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2016年5月

2016年5月31日 (火)

文化

若いころ漫画家をこころざしていたわたしだけど、人間が古いせいか、昨今のようにそれが日本を代表する文化なんていわれると、すこーし違和感がある。
もちろんマンガの芸術性については、認めるにやぶさかじゃないんだけど、文化なんてたいそうなことをいわれると、やっぱり和食だとか温泉だとか職人仕事だとか、ほかにふさわしいものがたくさんあるでしょといいたくなってしまう。

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日本のコスプレがブームなんていうことを聞いたときも、マンガのもの真似ファッションかいと、悲しい気分になったものだ。
こんなものがもてはやされるようでは、日本はどこかおかしい、つまり国をあげてのオタク国家と思われてしまうんではないか。

ところがこれが諸外国を席巻しているという。
ホントかよ(こう疑っていたのはもっとむかしのことです)。
ま、アメリカ人やロシア人は、楽しけりゃなんでもいいって人種だから不思議じゃないけど、それではドイツはどうなのさ。
あの国はあまり日本が好きではないらしいし、ドイツ人というと謹厳実直なイメージがあって、コスプレみたいな軽薄なファッションにわりあい冷淡なのではないか。

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ところがつい最近、毎年ドイツのデュッセルドルフで開かれる「日本デー」の混雑ぶりを、写真で見てしまった。
集まった群衆が70万人だそうで、こういうお祭りだと、コスプレの女の子が登場するのも当然という感じで、どこかで見たような格好の女の子は、足の長さからして現地の娘らしい。
やっぱり・・・・
もうなにをかいわんやだな。
戦争なんかするより、こうやってうへらうへらしているほうがいいことはいうまでもないけど。

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2016年5月30日 (月)

ワイン

新しいワインを飲む。
意外と美味しいというんで、ラベルを控えておくことにした。
カッシェロ・デル・ディアブロ(Casillero del Diablo)というチリのワインで、スーパーの棚から引っこ抜いてきたものだから、たいしたモンでないと思っていた。
売り文句がスゴイ。
悪魔が守ったプレミアム・ワインだそうだ。
悪魔というものに会ったことはないけど、こんな口上を聞くと、ワイン通でもないわたしだって飲んでみたくなる。

美味い。
さすがは悪魔が守っただけのことはある。
値段はとっくに忘れたけど、なにしろスーパーの棚だから、貧乏人に買えない値段であるはずがない。
これを読んで、自分も飲んでみたいと思ったアナタ。
メーカーから宣伝料を払いましょうかと声がかかるまえにいっとくけど、あまり信用されても困る。
わたしの味覚はかなり偏向しているのだ。
しかもこれを書いている時点では、もうだいぶいい機嫌になっている。
くれぐれも自己責任で飲んで欲しい。

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2016年5月29日 (日)

細まる食

エンゲルさんにいわせると、貧乏人ほど食費の家計に占める割合が大きくなるそうである。
どうしてそうなるのか、メンドくさいから理屈はどうでもいいけど、わたしは貧乏人なのにそうなってないみたい。
最近はますます食が細くなって、肉はこの世の中になくてもかまわない、豆腐や納豆、野菜、漬け物、たまに若干の刺身があれば満足という状態。
年令と非活性的生活にあわせた食生活で、腹をすかせた扶養家族がいるわけでもない。
これでは食事に金をつぎこみようがないし、◯◯の法則なんてものは、わたしには当てはまらない。

それでもわたしはひとりではない。
独身の男女は増える一方らしいし、まわりを見まわしても、あいつもあいつもと、わたしみたいな人間はけっして少なくないのだ。
問題は、貧乏人のくせに、年とっても若いころの慣習のままに、若いころと同じ分量を食べようって手合いだな。
そりゃ体にいいわけないよ。
せいぜい糖尿に注意しなせえ。

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2016年5月28日 (土)

左派の憂鬱

安倍クンが消費税増税の延期に舵を切ってるということで、またぞろ野党やウチの新聞がアベノミクス失敗だなんて騒ぎ始めているけど、そんなに騒ぐようなことかしら。
こんなむずかしい時代に、やることなすことすべて成功するなら、政治なんて楽なもんだ。
失敗したかどうかより、なんとかしようと努力をしているだけで、日本の政治家は頑張ってると思わなくちゃ。

野党や左翼やリベラル派とされる人々にとって、いまは冬の時代だ。
政治にケチをつけようとしても、安倍クンはG7も無事に貫徹し、オバマ君に広島の訪問も実現させた。
これじゃ上がることはあっても、首相の人気が下がることは考えられない。
ウチの新聞(朝日)の憂鬱はまだ続くだろう。

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2016年5月27日 (金)

映画2本

録画しておいた映画2本を立て続けに観た。
1本はイタリア映画で、「父/バードレ・パドローネ」、もう1本は古いアメリカ映画で「白熱」という作品。
いい映画だったらDVDに焼いて永久保存の予定。

観るまえの予想では、「父」のほうは芸術作品、「白熱」のほうはギャング映画なので、どっちに期待していたかおのずとあきらか。
ところが予想がはずれた。
芸術作品のほうは、わるい映画じゃないけど、いきなり観ると意味のよくわからないところがある。
映画の中ほどで、ハンサムな若者が羊飼いに撲殺されるシーンがあるんだけど、どういう事情で殺されたのかわからない。
あわててネットで、この映画の解説を見つけて読んでみた。
そうやってあらかじめおおざっぱなストーリーを知っていれば文句のない映画だけど、意味がわからないというだけでわたしの評価はぐっと落ちる。

ギャング映画のほうは、なにしろアメリカ映画だからわかりやすい。
そうかといって単純明快、ノーテンキというわけでもない。
主人公のギャングが残忍なくせして、一方ではマザコンという設定がおもしろい。
おとり捜査官の正体がバレそうになって、けっこうハラハラドキドキする場面もある。
テレビで最適な画質で観られるようデジタル調整してあるらしく、モノクロの画面がひじょうにシャープなのも気に入った。

というわけで、わたしの判定ではギャング映画のほうに軍配を上げるけど、やっぱり両方ともDVDには焼かないことにした。
最近のわたしの部屋には録画したDVDがあふれていて、よっぽどの傑作でなければ、これ以上そういうものを増やしたくないのである。

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2016年5月26日 (木)

ジミヘン

Jh

じわじわと人生の秋を感じ始めたころは、どんな音楽を聴くべきか。
バッハのマタイ受難曲なんてのは、荘厳であってもぜんぜんふさわしくない。
あれは聴くという目的のために存在する音楽であって、わたしの人生に影響を与えた音楽とはいいかねる。
そういう観点からすると、わたしの場合は、若いころ聴いて感動した音楽ということになる。
というと、これはロックということになってしまう。
ロックが終活中の人間にふさわしいかどうか、議論のあるところだけど、それに感動し、道を踏みはずす人間もたまにいるのだ。
ロックに入れこまなければ、わたしだって人なみに結婚し、人なみにつまらない人生を送っていたかもしれない。

そういうわけで、目下のところはジミ・ヘンドリックスばかり聴いているんだけど、あまり聴きすぎるとそのうち飽きる。
飽きたらべつの曲に乗り換え、しばらくすると、そのころにはほんとうに人生の終わりにさしかかっているだろうけど、きっとまたジミヘンの音楽が聴きたくなるに決まっている。
こういう気持ちは誰にでも共通するわけではないから、他人に同じ曲をお薦めはしない。
でもあの世への道連れになる音楽を持っている人は幸せだと思う。

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2016年5月25日 (水)

悪魔の選択

アメリカによる原爆投下について、オバマ君が来日するのをいい機会とばかり、世間やマスコミが騒いでいる。
今朝のウチの新聞(朝日)では、わたしはその作品をひとつも読んでない作家の塩野七生さんが、朝日新聞の期待を裏切るようなことをいっていた。
彼女も謝罪は必要ないという考えで、まあ、これは現実的発言だろう。

同じ新聞の投書欄には、沖縄ですでに勝負は決着していたのだから、原爆を投下する必要はなかったというものがあった。
しかし、わたしは沖縄戦こそが原爆投下のあと押しをしたと思っているのである。
沖縄では日米の軍人および一般県民の死傷者が、あわせて20万人ほどとされているけど、この戦闘で日本人は、軍人でなくても、玉砕覚悟で死ぬまで戦うということをアメリカに知らしめてしまった。
これでは本土決戦になったら、どれだけ死者が出るかわからない。

とかく世間には「そうするべきではなかった」と積極的に考える人が多いけど、「そうしなかったらどうなるか」と消極的に考えたほうが、判断をしやすい場合が多いのだ。
原爆を投下しなかったらどうなっただろう。
ほかに戦争を早期に終わらせる方法があっただろうか。
アメリカ大統領の立場で考えたらどうだろう。

日本はすでに戦争を続ける余裕を失っていたのだから、持久戦に持ち込んで、熟した柿が自然に落ちるのを待てばよかったという人もいるかもしれない。
しかし北朝鮮の例をあげるまでもなく、国家というものは意外としぶといものである。
B-29による大量殺戮でも日本は降伏しなかった。
封鎖や経済制裁だけで戦争がかたづく保証はないのだ。

塩野七生さんが期待通りのことをいってくれないので、ヤケになったウチの新聞は、夕刊に今度は赤坂真理さんという作家を引っ張り出した。
彼女は朝日新聞の望み通りの発言をしているけど、ちょっと教条的で理想論にちかい。
核兵器が暴力の連鎖を生み、世界中に戦争を拡散させたというんだけど、ここでも、それでは核兵器がなかったらどうだっただろうという視点が欠けている。
アメリカが原爆を使わなければ、世界はいつまでも平和だっただろうか。
原爆投下があろうがなかろうが、いつか核兵器は出現しただろうし、その後の冷戦や、現在のISの登場も不可避的なものだったにちがいない。
歴史を左右するのは兵器ではなく、大半は人間のエゴなのだから。

わたしは原爆投下が正しいとはいわないけど、当時の米国の政治家にとって、選択肢は多くなかったと思う。
このことを考えると暗い気持ちになる。
当時のアメリカ大統領に人間のこころがあったとすれば、どっちを選択しても被害が大きい。
これは悪魔の選択というべきではないか。

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山猫

Yama

じわじわと人生の秋を感じ始めたころは、どんな映画を観るべきか。
はっきりいえるのは、昨今のマンガみたいなアメリカ映画や日本映画じゃないってこと。
で、今夜はひさしぶりにヴィスコンティの「山猫」を観てみた(DVDで)。

野性動物をとらえたドキュメンタリーかと思われると困るけど、これは “山猫” の紋章を持つイタリアの名門貴族が、没落していくさまを描いた歴史大作だ。
本来はイタリアの映画なんだけど、主人公のサリーナ公爵を米国人のバート・ランカスターが演じて、これがあの「ヴェラクルス」で、粗暴なならず者を演じた同じ役者かと、目からウロコが落ちるよう。
威厳と知性、豪胆さなどを感じさせるはまり役である。

舞台はイタリアのシチリア島で、映画は樹木の葉が風にゆれる公爵の邸宅の庭から始まり、徐々に屋敷の中へと移動していく。
大家族全員がそろった祈りの時間。
そこに使用人たちのざわめきが聞こえてくる。
庭で若い兵士の死体が発見されたというのである。
死体もちらりと出てくるけど、片足をまげて横たわった兵士のポーズは、まるでドラクロワやゴヤの名画がそのまま映像になったみたい。

映画の中に革命軍と王党派軍の大規模な戦闘シーンがある。
アメリカ映画なら血潮と肉が飛散する壮絶な場面になるところ、イタリア映画ではどこかのんびりしていて、ユーモラスなところもいい。
この戦闘シーンも含めて、いまどきの映画には見られないような、じっくりした描写がつぎつぎと現れる。
わたしには馬車の隊列が、峠をゆっくりと登って行くシーンがしみじみとこころに残っている。

でも、わたしが初めてこの映画を観たのは、まだ未熟な青二才のころだったので、そのときは映画の後半の盛大な舞踏会シーンで眠くなってしまった。
人間の精神というものは肉体といっしょに成長するものだから(例外もたくさんあるけど)、本格的に感動したのはもっとあとになって、リバイバルされたものを観てからだ。

はなやかな舞踏会とうらはらに、公爵の孤独感はますます強まっていく。
時流にとり残されたと考える主人公が、最後に石畳の歩道にひざまづいて、空の星につぶやくシーンがある。
「忠実なる星たちよ、いつわたしをそこへ迎えてくれるのだ」
ちなみに彼はアマチュアの天文学者でもある。
西部劇スターのバート・ランカスターが、一発の銃を撃つわけでもないけど、いやもう、これはじつに人生の秋にふさわしい、身につまされる映画ではないか。

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2016年5月24日 (火)

警察の仕事

アイドルが刺されたって事件。
警察はなにをしていたんだって責める声もあるけど、警察もたまんないよな。
まだ刺していない相手をつかまえてゴタゴタいえば、過剰警備だ、行きすぎた逮捕だなんて騒がれる。
警察ってのはあくまで起きてしまった犯罪に対処するのが役目で、防犯なんてことは二の次の仕事だと思ってくれなきゃ。
そもそも、いざとなったら暴力団とも切った張ったと立ち回りをしなくちゃならない、腕っぷしが自慢の体育会ばかりだ。
そんな人間がオタクやストーカーと称される、どこかおかしい相手にお説教なんかできるはずがない。
こういう事件が起きると、よく犯罪心理学が専門の大学教授なんて人が出てきて、ああだこうだと意見を述べるでしょ。
危険なストーカーには、ああいう教授さんにお説教してもらうわけにはいかんのかねえ。

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2016年5月23日 (月)

バラフェスタ

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暑いなか、昨日はうちの近所の深大寺という古刹に行ってきた。
このお寺には大きな植物園も併設されていて、近所ではちっとは知られた観光名所である。
いまちょうどバラフェスタが開かれている。
園内にある大温室もリニューアルされたそうだ。
ということを、先週の日曜に娘さんと行ってきたばかりの知り合いから聞いたのだ。
ここまでわが家から30分も歩けば着いてしまう。

初詣以外ではこのブログに深大寺のことを書いたことがないけど、今回はバラフェスタが目的。
それについては、ここをクリック。

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バラ園を見たついでに、リニューアルされた大温室をのぞいてみた。
温室の花というのは南方系の花が多く、南方系の花にはグロテスクで、ふだん見かけないかたちの花が多いから、自称ナチュラリストのわたしにはとてもおもしろいところだ。
リニューアルの主要点はバリアフリーの完璧化と、ランの展示場がサボテン系の展示に変わったことぐらい。

帰りに有名な深大寺蕎麦を食ってきた。
ずるずるとソバをすすりながらながめると、このあたりの蕎麦屋にも無線LANが備わったようだった。
時代の流れはわたしの世代をさしおいて、どんどん先に行ってるのだ。
早いことやりたいことをみんなやっておかないとと、わたしの心配はつねにそこにもどってしまう。

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2016年5月22日 (日)

怪しい電話

最近ケータイにおかしな電話がひんぱんにかかってくる。
市外局番がゼロのつかない4412なんて番号から始まっていて、最初のころ電話に出てみたら、わけのわからない言語でぼそぼそとふたこと、みこと応答があり、すぐにプツンと切れてそれっきり。
どうも外国からの電話らしいんだけど、ぜんぜんこころあたりがない。
こちらも外国人になったつもりで、アローなんて返事をしてみたけど、やはりすぐに向こうから切れてしまう。
そのくせしつこい。
1日に3、4回もかかってくることがある。
国際的なイヤラシ系の勧誘電話なら楽しくないこともないけど、電話の主は男だし、まともな会話すらする気がないようだ。

気になって調べてみた。
国際電話だとしたら、4で始まるのはヨーロッパからのもので、44なら英国のものらしい。
しかし、英国に親戚はないし、あちらから日本に電話した場合、ケータイの受信記録に44で始まる番号が残るものかどうかもわからない。
着信拒否にしてしまえばいいものを、ケータイに興味のないわたしには、その方法がわからない。
マニュアル読むのもメンドくさいというんで、目下のところこの電話はすべて無視して(出ない)、どっちが先に根負けするか意地の張り合いだ。

そのうち別系統の電話も入るようになり、こちらは050という番号から始まっている。
この番号にもこころあたりはないから、ハナっから無視していたけど、それでもかかってくるということは、コンピューターで定期的に、自動でかけるような仕組みになっているんじゃないか。
こちらもしつこいから調べてみたら、この番号で始まるのはIP電話だそうだ。
つまりインターネットを使った電話らしいけど、そんなものを使っている親戚も知り合いもいないから、どうせなにかの勧誘だろう。
電話のキライなわたしがそんなものに出るはずがないことをさっさと悟らんかい。

以上の件でなにかこころあたりのある人は、このブログに一報を。

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2016年5月21日 (土)

もどす

プロフィール写真をもとにもどしました。
若いころの自画像じゃ、このブログの「前期高齢者のヤケッパチ放浪記」にふさわしくないもんで。
もちろん写真はわたしのいちばんイイ男に写っているやつ。
なんたって、自己中心的なブログですから。

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2016年5月20日 (金)

忘れえぬ人たち

若いころのわたしは職を転々とするようないいかげんな生活をしていて、コンクリートポンプ車の仕事が割がいいというので、その仕事をしたこともある。
これはミキサー車が運んできた生コンを、ポンプで建設現場まで送り込む仕事で、きついくせに給料は募集広告ほどでもないというケシカラン仕事だった。
ミキサー車もポンプ車も、現場でこれをならす労働者も、ちょくせつの雇い主はぜんぶ別々だから話がややこしいけど、ある日現場に行ってみたら、労働者のなかにいっぷう変わった男性がいた。

もう60ぐらいの太った男性で、糖尿かなんかで下唇が飛び出し、動作もよたよたしていて、いくらか認知症が始まっているような感じ。
ただこの人のわきに、初老のきれいな女性がつきそっていて、手に手をそえるかたちで、ああしなさい、こうしなさいと指示を出していた。
はたから見ると、不動産屋の社長夫婦がおちぶれて、こんなところでいっしょに働いているみたい。
だとしても、これほどおちぶれるのもめずらしい。
コンクリートをならす労働者は、飯場で寝泊まりしている、いわゆる土方なのである。

まだ若輩のわたしがいきさつを聞くのもはばかられたし、現場でいちどか二度見ただけで、わたしはべつの現場に移動してしまったから、彼らがその後どうなったかわからない。
想像をたくましゅうすれば、かってはそれなり羽振りがよく、円満な家庭を築いていた夫婦が、事業に失敗して・・・・・というものの、ふつうならここまでおちぶれるとは考えられないから、誰かに財産をだまし取られたか、借金の肩代わりをして無一文になったか、いずれにしても不運につきまとわれて、それでも自己破産を申請するほど無責任な人ではなかったのではないか。
奥さんはそんな亭主を見捨てることもできず、二人で土方にまで身をおとしたのかもしれない。
げに美しき夫婦愛かななんて感心しているわけにはいかない。
わたしの人生観には、これまで出会ったこういう人たちも大きな影響を与えているのだ。
この夫婦も、わたしには忘れられない人々である。

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2016年5月19日 (木)

舛添サン

ケシカランとか辞めろなんてことはさておいて、都知事の舛添サンてどんな人なのだろう。
いまでもけっして不自由な生活をしているわけでもあるまいに、自分が金を出すのはぜったいにイヤという性格らしい。
都知事の座を、自分の金を使わずに夢のような贅沢をするチャンスと考えているなら、都民にとっちゃ迷惑なハナシだ。

今日は新聞に週刊新潮の広告が載る日。
それによると、舛添サンをほめる記事がいっぱいだ。
読んでないから内容はわからないけど、暴力団を手玉にとったとか、美術品を買うのにヤフオクを利用する倹約家、愛人が生んだ婚外子に電話1本入れないケジメなんて、いろいろ立派な例があげてある。
えらい人なんだなと思ってしまうけど、書いたのがあの新潮じゃあねえ。
ひょっとすると皮肉かもしれないし、たぶん皮肉なんだろう。

本人に聞いてみたいけど、仕事さえきちんとしていれば文句をいわれるスジはないっていわれそう。
ごもっとも。
でもわたしもいちどでいいから、そういう立場で好き勝手してみたい。
トリップアドバイザーから紹介の来ていた、1泊11万円のホテルに泊まってみたい。

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2016年5月18日 (水)

ナショナル・ジオグラフィック

今月号のナショナル・ジオグラフィック (以後NG誌)の特集は 「自然と人間」。
あいかわらずため息の出るような写真ばかりだけど、その最初のほうに見開きいっぱいを使ったヨセミテ渓谷や、グランドキャニオンの写真があって、その細部までシャープなこと、これはもう口をあんぐりするっきゃない。

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中でもセレンゲティ国立公園の湖に、ノアの方舟に乗るために集まったような、無数の動物たちにはおどろかされる。
いくらなんでもこれほど多くの野生動物が、いちどにファインダーの中に集まるはずはないから、これは合成写真だろうと思ったら、そのとおりだった。
たとい合成写真であったとしても、結果的に自然の豊穣さをワンカットで紹介することに成功しており、なんらいちゃもんのつけようのないすばらしい写真になっている。
ホント、いつも思うんだけど、NG誌ってのは美術書だよな。
そう思わない人に、写真についてゴタクをいわれたくない。

Sakura

添付した写真はネットで見つけたものだけど、2枚目のほうはうちの近所の井の頭公園で、この春に撮られたものだそうだ。
撮影者はドローンを使ったといってるから、例のアクションカメラの GoPro と組み合わせたものらしい。
NG誌が掲載しても不思議じゃない写真で、ああ、わたしもやってみたいわー。

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2016年5月17日 (火)

いまどきの若者

いろいろいわれているけど、日本でネトウヨが少数派であるように、韓国でも反日はほんのひとにぎりかと思っていた。
ところが嫌韓サイトの「カイカイ反応通信」を読んでみたら、韓国でなんとかいうカワイ子ちゃんグループのメンバーが、安重根(伊藤博文の狙撃犯で、韓国では義士として知られる)の名前を知らなかった、もうひとりは他人の名前を、それも日本式の読み方で挙げて、非難ごうごうという騒ぎになっているそうだ。

わたしも以前、うちに来た若い娘と話をしていたら、相手が新田義貞の名前を知らないのに愕然としたことがある。
最近の若いもんの歴史知識なんてその程度のものだ。
でもわたしの場合は、しようがねえなあで終わり。
そんなことで日本人がおおやけの場で謝罪させられるということは考えられない。

韓国でもその程度のことでと、冷静な人が多いようだけど、じっさいに謝罪させられて、カワイ子ちゃんが泣きべそをかいている写真を見ると、やはりこの国の反日は国をあげての運動になっていると思わないわけにはいかない。
嫌韓サイトの記事をうのみにするのもナンだけど、多勢を少数派が指図するという、戦前の日本でもあったファシズム的雰囲気が韓国をおおっているようだ。
もう、いいかげんにしてくれよと、終活中のおじさんは悲鳴を上げたいところ。
でもそれこそ相手の思うつぼなのだ。
日本を困らせる、いやがらせをする、そんなことに生きがいを見出している人が多いみたいだから。

韓国のカワイ子ちゃんにアドバイス。
同じまちがえるなら、このつぎからは中国人の名前を出すんだよ。

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また慰安婦

今朝のウチの新聞(朝日)がまた慰安婦を大きく扱っている。
疑惑のまなざしで読んでみたけど、今回はしごくまっとうで、誇張も捏造もない報道機関の鑑みたいな書き方。

ここでは確実なひとりの慰安婦に光があてられ、彼女の証言をもとに記事が組み立てられている。
これだけなら慰安婦の実情がよくわかり、読者もさまざまな解釈が可能で、非難に対して反論もできただろうし、一方的にいわれっぱなしということもなかっただろう。
最初からこうしておればよかったのに。

朝日新聞が反省したおかげで、シロート解説者のわたしとしては、もうこれ以上慰安婦問題でごたごたいいたくない。
うんざり。
終活中で忙しいの、わたしって。

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2016年5月16日 (月)

クネちゃん

レームダックのクネちゃんの悩みは深い。
かくれ親日家の彼女は、韓国からも日本からも能なし大統領だといじめられてきた。
彼女が日本と中国のはざまで、あっちにふらふら、こっちによたよたと、なんとか等距離を保とうと努力を続けてきたことは、バカでないかぎりわかるはずなのに、日本にも韓国にもバカが多いので。

今回は日米のミサイル防衛合同演習(MD)に参加するそうで、するとまた中国にゴタゴタいわれる。
中国も中国だ。
韓国を合同演習に追いやった原因は北朝鮮にあるのだから、それが自然崩壊するまで待っていたら、中国は朝鮮統一になんら貢献しなかったということになってしまう。
いまこそ人民軍を繰り出し、隠し玉の正男クンをかつぎ出し、正恩クンに引導わたして、韓国に大きな貸しをつくったほうが得策だと思うんだけど。

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2016年5月15日 (日)

移民政策

ウチの近所のコンビニに金髪のカワイ子ちゃんが働いていたことがある。
いちど見ただけでそれ以来さっぱりだから、労働のきびしさとつまらなさにイヤ気がさしてやめたのか、それともわたしがめったに店に顔を出さないから、顔をあわせる機会がないだけなのか。
それ以来そのコンビニに行くと、つい女の子の名札を見てしまう。

今日は、日本人といってもべつに不思議じゃない顔をした娘が働いていた。
名札を見るとカタカナ4文字になっている。
あなた、どこの国のヒト?と尋ねると、透きとおるような日本語で、モンゴルですと答える。
それっきりで、こっちの名刺を渡すとか、電話番号を訊くなんてことはしなかったけど、ウチの近所が国際色ゆたかなのは、近くに国際基督教大学があるせいかもしれない。

移民にいい顔をしない日本だけど、知らないうちに外国人はどんどん増えているようだ。
わたしの知り合いにも奥さんが中国人という夫婦がなん組もいるし、街でイスラム教徒に出会うこともめずらしくない。
わたしのアパートなんかロシア人の巣窟だぞ。
でも、ひょっとすると日本のこの行き方が、移民に対する最良の解決策かもしれないなと思う。
先日も新聞紙上で、どこかの学者さんが、日本ももっと移民を受け入れるべきだという論陣を張っていた。
しごくまともな意見で反論しにくいんだけど、移民が殺到して悲鳴を上げている欧州の例もある。
このへんは曖昧にしておき、それでもいつのまにか外国人が増えているという事実は、ずるいといえばずるいけど、さすがは日本と、欧州のお手本になる政策ではないか。

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2016年5月14日 (土)

バイク

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この春からロシア人の金髪クンが日本にもどってきた。
そしてヒマさえあれば駐車場で、中古のバイクをいじっている。
うらやましくて仕方がない。
こうみえても、わたしも若いころはよくバイクに乗ったものなのである。
ただ、彼はわたしみたいな年寄りにそんな過去があったことを知らないから、ちょっと貸してといっても、アブナイといって容易に応じてくれない。

そこで彼のフェイスブックに、わたしが若いころバイクに乗っている写真(添付したもの)を送りつけてやったら、ようやく警戒が解けたようだ。
先日彼のバイクで近所をひとまわり。
ひさしぶりだけど、じつにいい気分だった。
いい気分が高じて、またハワイに行ってみようかなどと考えている。
バイクで一周してくるのにちょうどいい大きさの島なのだ、ハワイ(オアフ島)ってのは。

ハワイは過去にいちどだけ行ったことがあって、そのときバイクを借りたことがある。
もっとも、ほんとうにひさしぶりだったので、店の親父に中型ではなく、スクーターにしろといわれてしまった。
わずかな時間だったからなんでもよかったけど、ああ、もういちどバイクに乗りたいねえ。
夏の猛暑のなか、ノーヘルで走るバイクの爽快さ。
そりゃ危険ですという人がいるかもしれないけど、なんせアメリカは自己責任の国だ。
わたしみたいに死んでもかまわんという男に、規制もヘチマもないのである。

グーグルで “ハワイ” と “バイク” という言葉を検索したら、わたしの写真まで出てきちゃったよ。

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2016年5月13日 (金)

散歩

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散歩にいく。
そんなわたしのかたわらを、どたどたとランニングシャツに短パンの若者が追い越していく。
なかなかハンサムで、赤銅色に焼けた肩の筋肉、わたしの2倍はありそうなぶっとい腕からすると、スポーツマンらしい。
フン!
ああいうのにかぎって頭は空っぽなんだよなと思う。
ところが彼はなかなか優秀で、近くにあるICU(国際基督教大学)の学士さまだったりする。
フン!
こういうのにかぎって、高慢ちきで、きらわれ者なんだよなと思う。
ところが彼は謙虚な男で、仲間うちの評判もよく、きれいな彼女がいて、卒業後は証券会社にでも就職して、まじめに働くから順調に出世をする。
フン!
こういうのが体制に順応して、パナマ文書に会社が名を連ねても不思議と思わない人間になるんだよなと思う。
ところが彼は曲がったことがキライで、会社の不正に目をつぶれず、辞表を叩きつけ、もって生まれたやさしい性格から、ボランティア事業に一生をささげる決意をする。
フ・・・・・

やれやれ。
どう考えても彼とわたしは別世界の人。
どうして人間は生まれたときから不公平なのか。
わたしだって頭と顔がよくてスポーツマンだったら、べつの人生があったはずだと文句をいいたくなる。

いちゃもんをつけようのない完璧人間の彼は、シリア難民を支援する事業に参加し、現地を視察にいって、過激派のために爆死する。
まあ、なんでもいいけど、死んじまっちゃあねえと、相手を殺してようやく溜飲を下げる。
つくづく自分がゴミだと思わせられた今日の散歩だったよな。

画像は散歩道に丈なす草。
甘い草いきれがたまんないけど、これもそのうち刈り取られる運命。

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2016年5月12日 (木)

叱咤

前項でオーストラリアに住んでいる人からアドバイスをいただいたことは書いた。
YouTubeには日本に住んで、異質の社会体験を映像で発表している外国人がたくさんいるけど、逆に外国に住んで、その国のことを報告している日本人も多い。
異なる文化圏に住んで、そこで体験したことをインターネットで報告するのはひじょうに価値のあることだ。

それにつけて思い出すのは、花粉症キライというんで、沖縄に移住した知り合いのこと。
沖縄は外国ではないけど、内地に住んでいるわたしたちにとって異文化であることはちがいない。
そこに棲む動物、そこに生える植物、みんなわたしにはめずらしいものばかりだ。
写真がうまいとかヘタは関係ない。
見たもの聞いたものを積み重ねるだけで、そこには価値が生じるものなのである。

なぜ彼は自分の体験を報告しないのだろう。
自分のアルバムにいくら写真をため込んでも、それを公開しないのではなんの価値も生み出さない。
おべんちゃらばかりいう人間にかこまれて、きびしいことをいう人間には耳をふさいで、どっぷりと安逸な生活に埋没してしまったのか。
人生は長くない。
えい、くそ。
さっさとせんかい、あのバカめ。

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2016年5月11日 (水)

豪州のマンガ家

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前項について、オーストラリアに住むマンガ家さんから親切なアドバイスをいただいた。
しばらく忘れていたけど(ゴメンナサイ)、この人は以前にもコメントをいただいた、オーストラリアのバースに在住して、ブログに定期的にマンガ作品を発表している人である。
彼のいちばん新しいブログ記事は、今年の5月の10日になっているから、作品発表はいまでもきちんと続けられている。
 
彼の最新記事の中に、三菱重工がオーストラリアに潜水艦を売り込んでいるというものがあった。
日本では法律の関係で、軍事物資をおおっぴらに外国に売り込むことはできないけど、外国ではどうどうと、そのためのポスターまで作って宣伝しているらしい。
だからケシカランなんてことはどうでもよくて、それよりも、外国じゃそういうこともあるのかいと、新しい事実を知ることが楽しい。
 
潜水艦の売り込みは、けっきょく仏が落札したわけだけど、そのへんの裏話も書かれているから、興味のある人は彼のブログを読んでチョーダイ。
http://ameblo.jp/globenetwork/

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サイン入り色紙

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わたしの先輩がヤフー・オークションに出せないかという。
何をとわたし。
ビートルズ4人のサイン入り色紙だそうだ。
へえっとわたし。

本物ですかと聞いてみると、わたしとそれほど変わらない歳の彼は、由来を語ってくれた。
若いころのこの人は芸能界にもけっこう顔の効いた人なので、話を聞いたかぎりでは間違いがないようだった。
わたしと同じように、そろそろ棺桶に片足突っ込んでいる人だから、あの世に持っていくのも惜しいというので、オークションに出す気になったらしい。
ただ彼はパソコンに無縁の人なので、ヤフオクなどに出品する方法を知らない。

わたしもネット・オークションに出品したことはない。
そんな価値のあるものを持っているわけでもないし、古いカメラやレコードなどはまとめて知り合いに上げてしまったくらいで、つまり金銭的欲求の乏しい人間だもんで。

調べてみたら、宮崎駿のイラストとサイン入りの色紙が、ヤフオクに40万円で出品されていた。
日本のマンガ家のそれが40万円なら、世界のビートルズのサインはいくらになるのか。
さらに気になって調べてみたら、ヤフオクでビートルズ4のサイン入りレコード・ジャケットに、4万円ほどの値がついていた。

・・・・・意外と安いもんだな。
これじゃゴミ箱に叩っこむほうがマシ。
先輩にはそう提言することにしよう。
昭和も遠くなりにけり、ビートルズを愛した団塊の世代としては納得できないけど。

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2016年5月10日 (火)

映画音楽

2、3日まえのの新聞に、最近の映画音楽は控え目なんて記事があった。
そういわれてみると、映画音楽でスタンダードになった曲は、最近とんと聞かないねえ。
むかしはそうじゃなかった。
「世界残酷物語」のテーマだとか、「黒いオルフェ」「いそしぎ」「ひまわり」「サンライズ・サンセット」「ジャニー・ギター 」「カサブランカ」「巴里の空の下セーヌは流れる」など、映画音楽がもとになった後世に残る名曲を、映画好きのわたしはいくらでも挙げることができる。
映画音楽の役割が変わってきたと言われればそうかもしれないけど、その黄金期を知る者にとっては寂しいかぎりだ。

ヘンリー・マンシーニの音楽もそうだったよな。
「ムーンリバー」「酒とバラの日々」「シャレード」なんか、映画と切り離しても通用する名曲、といいたいけど、じつはこの3曲はほんとうに映画と切り離したほうがいいかもしれない。
いずれも、単独で聴いても美しい曲ばかりなんだけど、はたしてそれが使われた映画の内容にマッチしているかというと、ちと疑問。

「ムーンリバー」は、オードリー・ヘプバーン主演の「ティファニーで朝食を」の主題歌。
カポーティの原作とかけ離れた、ちょっとおしゃれでふざけた映画で、その内容からすればもうすこしコミカルな要素を持った、ポップな音楽のほうがふさわしかったような気がする。
英語の不得意なわたしには歌詞の意味までわからないから、歌詞自体は内容にふさわしいのかもしれないけど、メロディがいくらなんでもキレイすぎ。

「シャレード」もオードリー主演の、こちらはおしゃれを加味したミステリーである。
わたしはこの主題歌が好きで、いまでもしょっちゅう聴いているけど、これほど耽美的で妖しい(怪しい、ではない)曲がミステリーにふさわしいだろうか。
もっともマンシーニはミステリーにふさわしい別バージョンも作っていて(タイトルバックに流れるやつ)、残念ながらそちらだけでは後世に残る名曲になったかどうかわからない。

「酒とバラ」は一転して深刻な社会派映画だ。
アルコールで身を持ちくずす夫婦の物語なのだ。
でもこんな美しい曲を流したら、禁酒協会の努力も水の泡ではないか。
「黄金の腕」という社会派映画では、オーケストラによるジャズが使われたけど、そっちのほうがいろいろな意味で社会派映画にふさわしかった。

とはいうものの、ヘンリー・マンシーニの音楽がステキであることはいうまでもない。
わたしはこれらの曲を聴くとき、映画のことは忘れるようにしているのである。

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2016年5月 9日 (月)

ロシア人気質

プーチンと安倍クンが会談をして、なにやら一致したそうだ。
これで北方四島が解決するなんてだれも思ってなくても、プーチン・ファンのわたしとしてはひとまず安心。

先日、階下のロシア人たちとバーベキューをしたことは書いたけど、そのおりに聞いてみたら、中のひとりがプーチンはクソだって。
えっえっえっ、そんなことないでしょ。
プーチンは頑張ってますよ。
あれだけ大きな国では、大統領の一存だけですぐに解決しない問題もたくさんあるでしょう。
わたしは必死でプーチンの弁護をする。

プーチンがだめなら、ほかにだれがいるのさ。
考えてみたらあの国では、ソ連時代はむろんのこと、ペレストロイカを推し進めたゴルバチョフさんもそうだし、国民からよくいわれた政治家があまりいないやねえ。
お墓を見るかぎり、アル中のエリツィンさんのほうが人気があるみたいで、大ボラ吹きのトランプさんがロシアで立候補したら、ダントツで大統領になってしまいそう。
どうもこういうのがロシア人気質らしいっすよ。

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2016年5月 8日 (日)

ニセアカシア

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野生の植物には盛衰がある。
ある年異常にはびこった植物が、今年はあまり見られないということが。
たとえばヒナゲシ。
虞美人草とも称される緋色のきれいな花だけど、今年は、はてね。
いつもの散歩コースで、コイノボリの季節にたくさん咲いていたはずなのに、今年はめったに見かけない。
雑草はあいかわらずはびこっているから、除草剤のようなものを撒いたってわけでもなさそうだし、そもそも観賞用にもなるきれいな花なので、雑草扱いされるおぼえはない。
それとも、それが多かった年は人間がせっせと種を蒔いたのか。
わからないけど、まあいいや。
今年咲かなくても来年は咲くだろう。
来年咲かなくてもさ来年は咲くだろう。
ずっと咲かなければ、いつかだれかが種を蒔くだろう。

いま咲いている花で目立つのは、おおぶりなヒルザキツキミソウや、こぶりなベニバナウスゲショウなどで、散歩コースの足もとを華やかに彩るこいつらには、盛衰なんて関係ないみたいだ。

何年かまえのヒナゲシの写真を載せようかと思ったけど、やっぱり今年の写真を載せることにした。
ニセアカシアの花で、甘い芳香がステキ。
子供のころ、わが家のすぐまえにこれの並木があったので、まわりを飛びかっていた熊ん蜂とともになつかしく思い出す。

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2016年5月 7日 (土)

羽毛布団

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今日の新聞の1面は、北朝鮮か、トランプか、ひょっとすると安倍プーチン会談かと思ったら、羽毛布団に中国産が混じっているというものだった。
ウチの新聞の特ダネなんだろうけど、脱力してしまうよな。
北朝鮮にしてもトランプにしても、安倍プーチンにしても、結果はわかっているからニュースにならんということか。
わたしの家にも羽毛の布団はあるけど、けっして高級品じゃないから、あれって北京ダックの余りものにちがいない。

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踏み破る

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はたして著作権はどこへ行ってしまったのか。

わたしはいちおうフェイスブックをやっているけど、ここでは他人のサイトや写真、動画を、こんなものがあったよと紹介する人がひじょうに多い。
もとネタにことわっているわけじゃあるまいし、これって厳密には著作権侵害とちがうか。
わたしは自分がつくったものや撮ったもの以外は、ブログやFBに載せないつもりだったけど、ネットユーザーの中には自分の作品が拡散するのをよろこぶ人もいるらしいし、サイトの中には他人のサイト記事を集約しただけのものもある。
それでCMをつけて報酬を得ているのだからケシカラン話だけど、個人が膨大なネット記事の中から、自分に必要な記事を拾い出すのは不可能だから、こういうサイトにも需要はある。
じつはわたしもそういうサイトにずいぶんお世話になっているのである。

こんな世相を見ているうち、わたしもとうとう原則を踏み破った。
えい、くそ、転用されて困る写真なら最初から載せるな。
わたしのブログに他人の写真がどうどうと載っているのはそれが原因だ。
でもどこか後ろめたさがあるのよね。
このブログの写真のうち、白く縁取りされているものは、原則としてわたしが撮ったものではありません。
たまに他人の写真に手を加えて、手を加えたってことで、縁取りしてない写真もありますが、そのへんは微妙。
ヨロシク。

ところで勝手に転用したこの写真。
ネットで見つけたことは確かだけど、どこから借用したのかわからなくなってしまった。
またFBに送られてきた友だち希望の欧米子女かもしれないし、調べるのもメンドくさいからほっぽらかしにしときます。

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2016年5月 6日 (金)

呑んだくれ

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呑んだくれは早死するなんて書いたばかりなのに、昨日はわたしが呑んだくれた。
階下のロシア人たちに誘われて、アパートの庭でバーベキューだ。
相手は肉食で、超呑んべえ国の住人ばかりだから、わたしは自分用にホタテやサザエ、野菜類とバーボンを持ち込んだ。
なんだかんだと6時間も飲み続けたあと、ひと眠りして、いま起きたところ。
頭がくらくらする。

写真はこれしかありません。

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2016年5月 5日 (木)

また高尾山

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昨日は高尾山に行く予定だった。
朝起きたらとても山登りにふさわしくない天候。
やーめたと思ったものの、その後天気は急速に回復して、さわやかな風が晴天の下に吹きわたる絶好の登山日和になった。
やっぱり行こうと、こんな具合にころころ態度を変更してもOKなのが、うちから列車で1時間もかからない高尾山のいい点だ。

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足の運動だから、今回は琵琶滝コース(6号路)を登る。
暑い日にはこのコースがいちばん涼しくていい。
登山口から山頂まで、いたるところにシャガの花が咲いていた。
いまの季節、咲いているのはほとんどこれだけってのがつまらないけど、日光に透かす木の葉が、全身染まりそうなくらいきらきら。

朝のうちの荒天で出鼻をくじかれた人がたくさんいたらしく、ゴールデンウィークにしては登山者は多くなかった。
多くないといっても、それはこの時期の高尾山にしてはというだけで、なにしろミシュラン3つ星の観光地だから、外国人を含めて山頂にはそれなりの人がいた。
富士山もよく見えた。
自撮り棒で富士山といっしょに記念写真を撮っている観光客がいたけど、ちょうど太陽が富士のま上で、逆光の時間帯だ。
デジカメやスマホで、自分と富士山を同時に撮るのはむずかしかろう。

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ここに載せた最後の写真は、富士山を写し撮るために、強引にデジタル加工してあります。

わたしの山尺(意味については2012年1月3日のこのブログ参照のこと)はますます増大したようで、最近は登るだけでへこたれる。
帰りはたいていケーブルカーだ。
それでも駅の周辺で自然薯ソバなるものを食べ、お土産に酒のつまみの「若採りゴボウ」なるものを買って、これで足の運動は完璧と、満足して帰ってきた。
この前日に知り合いに電話してみたら、どこかで呑んだくれていたけど、あいつはわたしより早死にするな、きっと。

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2016年5月 4日 (水)

スーチーさん

岸田外相がミャンマーのスーチーさんと会談をしたそうだ。
今日は日本の外相と会うというので、きちんとおしゃれをしてきたスーチーさんはとてもキレイ。
でもきれいなだけじゃない。
この人は政治家としてもひじょうにしたたかな人らしい。
先に会談を申し入れた中国とも、決定的なことはなにも約束せず、アジアの民主的先進国とされる日本とも、うふふと微笑んで手のうちを見せない。
軍部を怒らせたらモトも子もないから、改革をあせったりもしない。
そのくせ、国家顧問兼外相という地位を新設して、外国との交渉を一手ににぎり、中国からも日本からも援助を引き出そうという魂胆。
こういうことを既成の政治家にやらせると、援助の大半が政治家のふところに消えることをちゃんと見通しているのだろう。
彼女のおもわくが成就するよう祈る。
きれいなスーチーさんの写真を見てそう思う。

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異端の絵画

連休はネット三昧。
外国人がどんなことを考えているのか興味があって、以前から「海外の万国反応記」というサイトをよく見るんだけど、ここに「各国の博物館で展示されている貴重な品を見せあってみよう」という記事があった。
この記事もおもしろかったけど、リンクをたどると、さらに過去ログに行き当たり、「お前らの国から生まれた絵画のなかで、最も好きな作品を紹介していくスレ」だとか、「18世紀の米・英・仏・伊・露・蘭・日の芸術のなかで最も優れているのはどれ?」なんて記事にたどりつく。

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これらを読むと、人気のあるのは写実の極限を追求したような絵、つまりレンブラントやゴヤ、フェルメール、そしてロシアのレーピンなどであるようだ。
現代絵画については悪くいう人が多い。
古典から現代に至る過程のどこで道をまちがえたのかという質問に、写真が登場したせいでしょという回答があった。
写実に関しては、写真にとてもかなわないから、感情や感覚に訴えるモダーンアートが発達したというんだけど、ま、一聴に値するわな。
でも、栄華をきわめたローマ帝国や唐王朝でさえ、マンネリに陥って崩壊したことを思えば、写真があろうがなかろうが、絵画の単純化は避けられなかったような気もする。

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残念ながら日本の代表選手である浮世絵については、万国で支持されているとはいいがたい。
米国も含めた上記の西洋絵画は、どれも共通点があるのに比べて、日本の浮世絵だけはそうとうに異端だから、レンブラントやゴヤを愛する一般大衆にとって、漫画としか思えなくても仕方がない。
しかし、改革をこころざす西洋の芸術家たちに、浮世絵が与えたインパクトはとてつもなく大きかった。
そもそも鎖国主義をつらぬいていた日本は、西洋とは孤立した独自の芸術を目指していたわけで、それがあちらの絵画に影響を与えたというだけでもオドロキではないか。

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2016年5月 3日 (火)

今朝の新聞

今朝の新聞を読む。
なんだかやけに改憲についての記事が多い。
そうか、今日は憲法記念日かと思う。
それで朝日新聞は1面に「改憲不要55%」なんて仰々しくうたっているのか。
でも朝日の世論調査というのは、いつも他のマスコミと飛び抜けて異なる結果が出るので有名だからな。
中国とガチンコ勝負のこんなご時世に、改憲が不要という人が過半数だなんて、ホントかよと思ってしまう。

こういう疑問を持ったときには産経新聞を読む。
朝日と対極にある新聞だから、この2つを足して2で割れば正確な判断ができるんじゃあるまいか。
もっともわたしは新聞を2つもとるほどリッチじゃないから、産経はデジタル版だ。

産経のほうには、憲法記念日だというのに、世論調査に触れてない。
触れてないってことは産経に都合のわるい結果が出たのかもしれない。
ということは、朝日の調査の結果はおおむね正しいのかもしれない。

でも、ホントかよという疑問はまだ晴れない。
記事の内容を読んでみる。
改憲について、朝日の書き方は、全体として漠然としてわかりにくい。
産経のほうが具体例などを挙げて、わかりやすく書いてある。
たとえばデジタル産経では、中国機の領海侵犯などをひきあいに出して、いかに現憲法が自衛隊をしばっているかを説き、これではやっぱしマズイでしょという。

朝日のほうはこういう点を無視して、立憲主義を取り戻すときなんて書く。
文面は朝日のほうが格調が高そうにみえるけど、なんで立憲主義が出てくるのか、凡人にはなかなか理解できそうにない。
社会面の記事ならわかりやすいかと思ったら、こちらでは憲法に息づく私なんて、やっぱしよくわからない記事だ。

このあと、朝日、読売、毎日なども読んでみたけど、デジタル版ではどこも改憲論議や世論調査に触れてないね。
紙の紙面は凋落ぎみなので、影響力は少ないし、そっちの記事はヤケッパチでいいと考えているわけじゃ、まさかないと思うけど。

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2016年5月 2日 (月)

ひきこもり

ゴールデンウィークのまっ最中だ。
こんな日にブログを更新すると、あいつはせっかくの連休もひきこもりかと馬鹿にされそうだから、なにも書かないつもりだったのに、やっぱり何か書いてしまった。
ひきこもりって退屈なのよね。
でも、行楽地はどこも大混雑ってときに、部屋でごろごろ。
こんな優雅な休みの過ごし方もないと思ってんだけど。

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2016年5月 1日 (日)

不謹慎狩り

昨日はちょいと遠っ走りをしてきたんだけど、帰ってきたら夕刊に気になる記事が載っていた。
最近では著名人が、たとえば熊本地震などについて発言したり、不用意なことをしたりすると、たとえそれが励ましであったとしても、すぐに非難されることが多いのだそうだ。
ある芸人さんが福島で野菜を買ったら、セシウム入りの野菜をなぜ勧めるのかと非難されたという。
世間には著名人に対し、いわれなき攻撃をして喜んでいる輩がたくさんいて、またそれに同調して喜んでいる輩も多く、すぐに寄ってたかって攻撃され、フェイスブックやツィッターが炎上したりする。
こういうのを「不謹慎狩り」というのだそうだ。
これはいい言葉を知った。
わたしもブログが大衆の攻撃にさらされ、炎上する事態になったら(あまりありそうにないのが残念だけど)、あなたの発言は不謹慎狩りに相当するものです。
そんなものを相手にしているヒマはありません、この馬鹿。
といってやろう。ふふふ。

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GoPro

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知り合いが GoPro を手に入れた。
なかなか親切な男である。
というのは、彼はいっしょにハワイでダイヤモンドヘッドに登った金持ちのO君で、なんでも手に入れるくせに、自分ではそれを使わない人間だからである。
あれはきっとわたしのために手に入れてくれたにちがいない。
そういうことを念頭に、おい、貸せよと、これを自分の部屋に持ち帰ってきたわたしも、そうとうに図々しい。

GoPro というのは、ウェアラブルカメラとか、アクションカメラなんていわれることもある超小型カメラのことで、いま若者たちにひじょうに人気があり、これで撮った映像が YouTubeにもたくさん公開されている。
超広角一本やりで、ズームもついてないけど、映像は小型カメラとは思えないくらい鮮明で、オートバイ、サーフボード、スキー板、人間の頭、ペリカンのくちばし(じっさいにやった人がいる)など、たいていのところにつけられるから、信じられないような映像を撮ることができる。

わたしも写真や映像に凝りまくってきた人間で、これまでに買ったビデオカメラは数知れず、ダイビングに凝れば、ニコノスやオイミッヒなどをためらわずに購入してきた男だ。
わたしがもっと若ければ、値段もそんなに高いわけじゃないし、きっと自分で買っていただろう。
残念ながら生まれるのが早すぎた。

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GoPro の社史を調べると、最初はサーフィン愛好家の青年が、自分のカッコいい写真を撮るために開発したカメラらしい。
サーフィンの写真や映像では、パイプラインの内側に入って、サーファーに肉薄した迫力のある作品をよく見かけるけど、これは危険だし、技術と体力のあるプロでなければ撮れっこないものである。
そんならカメラを小型にして、サーフボードにくっつけてしまえと、このこと自体はわたしも超広角レンズを使って、車のドライバーを撮影するようなことをしょっちゅうやっているから、それほど目新しいアイディアではない。
残念なのは、こんな若者にとってのグッドアイテムを実現したのが、日本のソニーじゃなかったってことだ。

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ずっとむかし、グルノーブルの冬季オリンピックをとらえた「白い恋人たち」という映画があって、監督のクロード・ルルーシュはここで、スキーヤーのスタートからゴールまでを、カメラがいっしょに並走しながらワンカットで捉えるという衝撃の映像をつくった。
いまではこのていどは珍しくもないけど、なにしろ50年近くまえの映画だからビックリした。
わたしもあんな映像が撮りたいと念願したもんだけど、いまやそれが現実に、お手軽に、だれでも撮れる時代が来たというわけだ。

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ここに載せたのはすべてネットで見つけた画像だけど、GoProの威力まざまざというところ。
小さなハウジングに入れて水中撮影だってできるし、軽量の利点を生かして、最近はやりのドローンと組み合わせれば、ヘリコプターを借りる費用もいらないのだ。
これはもう、新時代を開拓したといってもおかしくないカメラだ。
それなのに、ああそれなのに。
わたしのほうがスキーにもダイビングにも縁のないトシになっちゃったワイ。

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