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2016年4月 3日 (日)

辞典不要論

朝早く起きて新聞を読む。
エライと思われても困る。
そのぶん昼間はたっぷり寝ているので、近所からナニをしてるのかと不審に思われているみたい。

今朝の新聞の投書欄に、74歳のおじさんさんの投書が載っていた。
「厚くならないで、カタカナ語辞典」というもので、ようするに昨今のようにカタカナ語が氾濫する時代にあっては、辞典を買い換えてもすぐにまた新しい言葉が登場して、せっかく買った辞典が古くなってしまう。
これ以上いたずらにページを増やさないでというものだった。

投書氏の74歳という年齢を考えると、パソコンを使ったことがないのかなと思ったけど、文章の中に、ITの時代だ、辞典でなくても用は足りるという文言がある。
現在は辞書や辞典がなくても、グーグルやウィキペディアがあれば、ありとあらゆる疑問に対処でき、しかもそれは日々これ更新されているから、新しい言葉が登場しても即対応できる時代だ。
この人もそのことはちゃんと心得ているらしい。

ページをめくる楽しみは捨てがたいとこの人はいう。
しかし、どうせなら、もうすこしパソコンを追求してみたらどうだろう。
わたしもページをめくる楽しさゆえに、いまだにタブレットで本を読もうという気になれないけど、ものごとを調べるためには、とっくにITに白旗を上げた。
クリックひとつで、つぎからつぎへと関連項目にジャンプできる楽しさは、紙の辞書ではとうてい味わえないことなのである。

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