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2016年5月20日 (金)

忘れえぬ人たち

若いころのわたしは職を転々とするようないいかげんな生活をしていて、コンクリートポンプ車の仕事が割がいいというので、その仕事をしたこともある。
これはミキサー車が運んできた生コンを、ポンプで建設現場まで送り込む仕事で、きついくせに給料は募集広告ほどでもないというケシカラン仕事だった。
ミキサー車もポンプ車も、現場でこれをならす労働者も、ちょくせつの雇い主はぜんぶ別々だから話がややこしいけど、ある日現場に行ってみたら、労働者のなかにいっぷう変わった男性がいた。

もう60ぐらいの太った男性で、糖尿かなんかで下唇が飛び出し、動作もよたよたしていて、いくらか認知症が始まっているような感じ。
ただこの人のわきに、初老のきれいな女性がつきそっていて、手に手をそえるかたちで、ああしなさい、こうしなさいと指示を出していた。
はたから見ると、不動産屋の社長夫婦がおちぶれて、こんなところでいっしょに働いているみたい。
だとしても、これほどおちぶれるのもめずらしい。
コンクリートをならす労働者は、飯場で寝泊まりしている、いわゆる土方なのである。

まだ若輩のわたしがいきさつを聞くのもはばかられたし、現場でいちどか二度見ただけで、わたしはべつの現場に移動してしまったから、彼らがその後どうなったかわからない。
想像をたくましゅうすれば、かってはそれなり羽振りがよく、円満な家庭を築いていた夫婦が、事業に失敗して・・・・・というものの、ふつうならここまでおちぶれるとは考えられないから、誰かに財産をだまし取られたか、借金の肩代わりをして無一文になったか、いずれにしても不運につきまとわれて、それでも自己破産を申請するほど無責任な人ではなかったのではないか。
奥さんはそんな亭主を見捨てることもできず、二人で土方にまで身をおとしたのかもしれない。
げに美しき夫婦愛かななんて感心しているわけにはいかない。
わたしの人生観には、これまで出会ったこういう人たちも大きな影響を与えているのだ。
この夫婦も、わたしには忘れられない人々である。

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