忘れられる権利
今日の新聞にグーグルの法律顧問のP・フライシャーという人が、検索結果を削除することについて発言していた。
なにしろ世界中のあらゆる情報を網羅しようというグーグルのことだ。
わたしも自分の知識の源泉はグーグルにありというくらい重宝しているんだけど、でもこれで困っている人もいるらしい。
過去に新聞沙汰になるような問題を起こした人の個人情報が、いつまでも検索に引っかかる。
これでは、現在は改心してまじめにやっている人はたまらない。
そこでそういう情報は削除できるようにという「忘れられる権利」について、グーグルの法律顧問さんの見解だ。
新聞にもいくつかの例が出ていたけど、話はそんなに簡単ではない。
お医者さんが過去に誤診をしたという情報は、当のお医者さんにとっては消してほしい情報だけど、よいお医者さんにかかりたいという患者にとっては重要だ。
表現の自由との兼ね合いもあり、だからどうすべきかと、グーグル内部でもいろんな意見があるらしい。
さすがは法律顧問で、言っていることはしごくまっとう、とてもわたしごときに異論が出せるはずがない。
これは裁判所とグーグルで考えるべき問題だな。
でもちょっと気になって、わたしも自分の名前を検索してみた。
わたしだってけっして完全無欠な人間ではないから、ひょっとすると、過去の不名誉なアノ件やコノ件が、グーグルの検索結果にあらわれるかもしれない。
どうも最近は疎外感を感じるなあというその原因が、わたしの過去の不正行為にあるとしたら、さっそく削除してもらわなくちゃ。
わたしの名前はありふれているらしく、同姓同名の赤の他人がいくつか引っかかったけど、もちろん立ち小便や若い娘のくちびるを盗んだぐらいでは、とってもグーグルに載るのは無理のようだ。
でも、なにもないと世間から無視されているみたいで、すこし寂しい。
グーグルの検索に引っかかるようになったら、それを印刷して親戚中に配って自慢しようと思ってるのに。
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