タイ/持っていく本
タイでヒマつぶしに読もうとして、沢木耕太郎の「深夜特急」という本を選んだけど、全6巻のうち、アジア関連の1〜4巻を出発まえに読み終えてしまって、はて、どうしょう。
図書館で書架をながめているうち、むかし読んだポール・セローの「鉄道大バザール」や「ゴースト・トレインは東の星へ」という本を思い出した。
アメリカ人作家のP・セローが、ヨーロッパからアジアを経て、日本まで来るという紀行記で、たしかこれにも経由地としてタイが出てきたはず。
内容もそんじょそこいらの小説よりレベルが高いし、おかげでいちど読んだだけではまったく頭に入らない。
レベルが高いというのはこういうことだ。
「旅行記のほとんどは結論に飛びつく傾向を有し、それゆえになくなっても困らない」
「衰えを評価する能力は、年をとって初めて身につくものなのだ」
「年をとる楽しみのひとつは、世界の動乱の生き証人になること、そして不可逆的な変化というものを目にすることである」
「楽しい本の多くがそうであるように、それは苦悶の中で書かれた」
これは「ゴースト・トレイン」から拾ったものだけど、こういった警句が、ものの20ページも読み進まないうちに、矢継ぎ早に現れるのだ。
警句のほとんどは、読んだとたんに右から左へと消えていく。
ジャズという音楽が、聞いているときは楽しいが、終わるとあとかたも残らないのと似ている。
内容をほとんどおぼえていないのだから、これを旅の道連れにして、もういちどじっくり読んでもいいのではないか。
しかし「鉄道バザール」はハードカバーで353ページ、「ゴースト・トレイン」は560ページちかくもある本なので、両方とも持参したらアルプスの歩荷なみの苦行を強いられることは間違いがない。
それにそんなぶ厚い本を、たかが8日間の旅で2冊も読み切れるはずがない。
どっちかひとつだけにするとしたらどっちがいいだろう。
「鉄道バザール」の旅は1975年の旅で、「ゴースト・トレイン」は2008年の旅である。
どうせ異次元の旅をするなら、時間差があるほうがおもしろい。
というわけで、今回のには「鉄道バザール」のほうを持っていくことにした。
わたしは今回の旅と並行して、40年ちかくまえの旅も体験しようというのである。
紀行記のいい点は、だらだらと同じような記述が続くだけで、ふつうの小説のような起承転結があるわけでもないから、とちゅうから読んでもいいし、いいかげんなところでやめてもかまわないことだ。
ホテルにひっくり返って、だらしなく読むのに適している本なのである。
ただヒマつぶしが過ぎて、あちらでは本を読むだけで終わってしまうかもしれない。
本を読むなら日本にいたってできる。
そういう人もいるだろう。
そういう人は本など読んだことのないのにちがいない。
ちなみに独身男がうす汚いベッドに横たわって読む本を、豪華ホテルのプールのわきに寝ころんで読んでみよ。
下ごころのある美女がにじりよってくるかどうかは知らないけど、環境が変わるだけで、本から受ける喜びはまったくちがったものになるはずだ。
ひとり旅なんて現実逃避とたいして変わらないのだから、たまには自分が知的で金持ちという妄想の中に逃避してみるといい。
スターバッークスでアップルPCを広げている若者も、たぶん同じ心境だろう。
ホント、見えっ張りだよな、わたしって。
添付した写真は、プーケットのホテル・フロントで働いていた娘で、ちょっとエキゾチックで高貴なほほえみが、タイの仏像のモデルみたい。
| 固定リンク | 0
« 迷い | トップページ | タイ/旅立ちの日 »
コメント