富山湾/八尾駅のまわり
富山に着くころにはもうあまり興味がなくなっていた「風の盆恋歌」ってホン。
この小説の主人公は都筑といって、新聞社の外報部長という肩書きの、しぶくてイケメンの五十男である。
彼は東京の本宅とはべつに、八尾に別宅を1軒購入し、この家を軸に話がすすむのだから、貧乏人ではない。
けっして小説の主人公にまでやきもちをやくつもりはないけど、どうもこの設定がまず好きじゃない。
この小説は、子供こそいないものの、稼ぎのいい女房がいて、なに不自由ない生活を送っている男の不倫の物語なのである。
八尾駅で列車を下りてがっかりしたことはすでに書いた。
駅の周辺はまったく風の盆にふさわしくないところである。
それでもすこしぶらついただけで、樹木の多い傾斜地にお寺のようなものが見えたから、アテもないままそっちに舵を切ってみた。
この寺は極性寺といって、まわりは日本のどこにでもあるふつうの田舎である。
いちいち説明するほどのところでもないから、ここに貼った写真でどんなところか想像しといて。
極性寺の本堂はなかなか古そうで、耐震補強のために鉄筋の骨組みで支えられていた。
鐘つき堂のまわりにはサクラやモクレンが咲きほこっている。
由緒ある古刹ということはわかるけど、はたして風の盆はこの寺あたりが音頭をとってやっているのだろうか。
肝心の祭りが開かれるのは9月だから、この日になにか祭りの痕跡があるわけでもなし、よそ者のわたしにはさっぱりわからない。
小説の冒頭はじっくりとした描写が続く。
八尾という町のようすや、風の盆の祭りのようすが語られ、登場人物が徐々に姿をあらわすところなど、なかなかおもしろく読める。
このあたりだけ読んでいると、おお、これは傑作ではないかと思ってしまうくらいだ。
だがしかし、読み進めるうちこの小説は、どんどん現実ばなれした通俗的な恋愛小説に堕落していく。
不倫相手とフランスのパリでデイトしたり、最後に調子よく不治の病にとりつかれるなんて、婦女子が喜びそうな安っぽいラブロマンスのお手本みたいである。
高橋センセイ、こんどはひとつ、渡辺淳一さんみたいな小説を書いてくれませんかと編集者がささやいたんだな、きっと。
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