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2016年8月

2016年8月31日 (水)

困ったとき

いよいよ今日が8月の最終日。
今日、ブログの更新をすれば、今月も皆勤賞だ。
でもネタがない。
新聞はつまらないし、今日はもうひと仕事やってきて、これからひと眠りし、夜はまたお出かけだ。
つまりブログ記事を考えてるヒマがないのだ。

うーんと困ったときはアノ手を使う。
書 くことがないときには、今日は書くことがありませんということを書くのだ。
あまりしょっちゅうは使えないけど。
今日の記事に中身がないのはそういうわけだ。
楽しみにしている人がいたとしたら、どうもスイマセン。

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2016年8月30日 (火)

中曽根康弘さん

おっ、あと2回で今月もブログの更新が皆勤賞だ。
なんてヒマなやつなんだと、非難も中傷もわたしを動じさせるものではない。
むしろひとり住まいのおじさんに、こんなタノシイ趣味があることをうらやましがってほしいね。
おかげで頭もぼけないし。

なんとか皆勤賞にしようと、ネタをひねくり出す。
今朝の新聞のかたすみに、もと総理の中曽根康弘さんの名前がちらりと出ていた。
最近はぜんぜん消息を聞かないけど、おや、この人はまだ生きていたのかいという類のひとり。
死んだって話は聞かないからまだ生きてるんだろう。
わたしと同郷のイダイな政治家なのにうかつなことである。

調べてみたら大正7年(1918)生まれというから、あと2年で100歳だ。
もうすでに従六位や大勲位などを拝受し、十分なくらい功なり名を遂げた人であるけど、現行憲法下で首相就任を果たした人物としては最高齢という勲章に、100歳超というおまけをつけてもらうか。
頑張ってチョーダイ。

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2016年8月29日 (月)

ジャングル・ブック

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ひさしぶりに映画館で映画を観てきた。
とくに観たい映画があったわけではなく、ほんのヒマつぶしのつもりで選んだのがディズニーの「ジャングル・ブック」。
公開されてからだいぶ経つ映画なので、すいているだろうと思ったら、天気がわるくてほかに行き先がないせいか、立川の映画館はけっこう混んでいた。

この映画は、なんでも主役の人間以外はぜんぶコンピューター・グラフィック(CG)なんだそうだ。
漫画家をこころざしたことがあり、SFが大好きなわたしだけど、基本的にこういう映画が好きではない。
スターウォーズにしてもジュラシックパークにしても、現実にいるはずのない生きものが、人間と同時に画面に現れると、もうこれだけでアホらしくなってしまう。
科学に詳しい人なら、緑色の宇宙人や、羽根のはえた恐竜がいるはずのないことを知っているからだろう。
それ以上にCG映画の大半は、子供向けのマンガみたいな内容になってしまったことが大きい。

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ジャングル・ブックでは、CGをなぜ叙情的な場面のために使わないのだろうという、わたしの長年の疑問にこたえるような場面がいくつも出てくる。
多種多様な動物たちが池のほとりに集まったり、険しい山腹を移動する動物たちなど、まるでナショナル・ジオグラフィックから借用したような美しい光景である。
あちらのCGプログラマーもちゃんとわかってるらしい。

この映画に登場する動物はすべて実在するものばかりだ。
中にはゴリラより大きなオランウータンや、アフリカゾウにしか思えないインドゾウも出てくるけど、このていどに目をつぶれば、ほんとうにインドの奥地を舞台にしているような錯覚にひたることができる(原作の舞台はインド)。

であるからして、これは博物学に興味のある人には、まあまあおもしろい映画だ。
もちろんCG映画の定番どおり、ハラハラさせて、間一髪で危機をのがれるというご都合主義も目立つけど、いつもわたしのことをオタクといって馬鹿にする、いっしょに行った知り合いも身を乗り出していたし。

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この映画を観ていて思ったこと。
ジャングルの中にはいろんな動物がいるけど、種類の多さや、かたちの複雑なことでは、とても海の中にはかなわない。
今度はひとつ、「オーシャン・ブック」なんて映画をつくって、本物の海の中の冒険映画を作ってくれないか。
「ファインディング・ニモ」があるじゃんといわれるかもしれないけど、あれは登場人物?がデフォルメされたマンガみたいなキャラばかりだ。
わたしがいうのは、じっさいの生きものをそのままCGで再現して、それと人間がまじわる話である。
そのさい、ここだけは科学の法則を無視して、人間がイワシくらいの大きさになっていれば完璧だ。
海の中はきびしい生存競争の世界だし、汚染や資源枯渇など問題も多いのだから、スリルいっぱいで、いろいろ考えさせられる映画ができることは間違いがない。

こんなことを考えたのは、昨夜放映された「深海大峡谷」という番組の影響かもしれない。
これは深海に棲む奇妙な生きものを捉えたドキュメントだったけど、わたしは美しくきらめく発光生物や、ものすごい牙をもった深海魚のあいだを、ひらりすらりと泳ぎまわれたら愉快だろうなあと、いつも空想しているのだ。

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2016年8月28日 (日)

出張費

今朝の新聞に都知事の海外出張費という記事があって、前都知事の舛添サンのとき、英仏出張費が6976万円なんて書いてあった。
これは極端としても、知事クラスになると海外出張は数千万円がザラというか、標準というか。
どうもわたしの基準とはかけ離れているな。
つぎはタイ経由でアンコールワットに行こうかと、いろいろ下調べをしているわたしだけど、今度は一泊2万円のホテルに泊まろうかと考えている。
カンボジアで2万円なら、日本では4万円に相当するのではないか。
このホテルが、いま申し込むと8千円のバーゲンだそうだ。
うむむ、わたしも冥土のみやげにこんなホテルに泊まってみたい。

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2016年8月27日 (土)

台風

スラングなのか、ネット上の言いまわしなのかわからないけど、掲示板でよく見かける言葉に、TodayILearn(今日学んだこと)という英単語がある。
わたしのTodayILearnは、迷走している台風10号について。

非常識な進路をとる台風10号が気になって、天気予報をながめたら、これにはライオンロックという名前がついていた。
米国のハリケーンならいざ知らず、わたしの子供のころは台風に名前なんかなかったぞ。
で、気象庁のホームページをさらに調べる。

台風に名前がつくようになったのは、平成12年からだというから比較的最近のことである。
これは発生した台風に、迷惑をこうむりそうな周辺諸国が台風委員会というマンガみたいな名前の組織を作って、正式な取り決めのもとに命名しているのだそうだ。
周辺諸国というのは、カンボジア、中国、北朝鮮、香港、日本、ラオス、マカオ、マレーシア、ミクロネシア、フィリピン、韓国、タイ、米国、ベトナムの14カ国。
不思議なのは、香港マカオがあって台湾がないことと、なんで米国がいるのかってこと。

この取り決めによると、台風の名前は、あらかじめ用意された140個の名前を順ぐりにつけていって、一巡したらまた最初から繰り返すのだそうだ。
ライオンロックは102番目の名前で、香港の発案になるものだから香港にある山の名前らしい。

140個もあるのだから、名前をさっとながめてみると、いろいろ変わった名前もある。
日本はくじら座とかコンパス座、トカゲ座などと、(あまり聞いたことがないけど)おおむね星座の名前で統一しているのに対し、象、アリ、ツバメ、ナマズやタヌキなど、具体的な生きものの名前を提案した国もある。
ほかに目についた名前をピックアップしてみると、嵐の神、雷神、海神といった台風にふさわしい名前から、冷酷な、鋭さ、すばやいといった観念的な言葉、イソギンチャク、タツノオトシゴ、マンゴスチン、バラ、百合、男性の名前、女性の名前、少女の名前、伝説の少女の名前、啓徳(香港の古い空港)、孫悟空、ベトナムの川の名前、有名な遺跡、伝説上の首長名、ヤップ島の石の貨幣というわけで、まったく台風と関係のないわけのわからないものまで。
あの血も涙もない北朝鮮が、桔梗や夕焼け、やまびこ、虹といったロマンチックな名を提案しているのもおもしろい。

それにしてもなんでここに米国が加わっているのか。
なんにでも、いちおう名前を連ねておかないと心配だなんて、まるで横暴なガキ大将みたい。
まさか台風委員会を、TPPみたいなもんとカン違いしてるんじゃあるまいな。

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2016年8月26日 (金)

東京への不安

今朝の新聞の「新聞ななめ読み」ってコーナーで、池上彰さんが、オリピックの男子400メートル・リレーのニュースについて、新聞各社の記事の書き方を批評していた。
そんなものはどうでもいい。
わたしにはあまり興味がないことだし、もう終わったことだし。

ただ、未来志向で考えると、これでよかったのかって、つぎの東京オリンピックについていろいろ考えてしまう。
ふつうなら勝てる見込みのないレースで、日本人が勝った原因は、日本チームはバトンタッチの練習を徹底的にやり、そのコンマ1秒以下の削減努力が勝利(銀)にむすびついたのだそうだ。
なるほど。
と思ったのは、わたしではなくて、やはり体力的に黒人スプリンターに勝てそうもない、たとえば中国や韓国の選手。
今回の日本選手の活躍を見て、彼らも東京では徹底的にバトンタッチの練習をしてくるにちがいない。
体力にモノをいわせるアメリカやジャマイカが、そんな努力をするかどうか知らないが、アジア人チーム、とくに中国あたりはやりそうだ。

どうも、すこし早く手の内を見せすぎたようである。
おそらく2020年には、日本は400メートル・リレーで今回ほどの成績は上げられまい。
わたしにとって、それまで生きてるか、生きていたとしても貯金が残っているかどうか、ほかにも問題はたくさんあるんだけどね。

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2016年8月25日 (木)

残忍

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牛乳の表面に牛乳のしずくを落とす。
ぽちゃんと牛乳がはねてそれっきり。
人間の目ではそれ以上のものは見えない。
それを超高速カメラで捉えると、つまりスローモーションでながめると、牛乳の表面にきれいな王冠のかたちがつくられるのがわかる。
これは科学の世界ではよく知られた現象だ。
超高速カメラはこのように、ふつう人間の目で見えないものを見せてくれる。

それでは人間の頭を銃でぶっ飛ばしたら、その瞬間はどんなふうに見えるだろう。
これも知的好奇心なのかどうか知らないけど、そんなことを考えるやつは人間とは思えない。
ところがこれをじっさいにやったやつがいた。
いわずと知れたイスラム過激派のISISで、オレンジ色の服を着せられた捕虜の頭を、至近距離から銃でぶち抜いた。
ぶち抜かれたほうは即死だから、このこと自体は戦争ではよくあることだ。

恐ろしいのは、どんなふうになるのかと興味を持って、捕虜の目の前に超高速カメラを設置して、この一部始終を捉えたカメラマン。
わたしはたまたまネットを巡覧していてこの映像を見つけたんだけど、銃の衝撃というのはものすごい。
いっしゅん捕虜の顔が変形し、目玉が飛び出し、脳みそが散乱しと、とても描写するにしのびない。

ああ・・・・!
わたしたちはいったい何者なのか、いったいこれからどこへ行くのか。
わたしみたいな先のみじかい凡人が深刻に考えてもどうにもならないけど。

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2016年8月24日 (水)

忘れられる権利

今日の新聞にグーグルの法律顧問のP・フライシャーという人が、検索結果を削除することについて発言していた。
なにしろ世界中のあらゆる情報を網羅しようというグーグルのことだ。
わたしも自分の知識の源泉はグーグルにありというくらい重宝しているんだけど、でもこれで困っている人もいるらしい。

過去に新聞沙汰になるような問題を起こした人の個人情報が、いつまでも検索に引っかかる。
これでは、現在は改心してまじめにやっている人はたまらない。
そこでそういう情報は削除できるようにという「忘れられる権利」について、グーグルの法律顧問さんの見解だ。

新聞にもいくつかの例が出ていたけど、話はそんなに簡単ではない。
お医者さんが過去に誤診をしたという情報は、当のお医者さんにとっては消してほしい情報だけど、よいお医者さんにかかりたいという患者にとっては重要だ。
表現の自由との兼ね合いもあり、だからどうすべきかと、グーグル内部でもいろんな意見があるらしい。
さすがは法律顧問で、言っていることはしごくまっとう、とてもわたしごときに異論が出せるはずがない。
これは裁判所とグーグルで考えるべき問題だな。

でもちょっと気になって、わたしも自分の名前を検索してみた。
わたしだってけっして完全無欠な人間ではないから、ひょっとすると、過去の不名誉なアノ件やコノ件が、グーグルの検索結果にあらわれるかもしれない。
どうも最近は疎外感を感じるなあというその原因が、わたしの過去の不正行為にあるとしたら、さっそく削除してもらわなくちゃ。

わたしの名前はありふれているらしく、同姓同名の赤の他人がいくつか引っかかったけど、もちろん立ち小便や若い娘のくちびるを盗んだぐらいでは、とってもグーグルに載るのは無理のようだ。
でも、なにもないと世間から無視されているみたいで、すこし寂しい。
グーグルの検索に引っかかるようになったら、それを印刷して親戚中に配って自慢しようと思ってるのに。

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2016年8月23日 (火)

朝日新聞

先日、朝日新聞が契約の更改のお願いにきた。
いまどきニュースを紙の新聞で読むのはウチくらいのものだ。
しかも朝刊、夕刊を両方とも購読しているのは、ますますウチくらいのものだ。
でも、長年書物とともにあったわたしとしては、紙の媒体のない生活というものは耐えられないのだ。

また3年かいとつぶやきつつ、文句もいわずに契約書にサインする。
このすなおさはいったい何をあらわしているのだろう。
つまり、わたしががちがちの左翼もしくはリベラルで、朝日新聞を絶対的に信頼しているということか。
そんなことはない。
わたしが朝日新聞を遺憾に思っていることは、このブログを読んでいる人ならとっくにご存知だ。
遺憾に思っているなら、なぜ敵に塩を送るようなことをするのかと、朝日ギライの人は思うだろう。
そこがそれ、わたしの思考の複雑なところだ。

いま読んでいちばんおもしろいのは産経新聞だ。
もっとも、おもしろいというのと、信頼できるとか役にたつというのはわけがちがう。
産経はよく知られた右翼新聞で、朝日と対極にあるものの、やっていることは朝日とあまり違わない。
つまり、世の中で起きた事件や社会の動きの中から、自分たちの主張に沿ったものばかりを取り上げて、世論を誘導するってやつだ。

これはもちろん捏造ではない。
捏造ではないけど、公平客観的を旨とするわたしには、どうも気にいらない。
ほんとうは朝日と産経を足して2で割ればいいんだけど、これでは水で薄めた日本酒みたいな新聞になってしまう。
ブログでちくちくといたぶる楽しみも失われてしまう。
いちばんいいのは、異なる新聞をべつべつに読んで、自分なりの意見を導き出すことであり、そうなるとやはり基本的には反体制派で、隠れたリベラリストであるわたしには、朝日新聞しか選択肢がないのだ。

それにしても、3年契約の景品が缶ビール(350ml)の1ダースだけってのは、新聞業界の苦境を物語っているようで、哀れだ。
まあ、せいぜい頑張りなさい、アサヒさん。

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2016年8月22日 (月)

サンダーバード

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遠隔操作のできるブルーレイ・レコーダーで、テストのために離れた場所でなにか録画してみようと番組表を見た。
こういうときにかぎってとくに録画したい番組はなかったけど、たまたま目についた「サンダーバード」という番組を録画してみた。
録画については問題がなかったので、今回はそのとき録画した「サンダーバード」について。

これは、ちょっとまえに新聞で劇作家の三谷幸喜クンがほめていた番組で、世間にもよく知られたSF人形劇だ。
わたしもずっとむかし、ほんの少しテレビで観たことがある。
ただ、人形を使っているといっても、初代キングコングのようなストップモーション(人形をすこしづつ動かして動きを表現する、ひじょうに手間のかかる手法)ではなく、安直な操り人形を使っていて、そのためにどうしても動きや展開が制約される。
すでに青年になっていたわたしが観るにはかったるいというので、わたしは三谷クンほどには熱中しなかった。
感心したのはいくつかの場面で、宇宙船などがミニチュアと思えないほどリアルだったことぐらい。

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そういうわけで、今回録画してみた「サンダーバード」も本気で観るつもりはなかった。
ところがどうだ。
最新作は以前の作品とは大幅に変わっていた。
いちばん大きいのは、操り人形ではなく、コンピューターグラフィック(CG)が導入されたこと。
これだけで動きや奥行きなどがケタ違いに本物らしくなる。
CGにしては動きがギクシャクするところがあるけど、これは操り人形だったころのイメージを壊さないために、わざとそうしているらしい。

なにしろCGだから、宇宙船やその船内、宇宙空間などの背景も格段に進歩して(とくにメカが秀逸)、これはもう立派におとなの鑑賞に耐える作品になっていた。
うむむ。
困ったもんだね。
わたしのトシを考えると、こんなものに熱中してていいんだろうか。

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2016年8月21日 (日)

名乗らない

今朝の新聞の投書欄に、ネット上で意見を発表するときは本名を名乗れというのがあった。
仮名であるのをいいことに、他人を中傷する意見があとを絶たないからだそうだけど、うーんと考えてしまう。

わたしはネットでできるだけ本名を明かさないようにしている。
自分のブログやホームページではもちろん、本名でなければ会員になれないはずのフェイスブックでさえ、ハンドルネーム(ネット上の通称)で通している。
そればかりか、わたしが所属しているパソコンの同好会でも、全員に自分専用のハンドルネームを決めてもらい、メールや掲示板の書き込みでは、できるだけそれを使ってもらうようにしているくらいだ。

このへんは微妙な問題だ。
仮名で好き勝手なことを書いて喜んでいるバカ者には、わたしも閉口してるんだけど、その一方で、本名ではいいたいこともいえないという弊害がある。
わたしは週刊文春や週刊新潮を愛読しているけど、なぜかというとこれらの週刊誌には、告訴沙汰を承知のうえの批判精神があふれているからだ。
記者の署名入りでなければイケナイということにしたら、おそらくその、いい意味での批判精神は牙をそがれてしまうだろう。
週刊文春や新潮を、なんだ、あんなゴシップ誌と軽蔑する人とわたしは、根本的に考えが異なるのである。

世間には相手を傷つけないように気を使った、常識的でたてまえ論的な意見が多いけど、そんな水で薄めたような意見はまっぴらという人間もいる。
そ、わたしみたいに。
わたしがよく読むネット上の掲示板、たとえば「海外の万国反応記」などには、敬語を使わないことという暗黙の了解事項があって、それが掲示板を平等で、本音だけの意見にしていることはまちがいがない。

わたしが本名を明かさないのは、杓子定規な決まりより、お遊び精神やユーモアを愛したいということと、ネット上には危険がいっぱいと考えているせいもある。
ネットで本名を公開するということは、これはほんのちょっとした不注意で、逆に自分や家族が非難や中傷にさらされる危険を含んでいる。
だから本名を使うべきだというのは、一面的な問題にすぎないと思う。
他人を中傷するような意見は許されることではないけど、ほんとうに困るのは、そういう意見に同調して喜んでいる人間が多すぎるということだ。
大事なのは本名を名乗ることではなく、それを書く本人のこころがまえであり、自分たちが是非を判断できるまっとうな見識を持つことじゃないか。

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また五輪

いまサッカーを観てるよ。
ブラジルが先取点で、スタジアムを埋めつくした観衆がどよめいたところ。
ホント、スタジアムは満員だね。
リオのオリンピックじゃ治安の悪さが懸念されていたけど、競泳の金メダリストが強盗に襲われたってのはガセネタだったし、おそらくギャングたちもそれどころじゃないと、固唾を呑んでいるじゃあるまいか。

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地球はせまい

先日、7年間使ったブルーレイ・レコーダーがいかれた。
ダビングができなくなっただけで、録画した映像を観るだけなら問題はないんだけど、それができないのはわたしにとって大問題なのだ。

で、修理に出したら、もう部品がありませんから修理できませんだって。
そのかわり新しい機械を◯◯円で提供いたしますのだそうだ。
◯◯円が1万円以内ぐらいなら納得するけど、調べてみたら新品レコーダーを買うのとたいして違わない値段だった。
いまどきの電子機器ってのは7年も経過すると修理不能になっちまうのかいと、いささか釈然としないけど、けっきょくこの機械を修理するのはあきらめた。

じつはレコーダーがまったくないという状況に耐えられないので、いかれた機械を修理に出すと同時に、安いレコーダーを1台買ったんだけどね。
安いといってもいちおう最新の機器だ。
これをちょっと使ってみただけで、7年前の機械とは隔世の感があることがわかった。
いまやネットワーク機能があらゆる機械に備わっているといっても過言じゃない時代だけど、新しいレコーダーにもそれが備わっていた。

つまりスマホでレコーダーを遠隔操作できるのである。
無線LANがあれば、外出先からもレコーダーを操作したり、録画した映像を観ることができるのだ。
こういうことがわかってから、いまあるそこそこの機種に買い換えるくらいなら、これから出るはずの最新機器を買う方がいいというわけで、もう古い機械はどうでもよくなってしまった。
問題があるとすれば、あ、また金がかかるなあということで、知らず知らずのうちに浪費人間になり、アベノミクスの景気浮揚策に組み込まれるわたしがコワイ。

それはともかく、こういう新しい機能があると、つい試してみたくなる。
そのうち外国から録画してみよう。
たとえばスペインのホテルで、日本のテレビ番組を調べて、日本にあるレコーダーで録画する。
録画したものはスマホ(わたしの場合はタブレット)を使えば、スペインで観られるのだ。
うん、世界はもう、わたしの部屋の中ぐらいせまくなっているらしいぞ。

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2016年8月20日 (土)

五輪

ものすごい雨なので、部屋にひきこもってオリンピックを観る。
たまたま女子の棒高跳びをやっていて、へえ、棒高跳びの選手ってのは美人が多いねえ、しかもビキニの水着まんまじゃないかって、ケシカラン見方をしていたけど、そのうち陸上男子の400メートルリレーが始まった。
こういうレースで強いのは黒人だから、あまり期待しないで観ていたら、なんと日本が銀メダルだ。
けっして熱中するほうじゃないんだけど、オリンピックはやはり見始めるとおもしろい(ものもある)。

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2016年8月19日 (金)

女子レスリング

今朝はずうっとテレビを観ていたけど、ついに吉田沙保里が破れて、わんわん大泣きしていた。
ついでに妹分の登坂絵莉まで泣いていた。
沙保里さんにしてみればそれだけ思いつめていたんだろうけど、でも過去をふり返れば、彼女が表彰台に上がるたびに、それだけくやし涙を流していた他の選手がいたはずだ。
誰だって永遠に勝ち続けるわけにはいかない。
あっらー、負けちゃったわー、アンタも腕が上がったわねーってな調子で、表彰台でにこやかに相手を讃えてやってほしかったなあ。
日本人の中には、不真面目だってすぐ怒る人がいるけど、わたしにかぎっては、そういうことはけっしてありません。

今回のオリンピックは上出来。
女子レスリングで金をとった日本人選手には、まだあどけない顔をしたカワイ子ちゃんが多い。
このカテゴリーもいよいよ新時代かな。

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おもしろかった

仕事をほっぽらかして、いまオリンピックのバドミントンの試合を見ていたけど、バドミントンというのはいつもこんな接戦なのかい。
なんかまれにみる大接戦という感じで、しかも日本が金メダルだし、スポーツに熱中しないタイプのわたしにもおもしろかった。

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2016年8月18日 (木)

市民ケーン

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ぜんぜん話がちがうけど、タイから帰りの飛行機の中で映画を観ていた。
タイ航空では観られる映画の数は、新旧とりまぜて70本ぐらいあり、映画好きなら感謝感激ってトコだけど、わたしの観たい映画はほんの数本しかなかった。
で、わたしの選んだのが、あの歴史的名作「市民ケーン」。

日本語の字幕なしだから、ふつうだったら意味がわからないはずが、過去に何度も観たことのある映画なので、セリフなんかなくったってストーリーはわかる。
それで、耳では iPod の音楽を聴き、目では映画を観るという変則的な鑑賞方法でこれに見入った。

当節ではこんな映画を観ようって人は、若い人ばかりじゃなく、わたしの同輩にもあまりいないようだ。
観終わって、目じりに涙がじっとりという傑作なのにザンネンな気がする。
で、今回は旅の報告ではなく、映画評。

「市民ケーン」は、技術的にもおもしろい試みのされた映画なんだけど、どんな革新技術があっても、肝心のストーリーがつまらなければ映画の価値は下がる。
で、技術的な話は無視して、もっぱら感動的な部分にしぼって話をすすめる。

この映画は、新聞王として一代で莫大な財産を築いた男の物語で、実在の新聞王ハーストがモデルとされるというけど、そんな裏話も無視。
彼がありあまる財産にかこまれながら、絶望と孤独のうちに死んでいくという物語だから、お金より大切なのは愛情であるなんて教訓的な部分も無視。
みんな無視したらいったい何に感動するっていうのさ。

老いた主人公ケーンは、ある日、“ローズバッド(バラのつぼみ)” とつぶやいて往生する。
この言葉に興味を持った新聞記者が、彼の過去にまつわるさまざまな人物を訪ねて、バラのつぼみの意味を探ろうとするんだけど、それは映画を最後まで観ている観客にしか明かされないのである。

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ケーンはまだ幼いころ、たまたま母親が持っていたいわくつきの権利書のおかげで、大金持ちになってしまう。
当時の彼は雪深い山村に、両親とともに暮らしていた。
父親は家族に暴力をふるうようなだらしない男である。
そんな境遇を見かねた母親は、親子が離れ離れになるにもかかわらず、こころを鬼にして息子を教育のために東部へ送り出す。
この母親を演じたアグネス・ムーアヘッドという女優さんは、その毅然とした演技が、まず最初の感動的。

成人に達したあと、莫大な財産を引き継いだケーンは、新聞社を買いあさり、強引ともいえる手法で新聞王として成り上がり、ついには合衆国大統領に立候補するまでになる。
ところが彼は、金持ちになった男によくある話だけど、自分の古女房に飽き足らなくなって、街で出会った歌手志望の若い娘を愛人にしていた。
これが政敵に突かれて、けっきょくスキャンダルがらみで、選挙から撤退する。
このあたりから彼の没落の始まり。

彼は愛人にした娘を、みずからの権力と財産で強引に有名歌手にしようとする。
オペラ劇場を自分で造ってしまい、そこでいきなりプリマに抜てきし、もちろん世間からは酷評されるんだけど、なにしろ新聞王だ。
自分の所有する新聞ではめちゃくちゃ絶賛させる。
そんな記事を書かされた盟友たちもあきれかえって、ひとり去り、ふたり去りと彼のもとを去ってゆく。
自分に歌手としての才能がないことを自覚している愛人との関係も冷えてくる。
ワンマン経営者のケーンには、もはや暴走を止める人間もいなかった。
そう、北朝鮮のぼんぼんみたい。

ありあまる贅沢をさせているにもかかわらず、とうとう愛人は家を、ものすごい大邸宅なんだけど、そこを飛び出してしまう。
年老いて彼女以外にこころを許せる相手のいなくなっていたケーンは、必死で行かないでくれと哀願する。
愛人のセリフ。
そんなこと知るもんか、いい気味よ!

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捨てぜりふを残して愛人が家を出ていったあと、ケーンはヤケッパチで暴れまくるんだけど、ふとガラス玉に入ったミニチュアの家の模型に気がつくと、それをポケットに入れて悄然と部屋にもどる。
このガラス玉というのは、よく観光地などで売られている、中に水と細かい銀片が封じ込まれていて、玉をかたむけることで銀片が雪景色を再現するありふれた品である。

ケーンが死んだのはそれからほどなくしてだった。
彼は死ぬ寸前に、ガラス玉の中に幼いころの思い出を、母親と過ごした雪の山村のなつかしい風景を見出したのである。
というのがこの映画のてんまつ。
最後の最後に、映画の観衆にだけに明かされる “バラのつぼみ” の意味が、じつにしみじみと感動的で、うん、身につまされちゃうよ。
これは老人ホームなんかで余生をおくっている老人の、まじで共感をよぶ映画だな。
そう、わたしにも。

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2016年8月17日 (水)

タイ/帰国

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帰国する日。
あらかじめ下見をしていたおかげで、空港までBTS、メトロ、ARLなどを乗り継ぎ、まったくなんの問題もなかった。
問題があるとすれば、まだお腹の調子が回復していないということ。
でも「深夜特急」の沢木耕太郎さんも旅のあいだにいちど大病をしているし、病院にかつぎこまれなかっただけで平穏だったと思わなくちゃ。
これまでつぎ込んだ旅行保険もバカにならないから、いちど入院してモトを取り返したいという気持ちもあることはあるんだけどね。

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腹へったから空港のレストランで特別注文の食事をする。
特別注文といっても、メニューの写真を見て、肉いらないから野菜だけにしてくれる?といって、青物野菜の料理を注文しただけである。
出てきたものは油でさっと炒めたあんかけ料理になっていて、一見すると美味しそうだけど、予期していたより固くてまずかった。
わたしの歯が軟弱なのか、タイの人の歯が丈夫なのか。
ということを中国でも思ったことがあるから、これはやはり野菜をあくまでやさしく食べるという、日本の料理で育ったわたしの欠陥みたい。

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あいかわらずバカな旅をしていると思う人がいるだろう。
わたしだって感心しているわけじゃないけど、でも今回の旅でチェンマイの街がどんなところなのか、おおかたの知識は身についた。
自転車でも借りればもう地の果てまでも行けると思う(バイクでは地の果てから転落するおそれがある)。

バンコクでもそうだ。
有名な観光名所などひとつも見なかったくせに、つぎの機会には乗り物を自由に乗り継いで、たいていのところには行く自信がある。
つまり今回の旅は、わたしにとってあくまで下調べなのである。
わたしはそのうちまたタイに行くつもりだ。
めったに行けないところだから、なにもかも見てこようと考えるビンボウな人に比べれば、ただの下見のために金をつぎこむわたしの旅の、なんと豊かなことと自己陶酔しちゃうけど。

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でもつくづく考える。
わたしも歳をとった。
あちらこちらで出会ったタイ娘や欧米人の娘たちの美しいこと、健康的なこと。
それなのにわたしは彼女らに同情されるのがせいぜいの、みじめな年寄りになってしまったようだ。
楽しいはずの旅も、冷静に考えれば、自分の老いと向き合う旅になってしまった。

052f 052g 052g2

わたしは老いるが怖ろしい。
死ぬことではなく、自分の足で自由にどこにでも行けなくなるのがコワイ。
自分の目で好奇心を満たせなくなり、若い女の子から見向きもされなくなる自分。
年寄りへの境界線を一歩踏み越えたという自覚。
足が弱って、このまま羽根をむしられた鳥のように、現実という檻の中に閉じ込められるのはイヤだ。
しかしいくら努力したって、遅いか早いかの違いだけで、その日は確実に来る。

だからわたしは近いうちに、せいぜい元気なうちに、もういちどタイに行こうと思う。
ほかにも行きたい国はたくさんあるけど、せっかく下見をした国を、これだけで終わらせるのはモッタイナイ。
いまのわたしには、見知らぬ街をよたよたと彷徨っているとき以上に、生きがいを感じるときはないのだから、旅は人生を先にすすめる踏み石みたいなものなのだ。

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終わりにお腹のごろごろの追伸だけど、帰国した翌日にピタリと止んだ。
なに、コレ。

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2016年8月16日 (火)

タイ/空中回廊

他人の迷惑をかえりみずに長々と文章を綴ってきたけれどと、こういう文章が出てきたら書いている本人もうんざりしてきた証拠で、この紀行記もそろそろ終わると思ってさしつかえない。

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トイレをすませたあと、ラーチャダムリ駅で外に出て、ぶらぶら歩きながらBSTのサヤーム駅まで歩き、そこからホテルに帰ることにした。

ラーチャダムリ駅のホームから見下ろすと、駅のすぐかたわらにグランドになっている広いグリーンゾーンがある。
視線をもうすこし手前に引き寄せると、駅のとなりは浄水場で、プールの中で大きな撹拌機が濁った水をかきまわしていた。
グランドと浄水場に通勤する人はあまりいないらしく、ラッシュ時であるにもかかわらず、ここで下車したのはわたしとほんの少し。

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駅を出て高架の下をぶらぶらと歩く。
グリーンゾーンの反対側に、いくつか高層ビルが並んでいる。
グーグルのストリートビューでこのあたりの景色を紹介するけど、奇妙なかたちの神社仏閣を背景に、南国の木々がやさしく葉をゆらすというタイのイメージじゃない。
どこか香港の街かどを歩いているみたいだけど、わたしの泊まっているホテルの近所とはまたちがった景色だから、タイにはこういうところもあるのかという参考にはなる。

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やがてBTSスクムウェット線の高架の下に出た。
時間はあるし、ここまで来れば王宮やエメラルド寺院も遠くないけど、お腹はまだごろごろだから、おとなしくホテルに帰ることにした。

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最初の予定ではサヤーム駅からBTSに乗るつもりだった。
しかしホテルにもどるつもりなら、サヤーム駅はホテルと反対方向だ。
それよりもチットロムという駅に行くほうが方角的には正しい。
駅から駅まで高架にそって、空中回廊というべき歩行者用通路ができていて、ここなら信号にジャマされないし、車に気を使わずに歩くことができる。
この写真はその空中回廊。

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空中回廊に象徴されるように、このあたりは近代的な都市空間で、日本のちょっと開けた地方都市、たとえばわたしがこの春に行ってきた富山市あたりを歩いているみたい。
女の子でもあればよろこぶかもしれないけど、寺院の見学に来た人、マッサージを受けにきた人、快楽を求めて来た人などにとって、まったくおもしろいところではない。
タイは日本と比べるとまだまだ途上国だと信じる人が、もしもいたとしたら、そういう人の意表をつくようなところだ。

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空中回廊のすぐわきにインターコンチネンタル・ホテルがあった。
回廊からながめただけでも、わたしにはまるで縁のないホテルのようである。
わたしの知り合いに、バンコクでこういうホテルに泊まった人がいるけど、彼女はゴルフをやりに来たそうだから、やはりわたしとは目的がちがう。

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高いところから交差点をながめていると、交差点の停止線より前にならんだバイクタクシーが、信号が青に変わった途端にいっせいに走り出す。
惰性で写真を撮ったけど、べつにおもしろくもなんともない。
だんだんわたしの旅もなげやりになってきた。

このあとはチットロム駅でBSTに乗り、ホテルにもどった。
明日は帰国という日、なんとかお腹の調子をもとにもどそうと、この日は部屋で白湯を飲んだり、パックの果物だけを食べたりと涙ぐましい努力をしていた。

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2016年8月15日 (月)

タイ/公衆道徳

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市場からの帰りの列車。
サファンタクシン駅からそのままBSTに乗ると、線路はくねくねと曲がりながら、サヤームという駅でBSTのスクムウェット線に連絡する。
スクムウェット線に乗り換えれば、ホテルの最寄駅であるプラムポン駅まで1本だ。
でも、まっすぐ帰るのもシャクだから、サヤーム駅のひとつ手前で降りて、ひと駅区間をまたぶらぶら歩くことにした。

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やってきた列車は朝のラッシュでひどく混雑していた。
平均的なサラリーマンでないわたしには、ひさしぶりのラッシュ体験になった。

サヤーム駅のひとつ手前というと、ラーチャダムリ駅ということになる。
このあたりはバンコクの中心になるらしい。
日本でいえば霞が関みたいなところのようだ。

ところでわたしのお腹はまだおかしいので、移動中に緊急事態でトイレに行きたくなったら困る。
そこでラーチャダムリ駅でトイレをすませておくことにした。
ところが、新しくて大きな駅なのにトイレが見当たらない。
たまたま改札のすぐ内側に、女性警察官が机を出してふんぞり返っていたから、スミマセンけどどこかにトイレはありませんかと聞いてみた。
トイレ?

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彼女はトランシーバーでどこかと連絡をとり始めた。
たかがトイレでわざわざなにを話すのかと思っていたら、今度は駅の清掃係のおばさんがやってきた。
おばさんにこっちへ来いと連れていかれたのは、駅員の詰め所みたいなところにある、一般人の立ち入れないトイレだった。
つまりタイでは駅に公衆トイレがないのである。

トイレに座りながら、この問題について考えた。
駅のトイレについて研究したわけじゃないから、ウカツなことはいえないけど、公共の場に誰でも利用できるトイレがあるのは日本だけかもしれない。
タイは平和でおだやかな国という印象があるけど、たとえば公衆電話。
バンコクやチェンマイで電話ボックスをいくつも見た。
これが世界の潮流だってわけで、ご多分にもれず、受話器もボックスも落書きだらけでボコボコにされていた。

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もうおわかりだろうけど、たいていの国では、公共の施設に悲惨な運命が待っているらしい。
つまり公衆トイレなんか作ったら、たちまちぶっ壊されて、使い物にならなくなってしまうということである。

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外国人が日本に来ておどろくのは、どんな田舎や山奥にいっても飲み物の自動販売機があるってことだそうだけど、これは治安のよさだけではなく、人間の公衆道徳心がかかわってくる問題だ。
日本のわたしの家の近所には、災害時の避難場所に指定されている大きな公園があり、いくつもの公衆トイレが設置されている。
もちろん夜中には無人になってしまう場所であるにもかかわらず、トイレはいつもきれいに保たれている。
人々がこういうモラルを持ってない国では、やたらに公衆トイレなんか作れないのだろう。

トイレから出たら、ドアの外側におばさんが待っていた。
公衆道徳心の欠如以外に、爆弾テロの警戒もしなければならないとしたら、タイはけっして幸せな国ではない。

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2016年8月14日 (日)

家族写真

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これ以上世間からつまはじきにされるのは(わたしだって)イヤだから、ひさしぶりに田舎に帰省してきたけど、そこで親戚から、横が10センチほどの古い写真を拡大してくれないかと頼まれた。
これがその写真。

これをじっと見つめる。
写っているのは大半がすでに鬼籍に入った人ばかりで、この中にはわたしの両親もいる。
ついなつかしくなって、いつごろの写真ですかと聞いてみた。
日付が入ってないからわからないそうだ。
で、自分なりに推察してみた。

両親の若さからして、おそらくウチのおふくろが30代の後半から40代前半ごろの写真と思われる。
ということは50年以上まえの写真ということになる。
はっきりした時期はどうでもいいけど、背景に写っているかやぶきの農家がことさらなつかしい。
わたしが子供のころ、2軒長屋だった我が家をべつにすれば、この親戚の家がわたしのもっとも慣れ親しんだ家だったから。

残念ながらかやぶきなんて時代おくれということで、いまではこの家も、とっくに新しい建物になってしまった。
それでもこの写真は、庭にあったビワの木や、古い井戸、堆肥の匂い、軒下に棲まわっていた大きなアオダイショウなど、子供のころのいろんな記憶をよびさましてくれる。
たんなる家族の集合写真でも、年月とともに写真の中に蓄積されるものは大きい。

ちなみに、ここに写っているチビはわたしではありません。

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タイ/脱走米兵?

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帰りは列車で帰ろうと、BTSのサファンタクシン駅にもどった。
駅のまわりにも、出勤時のサラリーマンや、通学の学生目当ての屋台がたくさん出ている。
そんな屋台の中に、あきらかに欧米人とわかる老人が、手作りらしきパンを売っているものがあった。
彼の容貌をたとえるなら、北朝鮮に拉致され、日本に帰国した蘇我ひとみさんという人がいるけど、彼女があちらで結婚させられていたチャールズ・ジェンキンスという米国人を連想すればよい。
長年の囚人のような生活が、顔に憔悴と苦渋を刻むというやつである。

いったい彼は何者だろう。
どうしてこんなところで、うらぶれた格好でパンを売っているのだろう。

ここでまたわたしの推理癖が頭をもたげるけど、彼はベトナム戦争のころの脱走米兵ではないか。
ベ平連のような組織に導かれて、首尾よく脱走に成功した彼は、タイでかくまってくれたタイ娘と恋に落ちる。
いまもむかしもアジア娘は白人が大好きだから、これはあり得るどころか、必然のように思えてしまう。

彼はタイ娘と結婚し、この娘は働き者だったから、生活のいっさいを彼女に頼って、タイで隠密裏に生活しているうち、いつしか年月が経過した。
アジア娘は欧米人に比べると多産で知られるけど、敵前逃亡や家族を捨てたという自責の念は、この脱走米兵にこころのかっとうをもたらし、彼はとうとう子供をつくらなかった。
もちろん脱走米兵に国家の保障はなにもない。
タイ政府からしても、所詮は招かざるお邪魔ムシで、どこまでいっても彼は日陰の身のままだ。

やがて彼と結婚したタイ娘も歳をとって、腰がイタイ、足がツライといいだして、彼が働かざるを得なくなる。
どう考えても場違いなところでパンを売っている彼をみると、そんな事情を想像してしまう。
作家のモームやポール・セローなら、一編の小説に仕立て上げたんじゃないか。
どうも悲劇ばかり想像しちゃうのがわたしの欠点だけど、ほかに合理的な理由を説明できる人イマス?

写真を撮っておけばよかったけど、尾羽打ち枯らすといったあんばいの彼を見て、遠くのほうから1枚撮るのがやっと。
グリーンの◯で囲んだのが彼だ。

この欧米人の人生も、わたしの人生も、複雑多岐な人生のほんのひとかけらに過ぎないと、いささかの感慨をもってわたしは駅のホームにあがった。

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2016年8月13日 (土)

タイ/バンコクの市場B

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市場の商品のうち、見ておもしろいのはやはり魚である。
肉となると、すでに解体されていて、もとはなんの動物だかわからないからつまらない。
もっともウシやブタが、もとの動物の正体がわかる状態で置かれていたら、これもイヤだけど。

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さて、魚。
巨大なナマズはいなかったけど、カレイやイカ、ワタリガニ、高級魚として知られるハタなどがいた。
写真を仔細に検分すると、アユに似てそれより大きな魚もいる。
大きな川に棲む魚は巨大化する傾向があるようだけど、茶色く濁ったタイの川にアユが生息しているだろうか。

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海の魚が多いようだけど、そうだと断定するのは危険だ。
先ごろ見たBSの「怪魚ハンターが行く」という番組には、淡水に棲む巨大なエイが出てきたし、アマゾンにだってカレイやフグなど、どうみても海水魚としか思えないデタラメな魚たちが生息しているのだ。
わたしがはっきり海水魚であると断定するのは、沖縄のサンゴ礁で有名なイラブチャー(アオブダイ)ぐらい。

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生魚が好物のわたしは、もうちっと清潔に扱えば、タイだって刺身や寿司が発達したかもしれないのにねと思ってしまう。

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タイ/バンコクの市場A

昨日の昼のニュースに、タイで爆破事件だって。
なんだかわたしの行く先々がみんな物騒になっていくような気分。
わたしが死ぬころは、人類はこれまでまったく経験したことのない世界戦争に突入しているかもね。
相互に寄りかかっておきながら、相互に憎み合う。
しかもその度合いがますます極端になるみたい。
わっからねー世の中だよな。
まだまだ世界を見て歩きたいわたしとしては、相互に寄りかかるほうを大切にしてほしいもんだけど。

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揉めたタクシーを降りたのは、魚市場があるはずのBSTサファンタクシン駅の近く。
チャオプラヤ川に隣接した、なんだかゴミゴミしたところである。
でもまあ、市場というものはこういうところにあるほうが自然に思える。
朝のラッシュが始まっていて、駅の周辺はだいぶ人が多かった。

駅のまわりにたむろしているバイクタクシーの運転手に、魚市場(Fish Market)を知らないかと尋ねてみた。
ああ、それはこの先だよというから、いわれた方向に歩いてみた。
魚市場なら川岸にあって当然だろうと、なんとなく当てずっぽうで川の近くを探してみたんだけど、大きなホテルがあったくらいで、市場らしき建物は見つからない。

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あちこちで尋ね歩いて、ようやくそれらしき建物を見つけてみたら、なんだかどこにでもあるスーパーみたいで、想像していたよりずっと小さかった。
またしくじったなと思う。
市場の写真も印刷してあったけど、サファンタクシン駅まで行けば、築地まで行って魚市場の場所を聞くようなものだろうと思い、ホテルに置いてきてしまったのである。

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仕方ないからその小さな市場を2回に分けて紹介する。
あいかわらず、日本人からみると、あまり清潔と思えない場所で、魚だけでなく、肉や乾物など、さまざまな食品が売られていた。
市場のまわりにもいろいろな屋台が出ている。
その場で食べられるちょっとした料理もあって、これから出社というサラリーマンやOLが、ファーストフード代わりにしていた。
どんな味がするのか、かたっぱしから食べてみればいいけど、お腹の不具合をかかえている目下のわたしには自殺行為だ。

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托鉢に来ているお坊さんがいた。
ほどこしは金銭ではなく、茶碗に盛られた食べ物である。
信仰心があついのはけっこうだけど、宗教というものに熱心でなく、この歳まで肉体労働で日々の糧を稼いできたわたしには、どこかすなおにほめたくない気分。

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2016年8月12日 (金)

タイ/タクシー

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お腹PPでは観光にも夜遊びにも行く気がおきないので、わたしの今回の旅はもう終わったようなものだ。
旅も7日目になった。
明日は午後の飛行機で帰国だから、実質的にはこの日が最終日になる。
さて、どうしょうか。

この朝のネットニュースによると、フィリピン沖に強い台風が発生したらしい。
ヘタすりゃ帰国日に直撃かと思い、進路を調べてみたら台湾から韓国へ向かうコースのよう。
ただし明日はちょうど飛行機と台風が台湾上空で交わる感じ。
飛行機は成層圏を飛ぶから問題はないだろうけど、ま下に台風を見てみたい。

見たいところは山ほどあるけど、まだお腹の調子はおかしいので、無理をしないという方針で、この日はあらかじめ調べておいたバンコクの魚市場に行ってみることにした。
市場というからには朝早く行かないとダメだろう。
それで、ふつうなら寝坊するはずのわたしが早起きした。

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早朝の5時半ごろ、ホテルを出た。
ホテルの近くのタクシーは500バーツだ、400バーツだと、みんな法外なことをいうので、スクムウィット通りまで出てタクシーをつかまえた。
印刷しておいた地図を見せて、ここに行ってくれと頼む。
この市場はBTSシーロム線のサファンタクシン駅の近くにあって、バンコクではけっこう大きな市場らしいから、あとは現地で尋ねればわかるだろう。

ところがタクシーの挙動がおかしい。
地図で見るかぎり、そんなに複雑なコースとも思えないのに、やけに時間がかかる。
そのうち左側にチャオプラヤ川と思える大きな川が現れた。
そんな川のほとりを走るはずがないから、おい、まわり道をしてるだろうと文句をいう。
運転手は時間によって一方通行だ、みたいな言い訳をしていたけど、歌舞伎町の中をうろうろするならわかる。
それが今回は新宿から銀座に行くのに、渋谷を通るようなものだ。

目的地に着いたあと、140バーツのところ、100バーツ紙幣をたたきつけて降りてしまった。
運転手は大声でなにかわめいていたけど、無視。
車を降りたあと、彼が追いかけてくるなら残りを払うにやぶさかじゃなかったけど、奴さん、とうとう追いかけてこなかったから、やはりまわり道をしていたのだろう。
140バーツだって日本円で400円ていどである。
しかし外国人を相手にふっかけようという態度が許せない。

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途上国に行って悩むのは、現地のタクシーとたいていこんなやりとりがあるからだ。
かって中国に行ったとき、知り合いの中国人と一緒だったにもかかわらず、運転手はぬけぬけとその知り合いに、お客さん、いくらか儲けをキックバックしますから、この日本人からふんだくろうじゃありませんかと持ちかけていたらしい。
あー、疲れる。

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2016年8月11日 (木)

タイ/空港までの足

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バンコクに到着したとき、大渋滞に遭って、この街ではタクシーがあてにならないことがよくわかった。
帰国する日、のんびり出れば渋滞して飛行機に乗り遅れるかもしれないし、早く出ればたまたま順調に着いて時間をもてあますかもしれない。
どっちにしてもうれしくない。
確実なのは鉄道を利用することである。
バンコク市内にはメトロ(MRT)、スカイトレイン(BTS)、エアポートレイルリンク(ARL)などの鉄道があって、これを乗りこなせれば空港まで渋滞の心配はないし、バンコク市内をぶらつくのにも便利である。

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そういうわけで、この日の午後は観光よりもまず、鉄道を乗りこなすための習得にあてることにした。
地図をにらむと、ホテルから空港まではわりあい便のいい場所にあることがわかる。
ホテルからいちばん近いBTSのプロムポン駅まで500メートルくらい。
そこからひと駅だけ乗って、となりのサンクという駅まで行くと、スクムウィットというメトロ駅と接続している。
スクムウィット駅からメトロでまたひと駅だけ行くと、ARLのマッカサン駅だ。
ARLの終点が空港なのである。

これをじっさいに体験してみようと、またホテルを出た。
時刻は午後の3時ごろで、プラムポン駅までぶらぶら歩く。

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あらかじめ調べておいた情報によると、BTSに乗るには、自動券売機で専用のカードを買うのだそうだ。
しかし駅に着いて券売機を目のまえにしても、すぐには要領がわからなかった。
券売機に硬貨を入れる穴はあるのに、お札を入れる場所がないのである。
うーむと悩み、カードを駅員からちょくせつ買おうとして、券売機ではなく窓口で紙幣を出したら、両替をしてくれただけだった。
それでも両替をしてもらって硬貨を手にすれば、あとはそれほどむずかしくない。
タッチパネルで行き先の駅名を押し、表示された料金を投入するとカードが出てくるので、それを改札機の所定の場所に挿入するだけ。

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BTSにひと駅だけ乗って、となりのサンク駅で下車し、ここでメトロに乗り換える。
メトロの駅はスクムスィット駅になるけど、ここでは入り口で不審物のチェックがある。
ネコはなんのためにいるのかわからない。

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乗り方はメトロも基本的にはいっしょで、タッチパネルで行き先を決めたあと、料金を入れる。
入れたのにお釣りがじゃらじゃらと出ただけで、なにも出てこない。
考えこんでいたら、うしろに並んでいた娘が排出口をまさぐってくれた。
出てきたのはシングル・ジャーニー・トークンという黒いコイン状のもので、これが暗い排出口に出てくるのだから、老眼ぎみのわたしには見えっこない。

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メトロにまたひと駅だけ乗ると、つぎの駅はARLのマッカサン駅と連絡している。
マッカサン駅はメトロの駅とすこし離れているけど、高架鉄道だから地上に出ればすぐわかるし、専用の通路もある。
ここまで来れば空港までもわけはない。
この日はARLに乗る必要はなかったけど、後学のためにひと駅区間だけ乗ってみた。
今度は赤いトークンで、あとはいっしょ。

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ひと駅だけ乗って、ホーム反対側の列車で引き返すことにした。
やって来たのは赤いラインのエクスプレスで、来るときはすいていたのに、これは猛烈に混んでいた。
空港まで、各駅で行っても20分ぐらいだから、無理にエクスプレスに乗る必要はないのに。

プロムポン駅までもどってきて、出ようとして改札機にカードを挿入したら、前の客がなにか問題が生じたようで、出かかってまごついた。
彼はなんとか出ていったけど、それっきり改札が閉まってしまった。
わたしのカードはすでに挿入済みでもどってこない。
これでは出られない。
駅員に説明したらこういうことはよくあるようで、なにもいわずに通過させてくれた。

これで帰る日の交通だけはなんとかなる。
問題があるとすれば、タイの硬貨に不慣れなわたしは、券売機を使うときどうしてもきっちりとした料金を用意できず、お釣りがたまって仕方がないということぐらい。

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2016年8月10日 (水)

タイ/日本語看板

お腹の調子はおかしいけど、頭のほうはいくらかすっきりしたし、トイレに行く頻度も減ったので、またホテルの周辺の偵察に出る。

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出がけにホテルの近くで、大胆に裾をカットしたチャイナドレスの美人といっしょの、日本人男性らしき人物と出会った。
白髪の、どこかの大企業で部長クラスを勤め上げたような男性で、ラフな服装からすると、このあたりに住まわっているらしい。
若い娘におぼれるようなタイプにも見えないし、おそらく本人も金の切れ目が縁の切れ目と割り切って、若いころの小泉今日子によく似たこの娘と同棲しているのではないか。
ひょっとすると日本に奥さん子供もいるのかも。
それなり功なり名を遂げたあとで、あとは年金と貯金で新しい人生を楽しむことにしたのなら、うらやましい生活といえる。

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先にホテルの周辺は新宿2丁目みたいと書いたけど、ホテルのまえのソイ(路地)を200メートルほど行くと、スカイトレイン(高架鉄道)のあるスクムウィット通りに出る。
それをさらに300メートルほど行けば、ホテルからいちばん近いプラムポン駅だ。
ここまでのんびり歩いても10分ほどで着く。

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ホテルのあるソイの出口には、オレンジのユニフォームのバイクライダーがたむろしていた。
彼らのバイクは、じつはタクシーである。
渋滞のひどいバンコクでは、早くて確実ということで、重宝されている乗りものらしい。
もっとも安全までは保証してくれそうもない。

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とりあえずホテルやプラムポン駅のあたりをぶらぶらしてみた。
プラムポン駅に隣接して大きなショッピングモールがある。
日本の一流デパートみたいで、どうせわたしに買うものがあるはずがないと、入ってみなかったから、内部についてはわからない。

スクムウィット通りにはスーパーもある。
品揃えは豊富で、コンビニとは比較にならない。
こういう店をじっくり観察すると、この国の事情がいろいろわかってきておもしろい。
酒は缶ビールが安いくらいで、ウイスキーやワインのような輸入ものはかなり高かった。
食べものは日本のようにパック詰めで売られているものが多い。
食事を自主的に控えめにしているわたしは、マンゴーと柑橘類のパックを買っておいた。

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ふたたびホテルのあるソイまでもどってきた。
ホテルの周辺には妖しい店ばかりではなく、やけに日本語の看板が多い。
「ラーメン」「やきとり」から「整体・フットセラピー」「七洋水産」「東京メガネ」などなど。
ここでそんな日本語看板の特集をしてしまう。

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ほかにも「古本買います」なんて看板もあって、まるで異国で出会った日本人に親しく肩を抱かれたような気分。
AV男優・島袋浩の店なんてのもあった。
わたしは島袋クンなる人物を知らないけど、AVでしこたま稼いでバンコクに店を出したのなら、立志伝中の人ではないか。
バンコクでは有名な歓楽街のパッポン通りなんてとこを見物に行こうと考えていたけど、これなら近所だけで間に合ってしまいそう。

このあといったんホテルにもどり、部屋で地図をながめて思案する。

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2016年8月 9日 (火)

近所の野生×3

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暑いのはわかっているけど、こういうときこそ行かなくちゃと、つまらぬ虚勢をはって散歩に行く。
ここんところ「近所の野生たち」に該当する写真がないから、今日はそれを3つばかり。
最初は、今年も咲いた花縮砂(ハナシュクシャ)。
2番目は自然観察園の中のカワラナデシコ。
3番目は花ではなく、食べられそうもないキノコ。
 
帰りに道路わきの茂みに横たわっているおばあさんを見た。
ダイジョウブ? どこか具合がわるいのと訊くと、いいえという返事。
あまり暑いので木陰の茂みに倒れこんじゃったらしい。

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竹の影

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朝、太陽がのぼってきたころ、目の前の窓ガラスに隣家の庭の竹が影をおとす。
窓辺のカーテンのレース模様と、竹の影がかもしだす文様がおもしろい。

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タイ/風邪と下痢

この晩はさっそくホテルのとなりの日本食レストランに行ってみた。
わたしはとろろのかかった山かけソバが好物だから、蕎麦屋ではたいていこれを注文する。
メニューを持ってきた店の女の子に、これは温かいほう(山かけソバ)かい、冷たいほう(とろろソバ)かいと訊いてみたら、めんくらっていたから、この店でも日本語は通じないようだった。
もっとも暑いタイでは山かけソバは最初から論外かも。

食事とあわせてビールを飲み、満足してホテルに帰った。
わたしのトシではじゅうぶんに行動をした日になるので、部屋でころりとベッドに横になって寝てしまった。

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夜中になってお腹がごろごろするので目がさめた。
おいおい。
あわててトイレに駆け込み、ウオシュレットの上でひと息ついて、うーんと考える。
原因はいったいなんだろう。
わたしの友人たちなら、どうせなにか変なものを食べたんだろうというだろうけど、ということは寝るまえに食べたとろろソバか。
しかしあのソバは、わたしがこの旅で食べた食事の中でも、もっとも清潔と思える店で調理されたものである。

どうも食あたりが原因ではないような気がする。
いちおう正露丸を2粒ばかり飲んでおいたけど、食あたりなら出るものが出ればすっきりするだろう。
風邪じゃないかと思う。
チェンマイからバンコクへの飛行機が冷房の効き過ぎで寒かった。
くしゃみが何度も出たのに、毛布も借りずに我慢をしてしまった。
あれが祟ったのかもしれない。

トイレから出てベッドに倒れ込むと、頭の中で大きな歯車がずしりずしりとまわっているような気分だ。
やばいな、旅行保険はどこだっけと悲観的な考えになる。
しかし旅行保険の使い方もわからず、この晩はただ寝る、そしてひんぱんにトイレに行くしかなかった。
そんな具合でひと晩中まんじりともせず、朝になってからようやく寝ついた。

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目をさましたのは昼ごろで、下痢はやはりおさまる気配がなかったけど、頭はいくらかすっきりした。
このまま部屋にひきこもっていても仕方がないので、病院はともかく、なにか薬を飲んでおこうと街へ出る。
薬屋はすぐに見つかった。
筆談とジェスチャーで風邪であることを伝え、小さな瓶に入った薬を買った。
さくらレジデンスでは朝食がつかないので、帰りにコンビニに寄り、サンドイッチのような無難な食べ物を買う。

部屋にもどって薬をよくながめたら、赤いどろりとした液体で、はたして飲み薬なのか、それともカン違いされてうがい薬でも買わされたのか、よくわからない代物だった。
パッケージの説明書を読んでも、どこにも Drink という文字はなく、英語とタイ語ばかりでさっぱりわからない。
でも幼児の手の届かないところに保存と書いてあるような気がする。
けっきょく瓶のキャップに入れて、ほんの少々を味わってみただけで、コワくて飲めなかった。

こんな調子で、バンコクに着いた翌日は散々な日になってしまった。

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2016年8月 8日 (月)

タイ/ソイの景色

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バンコクに到着した日、もう夕方だったけど、ホテルで洗濯物を扱ってないといわれ、近所にクリーニング屋を探しに出た。
このこと自体はわたしにとってめずらしいことではない。

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ホテルを出てあっと驚いた。
ホテルのまえの通りは、いかがわしそうな飲み屋やマッサージ店が軒をつらね、そこかしこに妖しい雰囲気のおネエさんたちがたたずむ、日本の新宿2丁目のようなところだったのだ。
ホテルの並びには安っぽい赤い風車を押し立てたムーランルージュなんて店もある。

でもまあ、へんにとりすました街より、わたしはこういうところがキライではない。
具体的にどんなところかを説明するには、言葉より写真のほうが早いからまた写真をならべるけど、いちばん最初の白いふちどり写真は、グーグルのストリートビューからの転写だ。
ホテルのまえの通りのようなところを、タイでは路地という意味で “ソイ” と呼ぶらしい。

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ソイに屋台がずらりと並ぶのは、東南アジアの街ならどこでもふつうに見られる光景である。
わたしはこれを見て、香港を連想した。
台湾やインドネシアのバリ島にも似たような景色はあったけど、それが、なんといったらいいか、バリ島なんか同じ屋台でもどこか駘蕩とした気分があったのに、ここではいまやっておかなければという、切羽つまった活気のようなものが感じられる。
同じタイでもチェンマイとは違うから、これは人や車が多いという大都会に特有のものかもしれない。

沢木耕太郎さんの「深夜特急」では、香港が気に入って、想定外の長期間尻を落ちつけるくせに、バンコクについてはわりあいあっさり書いてある。
香港が気に入ったなら、バンコクも気に入りそうなものだけど、どうしてそうではなかったのだろう。
そこでもういちどこの本を読み返してみた。

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彼は地図も予備知識もナシという、わたしより乱暴な旅をしていて、どうもタイについて、香港とはぜんぜんちがう、静かで美しい国だろうという先入観があったらしい。
ところがのっけから安い連れ込みみたいな宿に泊まるはめになり、ボーイたちから女は要らないかと執拗な攻勢をかけられている。
このへんから齟齬が生じたようで、それが彼が失意のままタイを去る原因になってしまったようだ。

日本人が来たらまず女を売り込めというのは、当時のアジア各国の共通認識だったようである。
わたしの友人にも若いころせっせと買春ツアーに精を出し、あげくにわるい病気をもらったなんてことを自慢する男がいた。
こんな状況が潔癖な沢木青年を失望させ、タイという国に好印象をもたらさなかったとしたら罪つくりな話だ。
今回のわたしの旅ではそんなことがない。
ぜんぜんない。
いまでは買春の主役は中国人に移ったのか、あるいはわたしがもう娼婦にさえ同情される年寄りになったせいか、バンコクでは女は要らんかねという話はひとつもなかった。

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そのへんの店のまえにいた、オカマ然としたおネエさんに、このへんにクリーニング屋ありませんかと訊いてみた。
この奥にあるわよ、でも今日はもうやってないわとのこと。
仕方がないから洗濯物をかかえたままホテルにもどることにしたけど、この通りだけでセブンとファミリーマートの2軒のコンビニ、いやソイの入口にあるものを含めれば3軒のコンビニがあることがわかった。

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2016年8月 7日 (日)

タイ/さくらレジデンス

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バンコクで予約してあったのは「さくらレジデンス・ホテル」。
ご覧のとおり、すぐとなりに生そばののれんを下げた日本食レストランがあるので、ホテルを探すのには、こののれんを探したほうが早い。
大きなホテルに見えるかもしれないけど、エレベーターは1機しかないから、それほどでもない。
わたしの部屋は6階だった。
しかし荷物を運んでくれたボーイに、今回はチップを払わなかった。
日本人を甘くみてはいけない。

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部屋は、値段からすればもったいないくらいで、デラックスなスイートみたいだ。
広々としていて、ダブルベットに机やテレビ、冷蔵庫、電気ポットがそなわり、白黒のモダーンな様式のトイレも、バスタブつきで清潔そう。
床はふかふかしたカーペットで、裸足で歩いても気持ちがよかった。
窓からの景色はロクなもんじゃないけど、もともとそんな風光明媚なところにあるホテルではない。

Wi-Fiも問題なくつながる。
チェンマイのホテルでは、使用するたびにパスワードを打ち込んだのに、ここでは最初に1回打ち込めば、あとは必要なしというのがよかった。

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トイレについてはおもしろいことに気がついた。
便座のわきにべつのホースが伸びていて、それにもシャワー口がついていたことだ。
こういうホースはほかのトイレでも見たことがあるから、タイではめずらしいものではないらしい。
最初はビデ用かと思ったけど、ご覧のとおりこのホテルのトイレはウォシュレットで、ビデは初めからついてる。

なんのためについているのかわからないけど、これはすこぶる具合がいい。
だれでも経験があると思うけど、ウンチが便器のあらぬ場所にこびりついて、トイレの排水では流れてくれないことがある。
そんなときこのホースとシャワーを使えばイチコロだ。

それとは別にして、ウォシュレットにはお尻とビデ用のふたつのダイヤルしかついてない。
それぞれのダイヤルをまわすと水が出て、まわせばまわすほど水流が強くなる仕組みなんだけど、このほうが簡単でわかりやすい。
たかがお尻を洗うのに、日本のウォシュレットはややこしすぎる。

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ベッドの枕もとに桜や富士山の大きなパネル写真が飾ってある。
それでつい、このホテルの経営者は日本人かなと思ってしまうけど、そうではなさそうだ。
部屋のドアをあけた先の通路に、いつもシーツや布団カバーなどの洗濯物が積まれていた。
そのへんに室内係の詰め所があるらしいけど、この無神経さは日本人の経営するホテルならあり得ないように思う。

到着してすぐにシャツを洗濯に出そうとしたら、うちではクリーニングはうかがっておりませんときた。
やれやれ。
わたしがものに動じない人間だからいいけど、神経質な客にあったら、口コミでなにを書かれるかわからないぞ。

その口コミだけど、いろんな意見を読んでみると、部屋が広かったとか狭かったとか、お湯が出にくいとか、Wi-Fiがつながらなかったとか(わたしの部屋は問題なし)、まるで相反するものがあるから、あまりアテにならない。
それとも同じホテルでも料金によってレベルの差があるのか。
わたしの泊まった部屋は1泊が4000円だったけど、もっと安く泊まった人もいるようだから、それが設備のちがいになっているのかしら。

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2016年8月 6日 (土)

タイ/バンコクへ

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朝起きたら雨が本降りだった。
でもこれもツキかも知れない。
この日は昼の飛行機でバンコクに移動だから、雨が降ってもあまり関係がないのである。

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部屋でのんびり移動の準備をし、11時半ごろチェックアウト。
ホテルで掴まえてくれたトゥクトゥクは120バーツ。
チェンマイ空港は市に隣接しているようなものだから、空港までものの15分ほどで着く。
空港での手続きもほとんど問題がなかった。
あまり順調にいきすぎて、バーガーキングで時間をもてあましたくらい。

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肝心の飛行機はエアコンが効きすぎて寒かった。
でもたかが1時間足らずじゃないかと、毛布も借りずに我慢してしまった。
ところがこういうときにかぎって、なぜか飛行機が到着までに1時間半もかかった。
鼻の奥がむずむずして、ハックショーンというくしゃみを2度、3度。
これがあとあと響いてくるんだけど、このときはまだ風邪をひいたかな程度にしか危機感を持たず。

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雨はバンコクまで降り続いていた。
この街にひとりで来たのは初めてだから、なにもわからないので、とりあえずタクシーを利用してホテルまで行くことにした。
ところが道路が大渋滞だ。
出発まえに読んだ下川祐治サンの本には、バンコク市内の大渋滞のことが書かれていたけど、それはメトロや高架鉄道の完成で、とっくに解消したものと思っていた。
とんでもない。
高速道路上で車に閉じ込められて、ほかにやることもないから、国のインフラ事業について考える。

この問題については、つねに一歩先を進んでいるほうがいいかもしれない。
渋滞がひどくなりすぎてから道路を整備するのでは遅いのだ。
タイがメトロや高架鉄道を作り出したのは、交通マヒがどうにもこうにも耐えられなくなってかららしい。
それでいくらか緩和されたものの、早くもこの国ではつぎの手を打たなければならない事態のようだ。
そういう点では、いろいろ文句をいわれていても、山手通りの下にバイパスを作ったり、第2東名を作ろうという日本のインフラ整備は、まあまあまともなものとしか思えない。

でも日本などがタイのインフラのためにいくら援助しても、そのうちの何割かは政治家や役人、軍人のふところに消えるのだろう。
それが盗難アジア、いや、東南アジア流の政治というものだ。
この国では、そういう既得権益を守ろうという勢力と、それがおもしろくないという勢力が拮抗している。
プミポン殿下の亡きあと、タイもいま世界中で伝染病のように蔓延している、混乱と暴力の波にのみ込まれるのだろうか。

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とまあ、不満がタイの政治にまで飛び火して、ぶつくさほざいているうちにようやくホテルに着いた。
渋滞がなければ30分で着くところ、2時間半もかかったのだ。
こころやさしいわたしは、メーター表示で460バーツのところ、気のドクな運転手に500バーツ払ってやった。

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2016年8月 5日 (金)

タイ/チェンマイ最後の夜

チェンマイ最後の夜である。
わたしのような年寄りでも男の本能がうごめくことがあるとみえて、この夜はすなおに眠れない。
で、夜の10時ごろ、またラーチャダムヌーン通りまでふらりと出かけてみた。

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カメラ片手に歩いていると、トゥクトゥクが寄ってきて、ダンナ、女は要りませんかとささやきかけてくる。
こんな時間に男がひとりで歩いていれば、そう思われるのももっともだけど、金がないよと断る。
断るくらいなら外出しなければいいのに、わたしはこういう現実も知りたいのだ。
チェンマイで女が欲しければ、夜中に物欲しそうな顔をして街をぶらつけばよいということがわかっただけで、この晩の散策は意義がある。
下らないことを探求していると思うのはそっちの勝手。

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ラーチャダムヌーン通りのカフェでライブ演奏をしていたから、入ってみた。
3番目の写真は昼間見たその店で、わたしのホテルからはものの5分だ。
ゲストハウスとあるから、ここも簡易宿泊所をかねているらしい。

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わたしとあまり変わらない年齢の演奏者たちが、ロックなのか、あるいはタイ式ポップなのかわからない曲を演奏していた。
でもまあ、こういうところでは雰囲気が大事だ。
異国のバーで音楽を聴きながら一杯飲むなんて、「カサブランカ」のハンフリー・ボガートのようではないか。
新市街のほうに行けばもっとこういう店も多いのかも知れないけど、わたしのホテルの近所では、この店は貴重なナイトスポットかもしれない。

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客は欧米人と、演奏者の知り合いらしいタイ人がほとんどで、ほとんどがカップルかグループだ。
わたしのようにひとりという客はいないので、ちょっと居心地がわるかったけど、それでもビールを2杯飲んだ。

いいこんころもちになって、ホテルにもどるとちゅう、若い娘たちが屋台を囲んでなにか食べているのを見た。
街中に簡体字の看板があふれているくらいだから、彼女らも中国娘らしかったけど、日本人とまったく変わらないファッションで、なんのくったくもない娘たちを見ているうち、奇妙な感慨におそわれた。
いまから20年、30年前は、わたしが中国を何度も訪問していた。
そのころは手の届くところにいた彼女らの母親は、その娘の時代になって、完全にわたしの手の届かない存在になってしまった。
日本と中国の経済格差が縮まったことと同時に、それだけわたしが歳をとったということである。

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中国娘たちの、短パンからのびたすらりとした足を脳裏に刻んで、わたしはよたよたとホテルにもどった。
これで今回の旅のチェンマイは終わりである。
明日はバンコクに移動だ。

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2016年8月 4日 (木)

タイ/南門の市場

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どこかでトゥクトゥクを掴まえようと考えながら、なんとなくチェンマイ門をめがけて歩き続けている。

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このあたりは閑静というより、下町らしい庶民的な土地柄のようだ。
学校がいくつかあったから、文教地区といっていいかもしれない。
学校帰りの中学生、高校生が連れ立って歩いていたり、バイクに2人乗りして帰宅を急いでいたりする。
そんなところの近所にタトゥー(彫りもの)屋があったりする。
電信柱の下にゴミ袋が出してあったりもする。
こういう景色もわるくない。
でもホテルを自由に選べるなら、ちと敬遠したいところである。

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このタトゥー屋の写真の右に、青色ののれんのかかった店が写っているけど、そこに書いてあるのは大陸中国で使われている簡体字で、“薬屋”のことである。

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大きなホテルがあった。
病院かと思ったくらい、イロ気のないホテルである。
このホテルの向かいに屋台が出ていた。
小学生らしい児童が、制服のままなにか食べている。
屋台は小学校のまん前にあって、生徒を迎えにきた父兄もいっしょになってなにか食べていた。
これをもって日本とタイの教育方針の違いがわかるなんてエラそうなことはいわないけど、放課後の生徒をねらって、学校の門のまえに屋台が並ぶなんて、日本でもそういうことがあるんだろうか。

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さらに歩き続けると、このあたりにも寺院があって、中庭でオレンジ色の僧衣の若い坊さんが土方仕事にこき使われていた。
敷石の交換や敷設ぐらいは自分たちでやってしまえということかもしれないけど、暑いのに気のドクだ。
タイには坊さんの数が多いから、彼らを無為徒食のままにしておくのはモッタイナイということなら、ま、理にかなっていなくもない。
わたしもこの国には坊さんの数が多すぎると思っていたのだ。
坊さんという職業もワークシュアリングの一環かもしれないけど、まだ若くて健康な彼らに、念仏だけ唱えさせておくのはモッタイナイ。

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けっきょくぶらぶら歩きながら、チェンマイ門の市場まで行ってしまった。
時刻はもう午後の遅い時間だから、市場は閉まってて、立ち食いの屋台のような店が営業しているだけだった。
市場の規模もけっして大きくないけど、もっと早い時間に来れば、まわりが観光地でないだけに、庶民的で活気のある光景が見られたと思う。

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ここでもグーグルのストリートビューから転写したそのあたりの風景を披露する。
右側に連なる建物が市場で、じっさいよりも大きく見える。

この日はこのまま歩き続けてホテルにもどった。
なにをやってんだと叱責されそうだけど、オプションでゾウに乗ったり、金ピカのお寺を見るようなツアーに参加しても、受ける喜びがこれより大きかったとは思わない。

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2016年8月 3日 (水)

壊れたBDプレイヤー

買って7年目のブルーレイ(BD)プレーヤーがいかれた。
映像を観るにはさしつかえがないんだけど、録画した番組をDVDにダビングできない。
仕方ないから修理に出すことにした。
しかしそのあいだも録画しなければいけない番組が目白押しだ。
わたしは自分の部屋に、目で見る図書館を構築しようと、気になった番組はかたっぱしから録画しておくのだ。
プレーヤーのハードディスクがいっぱいにならないように、適宜それをDVDに移すのである。

そういうことで録画機がないと困るんだけど、もはや先のみじかい当方のこと、いまさらわけのわからない機能満載のフルスペック機なんか買うつもりはない。
とにかく安ければなんだっていいやと、店に行ってみたら、ソニーのBDプレイヤーが山積みで売られていた。
売れ残りみたいだけど、おお、これでいいやってなもん。

ただ、新しい機種を買って、万が一にも、これまでダビングしたディスクが観られなくなったら一大事。
店員にそう説明すると、ああ、いいですよ、つないでみましょうってことで、よせばいいのに店でいちばんでっかいテレビに接続してくれた。
それで持参したディスクを再生して、もちろん問題なく観られたけど、いやもう、大変なもんだね。
うちの小さなテレビで観ているぶんには問題がなかったのに、でっかい画面で観ると、画質の荒さがありあり。
そのうちテレビも買い替えなくちゃいけないんだけど、ゼッタイに大きな画面のものは買わないことにした。

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タイ/ターペー門

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ターべ門というのは、四角いチェンマイの旧市街地の東の門である。
わたしのホテルからワットプラシンのまえに出て、ナイトマーケットの開かれるラーチャダムヌーン通りを一直線に東に向かえばいい。
ほとんどが撤去されてしまったチェンマイの城壁だけど、この門のあたりにはかってのレンガ壁が残っていて、城門の外側はコンクリートを敷きつめた広場になっていた。

暑くなければ広場を散策をするのもわるくない。
しかし、さすがにまっ昼間からこんなところをうろついているのは、現地のタイ人にもあまりいそうになかった。
今回の旅は思っていたより涼しかったけど、それはこの時期のタイにしてはという意味で、やはり歩き続けていると老骨にはこたえる。

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広場を横に見て、そうそうにターペー門の内側(旧市街側)に入り、交差点ぎわにあったカフェで、しばらくイップクしていくことにした。
この門は旧市街と新市街の接点になっていて、観光客にとってランドマークになっているらしい。
にぎやかなところだから、店先に座っているだけで、交差点を行き来するさまざまな人種が見える。

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大きな荷物を背負ったバックパッカー3人連れのひとりは、まだ若い女性だった。
日本人のように海外旅行をファッションと捉えているような人種に比べると、お化粧も身なりもさておいて、まず異国を味わい尽くそうという欧米人の探究心にはいつも感心する。

ここで「地球の歩き方」をながめて、つぎの目的地を探してみたら、旧市街の南側にあるチェンマイ門の近くにも市場があることがわかった。
このあたりはまだ行ってないので、今度はここを目指すことにした。
どうもふつうの人の常識をくつがえす旅になってしまうけど、わたしはとにかくチェンマイという街を徹底的に知りたいのだ。

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トゥクトゥクを掴まえて目的地を示し、20バーツで行けというと、安すぎたのか、虫の居どころでもわるかったのか、ぜんぜん相手にしてくれない。
仕方ないから移動しながらどこかで掴まえようと歩き出す。

前日に歩いたのはわりあい閑静な場所が多かったけど、この日はなんだか下町みたいな、言い方を変えれば観光地ではない東南アジアのふつうの町のようだった。
こんなところに泊まりたくないということがわかっただけで、後学のためにはなる。

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2016年8月 2日 (火)

タイ/またぶらぶら

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ホテルの前でトゥクトゥクを掴まえる。
地図で行き先を示して、いくらと訊くと、100バーツだという。
おい、昨日はアレに乗って50バーツだったぞと、トゥクトゥクよりひとまわりもふたまわりも大きいソンタオを指さすと、だってあっちは乗り合いじゃないですかとぼやく。
ぼやかれて気がついたけど、運転手は流ちょうな日本語で返事をした。

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日本語をしゃべれるのかいと驚くと、なんでもむかし日本にいたことがあるのだそうだ。
残念、もっと早く知り合いになりたかった。
そうすればあちこち案内してもらえて、現地の人と意思の疎通がはかれる有意義な旅ができただろうにと思う。
残念ながらこの日はもうチェンマイの最終日で、明日は朝からバンコクへ移動の準備だ。
べらべらと日本語でやりあって、目的地に着いてから運転手に、約束の金額に10バーツ奮発して60バーツ払ってやった。

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この日は歓楽街を見てまわるつもりだったけど、とくにあてがあるわけではなく、トゥクトゥクを降りたのは、ドゥアンタワンという大きなホテルのあるあたり。
大きなホテルがあるくらいだから、欧米人の観光客もいたけど、でもまっ昼間からネオンがまたたいているわけでも、ミニの女の子やオカマが立っているわけでもなかった。
あたりを見まわしても、あまり歓楽街という雰囲気じゃない。

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たまたまそのあたりに崩れかかった土手のようなものがあった。
古い城壁の跡なのか、それともこのあたりにあった小さい川の土手だったのか、つい考古学者にでもなった気分でしみじみ眺めていると、うしろから女の子の声が。

この土手にそって数軒の安っぽいマッサージ店があり、そのまえに若い娘たちがたむろしていて、なにか声をかけてきたのだった。
おおかた、どこか揉んで行かない?とでもいったのだろうけど、昼間っからそんな気になれず、お金ないからねといってことわる。
まだ20歳程度の小娘に、すばらしいマッサージの腕を期待するのもおかしいし、彼女たちの化粧やスタイルをみれば、交渉次第で、逆にこちらが相手を揉むことも可能なようだった。
でも今回のわたしは品行方正でいくことに決心した、めずらしい日本人なのだ。

やっぱり歓楽街の探査はあきらめて、来るとちゅうに見たターペー門を目指すことにした。
この日のぶらぶらの始まりである。

土手ぞいをまっすぐ行くと、ターペー門からのびた広い通りに出る。
このあたりはいかにも東南アジアの商業地域みたいで、にぎやかな通りに寺院がいくつかあるものの、ほかに見るべきものはあまりない。
グーグルのストリートビューでどんなところかお目にかけよう。

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2016年8月 1日 (月)

タイ/麻婆豆腐

チェンマイの4日目もとくに行きたいころがあるわけでもない。
で、午前中は10時ごろまで部屋でごろごろしていて、まず朝食兼昼食を食べに外へ出た。

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ラーチャダムヌーン通りへ出たあたりに、セルフサービスの簡易食堂があった。
肉ジャガみたいなものがあって、これならと思ったけど、食べているのは勤め人や学生などで、わたしみたいな年寄り、しかも観光客にはちょっと入りにくい雰囲気。

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で、指をくわえて通り過ぎ、ワット・チェデルアンの近くまで行ったら、四川料理の看板をあげた中華料理店があった。
店内に赤い提灯がたくさんぶら下がり、店員は中国人ぽい。
本国が頼りにならないからと、世界中に移民の民族大移動が起きる昨今、その元祖である華僑の店がチェンマイにあっても不思議じゃないけど、辛い料理の本場であるタイに、辛い四川料理を持ち込むというのはいい根性だ。

外国料理がニガ手なわたしでも中華料理は好きである。
で、ここで麻婆豆腐にライスと卵スープをつけ、さらにビールを注文した。
麻婆豆腐は胃に負担がなさそうで、わたしの好物なのだ。

料理ができるまでのあいだ、この日の計画を練る。
どこといって行きたいところがあるわけでもないけど、ちょっと意外に思っていたのは、プーケットで見たような淫靡な歓楽街が、これまでのところチェンマイに見当たらないということ。
そんなものを無理に見たいわけじゃないけど、こちらとしてはそういうものの探訪記を書いたらおもしろいんじゃないかと張り切っていたので、これは誤算だった。

でも、たまたまわたしがこれまで歩いた地域にそういうものがなかっただけで、よく探せばどこかにあるのかも知れない。
そう考えてネットで調べてみたら、そこにチェンマイの歓楽街について詳しく教えてくれるサイトがあって、それによると昨日出かけたワローロット市場の、もうすこし南のほうに、土曜日になるとナイトバザールが開かれるチャン・クラン通りというのがあって、このあたりが歓楽スポットらしい。

注意しないといけないのは、酒を飲んでも女の子と遊ぶにしても、値段はたしかに日本より安いけど、ぼったくりのバーやカラオケも多いということである。
このサイトの運営者も友人といっしょに調査したらしいから、わたしみたいなひとり旅の人間が深く立ち入るところではなさそうだ。

それでもそんな歓楽街をちょいと見ておきたい。
この日はそのへんを見てこよう。
歓楽街に昼間から行くバカもないけど、品行方正を地でゆく決心のわたしは、そんなところで遊ぶ気はないからそれで十分だ。

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そのうち料理がきた。
ひさしぶりに食べる麻婆豆腐は、本格的に辛くて、なかなか美味しかったから、やっぱり中国人が経営している店なのだろう。
そういえば、歓楽街でも目下のいちばんの上客は中国人らしい。
かっては日本人が札束で女の子のほっぺたを叩いていたものが、現在は中国の成金にとって代わられたという。
人間のやることはどこまで行っても同じで、品のないやつらめと、中国人だけを責めるわけにはいかない。

食べ終わって精算してみたら、日本円でちょうど千円くらいだった。
日本で食べてもこのくらいはするから、文句はいわないけど、ここはタイだぞとすこし不満。

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