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2016年3月30日 (水)

吾輩は猫である

A

なんとか部数減をくい止めたい朝日新聞が、4月1日から、そ今度は 「吾輩は猫である」 の復刻連載を始めるそうだ。
ところで〝復刻〟という言葉を使うとき、わたしはいつもためらいをおぼえてしまう。
紀田順一郎さんの本に、〝復刻〟〝復刊〟〝覆刻〟はては〝翻刻〟なんて言葉について説明したものがあって、専門家でないわたしにはそのへんの区別がよくわからないのだ。
明治時代の連載をもういちど載せる場合はなんていったらいいのかしら。

とはいうものの、じっさいには 「猫」 は再連載ではない。
夏目漱石というと朝日新聞専属の作家だったから、ついこの小説も朝日新聞に連載されていたんだろうと考えてしまう人がいるかもしれないけど、これは漱石が大学教授だった時分にノイローゼにかかったことがあり、友人の高浜虚子から気分転換になにか書いてみたらとすすめられて、雑誌 「ホトトギス」 に書いたものだからである。
だから本来は転載というのが正しい。

「猫」 ほど有名な本になると、いっぱしの読書家で読んでない人はいないだろうけど、もしも読んでない人がいたらこの機会に読んでみたらいい。
え、青空文庫でただで読めるって?
でも、パソコン持ってない人もいるでしょ。
そうか、パソコン持ってなけりゃこのブログも読めないよな。
ちょっと矛盾があるけど、先に進もう。

ネトウヨの人ってのは、親が憎けりゃその孫まで、朝日が憎ければその連載までというのが多いけど、そういう人たちにもイデオロギー抜きでぜひ読んでもらいたい小説だ。
これまで再連載されていた 「三四郎」 「こころ」 「門」 なんて作品は、けっして他人に無条件でお薦めはしない。
しかし 「猫」 はおもしろい。
まともなストーリーがあるわけでもなく、まだ文語文の影響も残る時期に書かれたものなので、読みにくい点はあるにしても、バウムクーヘンのようにどこを切ってもおもしろく、抱腹絶倒という言葉はこの小説のためにあるような本なのである。

わたしたちは漱石という人を肖像写真で知っているけど、どんな性格だったのか、どんな癖があったのか、ふだんはなにをしていたのかなどという詳細な人間像は知りようがない。
しかし 「猫」 の登場人物である苦沙味先生は漱石がモデルとされているので、彼を通じて、ヒゲをひねくる癖だとか、顔にあばたがあるとか、本を読むふりをして書斎で寝ていることが多かったとか、女性に冷淡そうでじつはそうではないとか、漱石という人について血のかよった人間像を知ることができるのである。

ちょっと引用が長いけど、以下は主人公の学校教師が、胃弱を治そうとして四苦八苦する描写。

せんだって○○は朝飯を廃すると胃がよくなると云うたから二三日朝飯をやめて見たが腹がぐうぐう鳴るばかりで功能はない。
△△は是非香の物を断てと忠告した。彼の説によるとすべて胃病の源因は漬物にある。漬物さえ断てば胃病の源を涸らす訳だから本復は疑なしという論法であった。それから一週間ばかり香の物に箸を触れなかったが別段の験も見えなかったから近頃はまた食い出した。
□□に聞くとそれは按腹揉療治に限る。ただし普通のではゆかぬ。皆川流という古流な揉み方で一二度やらせれば大抵の胃病は根治出来る。安井息軒も大変この按摩術を愛していた。坂本竜馬のような豪傑でも時々は治療をうけたと云うから、早速上根岸まで出掛けて揉まして見た。ところが骨を揉まなければ癒らぬとか、臓腑の位置を一度顛倒しなければ根治がしにくいとかいって、それはそれは残酷な揉み方をやる。後で身体が綿のようになって昏睡病にかかったような心持ちがしたので、一度で閉口してやめにした。
A君は是非固形体を食うなという。それから、一日牛乳ばかり飲んで暮して見たが、この時は腸の中でどぼりどぼりと音がして大水でも出たように思われて終夜眠れなかった。
B氏は横膈膜で呼吸して内臓を運動させれば自然と胃の働きが健全になる訳だから試しにやって御覧という。これも多少やったが何となく腹中が不安で困る。それに時々思い出したように一心不乱にかかりはするものの五六分立つと忘れてしまう。忘れまいとすると横膈膜が気になって本を読む事も文章をかく事も出来ぬ。美学者の迷亭がこの体を見て、産気のついた男じゃあるまいし止すがいいと冷かしたからこの頃は廃してしまった。
C先生は蕎麦を食ったらよかろうと云うから、早速かけともりをかわるがわる食ったが、これは腹が下るばかりで何等の功能もなかった。
余は年来の胃弱を直すために出来得る限りの方法を講じて見たがすべて駄目である。ただ昨夜寒月と傾けた三杯の正宗はたしかに利目がある。これからは毎晩二三杯ずつ飲む事にしよう

こんな調子で、ヒマ人のだぼらを聞かされているような内容で、恋愛もスリルも起承転結もないし、現代の忙しい人たちに気に入られるかどうかわからないけど、「猫」 と 「坊ちゃん」 がなかったら、その後の夏目漱石の名声もなかったと思われる。

ま、これ以上はいわない。
なんといってもバウムクーヘンだ。
好きなときに好きなところをつまみ食いしてかまわないから、皮肉屋、諧謔家としての漱石をじっくりと味わってほしい。

念願するのは、中村不折や浅井忠の当時のイラストをそのまま載せること。
「三四郎」 や 「こころ」 の復刻は、もともと朝日新聞に連載されていたものだから問題はないだろうけど、「猫」 はそうではないから著作権が心配だ。
この挿絵があるかどうかで、「猫」 のおもしろさは、そうだな、1〜2割かた増減するんだけどねえ。

添付したのが、以前にもこのブログに載せたことのある2人の画家の挿絵だ。

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