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2016年9月22日 (木)

頼れない未来

先日録画した「自動運転革命」というテレビ番組を観た。
車がぜんぶ自動運転になったら、運送業にたずさわる人々はみんな失業だ。
いや、荷物の積み下ろしに人間は必要だから、まだとうぶんは大丈夫なんていわれたって、これじゃあ人間は機械にこきつかわれる奴隷みたいで、あまりカッコよくないよな。

車が目的地まで自動運転で人間を運ぶ。
目的地に着くと、車はそこでふんぞりかえって、人間にコレとコレを下ろせと命令する。
こうなると人間は卑屈なもので、へいへいと命令に従うしかない。
労力は軽減されるかもしれないけど、人間のメンツはまるつぶれだ。

車が自動運転の時代になるころは、すべての車がネットワークで結ばれていることもまちがいがない。
どこそこの道路は渋滞していますという情報などを、すべての車が共有していなければ、安全確実迅速という運送の三原則を満たせっこないからだ。

卑屈な人間を見ているうち、仕事を統括するコンピューターに驕りのようなものが生じないだろうか。
ある日とつぜん、すべての車のコンピューターがメチャクチャになる。
原因は、コンピューターのちょとしたいたずらにすぎないのだけど、自動運転に頼りきった人間にはなすすべがない。
やはりレアメタルのときのように、ひとつのものに頼りすぎるのはまずいよな。

こういうことはわたしが生きているあいだには起こらないと思うけど、わからんぞ。
まさか自分が生きているあいだに実現しないだろうと、通信衛星の特許を取り忘れていたら、あれよあれよいう間に実現してしまって、後悔していたアーサー・C・クラークの例もある。

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