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2016年8月21日 (日)

名乗らない

今朝の新聞の投書欄に、ネット上で意見を発表するときは本名を名乗れというのがあった。
仮名であるのをいいことに、他人を中傷する意見があとを絶たないからだそうだけど、うーんと考えてしまう。

わたしはネットでできるだけ本名を明かさないようにしている。
自分のブログやホームページではもちろん、本名でなければ会員になれないはずのフェイスブックでさえ、ハンドルネーム(ネット上の通称)で通している。
そればかりか、わたしが所属しているパソコンの同好会でも、全員に自分専用のハンドルネームを決めてもらい、メールや掲示板の書き込みでは、できるだけそれを使ってもらうようにしているくらいだ。

このへんは微妙な問題だ。
仮名で好き勝手なことを書いて喜んでいるバカ者には、わたしも閉口してるんだけど、その一方で、本名ではいいたいこともいえないという弊害がある。
わたしは週刊文春や週刊新潮を愛読しているけど、なぜかというとこれらの週刊誌には、告訴沙汰を承知のうえの批判精神があふれているからだ。
記者の署名入りでなければイケナイということにしたら、おそらくその、いい意味での批判精神は牙をそがれてしまうだろう。
週刊文春や新潮を、なんだ、あんなゴシップ誌と軽蔑する人とわたしは、根本的に考えが異なるのである。

世間には相手を傷つけないように気を使った、常識的でたてまえ論的な意見が多いけど、そんな水で薄めたような意見はまっぴらという人間もいる。
そ、わたしみたいに。
わたしがよく読むネット上の掲示板、たとえば「海外の万国反応記」などには、敬語を使わないことという暗黙の了解事項があって、それが掲示板を平等で、本音だけの意見にしていることはまちがいがない。

わたしが本名を明かさないのは、杓子定規な決まりより、お遊び精神やユーモアを愛したいということと、ネット上には危険がいっぱいと考えているせいもある。
ネットで本名を公開するということは、これはほんのちょっとした不注意で、逆に自分や家族が非難や中傷にさらされる危険を含んでいる。
だから本名を使うべきだというのは、一面的な問題にすぎないと思う。
他人を中傷するような意見は許されることではないけど、ほんとうに困るのは、そういう意見に同調して喜んでいる人間が多すぎるということだ。
大事なのは本名を名乗ることではなく、それを書く本人のこころがまえであり、自分たちが是非を判断できるまっとうな見識を持つことじゃないか。

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