タイ/チェンマイ最後の夜
チェンマイ最後の夜である。
わたしのような年寄りでも男の本能がうごめくことがあるとみえて、この夜はすなおに眠れない。
で、夜の10時ごろ、またラーチャダムヌーン通りまでふらりと出かけてみた。
カメラ片手に歩いていると、トゥクトゥクが寄ってきて、ダンナ、女は要りませんかとささやきかけてくる。
こんな時間に男がひとりで歩いていれば、そう思われるのももっともだけど、金がないよと断る。
断るくらいなら外出しなければいいのに、わたしはこういう現実も知りたいのだ。
チェンマイで女が欲しければ、夜中に物欲しそうな顔をして街をぶらつけばよいということがわかっただけで、この晩の散策は意義がある。
下らないことを探求していると思うのはそっちの勝手。
ラーチャダムヌーン通りのカフェでライブ演奏をしていたから、入ってみた。
3番目の写真は昼間見たその店で、わたしのホテルからはものの5分だ。
ゲストハウスとあるから、ここも簡易宿泊所をかねているらしい。
わたしとあまり変わらない年齢の演奏者たちが、ロックなのか、あるいはタイ式ポップなのかわからない曲を演奏していた。
でもまあ、こういうところでは雰囲気が大事だ。
異国のバーで音楽を聴きながら一杯飲むなんて、「カサブランカ」のハンフリー・ボガートのようではないか。
新市街のほうに行けばもっとこういう店も多いのかも知れないけど、わたしのホテルの近所では、この店は貴重なナイトスポットかもしれない。
客は欧米人と、演奏者の知り合いらしいタイ人がほとんどで、ほとんどがカップルかグループだ。
わたしのようにひとりという客はいないので、ちょっと居心地がわるかったけど、それでもビールを2杯飲んだ。
いいこんころもちになって、ホテルにもどるとちゅう、若い娘たちが屋台を囲んでなにか食べているのを見た。
街中に簡体字の看板があふれているくらいだから、彼女らも中国娘らしかったけど、日本人とまったく変わらないファッションで、なんのくったくもない娘たちを見ているうち、奇妙な感慨におそわれた。
いまから20年、30年前は、わたしが中国を何度も訪問していた。
そのころは手の届くところにいた彼女らの母親は、その娘の時代になって、完全にわたしの手の届かない存在になってしまった。
日本と中国の経済格差が縮まったことと同時に、それだけわたしが歳をとったということである。
中国娘たちの、短パンからのびたすらりとした足を脳裏に刻んで、わたしはよたよたとホテルにもどった。
これで今回の旅のチェンマイは終わりである。
明日はバンコクに移動だ。
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