富山湾/越中おわら
いいかげんくたびれて八尾駅にもどった。
駅舎の壁に風の盆の大きな写真ポスターが何枚も貼られている。
笠で顔をかくした女性たちが優雅に踊っている。
それはいいんだけど、写真の背景をみると、どうみても駅のまわりの町なみではない。
小説の舞台は八尾市諏訪町というところになっていて、主人公が買った家もここにある。
駅前にこのあたりの地図を描いた立て看板があったので、それを見たら、諏訪町は駅から2、3キロ離れているということがわかった。
この日はくたびれていたので、とてもそこまで歩けなかった。
駅前にタクシー会社があったけど、祭りをやっているわけでもないのに、そんなものを利用するのもアホらしい。
駅の待合室で風の盆のポスターをながめて思う。
踊り子の女性たちはみんな笠で顔をかくしている。
顔が見えないと、女性というものはひじょうに美しく見えるものである。
わたしは空想や妄想好きだからよけいそう見える。
いちど本物の風の盆を見たいけど、スリに御用心というくらいの混雑だそうだから、やはりわたしには空想して楽しむしかないみたいだ。
すると踊り子たちは美しさを通り越して官能的に思えてしまうのである。
最近日本を訪れる外国人観光客が増えていて、金髪の美女のなかにも、和服や浴衣を着てみたいという希望者が多いそうだ。
その気持ちはわかる、よくわかる。
歩くすがたはドラムカンという女性ですら、優雅にみせてしまうのが日本の着物というものだ。
もともと日本女性はそういう体型だったんだし。
そのうち品のいいご婦人がやってきて、待合室のかたすみに花を活け始めた。
たぶん無償のボランティアだろうけど、こういうところだけは風の盆の故郷にふさわしい。
活け花を見たあと、富山市内にもどることにした。
このていどの見聞で読書感想文をまとめられるかどうか不安だけど、そのへんは想像力を駆使し、もって生まれたでっちあげ精神をふりまわすことにする。
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