タイ/ピン川のほとり
市場の見学を終えたあと、わたしはピン川の岸辺に出た。
ピン川は茶色く濁った流れで、川幅は200メートルぐらあるだろうか。
川岸の空き地が市場に来る人のための駐車場になっていた。
ふらふらと水辺にまで近づいてみると、向こう岸はこんもりと樹木におおわれ、岸辺には民家のようなものが見える。
民家がゲストハウス(簡易宿泊所)なら、こんなところに泊まってみるのもおもしろそう。
ここに釣り人がいた。
専門の漁師じゃなく、そのへんのヒマ人らしい。
釣れますかなんてタイ語は知らないから、しばらくはたから観察していたけど、あまり成果はかんばしくないようだった。
タイの川には超大物がいるから、ナマズでも釣れるとおもしろいのに。
このあと暑さに耐えかねて、駐車場の入口にあったスターバックスのようなレストランに入って一服していくことにした。
日本のその手の店と変わらないきれいな店で、エアコンも効いているし、注文の仕方も同じである。
飲み物のいちばん小さいサイズを注文してひと息つく。
料金は一般のタイ人には高すぎるらしく、まわりに座っているのは欧米人や、どこかの金持ちのぼんぼんみたいなのが少々。
ジュースを飲みながら考える。
まだ少ししか見ていないけど、チェンマイはいいところである。
チェンマイといえばタマモトトシオさんということは以前に書いた。
タマモトさんがハーレム王として名を轟かせたのは1973年で、いまから40年以上もまえのことだ。
おそらく当時の日本人のほとんどが、チェンマイという名前を聞いたのは、そのときが初めてだっただろう。
わたしがうらやましく思うのは、ハーレムもさることながら、40年前のチェンマイがどれほど素朴で、観光ずれしていない平和な土地であったかということ。
ベトナム戦争が最終局面に入り、その惨禍が周辺国に影響を与え、ラオスやカンボジアでは内乱と殺戮が始まろうとしていたころである。
それなのにタイでは、むかしながらの駘蕩とした風が吹いていた。
貧しいことは貧しかったけれど、宗教心のあつい仏教徒たちが、昭和の中ごろまでの日本の田舎のような素朴な生き方を遵守していたのではないだろうか。
できることならわたしも、時空を超えて、40年前、50年前のチェンマイをさまよってみたいものだ。
いえ、もちろん当時もいまも、わたしに若い女の子を囲うほどの財力があったはずはないから、それがあくまで禁欲的な宗教家としてであってもかまわない。
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