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2016年6月 6日 (月)

タイ/ノンフィクション

T004

沢木耕太郎の「深夜特急6」をたちまち読み終えた。
読後感としては、これはやっぱり小説(フィクション)というより紀行記(ノンフィクション)だと思う。
ここに描かれた旅は、ひとり旅をする人間にはそれほどめずらしいことではないことがほとんどだ。
しいて探せば、たとえばローマで、知り合いに紹介された未亡人の世話になるエピソードがあるけど、女性というのは61歳で、もちろん主人公と怪しい関係になるわけでもない。
小説なら相手はまだまだ魅力的なオバハンで、主人公とベッドでひと晩を過ごさなければならない。
そうならないということは、これはほとんど作家の沢木耕太郎さんが、じっさいに体験したことをそのまま書いたものなのだろう。

ローマのオバハンの話はそれほどおもしろくないのに、そのすぐあとに、イタリアでは買い物をしたあと、お釣りをもらうのがむずかしいというエピソードがある。
わたしも中国で経験があるけど、安い果物を買うのに、うっかりお釣りのたくさん出る紙幣なんかを渡すと、なんだかんだといって正規の釣りを寄こさないことがある。
こういう話のほうがおもしろいし、これから海外に行こうという人には役に立つ。

沢木耕太郎という人は、写真でみると、スリムでイケメンの作家だけど、みかけによらずバクチが好きらしい。
マカオのカジオですった分をモナコで取り戻そうというエピソードもある。
こういう話になると、本領発揮なのか、俄然おもしろくなる。
これが小説なら、返り討ちにあって大負けするか、あるいは首尾よく大儲けをするところだけど、そのどちらにもならないのである。

純然たる紀行記として読めば、これはひじょうにおもしろい本だ。
惜しむらくは端折らないで、もっと詳細に書いてほしかったということ。
たとえばローマから、寄り道をしてスペイン、ポルトガルに寄る描写がある。
フランスのマルセーユから国境を越えてバルセロナへ、そしてバレンシア、マドリードへと続く路線バスの旅だから、もっとゆっくり見て歩けばいいのにと思うけど、ちょっと展開が早すぎる気がしないでもない。

どうもこの作家の旅はわたしと同様に、名所旧跡にはあまり関心がないようだ。
マルセーユではヒマつぶしに映画館に入り、それを観終えるともうやることがないとぼやいたりしている。
レストランをのぞいて高そうだと迷い、けっきょくスーパーで買ったハムやワインで食事をすませるなんて描写もあちこちに出てくる。
わたしもそういうタイプだから、身につまされてしまう。

それでもこの本には、ひとりで旅をする日本人に好意的な人々が何人も登場する。
たとえば宿が見つからなくて困っている主人公を、格安で泊めてくれる宿のオーナーや、ファドと呼ばれるポルトガルの音楽を聴きたくて仕方がないのだが、金がなくて躊躇している主人公を、オレについて来いといって、首尾よく金を払わないで聴かせてくれる男など。
グループで旅をしている人間にこんな幸運があり得るだろうか。
これをもってフィクションだという人がいるかもしれないけど、わたしは同じような体験をたくさんしているからわかるのだ。
この本がひとり旅讃歌の本であることはまちがいないと思う。

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