺めると、ふっくらとおおいかぶさった民家の屋根の雪に、さらに細かな雪の粉が吸いこまれていくのが見える。

「雪国」の大半は、まあまあ、雪国の宿でじっくり読むのにふさわしい。
ところが最後になって、火事の起こるあたりから、なんだか最近のアメリカ映画みたいにアップテンポになったような気がした。
そのくせ文章は冗長ともいえて、このへんがわたしには感覚的にしっくりこない。

火災の中で葉子も被災者になる。
焼け跡の中に転落した葉子を、駒子が抱きしめる。
ああ、感動の一瞬。
いよいよふたりの秘密があばかれるのか。
と思ったら小説はここで終わりだった。
ページの落丁ではないかと、あわてて本をひっくり返してみたけど、やっぱり終わりだった。
部屋にあったもう1冊の本で確認してみたが、やはり終わりだった。
ナニこれ。

Y011a

なにがなんだかわからず、本の後ろの解説を読んでみた。
解説は竹西寛子サンと伊藤整である。
両方ともまじめな文章で、川端文学を語って不足はない。
しかし、個人的にはなんとか理解しても、その文章は万人向きとはいいがたい。
こんな堅苦しい文章を書いているから、最近は漫画家のほうが文学的といわれてしまうのだ。
そんなことはどうでもいけど、解説を読んでも意味がわからないのはいっしょ。

仕方がないから自分なりの解釈をしてみた。
葉子という娘は、きっかけはよくわからないけど、駒子に嫉妬しているらしい。
最初は踊りのお師匠さんの息子をめぐって嫉妬し、彼が死ぬと、今度は島村をめぐって嫉妬する。
彼女の嫉妬は根拠のないものなんだけど、そんな葉子を、駒子のほうは子供扱いして相手にしない。
相手にされないとよけい気にさわる。
自分より派手な相手に、病的な嫉妬心をいだく女の子というのは、たまにいるようだ。

以前このブログで、ユーチューバーのミラって女の子に触れたことがある。
同じユーチューバー仲間から友人と思われていた彼女が、じつは嫉妬のかたまりで、ひそかに仲間をけなす行為を繰り返していたというもの。
これも生きた実例のひとつだな。

こんなふうに解釈したうえで、唐突な結末について考える。
作者は通俗的なストーリーよりも、観念的な内容で終わらせたかったのか。
小説の行き方としてそれは正しいことなのか。
青空文庫に載ったばかりの谷崎潤一郎の「春琴抄」には、最後まですじの通った物語がある。
そしてそれは「雪国」よりも文学的価値は高い(とわたしには思われる)。
最後にきちんとした結末、わたしみたいな凡人にもわかるもの、を考えてくれればよかったのにと思う。

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