2016年7月31日 (日)
ことのついでにチェンマイの野生について報告しておくけど、ナイトマーケットを見物しているとき、電線の上をするすると渡っていくリスを見た。
チェンマイの市内ばかり見ていたせいか、リスを見たのはこのときだけ。
でも以前タイに行ったときは、バンコク市内でもリスを見たことがあるから、けっしてめずらしい動物ではなさそうだ。
ドブネズミを見たのも1回だけだから、この両者の分布率は同じくらいかも。

野生動物に数えていいのかよくわからないけど、市内には野良犬がたくさんいる。
ポール・セローの本によると、人間の庇護によらず、たくましく生きているらしいけど、見つけしだい射殺もされないらしいから、こういうのは野生といっていいのかどうか。

野鳥としてよく見かけるのは、くちばしと目のまわりが黄色くて、九官鳥を思わせる黒い鳥で、ただし大きさはせいぜいムクドリ程度。
つばさを広げると、羽の白い模様がよく目立つけど、動作も九官鳥に比べるとだいぶ品が下がるという鳥。
名前を調べたら、これはインドハッカといって、日本人にとってはめずらしい鳥だった。
でもあまりたくさんいるので、すぐに尊敬の念を失ってしまう。
ほかにスズメやドバトもいる。
市内にいるかぎり、ほかにとくに野鳥も野生動物も多いような気はしない。
もういちどタイに行くことになったら、双眼鏡を持って田舎めぐりや山登りでもしてみよう。
市場で見たタイコウチやゲンゴロウの佃煮からすると、田舎にはまだ日本と比較にならないくらい野生動物が豊富のようだ。



市内でおもしろいのは樹木で、奇想天外な花や果実をつけるものがある。
食べられるかどうか知らないけど、街路樹でさえ、南国の木というのはどこにでも実をつけるという見本みたいなものもある。
仏さまの背後にたわわに実をつけたのは、その名もキャノンボール、タイ語でルークプンヤーイで、どちらも大きな砲丸という意味だそうだ。
最後は市内で見つけた木の実だけど、こればっかりは天然のものではなく、プラスチック製の、造花ならぬ造果らしい。
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ナイトバザールの会場でも、街を歩いているときでも、あちこちでタイ式マッサージの店を目にした。
ちゃんと店舗をかまえた高級そうな店から、路上に椅子を並べたお気楽な店まで。
ただ予想とちがって、プーケットに見られたような、あからさまに性を売り物にしている店は多くないようだった。
ようだったというのは、そんなものばかり観察していたわけじゃないからだ。

この日はいい気になって歩きすぎた。
腰にガックリときたので、ナイトマーケットを見物したあと、タイ式マッサージを体験することにした。
ポール・セローの本にもタイ式マッサージが出てきて、じつに気持ちよかったなんて書いてある。
べつに変なおもわくがあるわけでもないし、どこでもいいやと、あらかじめ目星をつけておいたホテルの近所の店に出かけた。
もう夜だし、必要ないだろうとカメラも持たずに手ぶらである。
「地球の歩き方」によると、わたしのホテルのすぐ近所に、犯罪を犯した女性たちの矯正施設があって、そこでも安くマッサージが受けられるらしい。
そこに興味があったけど、この時刻ではもうやっていなかった。
店の前まで行くと、中から若い娘が飛び出してきた。
ヒラリー・スワンクみたいな、きりりとした体育会系女子である。
これはもう逃げられないなと観念する。
1時間400バーツと、2時間700バーツのどっちにしますかと聞かれ、1時間のほうにしてもらう。
じっさいのマッサージをするのは30代半ばぐらいの、おばさんというかお姉さんというか、若い娘ではなかった。
わたしの好みはスワンクのほうだけど、べつにおかしなことをするわけじゃないんだから、どっちでもいいかと自分を納得させる。
スワンクはつまらなそうな顔をして、またつぎの客が来ないかとおもてを見張り始めた。
おばさんかお姉さんがよくわからない女性が、洗面器にお湯を入れて持ってきて、この中に足をつけろという。
本当はもっとやさしくいったのかもしれないけど、わたしにタイ語はわからない。
いわれたとおりに、しばらくその中に足をつける。
ほどあいを見計らって、こちらへどうぞと3階まで案内される。
客はわたしひとりだし、暗くて、あまり清潔そうでないベッドの置かれた、どこか卑猥な雰囲気の部屋である。
なんか勘違いしてんじゃないだろうなあと心配になってきた。
Tシャツと短パンを脱いでといわれる。
とうとうパンツひとつにされてベッドに横たわる。
いやらしいのはこのへんまでで、あとは太ももの付け根から指の先まで、揉んだりひねったり。
個室でそんなことをされても、もう暴発するほどわたしは若くないのだ。
でもまあ、気持ちはよかった。


マッサージをされながらいろいろ考える。
わたしは他人の素性を推理するのが好きだけど、この場合、マッサージ師がわたしを推理したらどうなるだろう。
まずわかるのが、生っちょろい体つきからして、アスリートではないなということ。
わたしは他人から職業を尋ねられた場合、絵描きですとごまかすことにしているんだけど、指先にペンだこや筆染みができてないから、マッサージ師相手じゃバレてしまいそう。
彼女は煩悶する。
この男は何者だろう。
学者か、事務畑の国家公務員だろうか。
学者にしては頭はわるそうだし、国家公務員がTシャツに短パンとサンダル、おまけにヒゲまで生やすというだらしない格好で、マッサージを受けに来るだろうか。
うむむと彼女が悩んでいたかどうかはべつにして、マッサージは無事に終了し、わたしは粉みたいになった体でホテルにもどった。
ホテルにもどったら、店のスリッパのままだった。
仕方ないからまた店に引き返してみると、欧米人のカップルが洗面器のお湯に足を突っ込んでいた。
不景気かと思った店でもちゃんと需要はあるようだ。
添付した写真はわたしが行った店とは関係ありません。
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2016年7月30日 (土)


わたしは外国へ行くとき、できるかぎり土日を日程に入れることにしている。
お祭りやなにかのイベントは、たいてい土日に開催されることが多いからである。
もっともリオのカーニバルや、スペインの牛追いのように国際的に有名な祭りは、そもそも混雑がキライだから、ハナっから無視だ。
わたしのいうのは、村の鎮守のお祭りや、デパートの催しもの程度のささやかなイベントのことである。
この程度でも単調な旅の、ちょっとした変化にはなるものだ。


今回の旅でも金曜日出発で、土日はチェンマイにいるよう日程を組んだ。
日曜日はホテルの近所でナイトマーケットがある。
マーケットといっても、男のわたしは買い物をするわけでもないし、ワローロット市場のような実用的な市場に比べると、興味のランクは下がる。
でもホテルからほんの2、3分で行けるところだから、話のタネに見ておこうという気になったのである。


そういうわけで、ホテルにもどったあと、まだ明るかったけど、下見のつもりでぶらぶらと出かけた。
ナイトマーケットの開かれるのは、例のワット・プラシンの前からのびているラーチャダムヌーン通りで、ここが数百メートルにわたって歩行者天国になる。
く

行ってみたら準備たけなわ。
いろんいなものが売られているけど、正直、わたしの興味を引くものはあまりない。
以前のタイ旅行で見かけた昆虫の標本があった。
これはおおいに興味があるけど、終活中のわたしが買うわけにはいかない。



食用の昆虫も並べてあった。
イナゴや、水生昆虫のタイコウチ、ゲンゴロウ、そしてなんだかわからないイモムシみたいな幼虫など。
タイコウチやゲンゴロウなんて日本じゃ絶滅危惧種だぞ。
張り切って写真を撮ってから、撮影禁止という表示に気がついた。



マーケットを見て歩いているうちに、なにやらにぎやかなお囃子とともに、異様な風体のグループが会場を行進してきた。
どこかの新興宗教のメンバーらしいけど、鐘や太鼓を打ち鳴らし、歌か念仏なのかわからない言葉をとなえ、70年代のヒッピーがよみがえってきたような連中である。
考えてみればISとは対極にあるものの、そのイカレぶりは彼らに一歩もひけをとらないといったら怒られるだろうか。
はからずもタイで混迷する世界の一端をながめたような感じになった。
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2016年7月29日 (金)
さらに歩き続ける。
もういいかげん疲れていたけど、乗り物に乗るほどでもないし、急いで帰ってもやることがない。
この日は日曜日なので、夜になるとホテルの近所でナイトマーケットが開かれるんだけど、まだだいぶ時間がある。
ということで、ひたすらぶらぶら。
ぶらぶらしながら写真を撮る。
帰国してからここで撮った写真をじっくりながめたら、ひとつ問題があることがわかった。
どうも写真だと、じっさいより1、2割かた、清潔できれいなところに見えてしまうのだ。
あとでがっかりして苦情を寄せられても困るので、以後の写真も、そのつもりで割り引いて見てくれますか。
ぶらぶらしているだけなら、さっさと郊外へゾウに乗りに行くとか、トレッキングにでも行けばいいのにという人もいるだろう。
でも、めったに来れないのだから、何でもかんでもみんなやっておこうというのはビンボー人の考えだ。
わたしには今回の旅は下調べみたいなつもりもあるのだ。
街のことをよく知り、気に入ったらまた再訪すればいいではないか。
これまでもわたしはそういう考えで、まず街を歩きまわり、徹底的にその街の地理を頭に叩っこんだあと、中国やロシアを再訪問したのである。
あいかわらず閑静な住宅街をぶらついていると、タイの民族様式なのか、三角屋根のいっぷう変わった建物があった。
この日は日曜日でだれもいなかったけど、Yupparaj Wittayalai Schoolという額がかかげられていたから学校らしい。
それでは文教地区かと思っていると、そこからすこし歩いたところに、なんだかやけに派手なレストランがあったりする。
だんだん繁華な街並みになり、観光客の数も増えてくる。
添付した地図は、この日に歩いたごはん家からホテルまでの大ざっぱな行程。
こうやって街をぶらついているおかげで、チェンマイの旧市街地について、どこになにがあるのか、おおよそのことがわかってきた。
たとえば、静かで雰囲気のよいゲストハウスに泊まりたければ、あのへんの宿がいいなということである。
ホテルそのものは問題がなくても、あまり閑静といえないのが、わたしの泊まっているホテルの周辺だ。
もっともチェンマイの旧市街地はきわめて狭い範囲だから、このことがホテルを選ぶさいの条件になるとも思えない。
ごたごたしているかわり観光名所から近いし、環境のいい地域まで、自転車で10分も走れば着いてしまうのだから、あまり心配する必要はないのである。
歩いているうちに、前日に見学した(そして雨宿りした)ワット・チェディルアンのそばの交差点に出た。
ここまで来ればホテルまでもたいした距離ではない。
ということで、この日はごはん家での食事をはさんで、とうとうワローロット市場からホテルまで歩きっぱなし。
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2016年7月28日 (木)
いまさら小池百合子が勝つなんていっても、予想や予言にもならない情勢みたいだ。
まあ、彼女が勝っても負けてもどうでもいいけど、今回はぜんぜんべつの視点から眺めてみよう。
彼女が立候補したころは、彼女も猪瀬、舛添の二の舞だなんていわれていた。
そのくらい彼女にも黒い部分がたくさんあったということだ。
ところが彼女の幸運は、前任者ふたりが同じような理由で叩かれて、それも重箱のすみを突っつくように叩かれて、国民がいいかげんにしてくれよとうんざりしているころの立候補だ。
つまり国民のあいだに免疫ができていた。
これでは彼女の過去に政治資金の不正があったとしても、そのくらいいいじゃねえかで済みそうな気がする。
しかも与党の反対を押し切っての立候補だ。
これじゃ憎っい悪代官にいじめられる可哀想なヒロインてことで、ますます判官びいきの国民の支持が集まる。
鳥越サンを叩きまくっている文春や新潮も、彼女には手ぬるいようだ。
当選したら叩こうって気かもしれないけど、はたして国民がまた同調するかしら。
おりしもアメリカじゃヒラリーが大統領候補だ。
これじゃ日本にも女都知事がと考える人が、いないと思うけど、いるかもしれない。
百合子サンが当選したとしたら、彼女は時の利に恵まれた幸運なオンナの人ってことになりそう。
自民党が切歯扼腕すると喜ぶ国民も多いし、そういう人にとっても百合子サンは応援しがいがあるんじゃないか。
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ごはん屋で鉄火丼を食べていると、なぜか店のまえの狭い通りをひっきりなしに欧米人が通る。
それも団体というわけではなく、徒歩であったりスクーターであったり、旅姿であったりラフな普段着であったり、男であったり女であったりで、いったいなんだなんだ、路地の奥になにか欧米人の気をひくものがあるのかと思ったくらい。
食事を終えてまたぶらぶらと歩き出した。
路地の奥も閑静な住宅街で、欧米人が多いのはこのあたりにもゲストハウスがたくさんあるせいだった。
住宅のあいだをぶらついていると、大きなバックパックを背負ったカップルに出会ったりする。
ケチに徹し、とにかくその国を知ることを優先させる彼らは、口コミで情報を伝え合って、すこしでも安くて快適なゲストハウスを探し求めるのだろう。
現地からの報告で、チェンマイで新発見があったと書いたことがあるけど、それはこのことで、なにもきちんとしたホテルに泊まる必要はないのだ。
この街にゲストハウスの数は多く、予約なしに来たって、宿にあぶれる可能性はなさそうだ。
つぎに来るときは、わたしもこういう宿に泊まりたい。

そう思ったけれど、わたしの場合は難点もある。
わたしはもう若くないのだ。
バックパックを背負えるかどうかより、そんなスタイルが似合わない歳になってしまった。
若い人ばかりの集まりの中に入っていけるかどうかも定かじゃない。
ゲストハウスの庭で本でも読むのは理想だけど、若い人たちから見たら、なにやってんだ、あのオッサンてな具合だろう。
ヘーイ、カノジョーで写真ぐらいは撮れても、引っ込み思案で、他人の迷惑を省みることのおおありなわたしに、やっぱりゲストハウスは向かないような気がする。
だからわたしのこの文章は、これから世界に出ていこうという若者たちへの提言だ。
金をかけずに外国を見る方法はないわけじゃない。
いろんな点を考慮しても、キミらはわたしよりずっと幸運なのだ。
ポケモンなんかやってるヒマかあったら、どんどん海外に出て行け、コラ。
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2016年7月27日 (水)
どうもブログのアクセスが増えないなと思っていたら、今日の新聞に、最近のニフティの内紛のことが書かれていた。
わたしはニフティサーブのころから筋金入りのニフティの会員だけど、成績が悪いのは社員のせいだなんていう社長のせいで、会社は落ち目、会員は減少する一方だという。
ブログというのは超党派的なところがあるから、自分の契約している運営会社の会員の数に影響されるものではないと確信しているけど、でも、なんだな。
こんだけ熱心に更新して、おもしろおかしく書いているのに、アクセスが増えない、反応もさっぱりというのは、やはりオカシイよな。
契約先を変えようかしら。
会員の多い業者はどこかしら。
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外国に行って、なんで日本食を食べなきゃいけないんだよって声が聞こえる。
大きなお世話だ。
わたしは、こと食事に関しては、いま流行りのレイシストなのだ。
外国の食事を味わうのも知的好奇心ではないかという人がいるかも。
そうかもしれないけど、世間には口コミ情報というものがあふれている。
わたしみたいに、もともと食べることに関心のない人間が、いいかげんなことを書いて、世間に誤った知識をひろめるに忍びない。
だいたい美食の都市バンコクやチェンマイに行って、わざわざ日本食を食べようって人がどれだけいるか。
外国で和食の認知度や普及状況を調べるのも、立派な知的好奇心ではないか。
と、どこまでいっても屁理屈の得意なわたしだけど、このへんだろうと路地の奥をのぞきこみながら歩いて、首尾よく 「ごはん屋」 を見つけた。
もうすこし広い通りに面したところかと思っていたら、車2台がすれ違うのがやっとという狭い通りに面していた。
「御食事処」 と赤い 「ラーメン」 ののれんが下がり、寿司と書かれた提灯がぶら下がって、外から見るとまるっきり日本の居酒屋と変らない店である。
メニューに鉄火丼まであるから、バカにはできない。
日本語わかりますかと訊いてみたら、女の子がめんくらっていたから、会話はあきらめた。
注文した鉄火丼ができるまで、店頭のテーブルに座っておもてをながめる。
店のまえはせまい路地なのにやけに車の往来がはげしい。
自家用車が店のまん前に停まって、運転していたおばさんが窓から前方をうかがっている。
何をしているのと思ったら、路地に駐車中の車が何台もいて、前方から車が入ってくるとすれ違うのがむずかしい。
おばさんが前進しようとすると、そのたびに車が入ってくるので、いつになっても動けないということらしかった。
そんな光景を見てにやにやしているうちに食事がきた。
結果をいうと、鉄火丼を頼んだのはマチガイだった。
米の種類の違いなのか、ご飯がびちゃびちゃしていて、これって傷んでいるんじゃないかと思ったくらい。
それでもご飯には酢が効いていて、残さず食べてもべつに下痢もしなかったから、和食の外国バージョンといえなくもない。
アメリカで焼肉の握り寿司や、アボガド巻きなんか食わされるよりマシかもね。
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2016年7月26日 (火)
一服したあと、またぶらぶらの開始だ。
疲れたらソンテウやトゥクトゥクで帰る手もあったけど、わたしはまだ歩けそうだった。
この日はまだ昼食を食べてないし、そのためにあらかじめ目星をつけておいた「ごはん屋」という日本食レストランに行かなければならない。
方角だけはなんとなく見当がつくから、とりあえずその方向へ、住宅街の中を歩き出す。
ここに載せた地図は、ワローロット市場からごはん屋まで、わたしが歩いたおおざっぱなコース。
距離は1キロもないけど、じっさいには路地に迷い込んだり、寄り道をしたりしているから、もっと長く感じた。
この地図でみると、ワローロット市場から、チェンマイの旧市街地を取り囲む堀にかけて、わたしが歩いたところは空白地帯になっている。
田んぼでもあるのかと思ったら、じつは閑静な住宅街だった。
建物のあいだを、曲がりくねった道路が通じている。
そんなところを、家々をのぞきながらぶらぶら歩く。
住宅の中には、生垣にかこまれた瀟洒な家もある。
庭に南国の花が咲き乱れ、緑の芝生に樹木が影を落としている。
植民地時代の宗主国の役人の屋敷がこんな感じだったんだろうなあと思う。
そしてあちこちでゲストハウスの看板を目にした。
ゲストハウスというのは、日本でいうところの民宿のことかと思ったら、それよりもサービスの劣る、簡易宿泊所といったほうがふさわしい宿のことだそうだ。
つまり食事もなし、キッチンやトイレは共同でという具合に、徹底して料金を抑え、ベッドがあればなんだっていいやというバックパッカーなどに愛用されている宿だそうだ。
そういえばいかにもそれらしい欧米人の若者が、庭のテラスで地図をにらんでいたりする。
安いといってもけっして不潔そうではないし、こんなところに泊まっていれば、すぐに外国人の友人がたくさん出来るのではないか。
わたしが泊まっているホテルもわるくないけど、こんなゲストハウスに長期間くすぶっているのもわるくない。
辺ぴなところと思われるかもしれないけど、レンタル自転車でも借りておけば、チェンマイのたいていの場所は不便ではない。
生垣ごしに、宿の庭で飲みものを飲んでいる娘たちを見ることもある。
ヘイ、カノジョーといって写真をパチリ。
まえにも書いたように、同じ旅をする者同士の親近感がある。
ネコを抱っこするお姉さんにも出会ったし、ドクターフィッシュを体験している家族にも出会った。
みんなにっこりして愛想がいいし、それに乗ずるわたしも図々しい。
やがて堀に出た。
小さな橋を渡って旧市街側へ。
ここまでくるともう閑静とはいえなくなり、トゥクトゥクの運転手が、ダンナどちらまでと話しかけてきたりする。
ごはん屋はどこだ。
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最近は新聞を読むのも怖ろしい。
今朝のウチの新聞に「分断世界」という特集があって、わかりやすい政治、不満をあおる政治が、世界の潮流になっているという記事が載っていた。
米国のトランプさん、英国のEU離脱、オーストリアで右翼の、スペインでは左派が躍進、こういうのはみんな「敵」を作って、それをあおる政治手法の結果なんだそうだ。
そこまではナットク。
でもウチの新聞は、ただちにこれを日本にもあてはめる。
米国で社会主義者を自称するサンダースさんが支持を広げたのは、ネットによるところ、つまり若者たちの役割りが大きかったという。
それを見たあと帰国した日本の若者が、学生の政治団体を立ち上げた。
まあ、それはわるいことだと思わない。
しかしその学生団体が応援したのが、どっちかというと野党ばかりというのがちょっと気になる。
米国の手法を見習うのはいいけど、米国と日本では置かれた状況がかなり異なるということに気がついているんだろうか。
米国ではほんの数パーセントの人間が巨大な富を独占していて、格差は拡大する一方。
これじゃあわたしだってウォール街に怒鳴り込みたくなる。
日本はどうだ。
あちら立てればこちらが立たず、あるていどの格差はやむを得ないと考えるなら、日本はなんとかその許容範囲に収まっているように思える。
政治家だって、その他大勢の外国に比べれば、日本はなんぼかマシなほうだ。
ドイツでさえテロの脅威にさらされるいま、治安も世界一いいし、食べ物も美味しい。
おそらく日本人の大半はそのことを理解していると思う。
こんな日本でだらしない野党の肩をもつ学生団体ってなんなのさ。
与党の肩をもてっていうわけじゃないけど、米国のやり方を日本にあてはめようってのは、やっぱりどこかおかしいと思う。
この記事の最後は「民意は、つぎに火が燃え上がる瞬間を待っている」というんだけど、現状をコワしてほしいと考える日本人がどれほどいるのか。
みんな、日本だけは現状維持でいてほしいと考えているんじゃないか。
せっかくポーカーでいい手を持っているのに、欲を出してべつのカードを要求する人がどれだけいるのかってことである。
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市場の見学を終えたあと、わたしはピン川の岸辺に出た。
ピン川は茶色く濁った流れで、川幅は200メートルぐらあるだろうか。
川岸の空き地が市場に来る人のための駐車場になっていた。
ふらふらと水辺にまで近づいてみると、向こう岸はこんもりと樹木におおわれ、岸辺には民家のようなものが見える。
民家がゲストハウス(簡易宿泊所)なら、こんなところに泊まってみるのもおもしろそう。
ここに釣り人がいた。
専門の漁師じゃなく、そのへんのヒマ人らしい。
釣れますかなんてタイ語は知らないから、しばらくはたから観察していたけど、あまり成果はかんばしくないようだった。
タイの川には超大物がいるから、ナマズでも釣れるとおもしろいのに。
このあと暑さに耐えかねて、駐車場の入口にあったスターバックスのようなレストランに入って一服していくことにした。
日本のその手の店と変わらないきれいな店で、エアコンも効いているし、注文の仕方も同じである。
飲み物のいちばん小さいサイズを注文してひと息つく。
料金は一般のタイ人には高すぎるらしく、まわりに座っているのは欧米人や、どこかの金持ちのぼんぼんみたいなのが少々。
ジュースを飲みながら考える。
まだ少ししか見ていないけど、チェンマイはいいところである。
チェンマイといえばタマモトトシオさんということは以前に書いた。
タマモトさんがハーレム王として名を轟かせたのは1973年で、いまから40年以上もまえのことだ。
おそらく当時の日本人のほとんどが、チェンマイという名前を聞いたのは、そのときが初めてだっただろう。
わたしがうらやましく思うのは、ハーレムもさることながら、40年前のチェンマイがどれほど素朴で、観光ずれしていない平和な土地であったかということ。
ベトナム戦争が最終局面に入り、その惨禍が周辺国に影響を与え、ラオスやカンボジアでは内乱と殺戮が始まろうとしていたころである。
それなのにタイでは、むかしながらの駘蕩とした風が吹いていた。
貧しいことは貧しかったけれど、宗教心のあつい仏教徒たちが、昭和の中ごろまでの日本の田舎のような素朴な生き方を遵守していたのではないだろうか。
できることならわたしも、時空を超えて、40年前、50年前のチェンマイをさまよってみたいものだ。
いえ、もちろん当時もいまも、わたしに若い女の子を囲うほどの財力があったはずはないから、それがあくまで禁欲的な宗教家としてであってもかまわない。
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2016年7月25日 (月)
つぎは野菜と果物だ。
これは両方ともわたしの好物なので、見るのも楽しかった。
しかし中には青いバナナやパパイヤのように、野菜なのか果物なのか、はたまたそのどちらでもないのか、さっぱりわからないものがある。
これも南国らしくバラエティがあって楽しい。
3番目の写真の下のほうに、菜の花のようなものが写っている。
菜の花のおしたしはわたしの好物だから、帰りにバンコク空港のレストランで、特別注文で食べてみた。
特別注文というのは、肉は要らないからといって野菜だけを炒めてもらったもの。
油で炒めてあんかけ料理になっていたけど、予想に反して固くて食べにくかった。
タイ人の歯が丈夫なのか、わたしの歯が軟弱なのか。
中国でゼンマイ、ワラビの類を見つけて食べたことがあるけど、あれも固かったなあ。
やはり途上国の人ほど歯は丈夫だ。
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2016年7月24日 (日)
アホらしいと思いつつ、それほど世界を席巻しているというポケモンGOに、いったいどんなものかという好奇心もある。
階下の金髪クンがやってきて、自分のスマホに入れましたと得意そう。
ちょっと見せてといって、どんなものか説明してもらった。
ウチの近所のどこそこで、こいつを掴まえました、もう捕獲したなんとかが◯◯匹になりましただって。
説明を聞いて、まあ、なんて下らないと、やっぱりわたしのゲーム嫌いが不動のものになっただけだった。
みんな崖から落っこちろ。
車に轢かれて死んじまえ。
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おい、ワローロット市場までいくらで行く?
60パーツですね、旦那。
高い、50パーツにまけろ。
60パーツだって180円ぐらいだから、ソンタオ相手には気のドクなようなものだけど、とにかくチェンマイに着いて3日目は、そうやって市場の見学に行くことにした。
わたしはどんな国に行ってもたいていは市場に出かける。
ヘタな名所旧跡よりおもしろい。
金ピカのお寺を見たって、この国はたいへん裕福なのかと変な誤解をしかねないけど、市場を見ればその国の食文化、生活のレベルのみならず、博物学にも理解が深まると心得ているのである。
この日も曇り空で、けっして暑くはなかった。
ネットニュースを見たら、日本じゃ熱中症多発だそうだ。
わたしの幸運はまだ続いているみたいと、意を強くする。
ソンタオは途中で、やはり市場方向に行くというおばさんを拾った。

ワローロット市場は、正方形のチェンマイの外側、東の方のピン川のほとりにある。
ごちゃごちゃと店が入り組んだところで、このあたりは中国や東南アジアの一般的な市場と同じだけど、規模はかなり大きい。
5番目の写真は道路にかかった歩道橋の上から撮ったもので、市場は手前の左側にあり、ここではそのほんの一部しか写ってない。
写真のまん中あたりにグリーンの屋根の建物が写っているけど、ここは少数民族専門の店舗が集まっているところらしい。

この市場には少数民族の市場もあるというので、首長族が見られるのではないかと期待していた。
タイの少数民族の中には、子供のころから首に金属の輪をはめ、輪の数をどんどん増やしていき、おとなになるころは異様とも思えるくらい首を長くするという、キリンの進化を人間で実践しているような民族がいる。
しかし最近ではどの国でも伝統や習慣をバカにする傾向があるから、若い人たちはあまりやらないようで、少なくともわたしが見た範囲では、首の長い女性はひとりもいなかった。
7番目の写真に写っている婦人は少数民族のようだけど、首の長さは普通である。

わたしはソンタオから降りたあと、例によってぶらぶら歩きながら、まずこの少数民族専門の店舗に行ってみた。
この日は朝の10時ごろまでホテルで寝ていて、起きたあと買い置きの菓子パンを食ったきり、けっきょくホテルの朝食は取らなかった。
少数民族の店ではソーセージや焼き鳥みたいな食べ物も扱っていて、その場で立ち食いもできるけど、最近ますます肉が苦手になっているわたしの胃袋には刺激がつよすぎるみたいで、無理して食べたいとも思わなかった。
昼食は、市場の帰りに日本食レストランに寄ることに決めていたもので。
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2016年7月23日 (土)
土曜日。
たまったシャツやパンツを洗濯する日だ。
洗濯機をまわしているあいだに、またひとつブログをひねる。
ポケモンGOが日本でも発売されたって大騒ぎだ。
アホか。
日本全国、いや、世界中が気が狂ったとしか思えない。
実体のない動物を探し求めて崖から落っこちる人もいるそうだ。
今日の新聞のbe面に、「人工知能が芸術家をめざす」ってリポートがあって、AI(人工知能)がレンブラントを描きましただって。
AIにレンブラントの個性や筆跡をおぼえさせて、本人そっくりの絵を描かせたということで、その絵の写真まで載っていた。
でもこういうのは真似ごとであって、創作ではないのだ。
早い話が、まったく無の状態から、誰の真似でもない芸術作品を描いてみろといったって、AIにできっこない。
少なくとも、わたしが生きているあいだにはできっこない。
しかしわたしが死んだあとはどうなのか。
もうすでにその準備は着々と整えられているのではないか。
ポケモンなんてものに大騒ぎする人間が、世界中で人類の脳みその簡略化に成功しているのがその根拠だ。
おそらく将来、彼ら人類は、AIが描いた作品を嬉々として鑑賞するようになるだろう。
もちろん、そのときわたしはとっくに死んでいるから何も心配していない。
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チェンマイの夜は、部屋でなにをしているのか。
やることはいくらでもある。
ガイドブックで明日の計画を練ったり、持参したポール・セローの本を読んだり、もちろんインターネットも駆使する。
テレビはぜんぜん観ないけど、無線LANは問題なくつながるから、タブレットがあれば、書斎+映画館+コンサートホールを持ち込んだようなものだ。
退屈するどころか、論文のひとつぐらい、ホテルに滞在中に仕上げてみせると豪語してしまうド。
ホント、ひきこもりのオタク生活だよな。
買い置きのビールを飲みながら、そうやって深夜まで起きている。
腹がへったらカップラーメンを食べる。
電話なんかひとつもかかってこない。
べつに期待していたわけじゃないけど、うっふーんという妖しい電話を期待する人は、もっと高いホテルに泊まったほうがよさそうだ。
そういえはセローの本や沢木耕太郎さんの本には、そういう体験はまったく出てこない。
一般的な話題として、女性に迫られたという状況は出てくるけど、じっさいに相手と関係を持ったという具体的な話はないのである。
セローの本では、タイのバンコクについて
『寺と淫売宿でもっている本末転倒の街』
『この街でならどんなに内気な外国人でも女と遊べる』
『この街にはセックスの匂いがむんむん立ちこめている』
などと散々なことが書いてあるから、彼がもうすこし突っ込んだことを書けば、世界的作家の桃源郷探訪記として、おもしろい本になっただろう。
しかし世界的にはまだまだカタブツの原理主義者が多いから、その後の彼は三流作家として生きなければならない。
ポール・セローという人は、ときどきナショナル・ジオグラフィックにも記事を書いているんだけど、この世界的な啓蒙書に文章が書けるのも、彼が一線を越えないからだろう。
インドの悲惨さを伝えるのに、本人が幼い娼婦を買いましたではハナシにならないし、わたしが買ってあげなければ、彼女には1円にもならないなんて弁解は通用しないのである。
将来国際的作家になるつもりなら、けっして本番のことなど書くべきではない。
わたしの場合はそんなだいそれた希望を持っているわけじゃないんだけど、いま書いたように電話もかかって来なかったので、物理的に書けないのである。
夜遊びにでも行けばいいのに、カップラーメンを食ったあとは、どっと疲れが出て、ぐっすり寝こんでしまったから無理よ、ムリ。
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2016年7月22日 (金)
ワット・チェディルアンは有料である。
この寺はチェンマイの中心部にあって、ひょっとするとこの街最大の寺院かもしれない。
創建当時で塔の高さが80メートルあったそうで、惜しむらくは塔頂部が地震で崩壊していくらか高さを損じていることだけど、それでもそれがかえってバベルの塔のような凄みを感じさせる。
塔は四角い台座の上にそびえており、チェンマイの旧市街地と同じように、塔そのものも堀割りで囲まれている。
四方から階段が通じているけど、現在は立ち入り禁止になっていて、下から仰ぎ見ると堂内に金色の仏像も見える。
また、ここにも境内のお堂の中に涅槃仏がある。
お寺に興味がないし、わたしみたいな人間がご利益を受けようというほうが間違ってると自覚しているから、どうも、見学にもあまり熱が入らない。
べつの建物にあるご本尊さまにも見どころが多いらしいけど、短パンで入ると文句をいわれそうで入れない。
仕方ないから、なにかブログネタでもないかと境内をぶらぶら。
ある場所で女の子が寄せ書きをしていた。
こういう有名観光地に来ると、そのへんの壁に自分のサインを残したいと考える不届き者が多いから、寄せ書きでそんな煩悩を消滅させようというのかもしれない。
じいっと書かれた文字を検証してみると、英語、タイ語、中国語などで、韓国語もあるのに日本語はないようだった。
また、わたしが出発まえにぜひ見たいと考えていたワット・プラテート、これを見たいと思った理由は、ここに愛らしい小坊主の像があるということだったけど、同じような像をワット・チェディルアンでも発見してしまった。
どうも大量生産されている合成樹脂製の像らしい。
おかげでたちまち尊敬の念が失せて、けっきょくワット・プラテートにも行かずじまい(この寺院はチェンマイ市内から西方の山腹にいつでも見える)。
ぐるりと塔を一周して、小用をもよおした。
うまい具合にトイレの案内板が出ていたから、寄ってみた。
写真がそれだけど、簡潔すぎて気持ちいいくらいのトイレだった。
こういうのも水洗というのかどうか、大きなカメに水が蓄えられていて、使用後は使用者が手桶を使って自分で水を流すのだ。
トイレットペーパーはないから、拭くのも自分の手を使えってことかもしれない。
たしかインドあたりではめずらしくない方法と聞いたことがある。
このときは小のほうだったから御不浄の手を使わずにすんだけど、めずらしいものを見た(つもり)。
くだらないものに感心してるよな。
このあとまた歩こうかと思ったけど、そろそろ日没が近かったので、東の門まで歩くのは断念してホテルにもどることにした。
ホテルまで、来るときとべつの道を通って、とうとう1日歩きっぱなし。
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2016年7月21日 (木)
ワット・プラシンを裏からながめたあと、そのまま、今度は正方形の旧市街の東を目指した。
地図をみると、ワット・プラシンからまっすぐに、ターペー門という、かっての城郭の東の門まで通りがのびている。
この通りは日曜の夜になると歩行者天国にして、ナイトバザールが開催される通りだから、チェンマイの目抜通りといっていいだろう。
商店やレストランをのぞきながらぶらぶら歩く。
いったい何が楽しいのかと訊かれそうだけど、それはもちろん変人のわたしの勝手。
新宿や原宿、青山通りなどをあてもなくさまよっていた、若いころの自分を思い出してしまう。
歩き疲れたら、トゥクトゥクはどこでも掴まるから、それでもどればよい。
この国では、車は日本と同じ左側通行である。
そのせいかどうか、走っている車はトヨタ、ホンダ、いすゞ、三菱など、圧倒的に日本車が多い。
バイクのレンタル屋はいたるところにあり、しかもノーヘルでも問題はないらしい。
外国人なら国際免許なしでも借りられそうだ。
この通りに面した店の中には、ときどき原宿、麻布あたりに持っていっても通用しそうな、はっとするほどモダーンな店がある。
そのいっぽうで、古い寺院もいくつもある。
寺院や店頭には、いかにも南国ふうな変わったかたちの花が咲き乱れ、街路樹でさえ奇妙な実をつけているものがあって、歩いていて退屈しない。
やがて前方にチェンマイで、ワット・プラシンと並ぶもうひとつの有名な寺院であるワット・チェディルアンの屋根が見えてきた。
ところがこのへんでまた雨が降ってきた。
しかも今度は土砂降りだ。
やむを得ずシャッターが閉まっていた商店の軒先で雨宿りをする。
目の前にYAMAHAの看板。
なかなかやまないので、いっそタクシーをつかまえてホテルへもどろうかと考えた。
このときまでわたしは、市内をたくさん走りまわっている郵便集配車のような赤い車を、流しのタクシーとは思っていなかった。
ところが若い娘が手を上げて停めているのを見て、これもタクシーとして使えることがわかった。
あとでわかったけど、この赤い車はソンテウといって、ピックアップトラックを旅客用に改造した乗り合いタクシーなんだそうだ。
ただ、乗り合いだからほかに客がいた場合、まっすぐホテルに帰れるかどうかわからない。
料金も交渉で決めなければならない。
けっきょくうじうじして、いつまでも雨の中にたたずんでいることになった。
雨宿りをする店はいくらでもあるので、そのうち交差点のかどにあるカフェに移動した。
ただですわるわけにもいかないからジュースを頼んだけど、ここでミドルサイズはハワイといっしょで、日本人にはビックサイズだった。
この店でまたぼんやり通りをながめる。
中国人の若い娘たちが傘をさして右往左往している。
中国人であるという確証はないけど、街の中はいたるところ中国語の説明ばかりだから、たぶん中国人だろう。
日本で爆買いをする彼女らは、ここタイでも例外ではないのだ。
雨は1時間ほどでやんだ。
ついでだからワット・チェディルアンを見学していくことにした。
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水曜日は仕事を休むことにしているので、部屋でのんびりしていたら、階下の金髪クンが、タイ人である彼女の手作りだというタイ料理を持ってきてくれた。
写真がそれで、左下にあるタイカレーを、右にあるソーメンにかけ、あとは上にある野菜を、好みに応じてトッピングするのだそうだ。
おかげで今夜は充実した夕食になった。
ハックショーイ!(←激辛)
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2016年7月20日 (水)
ぶらぶら歩きながら、べつの道でホテルの近くまでもどってきたら、そこはワット・プラシンの裏門だった。
同じものでも裏から眺めると、いろいろ新発見があるものだ。
まえに来たときは気がつかなかったけど、境内の裏のほうには涅槃仏の入ったお堂もある。
涅槃仏というのは横たわった仏像で、釈迦の入滅のようすをかたちにしたものだそうだ。
釈迦はこのスタイルで、亡くなるまで45年間も説法をしたという。
寝ながら説法していいなら、ゴルゴダの丘で磔にされるよりずっと平和的で、仏教徒が他の宗教にくらべておだやかなのも、このへんに理由があるのかもしれない。
お堂をのぞいてみたら足の裏しか見えなかった。
涅槃仏の足元には数頭の野犬が寝そべっていた。
仏教国では野犬もおとなしいから、あまり怖さを感じない間のびしたイヌばかりである。
紀行作家のポール・セローは、ビルマ(現ミャンマー)で群がる野犬を見て、どうしてあれを射殺しないんですかと疑問を呈している。
ビルマ人は動物を殺すことを悪いことだと考えていると答える相手に、それじゃなんで餌をやらないんですかとも。
ここでセローは、仏教には放任の原則があると書いている。
仏教にかぎらないけど、インド人もウシを大切にするくせに、野良牛にちゃんと餌をやっているという話しを聞いたことがない。
キリスト教やイスラムは人間の側にもきびしい義務を求めるのに、東洋の宗教はそうではないと、西洋人はいつもそんなことを思っているのだろうか。
それで世の中が平和で、殺し合いもないならば、大きなお世話といいたいけど。
中国人らしい観光客が、お線香を上げていた。
中国のお寺も日本に比べれば派手だけど、タイの金メッキにはとてもかなわない。
日本人が金ピカ寺院を見せられても、度肝を抜かれるだけで、信仰心が増すわけじゃないだろうけど、中国人はわりあいすなおに反応してしまうようだ。
ところで、これって全部本物の金をメッキしたものなのかしら。
そうだとしたらウチは金持ちですと誇示しているみたいで、植民地主義の時代に、まっ先にスペイン、ポルトガルあたりに狙われそうなものだけど。
あるところでは金色の派手な壁から、金色のゾウの像が半身を乗り出していた。
この旅ではいちどもゾウを見なかったけど、あらためてゾウがタイでは身近な動物であることを思う。
建物の横にまわったら、あまり人が通らないある場所で、ぐちゃりと柔らかいものを踏んづけてしまった。
すぐに見ずに、10メートルほど行ってから後ろをふりかえって見ると、どうやらイヌのものではなく、人間さまのものらしかった。
ワット・プラシンは大勢の観光客が押し寄せる場所であるから、中にはせっぱつまっちゃう人もいるだろう。
トイレはどこにあるのか。
わたしは数日後にバンコクに移動したあと、もういちどこの問題について考えさせられる。
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2016年7月19日 (火)
チェンマイという街は上から見ると正方形の堀に囲まれている。
現在では壁はほんの一部しか残ってないけど、この堀はかっての城郭都市のなごりにちがいない。
日本の城は、城だけが堀に囲まれていて、周辺の街はのっぺらぼうな場所にほっぽり出されている。
しかしこれは日本のほうが変わっているのであって、西洋でも東洋でも、たとえば中国の西安のように、街というものはそっくり城壁で囲まれてるのが普通だったのだ。
ウィキペディアで調べると、チェンマイの歴史は1296年までさかのぼり、ラーンナータイ王国の首都として栄えたとある。
そんな王国は聞いたこともないけど、壁や堀もそのころからあるのだろう。
飛行機やミサイルの発達した現在では、城壁なんてとっくに無用の長物になってしまった。
しかしその内側には古い時代から街があったはずだから、そういうものに関心のある人には興味深いところである。
チェンマイの正方形は一辺が1キロ半くらい。
このていどなら徒歩か、自転車でまわるにちょうどいいくらいだ。
そういうわけで、メシを食ったあと、まずホテルからいちばん近い堀まで歩いてみることにした。

ホテルのまえの通りをまっすぐ行くと、4、500メートルで堀に突き当たる。
最初のうちはいくつかの寺院が目についたけど、堀の近くまで行くと、民家の軒先に屋台が置いてあったり、総菜屋が店頭でなにか揚げていたり、油だらけの車の修理屋があったり、どこか東京の下町を連想させる猥雑な雰囲気になる。
東南アジアに共通した人間臭さとでもいうか、正直にいうと、スマートさや洗練を感じないところだ。
外国人が日本に来ると、街のどこにもゴミが落ちてないことに感心するらしいけど、そんな日本人から見るとあまり清潔な街とはいいがたい。
でも、こういうところでもぶらぶらしているのは楽しい。
突き当たった堀の近くにサウンドーク(SAUN DOK)門という古い城壁の門が残っていて、たっぷりと葉を茂らせた木が道路に影を落としていた。
この門のあたりをうろうろしてみた。
堀の両側は一方通行の車道になっていて、車の往来が激しい。
信号などないし、車はびゅんびゅん飛ばしてくるから、横断するのは命がけだ。
城壁はなくなったけど、車がこんどは人間の通行を阻害する新しい城壁になったというわけである。
堀はさすがに現代風に改良されていて、噴水が作られ、まわりには芝が植えられ、公園のようによく整備されていた。
堀の外側を眺めると、内側に比べてきれいな建物が多い。
新市街と旧市街だから格差は当然だけど、チェンマイでは堀の外に家をかまえることができて、ようやく人間もうだつが上がったということになるのかも。
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2016年7月18日 (月)
わたしはタイでもネットニュースをよく読んで、日本の情勢に注目していたけど、この日にバングラデシュでテロの一報が舞い込んできた。
わたしみたいな旅行好きには、世界はますます危険になっていると、真綿で首を絞められている気分。
年齢ばかりじゃないよ、早く行っとかなけりゃ。
事件そのものは悲惨でも、それを世界のどこにいてもまったく瞬時に知ることができるということは、ネット社会の住人としては素晴らしいことだと思う。
この旅でも無線LANはきわめて有効で、夜なんかまったく日本にいるのと変わらない生活ができた。
いったい10年後、20年後の世界はどんなふうになるのか、見てみたい気もするけど、うん、無理だろうな、先のみじかいわたしには。
わたしがインドに行きたがらない理由は、すこし前にこのブログに書いた。
バングラデシュも同じ理由で行きたくない。
バングラデシュはもともとパキスタンの一部が独立してできた国である。
そのパキスタンはもともとインドの一部が、というわけで、このへんの事情をウィキペディアで調べてみても、さっぱりわからない。
そういえばわたしがビートルズにかぶれていたころ、ジョージ・ハリソンらが音頭をとって、バングラデシュ救済コンサートなんてものがあった。
あれもよくわからないな。
ハリソン君が救おうとしていたバングラデシュの悲劇は、そもそもなにが原因だったのか。
当時の敵味方関係は、いまはどうなったのか。
それはともかくとして、ただでさえインドあたりは神様の種類が多いところなので、そんなところにわたしみたいな無神論者が紛れ込んだら、命がいくつあっても足りないだろう。
君子危うきに近寄らず、無関係な人間が近づかないのがいちばんだ。
それでは世界のことがわからないと心配する必要はない。
ネット社会に住んでいるわたしたちは、部屋の机のまえでいつでも世界とつながっているのである。
バングラデシュのテロは、もう日本人であるということが、黄門さまの印籠にならないことを証明してしまった。
これから海外に出る人はコーランの暗記が必須だとか。
イスラム教徒の国では、ラマダン中に派手に飲み食いするのはつつしんで、むしろこちらもダイエットの一環ぐらいのつもりで、絶食するといいかも。
特に女性は。
この晩、日本にいる知り合いから心配するメールが届いた。
心配ないよ、わたしはそんな危険な国にいるわけじゃないと返事をする。
心配があるとすればまったく見当違いの方向で、チェンマイにいるあいだ、タイではわたしのゆいいつの情報源であり、意思の疎通手段であるタブレットがバッテリー切れになりそうなこと。
もちろん充電器は持ってきたけど、電圧が低いのか、なかなかフル充電しないのだ。
テレビのコードを引っこ抜いたり、洗面所で充電してみたり、あちこちのソケットを試してみるうち、深夜から明け方にかけてが割に充電しやすいことがわかった。
使う人の少ない時間帯は充電しやすいというのは理にかなっているけど、まあ、不便なところである。
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2016年7月17日 (日)
まだ雨は降っていたので、ビールでも飲んで雨宿りのつもりで、帰りにもう一軒のレストランに寄った。
客はいなかったけど、店内にさまざまな民芸品が山と積まれ、なかなか個性的な店である。
雨が降っているから奥のほうの席に座ろうとしたら、店のマダムがいちばん店頭のテーブルに座れという。
客がひとりもいないと不景気な店と思われて、ますます客が寄りつかないから、つまり客寄せパンダにされたらしい。
宣伝料よこせ。
このマダムというのは花柄のムームーを着た、厚化粧の、なんとなくがめつそうな中年女性である。
わるい予感がしたけど、まだ結果がわからないのだから、外見で判断して店を出るわけにはいかない。
ビールを注文すると、上半分が金属、下半分が陶器という変わったジョッキでもってきた。
写真を撮ろうとするとダメという。
ビールだけではつまらないから、おつまみ代わりに、たまたま看板に写真の出ていたカオソイというタイ料理を頼んだ。
マダムがそれを作るため店の奥に引っ込んでいるあいだ、タブレットでビールの写真を撮ってしまった。
ザマミロ。
店が個性的だから、通りかかった観光客がみんな感心して眺めていく。
白人の女の子たちが店内を指して、なにやら言い合っているときなどは、わたしのうわさをされているみたいで、いい気分だった。
イタリア人らしい(あくまでわたしの主観だけど)家族が通りかかったときは、カメラを持った父親が、店の写真を撮りたそうにうろうろ。
しかし店先で仏頂面をしているわたしを見て、あきらめたらしいのは気のドクだった。
カオソイのは有名なタイ料理だそうだけど、生のモヤシ、レモンのスライス、ハーブなどと、まだ湯にひたしてないインスタントラーメンみたいなものが上に乗っている。
それをほじくると、下にカレー味の麺が入っているものだった。
べつに感動するほど美味しいものではない。
写真を撮っていいかと聞くと、これはOKだという。
ついでにあなたの写真もいいかというと、ダメダメといいながら、モデルのようなシナをつくる。
ここに彼女の写真があるのはそういうわけだ。
でも顔はいちおうぼかし入り。
勘定をしてもらったら、やっぱりぼられたような気がする。
日本と比較すれば安いことはまちがいないのに、途上国に行くと、ついわたしもその国の住人としての経済観念になってしまうのだ。
文句もいわずに店を出た。
夜になってこの店のまえを通ったら、欧米人のグループが盛大に酒盛りをしていた。
彼らもぼられたのだろうか。
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2016年7月16日 (土)
わたしはゲームをやらない人間だからさっぱりわからないんだけど、いまポケモンGOというゲームが世界を席捲しているらしい。
おかげでわたしが愛読している「海外の万国反応記」や「カイカイ反応通信」なんてサイトにも、よくその記事が載る。
ぜんぜん興味がないので、ヒジョーに迷惑。
もっとおとなの興味をみたす記事を書いとくれ。
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首尾よくサンダルを購入して、しばらくホテルでごろごろしていたが、昼食を取るためにまた近所へ出かけることにした。
すると外は雨になっていた。
たいした降りでもなかったから、傘もささずに強引に出かけた。
ホテルに到着した晩は殺風景なところだと思ったけど、ワット・プラシンの前まで行くと、そこから東に向かって、たぶんチェンマイの旧市街地でいちばんと思われる目ぬき通りが直通している。
このあたりには商店やレストランも多い。
たまたま欧米人の家族が食事をしている店が目についたので、そこへ飛び込んだ。
通りに面したいちばん前のテーブルが空いていたので、そこにすわる。
わたしのとなりにはもの思いにふける大男の白人男性がひとり。
健啖家ではないわたしが、うっかり注文すると食べきれないおそれがあるので、メニューをにらみ、チャーハンみたいなものと、つつましく卵スープを注文した。
料理を待つあいだ、ぼんやりと店の前の通りを眺める。
そぼふる雨の中、ソンテウというトラックみたいなタクシー、三輪タクシーのトゥクトゥク、2人乗り、3人乗りのスクーター、オレンジの僧衣の坊さん、傘をさしたりささなかったりの観光客などが行ったり来たりしている。
短パンから魅惑的な足をさらけ出した白人娘も通る。
これでは退屈しようがない。

白人娘というのは美人だけど、それに比べるとどうもアジア娘は、なんて一般論をひねくっているうち料理が出てきた。
チャーハンはわたしにちょうどいい分量で、味もわるくなかった。
でも、どうして白人の娘って、きれいでスタイルも抜群なのかねと、いろいろ思索しながらメシを食う。
卵スープも美味しかった。
邱永漢さんの本によると、卵スープというのは、簡単そうでじつはむずかしい料理だそうだ。
この店のコックには及第点を上げられそう。
そのうち欧米人の家族が食事を終えて出て行こうとしたが、そのうちの可愛らしい男の子が、これ落ちてますよといってわたしにボールペンを差し出した。
尻ポケットに挿しておいたポールペンが、椅子にすわったとき落ちたらしい。
ありがとうといって彼ら全員とにっこり。
こういう観光地では、みんな開放的になって、こころもオープンになっているせいか、たとえば往来で行きあった若い美人にカメラを向けても、イヤな顔をされることはめったにない。
もともと欧米人というのはフランクなのが多いし、ここには旅する者同士の共感みたいなものがあるのだ。
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2016年7月15日 (金)
今朝の新聞に皇室典範の説明があったね。
なんで典範に生前退位がないのかという理由について
①退位を認めると上皇や法王の存在が弊害を生ずる恐れがある
②天皇の自由意志にもとずかない退位の強制があり得る
③天皇が恣意的に退位できるようになる
んだそうだ。
まったくお役人が自分の都合のためにひねくり上げたような文言だな。
①については
退位を認めないと、もうくたびれて辞めたい天皇の存在が、弊害を生ずる恐れがあることもあり得るという逆の発想が出てこないね。
②については
だれが天皇の退位を強制するのさ。
ヤクザの跡目争いじゃあるまいし、すべて衆人注視のなかでやらなければいけないことだ。
本人が辞めたいといってるのに辞めさせないほうが非人間的だ。
③についても、恣意的に退位するとしたら、本人がそうするんだろうけど、できるようになるか、できるようにさせないか、これこそがいま問題になっていることじゃないか。
人間として自然な生き方も認めないというんじゃ、天皇は生まれたときから皇居に幽閉された囚人と同じだ。
外国人の嫁さんをもらいたいから退位しますって、せめて現在の英国王室ぐらいフランクなものにしてあげられないものか。
自由気ままに生きているわたしには、現在の皇室典範は時代遅れの、人権を無視した虐待制度としか思えない。
いろいろ屁理屈を並べるのは、宮内庁の役人にとって、安定して高収入なオマンマの種だからのように思えてナリマセン。
政治家ももめごとは起こさないって方針だし、戦後70年も経って、いったいいつになったら開かれた皇室は実現するのデショウ。
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リゾートに来たらサンダルである。
短パンにTシャツ、サンダルがリゾートのユニフォームという信念のわたしは、安いサンダルを求めてホテルを出た。
ホテルの近くの十文字交差点であたりを見まわしたら、ほんの50メートルほど行ったところに、金ピカの壮麗なタイ式寺院があるのが見えた。
うかつな話だけど、わたしはホテルや交通機関についてはしっかり事前調査をするくせに、名所旧跡についてさっぱりということがよくある。
これはもう語り草になっていることだけど、むかし中国の西安に行ったときは、現地に着くまで有名な兵馬俑のことをぜんぜん知らなかった。
さて、50メートル先の寺院。
この寺院はワット・プラシン(ワットは寺院の意味)といって、チェンマイで1、2位をあらそう有名な寺院だった。
有名な割には入場無料だったので、買い物ついでに立ち寄ってみた。
豪華絢爛なものだけど、写真があるのに言葉で説明するのは時間のむだだから、ブログに書くのはもっぱら感想のような観念的な部分だけにしよう。
有名な寺院だから観光客も多い。
大型バスで乗りつけてくる中国人の団体もある。
タイでは寺院に入るのに短パンでは失礼だと聞いていたので、この日から短パンいっぽんやりのわたしは、もっぱら建物の外からばかり見学していた。
この写真は中国人の団体だけど、みんなズボンばかりだ。
あの国の住人は上からの指示に従順だからだろう。
ところが欧米人の若者はほとんど短パンのままだ。
なかにはそのまま本堂の中まで入っていく者もいる。
チェンマイではあまり規則が厳格ではないようだということがわかり、以後はわたしもそれをみならった。
もっとも寺院に興味はないので、めったに本堂の中にまでは立ち入らなかったけど。
タイも仏教国だし、信仰心の厚さでは、最近排外主義が問題になっているイスラムにひけをとるものではない。
わたしが行ったときも、地面にひれふして熱心にお祈りを捧げているオンナの人がいた。
タイの仏像の中には、極端にリアルに人間を模したものがあって、それをべつの寺院で見たとき、てっきり本物の人間が正座しているものと思ってしまったくらい。
彼女らが拝んでいた庭の仏像もかなりリアルだけど、金ピカであるから、これはまあ、人間とまちがえるおそれはない。
しかし宗教ギライのわたしは、どうも、それが華麗であればあるほど不純なものを感じてしまうのである。
カトリックに反発してプロテスタントが生まれたように、宗教が装飾を身にまといすぎると、反発を感じる人間もいるってことだ。
こういう点では、日本の素朴な、くすんだ木像のほうがまだしも、宗教本来の目的にふさわしいと思う。
ひとまわりしてもどってきたら、門のわきで若い娘が自作の絵を売っていた。
菩提樹の葉に描いたという細密画で、日本語の説明まであった。
額に入れられて、なかなかきれいなものだけど、木の葉がキャンバスでは日持ちしないのではないか。
なにか防腐処理でもしてあるのか聞きたかったけど、タイ語も英語も話せないわたしには無理だった。
愛想のいいカワイイ娘なので、仲良くなりたかったのに、作品も彼女自身も写真はダメだそうだ。
仕方ないから宣伝用のポスター写真だけ載せる。
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2016年7月14日 (木)
天皇陛下が生前退位の意向だそうだ。
新聞によると、皇室典範などがあって、それはなかなかむずかしいということである。
何がむずかしいのか、新聞をじっくり読んでもさっぱりわからない。
皇室典範なんて、どうせ明治時代あたりに、ときの日本政府が勝手に決めたことだろう。
それ以前は天皇は好きなときに、もうやってらんないと、仕事を辞めるのが普通だった。
このブログでも触れたことがある上皇だとか法王なんて言葉は、みんな生前退位した天皇につけられる敬称だ。
辞めたいときに辞められない。
これって一種の虐待とちがうか。
現代は、少なくとも明治時代の日本帝国時代とは違うのだ。
つまらんことにこだわっていないで、さっさと法律を改正して、天皇が仕事に疲れたら、さっさと若い者に譲位できるようにすべきではないか。
宮内庁の役人なんて、保守的な役人の中でも最上位に位置するものだから、自分がその職にあるうちは、大きな変革や改正を望まないことはわかっているけど。
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雨音で目をさましたら、それは古風な扇風機がまわる音だった。
部屋にエアコンもあるけど、体によくないというので、扇風機のほうをまわしっぱなしにして寝てしまったのである。
朝食はホテルでとった。
食堂で見るかぎり、宿泊客は欧米人とアジア人が半々ぐらい。
日本人と変わらない顔をした娘たちがきゃあきゃあ騒いでいたが、これはほとんど中国人らしい。
アジア人はカップルやグループがほとんどで、欧米人の中には女性だけというのを含めて、ひとり旅もけっこういる。
食堂のにぎわいからすると、客の数はかなり多いようだった。
出発まえに写真をながめたときは小さなホテルだと思ったけど、建物は鉤の手に曲がっていて、奥の方に別棟もある。
これでは客が多くても不思議じゃない。
朝食はもちろん美味しくないし、量も少ない。
というのは個人的な意見で、わたしの口コミなんかアテにされては困る。
偏食で少食のわたしには十分だった。
目の前で目玉焼きかスクランブルエッグを作ってくれるので、それと食パン2枚に野菜を少々、ジュースを1杯というのがわたしの食事。
翌日からはもう寝坊して、ホテルで食事をしなくなってしまった。
食事を終えてもどるとき、プールぎわに、水着で寝転んでいる白人女性が見えた。
彼女たちにとってはこれは日常なのだろうか、それともやっぱり自分の肉体を誇示しようというのだろうか。
誇示してもおかしくない築地マグロみたいな立派なボディで、写真を撮りたかったけど、日本から来た変態と思われそうで撮れなかった。
このあと、今度はサンダルを買うために外出した。
この日の天気はどんよりした曇り空で、思ったほど暑くはない。
ホテルの玄関を出た正面に、日本家屋のような木造のオンボロ民家があった。
道路拡張事業からわずかの差ではずれ、補償金をもらいそこねた家のようである。
昼間見たときは空き家かと思ったけど、夜になったら内部にほのかに明かりがついていた。
そのとなりにはカフェがあり、レストランがあり、それらを兼ねたホテルもあって、ごちゃごちゃとまとまった一画に、よく欧米人のバックパッカーがたむろしている。
あとであのへんでタブレットでも使うかと思う。
そうすればたちまち欧米人の知り合いが5、6人もできそうだけど、残念ながらわたしはもう、彼らから見れば年齢的に異端者になってしまったのだ。
ひたいにシミの浮き出たおじさんが、いっぱしのヒッピーみたいな顔をしても、だれも相手にしてくれないよな。
最後の写真は、そのごちゃごちゃしたあたり。
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2016年7月13日 (水)
この晩のホテルは99ギャラリーホテルといって、日本の旅行会社で予約したものだけど、あらかじめネットでチェックした写真どおり、白と黒を基調にした、まあ、モダーンといっていいホテルだった。
出発まえにネットの口コミを読んでみたけど、メシの種類が少ないとか、水まわりがよくないとか、世間には口やかましい人がいるなって感じ。
わたし的には、4000円ぼっちのホテルに、まったく不満はありませんといいたい。
きれいすぎて壁にヤモリが出ないのが不満だったくらいだ。
最初の写真はホテルのまえの通り。
フロントでチェックインの手続きもかんたんに終了した。
もらった注意書きに、「部屋でドリアンを食べないこと」とあったのがおもしろかった。
部屋は204号室で、ヒュンダイ製のエレベーターで2階まで上がる。
このエレベーターはひじょうに静粛で、ロシアのエレベーターのように恐怖を感じさせるものではなかった。
エレベーターを出ると通路の一方から下のテラスがのぞめ、樹木がすぐ鼻先まで葉を茂らせている。
見おろしてしてみると、テラスのはじには小さなプールもある。
プールというのに値しない小さすぎるプールだけど、欧米人の客にとって、いまやWi-Fiとならんで、プールは必要不可欠のものらしい。
部屋に入ってすぐ気がつくのが、天井の大きな扇風機である。
エアコンもべつにあるけど、なんとなく植民地時代の古風なホテルに泊まったみたいで、こちらも旅をしている作家のモームになったような気分だ。
つい調子にのって、部屋まで荷物を運んでくれたボーイにチップをやってしまった。
20バーツ(60円ぐらい)だけど、多かったのか少なかったのか。
チップを出さない主義のわたしとしてはウカツなことである。
この晩は近所に買い物に出ただけ。
ホテルから200メートルほど離れたところにセブンイレブンがあった。
あとでわかったけど、50メートルほどのところにもう1軒。
チェンマイはやたらにコンビニ、それもセブンイレブンの多いところだ。
品揃えは日本と比べ物にならないけど、こういう店だとふっかけられる心配がないのがいい。
この晩はシンハビールの缶、おつまみ、石鹸、例によってカップラーメンを買ってもどった。
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えー、中国なんだけど。
仲裁裁判所の判決が出ても、それをゼッタイ認めないって横暴をふりまわしているけど、どう見たっておかしいよな。
地図をみればわかるけど、彼らが権利を主張している海域って、もうベトナムやフィリピンのすぐとなりにまで深く侵入してるじゃないの。
中国の言い分を認めたら、ベトナムなんて海なし国になってしまうわ。
そりゃわたしは、かって、まだ力がなかったころ、欧米列強にいいように領土を蚕食され、勝手に領海の線引きをされた中国のくやしさはわかっているつもりですけどね。
世界一の人口をかかえた中国にとって、資源の確保が至上命令であることもわかっています。
でもそれはベトナムやフィリピンも似たようなものでしょ。
そう考えると、南シナ海がすべてオレたちの領土だって発言の根拠がさっぱりわからない。
最大12海里の領海だとか排他的経済水域なんて、すべての国に公平に定められた権利があるはずで、力があるからとか、くやしいからといってルールを無視していたら、また覇権主義の時代に逆戻りだわさ。
ただ、あの国では、いったん政府が口にするとひっこみがつかないってことがあるからな。
けっきょく自分たちの主張したことが、自分たちの首を絞めるってことになって、みんながオレをいじめる!と、最後はヤケッパチにならなきゃいいが。
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2016年7月12日 (火)
帰国したあと、すぐに選挙だって世間は大騒ぎだし、やらなくちゃいけない仕事もあるし、取り置きしてあった新聞のまとめ読みをしたり、マレーシアに行かないかなんてお誘いもかかってくるし、ブログの更新をするヒマもない。
それでも、ぼちぼちタイの報告をしようと思う。
タイ行きの飛行機の中でちらりと行程表を見て、ずいぶん到着が早いなと思った。
そうか、時差があったっけ。
出発時間は日本時間で、到着時間は現地時間になってるにちがいない。
そう思って時計を1時間ずらした。
ところが時差は1時間ではなく2時間だった。
地球をスイカのたて割りみたいにい、経度にそって24分割すると、日本とタイでは目盛りふたつ分だけずれているわけだ。
同じアジアの国なのにそんなに離れているのかと、意外に思う。
飛行機は順調にバンコクに到着して、この日のうちにスワンナプーム国際空港からチェンマイ行きの国内線に乗り換えた(上の写真2枚はバンコクにて)。
道順は、わからなければみんな空港関係者に尋ねるというやり方で、これも問題はなかった。
去年のカリマンタンみたいに、また貨物送りにした荷物が届かないなんてことがあると困るので、今回はカードもふたつに分散させたりと慎重を期したのだけど、そんなトラブルもなく、チェンマイのホテルまで人間も含めて無事に運ばれた。
チェンマイの空港に着いたときはまだいくらか明るかった。
街のようすをながめたところ、八王子の市街地から奥多摩方面をのぞんだような感じで、それほど高くはない山にかこまれた地方都市という印象。
もっと若ければトレッキング目的で来てもおもしろそう。
きっとトカゲや昆虫がうようよという、沖縄の西表島のような景色が見られるにちがいない。
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2016年7月11日 (月)
ぼんやりとネットニュースを見ていたら、伊藤ユミさんの訃報。
団塊の世代にとっては、ザ・ピーナッツの妹として知られている人である。
へえっと気になって調べてみたら、お姉さんのエミさんは4年まえに亡くなっていたそうだ。
わたしが日本の芸能界について書くのはめずらしいけど、やはり同時代を共有した人がまたひとりという感慨はある。
こうなると、現在のわたしの人生なんて、おまけみたいなもんじゃないか。
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2016年7月 9日 (土)
ほうほうの態で帰国した。
こんなことは誰にでもある。
入国審査で隔離されないだけ、成功と思わなくちゃ。
だいたいわたしは、わるいことは全部他人のせいにしてしまう男だ。
旅行の後半が下痢でホテルにひきこもりだったのも、ここで元気だとどこかに女でも買いにいって、よせばいいのにブログで自慢して、未来永劫に恥をさらすこと必至だった(かもしれない)から、それじゃあイケンと、神様が下した慈悲深いお裁きだったのだろう。
日ごろ無神論者のわたしでも、こういうときは調子よく神様を持ち出してしまうのだ。
そもそも原因はなんだっただろう。
わたしの知り合いは、それはおまえが非衛生なものを食ったからだというに決まっている。
しかし食当たりなら、出るものが出てしまえば快復するはず。
やはりチェンマイからバンコクへの飛行機が冷房の効き過ぎだったとしか思えない。
寒くてクシャミが出たけど、オレは日本男児だと、毛布も借りないでこらえていたのがいけなかったのだ。
もう若くないのだから、つまらない見栄は張らないこと。
ほんと。
いま写真や日記を整理しているんだけど、疲れがどっと出た。
でも何も書かないでいると、あいつはまだタイの病院に収容されているんじゃないかと心配する人がいるかもしれないから、あえて更新する。
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2016年7月 7日 (木)
お腹の状態が一進一退するうち、あ、もう明日は帰国の日になった。
なんとか日本まではたどりつこうと、今日はいちにち、冷たい飲み物や刺激の強いものは口にせず、お湯をわかして白湯を飲んだり、コンビニのサンドイッチですませたり、涙ぐましい努力をしていた。
仕方がないさ。
沢木耕太郎さんの本にもあったけど、旅先で寝込んだバックパッカーのヒッピー。
彼といっしょで、だれも頼るわけにはいかないんだ。
こちらに知り合いはいないし、言葉がわからないので病院に行くのも気がひける。
すべからく自分だけの完結方式、これがひとり旅を愛する者の宿命だ。
せっかく乗り物はマスターしたんだから、そのうちリベンジでまたタイを訪問するつもり。
わたしはこりない男。
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お腹の具合はだいぶよくなったけど、まだいくらか下痢ぎみ。
それでも今日は朝いちで魚市場を見学してきた。
つかまえたタクシーにふっかけられ、ひと悶着があったけど、それはともかくとして、わたしの想像よりずっと小さい市場だったのが残念。
築地の魚市場が世界最大というのもうなづける。
帰りは昨日とは別の路線のスカイトレインに乗って、市の中心部に出たあと、昨日と同じスカイトレインで帰ってきた。
スカイトレインとメトロ、そして空港線を乗りこなし、あとは多少歩く覚悟さえあれば、バンコクのたいていのところへ行くことができる。
というわけで、乗り物をマスターしただけで今回の旅は終わりのようだ。
昨夜はほとんど悶々として過ごしたから、これから寝不足をおぎなうためにひと眠りするつもり。
目がさめてもお腹が回復してなかったら、マッサージにも行きません。
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2016年7月 6日 (水)
どうも昨日の飛行機が冷えすぎだったようで、バンコクに到着した夜から体調がよろしくない。
お腹がPPになって、尾籠な話だけど、すこし力むと中身がもれそう。
夜中に何度もトイレに駆け込んで、朝になってからようやく寝て、今日おきたのは昼すぎだわさ。
昨日のように道路が渋滞すると、タクシーはまったくアテにならない。
それで今日は空港まで列車を乗り継いで行けるようにと、その習得に1日を費やすことにした。
さいわいなことにホテルは、空港までわりあい便のいいところにある。
ホテルからいちばん近いスカイトレインのプロムポン駅まで、徒歩で500メートルくらい。
スカイトレインでひと駅だけ乗って下車すると、メトロ駅と連絡しているので、それでまたひと駅だけ乗ると、こんどはエアポートトレインのマッカサン駅と連絡している。
エアポートトレインの終点が空港だ。
それをじっさいに確認してきただけで、今日は終わり。
お腹PPでマッサージもくそもないやね。
写真は、いっぱいお世話になったホテルのトイレ。
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チェンマイの極楽から地獄のバンコクへ。
バンコクは雨だった。
それはいいんだけど、タクシーで空港から市内まで、これがなにしおう地獄の大渋滞。
すいているときなら30分で行くところ、2時間半もかかって、気のドクな運転手に気前よく割増を払ってしまった。
ようやくたどり着いたホテルは、一泊4000円と思えないくらいデラックス。
まわりがまた三鷹・桜通りの歓楽街を50倍くらい卑猥にしたところなので、明日からオカマで有名なパッポン通りなんか見に行かず、ホテルのまわりだけでぜんぶ間に合わせようと。
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2016年7月 4日 (月)
日本じゃ熱中症だそうだけど、こちらタイは意外なくらい涼しい日が続いている。
雨季で毎日くもり空ばかりなのが原因で、そのくせ雨に降られて雨宿りっていうのはいちどしか経験してないのに、夜はエアコンも扇風機も止めておかないと風邪をひきそう。
今日の午前中は部屋でごろごろしていて、午後になってからまた旧市街地をぶらぶら。
もうお寺はケッコウといいたくなるくらい歩いたあと、足が疲労してマッサージ屋さんに飛び込んだワ。
タイ式マッサージがやみつきになりそう。
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今日は昼間、ワローロット市場を見物してから、「ごはん屋」という日本食堂で昼食。
そのあと旧市街を散策しながら、ホテルまで徒歩でもどって、いいかげん疲れたけど、チェンマイについて新しい発見も。
夕方になってからはホテルの近くのナイトバザールへ。
まだ明るかったので、ひとまわりしたあと、いったんホテルにもどってシャワーを浴び、暗くなってからふたたびバザールへ。
このころには、ああ、もう腰が抜けそう。
明日は、たぶん1日ホテルでごろごろ。
いえ、もったいないじゃなく、欧米人の観光客もみんなそうしてますしね。
これが本当に優雅な旅の過ごし方。
ま、詳しいことは帰国してから写真つきで報告するつもり。
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2016年7月 2日 (土)
朝食を食べたあと、近所をひとまわりしてきた。
昨日、チェンマイに到着したときは夜だったので、ひどいところに来たなと思ったけど、明るくなってから見たら、けっこうにぎやかでおもしろいところだ。
街に欧米人や中国人の観光客が多い。
欧米人は有名なお寺でもなんでもみんな短パンで入ってしまう。
ほんとはいけないらしいけど、それを見てわたしも右へならえ。
街に中国語の看板があふれているのに、わたしが日本人だとわかると、一目置かれるような感じ。
さすがは日本サマ。
今日は近所の散歩だけで終わり。
でも、やっぱり雨季で、有名なお寺の近くで1時間も雨宿りするはめに。
かなり濡れたけど、止んだあとまたぶらぶらしていたら乾いてしまった。
暑さはそれほどじゃないんだけどね。
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いま日本の時間だと何時だ。
チェンマイのホテルでひっくり返っている。
来るまえは風光明媚な高原の避暑地みたいなところを想像していたんだけど、やっぱり見ると想像するじゃ大違い。
じゃんじゃん報告したいけど、なんか電圧が低いのか、タブレットにしてもiPodにしても、充電に時間がかかるので困ってる。
そのうち無線LANもできなくなるかも。
まだ市内をほとんど歩いてないから、明日は自転車を借りてうろちょろするつもり。
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2016年7月 1日 (金)
また雲の上から下界を眺めるときがきた。
わたしは飛行機に乗るのが大好きである。
山脈のように幾重にも重なった雲海の上を飛ぶときや、無数のちぎれ雲が海に影を落としてゆっくりと動いていくとき、また余計なことだけど、あの詩人、宮沢賢治にもこの景色を見せてあげたかったと思う。
賢治は雲に関する文言だけでも1冊の本が書けるくらい、森羅万象の中の雲をうたった詩人だった。
残念なことに彼は昭和8年に死んでいるから、生涯を通じてただのいちども、雲の上から雲を眺めたことがなかったはず。
そう考えると、またしてもわたしは自分の幸運を思わないわけにはいかない。
なんでわたしのごときチンピラが・・・・
というわけで、今日(7月1日)からタイです。
ブログがどうなるかわからないけど、いちおう無線LANのあるホテルを予約したので、あちらから更新できるならするつもり。
ただ、バンコク、チェンマイといったところは、日本人にもよく知られたリゾートといっていいところなので、いまさらおもしろいネタがあるかどうか。
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