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2016年5月25日 (水)

山猫

Yama

じわじわと人生の秋を感じ始めたころは、どんな映画を観るべきか。
はっきりいえるのは、昨今のマンガみたいなアメリカ映画や日本映画じゃないってこと。
で、今夜はひさしぶりにヴィスコンティの「山猫」を観てみた(DVDで)。

野性動物をとらえたドキュメンタリーかと思われると困るけど、これは “山猫” の紋章を持つイタリアの名門貴族が、没落していくさまを描いた歴史大作だ。
本来はイタリアの映画なんだけど、主人公のサリーナ公爵を米国人のバート・ランカスターが演じて、これがあの「ヴェラクルス」で、粗暴なならず者を演じた同じ役者かと、目からウロコが落ちるよう。
威厳と知性、豪胆さなどを感じさせるはまり役である。

舞台はイタリアのシチリア島で、映画は樹木の葉が風にゆれる公爵の邸宅の庭から始まり、徐々に屋敷の中へと移動していく。
大家族全員がそろった祈りの時間。
そこに使用人たちのざわめきが聞こえてくる。
庭で若い兵士の死体が発見されたというのである。
死体もちらりと出てくるけど、片足をまげて横たわった兵士のポーズは、まるでドラクロワやゴヤの名画がそのまま映像になったみたい。

映画の中に革命軍と王党派軍の大規模な戦闘シーンがある。
アメリカ映画なら血潮と肉が飛散する壮絶な場面になるところ、イタリア映画ではどこかのんびりしていて、ユーモラスなところもいい。
この戦闘シーンも含めて、いまどきの映画には見られないような、じっくりした描写がつぎつぎと現れる。
わたしには馬車の隊列が、峠をゆっくりと登って行くシーンがしみじみとこころに残っている。

でも、わたしが初めてこの映画を観たのは、まだ未熟な青二才のころだったので、そのときは映画の後半の盛大な舞踏会シーンで眠くなってしまった。
人間の精神というものは肉体といっしょに成長するものだから(例外もたくさんあるけど)、本格的に感動したのはもっとあとになって、リバイバルされたものを観てからだ。

はなやかな舞踏会とうらはらに、公爵の孤独感はますます強まっていく。
時流にとり残されたと考える主人公が、最後に石畳の歩道にひざまづいて、空の星につぶやくシーンがある。
「忠実なる星たちよ、いつわたしをそこへ迎えてくれるのだ」
ちなみに彼はアマチュアの天文学者でもある。
西部劇スターのバート・ランカスターが、一発の銃を撃つわけでもないけど、いやもう、これはじつに人生の秋にふさわしい、身につまされる映画ではないか。

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