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2016年6月27日 (月)

ネコの死

わたしは動物ならたいていのものが好きである。
といっても面倒見のいいほうではないから、動物のほうで迷惑だろうと考え、自分で飼うことはしない。
階下の金髪クンの家では、毛の長い、高そうなネコを飼っている(サイベリアンという種類らしい)。
やっこさんをなんとか手なずけようと、出会うたびにお世辞をふりまいていたんだけど、ネコというやつは気位が高くて、なかなかこちらの思い通りにならない。
それでも最近はやっと、頭をなでさせてくれる程度にはなついてきた。

今日、ゴミ出しをしようと、朝の早い時間にドアの外に出てみたら、道路のはじになにやら茶色い毛皮のようなものが。
おいおいおい。
あわてて近づいてみたら、案の定金髪クンの家のサイベリアンだった。
車にはねられたらしい。
外傷はないけど、すでにたましいは、ネコにもたましいというものがあるならば、肉体をはなれて雲の彼方に飛び去っていた。

というのが今朝のできごと。
さっそくブログに書こうとしたら、今朝は@ニフティにシステムの異常が生じたとかで、すぐには更新ができなかった。
やれやれである。

動物好きには怒られるかもしれないけど、この機会にわたしの動物に対するスタンスを発表してしまう。
わたしは動物には動物の分際というものがあると考えているので、ネコやイヌを溺愛する人の気持ちが理解できない。
子供のころ、我が家でも雑種のネコを飼っていたことがあるけど、そのころはみんな放任主義で、食事は人間の余りもの、飼いネコも野良もそのへんで勝手に遊びまわり、ときどきお腹が大きくなって飼い主を困らせていた。
ひどい家だと生まれたばかりの子ネコを、まとめて川に投げ込んでしまうこともあった。

それでもネコたちがいまより不幸だったような気がしない。
彼らが自由を愛する動物だからこそ、わたしはネコたちに、そんな時代と現代では、いったいどちらが幸せなのかいと聞いてみたくなる。
うちのネコは幸せだという人がいたら、その1匹のかげにどれだけ不幸なネコ、つまりペットショップで売れないまま殺処分になるネコがいるのやらと。

どうも余計なことに気をまわしすぎるのがわたしの欠点だよな。
世間はそれで無事にまわっていくのだから、偽善者ぶりは止めとけという人がいたら、ゴモットモといって引き下がっておくか。
でももうあのネコの頭をなでられないのは悲しい。
わたしが仕事から帰ってくるころ、よく玄関まえで寝転がっていた彼の頭を。

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