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2016年5月25日 (水)

悪魔の選択

アメリカによる原爆投下について、オバマ君が来日するのをいい機会とばかり、世間やマスコミが騒いでいる。
今朝のウチの新聞(朝日)では、わたしはその作品をひとつも読んでない作家の塩野七生さんが、朝日新聞の期待を裏切るようなことをいっていた。
彼女も謝罪は必要ないという考えで、まあ、これは現実的発言だろう。

同じ新聞の投書欄には、沖縄ですでに勝負は決着していたのだから、原爆を投下する必要はなかったというものがあった。
しかし、わたしは沖縄戦こそが原爆投下のあと押しをしたと思っているのである。
沖縄では日米の軍人および一般県民の死傷者が、あわせて20万人ほどとされているけど、この戦闘で日本人は、軍人でなくても、玉砕覚悟で死ぬまで戦うということをアメリカに知らしめてしまった。
これでは本土決戦になったら、どれだけ死者が出るかわからない。

とかく世間には「そうするべきではなかった」と積極的に考える人が多いけど、「そうしなかったらどうなるか」と消極的に考えたほうが、判断をしやすい場合が多いのだ。
原爆を投下しなかったらどうなっただろう。
ほかに戦争を早期に終わらせる方法があっただろうか。
アメリカ大統領の立場で考えたらどうだろう。

日本はすでに戦争を続ける余裕を失っていたのだから、持久戦に持ち込んで、熟した柿が自然に落ちるのを待てばよかったという人もいるかもしれない。
しかし北朝鮮の例をあげるまでもなく、国家というものは意外としぶといものである。
B-29による大量殺戮でも日本は降伏しなかった。
封鎖や経済制裁だけで戦争がかたづく保証はないのだ。

塩野七生さんが期待通りのことをいってくれないので、ヤケになったウチの新聞は、夕刊に今度は赤坂真理さんという作家を引っ張り出した。
彼女は朝日新聞の望み通りの発言をしているけど、ちょっと教条的で理想論にちかい。
核兵器が暴力の連鎖を生み、世界中に戦争を拡散させたというんだけど、ここでも、それでは核兵器がなかったらどうだっただろうという視点が欠けている。
アメリカが原爆を使わなければ、世界はいつまでも平和だっただろうか。
原爆投下があろうがなかろうが、いつか核兵器は出現しただろうし、その後の冷戦や、現在のISの登場も不可避的なものだったにちがいない。
歴史を左右するのは兵器ではなく、大半は人間のエゴなのだから。

わたしは原爆投下が正しいとはいわないけど、当時の米国の政治家にとって、選択肢は多くなかったと思う。
このことを考えると暗い気持ちになる。
当時のアメリカ大統領に人間のこころがあったとすれば、どっちを選択しても被害が大きい。
これは悪魔の選択というべきではないか。

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