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2016年7月23日 (土)

タイ/チェンマイの夜

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チェンマイの夜は、部屋でなにをしているのか。
やることはいくらでもある。
ガイドブックで明日の計画を練ったり、持参したポール・セローの本を読んだり、もちろんインターネットも駆使する。
テレビはぜんぜん観ないけど、無線LANは問題なくつながるから、タブレットがあれば、書斎+映画館+コンサートホールを持ち込んだようなものだ。
退屈するどころか、論文のひとつぐらい、ホテルに滞在中に仕上げてみせると豪語してしまうド。
ホント、ひきこもりのオタク生活だよな。

買い置きのビールを飲みながら、そうやって深夜まで起きている。
腹がへったらカップラーメンを食べる。
電話なんかひとつもかかってこない。
べつに期待していたわけじゃないけど、うっふーんという妖しい電話を期待する人は、もっと高いホテルに泊まったほうがよさそうだ。

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そういえはセローの本や沢木耕太郎さんの本には、そういう体験はまったく出てこない。
一般的な話題として、女性に迫られたという状況は出てくるけど、じっさいに相手と関係を持ったという具体的な話はないのである。

セローの本では、タイのバンコクについて
『寺と淫売宿でもっている本末転倒の街』
『この街でならどんなに内気な外国人でも女と遊べる』
『この街にはセックスの匂いがむんむん立ちこめている』
などと散々なことが書いてあるから、彼がもうすこし突っ込んだことを書けば、世界的作家の桃源郷探訪記として、おもしろい本になっただろう。
しかし世界的にはまだまだカタブツの原理主義者が多いから、その後の彼は三流作家として生きなければならない。

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ポール・セローという人は、ときどきナショナル・ジオグラフィックにも記事を書いているんだけど、この世界的な啓蒙書に文章が書けるのも、彼が一線を越えないからだろう。
インドの悲惨さを伝えるのに、本人が幼い娼婦を買いましたではハナシにならないし、わたしが買ってあげなければ、彼女には1円にもならないなんて弁解は通用しないのである。

将来国際的作家になるつもりなら、けっして本番のことなど書くべきではない。
わたしの場合はそんなだいそれた希望を持っているわけじゃないんだけど、いま書いたように電話もかかって来なかったので、物理的に書けないのである。
夜遊びにでも行けばいいのに、カップラーメンを食ったあとは、どっと疲れが出て、ぐっすり寝こんでしまったから無理よ、ムリ。

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