2016年10月31日 (月)
福原愛に似た中国人のお助けモンちゃんが、YouTubeに最新の映像を載せている。
今回は超豪華客船の旅。
いまどきの豪華客船というのは、五つ星ホテルがそのまま動き出したようなものであるらしい。
なにしろ船内に高級ホテルなみの個室は当然として、イタリア料理から和食レストラン、無料の軽食、海を見ながらの展望レストラン、ブランドショップ、波乗りのできるプールからジャグジー、ロッククライミング、バスケットボールのできる体育館、アスレチック施設、空気の圧力で空中浮遊する遊戯施設なんかがあるのである。
こんな映像を見ると、客船のクルージングもいいなあと思ってしまうけど、しかしわたしは冷静だ。
恋人同士や家族連れならまだしも、わたしみたいなくたびれた独身男に、これほどふさわしくない旅はないだろう。
考えてもみよ。
大枚をはたいて個室を借り切ったとしても、部屋でひとりで何をすればいいのか。
プールのわきで読書家をきどって女の子と知り合いになろうとしても、そもそもこんな船にひとりで乗り込んでいる娘ないし妖艶な人妻がいるだろうか。
船によっては、船長主催のパーティーがあるそうで、女の子の中にはこれを楽しみにして、イブニングドレスを用意している者もいるらしいけど、わたしが無理してタキシードを着込んでも、だいたいわたし、ダンス踊れないものな。
でもちょいと発想を転換させれば、そんな船の上で、ひねもす甲板の昼寝なんてのはわたしに向いているかもしれない。
デッキチュアで仰向けに寝ていると、世界がゆっくり左右に揺れ、ときどきカモメが視野の中をかすめていく。
そんなむかしもあったよな。
やっぱりわたしって、船でもニートか。
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2016年10月30日 (日)
韓国のクネちゃんも離職したあと弾劾が必至になってきた。
本人に悪気はなかったんだろうけど、やっぱり女の細腕で英国のサッチャーさんのようには行かなかったようだ。
政治に自信がないからって他人に相談していれば、あの国では相談された当人が権力をふりまわすのは当然のなりゆき。
自分の能力もわきまえず権力におぼれた、あのナッツ姫の例もある。
そうやって他人に相談し、推薦された大統領のとりまきたちが、いずれも能なしばかりだったということに、クネちゃんはもっと早く気がつくべきだった。
日本という手札を切ってしまった彼女が、いまから一発大逆転でサッチャーになろうとしたら、北朝鮮を解放するしかないだろう。
その勇気さえあれば、それはそんなにむずかしいとは思えないのに。
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2016年10月29日 (土)
わたしはまあまあパソコンに詳しいほうだ(と勝手に思っている)。
わたしの知り合いにも、まあまあパソコンやスマホに詳しい男が2人ほどいる。
この3人に共通しているのは、全員にニートの気があることだ。
つまりひきこもりの傾向があるということだ。
わたしは外出がキライじゃないけど、人と話すのは好きじゃないし、いちばんいいのは日がないちにち部屋でぼんやりしていることである。
またこれとはべつに、わたしの知り合いに体育会系の猛者(もさ)が3人ばかりいる。
彼らの共通点はパソコンに弱いこと。
そのかわりみんな生活が派手で、よく遊び、よく飲み、仕事もよくする。
ついでにいうと、彼らの奥さんはみんな美人である。
こういう連中がニートになるなんて聞いたことがない。
この6人だけで結論を出すのは乱暴かもしれないけど、つまりパソコンに詳しい人はニートになりやすく、そうでない人はなりにくいといってよさそうだ。
ああ、くそ、わたしもそういうオメデタイ人間に生まれたかったなあ。
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2016年10月28日 (金)
禁酒をちかったはずなのに、早くもそれを破った。
べつに禁断症状が出たわけではなく、冷凍庫にアサリのバター炒めを発見したせい。
冷凍食品だけど、これは酒のつまみに買ったもので、メシのおかずにはなりにくいものだ。
これを賞味期限が切れるまえになんとかしなければならない。
で、やっぱり酒のつまみにすることにした。
でもやはりこころのどこかにケシカランという気持ちもある。
そこで、ふだんはバーボンを同量の水で割って飲んでいたものを、3~4倍の水で割ることにした。
これだけ薄めると、わたしの尺度では酒といわず、バーボンの香りのする水ということになる。
水ならいいだろうと、2杯飲んだ。
もともとのバーボンは度数が40度だ。
同量の水で割ると20度になるけど、たとえば3倍の水で割ったものを2杯飲むと、いったい何度の酒を飲んだことになるのか。
ああ、もうわからない。
たとえば度数6度のビールをいくら飲んでも6度だという人がいるかもしれない。
しかし6度の缶ビールを1本飲んでも酔わないが、10本飲めば酔っぱらってしまう。
この場合60度の酒を飲んだとみなすほうが正解だと思われる。
こう考えると、上記のバーボンは・・・・・
ああ、もうどうでもいい。
それよりも、これはたんなる呑んべえの屁理屈だと解釈されるのではないかと、そっちのほうが心配だ。
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2016年10月27日 (木)
今朝の新聞に東日本大震災で生徒を死なせた大川小学校の記事が出ていた。
震災のとき、生徒を避難させるための判断に誤りがあったということで、国や行政が責任を問われた裁判のことである。
わざわざ生徒の遺影をかかげて裁判にのぞんだ親たちの心境には同情するけど、勝った勝ったと大喜びをするウチの新聞には釈然としないものがある。
想定外の津波だったというのは免罪符にならないんだそうだ。
そりゃ、亡くなったのがこの学校の生徒だけだったらわかる。
しかしほかにも大勢の人が亡くなっているのだ。
ぜったい安全と思われていた原発でさえ冠水した。
震災当時、正確にものごとを判断できた人がどれだけいるだろう。
新聞には、生徒は教師の判断にしたがうほかなかったとある。
では教師はだれの判断にしたがえばよかったのか。
この問題で、とにかく誰かに責任を押しつけようという考えは、やっぱりわたしには釈然としないのである。
でもこういう問題はいくらでもある。
オリンピックの施設問題で、わりあい冷静な人かと思っていた日本サッカー協会の岡野俊一郎サンまでが、やはり(金がかかることを無視して)新しい施設を作るべきだといっていた。
けっきょく人間は自分の役割に忠実な生き方しかできないのだ。
こんなことを書くと、また他人ごとに口をはさんでといわれそう。
ものいえばくちびる寒し秋の風、わたしごとき泡まつ人間がごたごたいう問題じゃない。
残りの人生をどうやって過ごすか、いま悩んでいます。
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どうもわからない人だな。
フィリピンのドゥテルテ大統領。
アメリカに尻をまくって中国にすりよったかと思えば、日本では安倍クンと意見の一致をみる。
この人って、どこへ行っても、どんな相手にもいい顔をしてるんじゃないか。
肝っ玉の小さい人にこういうタイプが多いけど、じつはどこの相手からも支援を引き出そうという魂胆なら、これはなかなかしたたか。
うーんともちあげて、どすんと落とされた中国の、にがにがしい顔が見えるようだ。
でもドゥテルテさんを厚遇したってことは、南シナ海の問題では、やっぱり中国も国際世論を気にしてんのねってことがわかってよかった。
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2016年10月26日 (水)
このブログの9月15日づけの記事の中で、グーグルのストリートビューを使って、アンコールワットへのバーチャル旅行を試みたことがある。
海外の万国反応記というサイトを読んだら、似たようなことがいま海外でブームになっているという記事が出ていた。
たとえばアメリカあたりから、ストリートビューで日本の適当な田舎の写真を見つけ出し、きれいなところだな、行ってみたいななんて空想しているんだそうだ。
どうもVR(メガネ型の仮想現実発生機)が本物になると、これをゲームばかりに利用するのはもったいない。
未来の予想としては、VRとグーグルのストリートビューを組み合わせれば、ベッドに寝転んだまま、どこにでも旅行ができるようになるじゃん。
わたしみたいなものぐさは、本当に海外まで行く必要がなくなってしまうかもしれない。
そんな旅行はまっぴらという世代はそろそろ絶滅する時期でもあるし、わたしもちょうどいい時期に終活を迎えているんじゃあんめえか。
VRと YouTube を組み合わせれば、他人が体験したことを、自分もリアルに体験できるようになる。
サーフボードで巨大な波の下をくぐり抜けたり、スケートボードでハーフパイプを上がり下がりしたり、パラシュートをつけて飛行機から飛び降りたり、自分じゃなかなかできそうもないことを、寝たまま安全に体験できるぞ。
もうわたしには縁のない未来が見えてきそう。
未来の人間はなにもかもVRのお世話になるんだろうなあ。
わたしは想像力が旺盛なほうなので、オナニーだってアニメやフィギュアの世話にならず、自分の頭だけでやっていたけど、これからのの若者はVRにお膳立てしてもらわないと、そういうことすらできないんじゃないか。
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2016年10月25日 (火)
火山の噴火で生じた西之島上陸調査隊の報告を見た。
ほんのわずかに残ったもとの島の一部に、雑草が生き残っており、カツオドリなんか早くも子育てに励んじゃっているそうだ。
困るんだよな。
無人の島に生命が誕生するのを観察する絶好の機会なのに、これじゃ植物はあっという間に繁茂するだろうし、植物が繁茂すればほかの野鳥も飛んでくるだろう。
鳥の糞に含まれる種子や、体についたダニなんかで、たちまち島は大混雑になるに決まっている。
そのうちこの島にも移民が殺到するかもしれない。
わたしたちは無から有が生じる瞬間を、この目で見る機会を失ったのだ。
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先日、わたしの所属する団体の年にいちどの健康診断があった。
お医者さんがわたしの検査結果を見てぶつぶつ。
これは異常な数値だよ、わかってるのかね。
はあとわたし。
あいかわらず高止まりの血圧のことである。
医者:これじゃ生活習慣をあらためなくちゃいけないな 。
わたし:でもわたし、タバコは吸わないし、酒はほどほど、肉がキライで野菜ばかり食べていて、たまに散歩もしてまして、改善すべき点が見つからないんですが。
医者:それじゃ遺伝かなあ、家族に高血圧の人はいないかい。
わたし:親父が血圧が高かったです。
医者:それだよ、キミ、原因は。
わたし:でも親父は80ちかくまで生きて、老衰で死にました。
医者:キミはずいぶんさからうねえ。
血圧が高いといわれても私にはぜんぜん自覚症状がないんだけど、高血圧というのはそういうものだという。
なにがなんでもこのままじゃいけないそうだ。
仕方がないから、しばらく酒を断つことにした。
きちんと通院するのもイヤだし、規則正しい生活のニガ手なわたしに、これがいちばん簡単にできそうだから。
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2016年10月24日 (月)
また新聞より先にネットで訃報を目にした。
平幹二朗さん。
べつに残念に思うほどのファンじゃないけど、わたしも気をつけなくちゃ。
ん、なにに気をつける?
部屋でぽっくりなら幸せなことなのに。
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2016年10月23日 (日)
昨日の朝刊、夕刊にはぜんぜん出てなかったけど、夜中にネットニュースを見て、登山家の田部井淳子さんが亡くなったことを知った。
わたしガンだけど、ずっとずっと山に行くんだといっていたらしい。
死者の行方について知るところはないけど、わたしも古い日記を読み返して、とうとう北アルプスの涸沢を見ないままあの世行きになるのを残念に思っていた。
死んだあと、たましいというものが自由にどこへでも行けるものならば、涸沢から穂高、槍ヶ岳へ登ってみたいという気持ちはある。
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2016年10月22日 (土)
日ごろゲームにはまっていて、わたしがそういうものにぜんぜん関心を示さないのをくちおしく思っている金髪クンが、なんとかいうVR機器を見せましょうという。
ああ、最近ソニーが発売したとか、するとかいってるアレかいと返事する。
そうじゃありませんとのこと。
真偽のほどはわからないけど、スマホを買ったらおまけについてきたのだそうだ。
形状はメガネに双眼鏡をつけたような、あるいは双眼鏡をメガネにしたような、とてもおまけには見えないおおげさなものである。
ゲームはやらなくても新しい技術には目のないわたしのことだ。
どれどれと頭に装着してみた。
なるほど、まわりに三次元、いや全次元というべき空間が広がった。
視線にしたがって、まわりの景色もぐるぐると移動する。
わはは、おもしろいと思ったけど、感心したのはそこまで。
バーチャルな映像というんだけど、正直いって古いVHSテープの映像を見ているみたいで、とても映像にうるさいわたしを感動させるようなものではなかった。
まだホンモノになるまで3年はかかるなと冷酷に宣言し、金髪クンの期待にそむいて、わたしがそれにはまることはないのであった。
でもわからないぞ。
最新のソニーの機械では、仮想現実で女子高生を見られるものがあるそうだ。
将来は、ヘタするとわたしもはまりこんでしまうかも。
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2016年10月20日 (木)
どこかへ旅行に行きたいけど、なんかもやもやしているだけで、なかなかその気になれない。
これもわたしがトシをとったってことかねえ。
むかしは楽しかった。
呑んべえの友人たちと2泊3日で近郊の温泉に行き、どぼりどぼりと湯につかり、あとは日がないちにち呑み明かす。
気がむくと近所の散策に出かけるくらいで、ほかに目的なんかあるわけもない。
そういう旅行も好きだけど、そんな自堕落な友人は、最近あまりいないからなあ。
むかしよくいっしょに出かけた友人Aは、とっくにクモ膜下出血で、寝込んだあげくあの世行き。
友人Bは消息不明で、たぶん老衰であの世行き。
友人Cは近所に住んでいるけど、年とって足がへなへなで、往年の輝きなし。
友人Dは脳梗塞をやらかし、大事をとって隠とん中。
残った友人Eはまだ元気だけど、赤旗配りに精を出して、もう誘っても出てこないしね。
ものみな過去の日記に封じ込んで、頼りになるのは自分だけ。
思い出をサカナに、今日もひとりでしみじみと呑むか。
考えてみれば、わたしみたくユーガな晩年を送っている人って、あまりいないもんな。
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2016年10月19日 (水)
新聞の1面に、番組を「テレビとネットで同時配信」という記事が載っていた。
そんなことはとっくに実現している、というと語弊があるけど、いまBSで放映しているBBCの「戦争と平和」、これって YouTube でも観られんのね。
おかげでNHKが内容を独自に編集していることがわかってしまった。
NHKが放映しているのは45分だけど、BBCのオリジナルは1時間番組なのだ。
きっちりと全巻を観たいわたしはおおいに不満で、いまカットされた部分を精査中。
受信料払わんぞ、この。
番組がテレビとネットの両方で観られるようになるとどうなるのか。
最近の若いもんはスマホやタブレットで、出先でもお手軽にテレビを観ることを好むようだけど、大型テレビとでは迫力がちがう。
だから「戦争と平和」や、グレイトネイチャーのような雄大な自然番組はテレビで、たんなる情報番組や、結果さえわかればいいというスポーツ番組はスマホでと、住み分けができるんではないか。
NHKはスマホやタブレットを持っている人からも受信料を取れるっていうんで、大喜びらしい。
それじゃ困るから、わたしがスマホを買う時期がますます遅くなりそう。
タブレットなら持っているけど、ネット契約はしてないからな。
無線LANでテレビを観ても受信料を払うのかい。
え、観たという証拠がなんか残んのか。
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2016年10月18日 (火)
もうこのブログで2回、いや3回も紹介しているハナシュクシャ(花縮砂)。
調べてみたら、今年の8月にも同じ花の写真を載せていた。
8月から10月まで咲きっぱなしなのだから、なかなか花期の長い花である。
うちの近くではべつの場所でも見たことがあるから、どのくらいめずらしい花なのかわからないけど、野川の水車の近くに根をはって、毎年同じ時期に花を咲かせる。
すぐそばに素人カメラマンたちがカワセミをねらうポイントがあって、いつも数人のカメラマンがたむろしているのに、誰もこの花に関心を示さない。
花のほうでは、さあ、撮って撮ってと渾身の力をこめて咲いているのに、それじゃああまり気のドクだ。
というわけで、またハナシュクシャ。
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2016年10月17日 (月)
うちの近所にはスーパーがある。
いまふうの大規模スーパーではなく、いくつかの商店が集まった地域密着型のこじんまりとしたスーパーだ。
そこの魚屋で買う半トロのマグロの刺身が好物で、ときどき出かけるんだけど、ひさしぶりに行ってみたら、八百屋、乾物屋が閉店して、コンクリートの広いフロアに魚屋と肉屋しか残っていなかった。
八百屋、乾物屋のオヤジは路頭に迷っているんじゃあるまいか。
これって政治が悪いんだろうか。
かならずしもそうとはいえない。
みんながみんな、地域にあるむかしながらの店を愛用していればこんなことにはならなかったはず。
現代は安さや利便性が極端なくらい追求される時代なので、そのへんの小商いの商店に行くより、みんな駅の近くや郊外型の大型店に行ってしまうのだ。
それがイケナイということもできない。
誰だって生活が苦しいのだから、1円でも安い店に行くのは当然だ。
安くするためには大規模仕入れの大型店のほうが有利だし、大型店だって1円でも下げるための熾烈な価格競争をしているのだ。
これはまあ、資本主義のいい点かもしれないけど、 けっきょくのところ、あらゆる場所で非人間的な競争の勝者だけが生き残り、格差がますます増大するってことになる。
もちろん地域の小さな店なんぞ一顧だにされないのである。
また生活保護が増えるか。
がらーんとしたコンクリートのフロアをながめ、いまのところそういうものを申請しないですんでいるわたしは、先のみじかい自分の幸運をしみじみ嚙みしめる。
これって昨日の午後のこと。
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2016年10月16日 (日)
おさななじみで版画家のカトー君が、銀座のギャラリーに作品を出展するというので出かけてみた。
今回は彼の個展ではなく、川上澄生という作家の名を冠したコンクールの発表会。
それに入選した作品を集めたものだったけど、おかげでさまざまなタイプの作品をいっぺんに眺められて、版画(木版画)というものを俯瞰する絶好の機会になった。
わたしは版画の技法に詳しいわけじゃないけど、こうやって多彩な作品が一堂に会すると、カラーやモノクロ、リトグラフや銅版画を思わせるもの、型押しをしたように立体感のあるものなど、木版画にもじつにさまざまな技法があることがわかる。
たまたまわたしが到着したときは、講師が作品について批評を加えているときで、それを聞くのもおもしろかった。
わたしなんぞから見れば、カトー君もすでに老成した大作家じゃないかと思えるのに、そんな彼までが講師の発言にゴモットモとうなづいているのを見ると、この世界の、なんというか、間断のない切磋琢磨のようなものを感じておそれいってしまう。
大賞を得た作品の制作者は、まだ若いカワイ子ちゃんだった。
彼女をみてしみじみ思う。
若いころからなにかを目指してひたむきに努力をする娘がいる。
それに比べると、わたしの若いころはどうだっただろう。
どうもわたしの若いころは、ぼんやりと空想にひたりきりの、クラゲなすただよえる人生だったようだ。
芸術家になりたいという意欲だけは持っていたものの、あくまでクラゲなすただよえる・・・・・
アホらしい。
いまさらめぐり合わせの悪さをなげくのはよそう。
もういちど人生をやりなおしたいとは思わないし、どうしてもやりなおすことが避けられないなら、わたしは海の中のナマコにでも生まれかわりたいと考えているのだ。
会場には版画に興味のあるらしい大勢の人々がつめかけていた。
カトー君の奥さんもいた。
彼女は YouTube に、旦那の伴奏で歌をうたっている映像を上げているから、もう国際人ですねとお世辞をいっておく。
お世辞じゃないかもしれない。
理論的には世界中の人が、その気になればいつでも彼女の映像を見られるわけだから、ひょっとすると日本のスーザン・ボイルになる可能性だってある。
熊本のKさんもそうだけど、最近の芸術家は多芸でないと務まらんらしい。
そういう才能がうらやましいけど、でもカッコだけは、この日のギャラリーに集まった人たちの中で、わたしがいちばん独創的だった。
若いころからそうやってスタイルにばっかりこだわっていたんだよな、わたしって。
いまのわたしが、いまのままであることはしごく当然のことなのだ。
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2016年10月15日 (土)
なぜか知らないけど、わたしの行くところ政治不安になっちゃう国が多いみたい。
タイなんてついこのあいだ行ってきたばかりだけど、プミポン国王が亡くなって、ただでさえ国内を2分する問題を抱えているあの国の先行きが案じられる。
国王という重しがはずれたら、フィリピンのような国になる可能性もありそうだし、アジア有数の観光立国が、犯罪者みな殺しなんて乱暴な国になったら困るのはお互いさまだぞ。
ポール・セローの本では、プミポン国王は隻眼だったと書かれていたような気がする。
これが本当なら片ほうの目が失明していたということになるけど、ウィキペディアにもうちの新聞にも、そんなことはひと言も書かれてない。
日本には隻眼でも名君だった伊達政宗のような人物もいるのだから、このていどの身体的欠陥をあげつらっても、不敬罪には当たらないと思うんだけど。
国王のあとを引き継ぐワチラロンコン皇太子ってどんな人なのかと、写真をググってみて、たまげた。
人間なんて環境や職務に合わせて変わる可能性もあるし、変なヒトなんて書いてタイに入国禁止になっても困るから、これ以上書かないけど、はたしてよき調停者であった父親のあとを継げるのだろうかと心配になってしまう。
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2016年10月14日 (金)
ボブ・ディランがノーベル文学賞だそうだ。
ノーベル賞もいよいよ芥川賞なみになったかというと、これは失礼か。
最近の芥川賞はずいぶん価値が下がったもんな。
でもえらそうなことをいうのはよそう。
わたしはディランの歌が好きじゃないし、その詩もほんのわずか、断片的に知っているだけなのだ。
でも思うことがある。
“ぼくらは星くず、いまが黄金期”
これはジョニ・ミッチェルがつくった「ウッドストック」という曲の歌詞の一部だけど、これをなにかで知ったとき、あちらのロック・ミュージシャンはあなどれないなと思った。
だからディランのノーベル賞受賞が、彼らの詩の評価を高めてくれるんじゃないかって。
ひとつ例を上げると、ビートルズの「エリナー・リグビー」。
ディランの影響があるのかもしれないけど、これは曲も歌詞も素晴らしいと思う。
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2016年10月13日 (木)
カレーをつくった。
というとおこがましい。
ご飯だけ炊いて、アルミパック入りの出来合いのカレーに、コンビニのシューマイと刻んだオクラをトッピングしただけ。
料理をつくるのは好きなほうだけど、ここんところどうも積極的にやろうって気になれないね。
天城山からもどっても、あいかわらず怠惰の底に沈みっぱなしの毎日だ。
ああ、人生はむなしい。
桜の若葉がいつのまにか病葉(わくらば)になって落ちる季節になってしまった。
体育会系でイケメンで、女ったらしで、わたしに人生の不条理を教えてくれたあいつも歳をとった。
幼ななじみで男まさりだったあの子も、農作業のあいまに人生の秋を感じているころじゃあるまいか。
人間は平等なものと、ようやくわたしも感じることができる。
もはや手遅れだけど。
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2016年10月12日 (水)
天城山から帰ってきた。
天城山という名前の単独の山はないので、正確にいうと、天城山塊の中の万二郎岳。
他の山まで縦走をしようってわけじゃないから、そんなに急ぐ必要もないのに、朝の7時から登り始めて、昼まえには下山していた。
メンバーの中に、さらに峰続きの万三郎岳まで行ってみようという人間はひとりもいなかった。
つまりわたしたちは人生に疲れきったおじさんばかりだったのだ。
万二郎岳は、実感としては高尾山よりいくらか楽という感じ。
登り始めは人工林と自然林のまじる渓流ぞいの道をゆくけど、山頂が近づくにつれ、闊葉樹の多い自然林になり、もうすこしあとになれば、紅葉がみごとなんじゃないかと思われる。
足もとには白いヨメナの花、渓流ぞいには紫色のトリカブトの群落が見られた。
こういう森の中を歩いているだけで、しみじみと幸福を感じてしまうメンバーばかりである、わたしたちって。
ひと目見ただけで、ふだんあまり見かけない樹相の木が多いことがわかるけど、その中で目立ったのは、赤い木肌が特徴的な木と、粉をふいたように幹が白い木。
この両者とも奥多摩、奥秩父では見たことがない(ような気がする)。
帰宅して調べてみたら、赤い幹の木はビランジュ、別名バクチノキというものらしい。
赤い木肌がバクチで身ぐるみはがされた人間の風情に似ているんだそうだ。
白い幹のほうは、誰かがイタヤカエデって名札がついてましたよという。
そんならそれほどめずらしい木ではないし、うちの近所でも見たことのある木だけど、伊豆あたりでは、古木になると幹のまわりが白いカビにおおわれてしまうのだろうか。
とまあ、こんなふうにいっぱしの博物学者みたいなことをほざきつつ、登山をするのがわたしの趣味である。
山頂は東側がものすごく急な斜面になっていて、冷たい風が吹き上がっていた。
ここでおにぎりを食べた。
幾人かのメンバーが持参した弁当を、みんなで分け合って食べたのである。
というのは、どこかのコンビニに寄るはずが、気がついたときにはもうそんなもののない地域に入り込んでいて、わたしも含めて食料を持参しないまま登ってしまった輩が多かったせい。
そしてもちろん、登山のあと、夜は熱川の温泉宿で飲んで騒いだ。
いまどきめずらしいくらいボロい宿だったけど、そのぶん安いから、テント泊だと思えば上等とだれも文句をいわなかった。
翌日は城ヶ崎海岸をぶらついて帰京した。
おじさんたちにはひさしぶりのいい運動だった。
アー、脱力。
なんか書いているほうもアホらしくなるけど。
帰宅してから見たら、カメラがソフトフォーカス・モードになっていた。
けっしておじさんたちを相手に、意図してロマンチックな写真を撮ろうと思ったわけじゃありません。
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2016年10月10日 (月)
どこにも出かけず部屋でぼんやりしていると快適だこと。
腹もすかないし、金も使わないし、したがって貯金も減らないから、ついつい怠惰の底に沈んでいってしまいそう。
これではいかん、なにかしなくちゃ、どこかへ出かくなくちゃと思うものの、トシのせいか、なかなか出かけようって気になれない。
さいわいかっての山仲間からお誘いがあって、今日から2日ばかり、伊豆は天城山中をさまよってくることになった。
もう若いころの元気はないから、夜の宿での飲み会のほうが楽しみなんだけどね。
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2016年10月 9日 (日)
今朝の新聞に島の話題がふたつ。
ひとつは噴火で日本の領土拡張に貢献した西之島、もうひとつは飛行場を作ってほしい小笠原である。
うーんと考えてしまう。
西之島のほうは学術的な話で、火山の噴火で生態系がほぼ無になったこの島が、やがて緑におおわれる過程がおもしろいというもの。
そうなることは確実でも、残念なことにワタシそれまで生きていられない。
ほかの人だって、あと百年が二百年生きていられそうな人イマス?
いえ、これは見積もりがあまいんで、西之島で人が住めるようになるには、あと1万年くらい。
それまで生きているつもりの人イマス?
小笠原のほうは政治的な話で、前の前の前の都知事が、日本にひとつくらい船でしか行けない島があってもいいといったのが、百合子サンになったらたちまちホゴだ。
やっぱり女はロマンに縁遠いもんな。
やっぱり人気とり政策かってことで、ワタシ、彼女の手腕に感心して、いません。
自然は自然のままでいてほしい。
でも飛行場は、早ければ2年後だって、ウチの近所の飛行場からサンダル履きで行けるなら、容認しちゃおうかなって、わたしも節操がない。
先のみじかい老人には、もうガラガラポンで、なにがどうなっても責任持てません。
考えるなら若いもんが自分で考えな。
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2016年10月 8日 (土)
ネットの掲示板に、北方四島に住むロシア人は、早く日本に攻めてきてほしいと願っているという記事があった。
それで思い出したけど、先日ロシア人と呑んだとき、ウラジオストックから来たサーシャさんに、北方四島の人たちは、ロシアと日本のどちらに帰属したいと考えているんだろうねえと聞いてみた。
彼の意見では日本のほうがいいそうだ。
お世辞ではなく、平和で清潔で、気象は温暖、自然が豊富、古いものと新しいものが絶妙に入り交じり、政治は民主的で政治家は真面目、食べものも美味しいし、ねえちゃんはヤサシイ国というんだから、当然かもしれない。
四島を返還するいちばんいい方法は、と彼はいう。
日本と北方四島が宣戦布告をすることだ。
そして翌日すぐに四島の側が両手を上げて降伏する。
こうやって戦争でカタをつければ文句はない。
なるほどと、この名案に感心したけど、ロシア人の中には本気でそう考えている人がいるらしい。
まあ、宣戦布告というのはおだやかじゃない。
もうすでに日本に住みついているロシア人も多いことだし、安倍プーチン会談でなんとかならんものかねえ。
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2016年10月 7日 (金)
頭がくらくらする。
昨夜は知り合いのロシア人たちと呑んだ。
中のひとりはビールしか呑まないから、わたしともうひとりでウイスキーのボトルを1本空けてしまったくらい。
血圧が高いと注意される身の上なので、朝になったらベッドで冷たくなっているんじゃないかと心配したけど、なんとか無事に目をさまし、またくだらないブログを続けられそう。
酒のつまみにロシア人が奇妙な食べものを持ってきた。
なんだかイヤらしい色をしているけど、チャーハンにいろんな野菜が入ったカレーをかけたような感じ。
シューバという料理で、これは毛皮のコートのことだそうだ。
ぜんぜん辛くはないし、このすこしまえに外食をしていなければ、偏食のわたしにももっと美味しく食べられたかもしれない。
写真を撮っておいたのに、このころにはもはや酔いがまわっていてピンボケ。
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2016年10月 5日 (水)
終わったと思っていた「世界入りにくい居酒屋」がまた始まるそうだ。
NHKらしからぬぶっちゃけたテレビ番組で、といっても民放の低脳バラエティー番組とは一線を画すユニークな旅番組で、わたしは過去に放映されたものをぜんぶ録画しているくらい熱心なファンなのだ。
みめ麗しき呑んべえ美女たちの、たてまえを排した辛辣な会話も楽しい。
あー、ホント、部屋にひきこもりでも退屈しないねえ。
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2016年10月 4日 (火)
ネット掲示板に、ロシアが日本と大陸をサハリン経由でつなぐ鉄道を作ろうと提案して、韓国がくやしがっているという意見が載っていた。
くやしがっているかどうかは別にして、こうした構想があることはとっくに知っていた(このブログにも書いたことがある)。
でも、シベリア鉄道と日本を結ぶなら、なにもないロシアの沿海州に鉄道を敷くより、韓国を経由したほうが国際都市の経由をひとつ増やすわけだから、こっちのほうが見込みがあるんじゃないか。
あいだに北朝鮮がはさまるけど、この計画の実現はまだまだ先の話だろうから、そのころには朝鮮は統一されているか、あるいはまとめて中国の属国にされているだろう。
終点が日本であるのが気にくわないと、韓国のことだから思うかもしれないけど、アジアとヨーロッパを結ぶ大動脈を、自分の国の都合だけでストップさせるような馬鹿なことはできまい。
鉄道を枝分かれさせて中国にも引き込めば、中国にだって損になる話ではないし、これこそ、みみっちいナショナリズムを超越した、壮大なグローバル化構想だ。
とりあえずウラジオストックから北朝鮮の国境まで鉄道をのばしておき、対馬を経由して日本と韓国をむすぶ海底トンネルを掘削し、こちらも北朝鮮の国境まで鉄道を伸ばしておく。
むかし環八のまん中に居座っていた住宅があったけど、ちょうどあんな感じで、北朝鮮が熟して落ちるのをみんなで待つ。
正恩クンがそのころまで生きていれば、どんな顔をするか、けだし楽しみ。
ワタシ、人のこといえないけど。
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朝まらが立つ。
オシッコまでの短い命だけど、わたしの腎機能は健全に働いているらしい。
塩分をひかえろという人もいるけど、こうやってせっせと排泄してるんだから、あまり心配していない。
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2016年10月 3日 (月)
第1回目を録画しそこなったBBC版「戦争と平和」、2回目は無事に録画して、いまそれを鑑賞している。
これを観て思うこと、というか、じつにくだらない感想を。
わたしはすでにアメリカ版、ロシア版の「戦争と平和」を観たことはこのブログにも書いた。
製作された順番からいくと、アメリカ、ロシア、そして今回のBBCということになるんだけど、わたしが見たのはロシア版が最初で、つぎがアメリカ版になる。
ロシア版では主役のピエールを、監督のS・ボンダルチュクが自ら演じていた。
ところが彼の容姿は小太りのネクラそうなおっさんで、やがて美女のナターシャと結ばれる男にはとうてい見えない。
これは、どうしても主役を張りたい監督が、監督の特権をふりまわして強引に役をうばったのではないか。
なにしろあのロシアだからなと、そう思っていた。
アメリカ版ではピエール役はヘンリー・フォンダだ。
フォンダといえば、名作「荒野の決闘」のワイアット・アープで、これは女にもてそうなイケメンだから文句ないけど、ロシア版とはぜんぜんイメージがちがう。
はて、じっさいの小説中のピエールはどんな人物として描かれているのだろう。
わたしは原作を読んでないので、このへんの事情はふたつの映画を観ただけではわからない。
原作を読めばいいんだけど、とってもむずかしそうだし。
今回のBBC版では、ピエールはハリポタ・シリーズの主役みたいな顔をした若者で、イメージ的にはロシア版のピエールに近い。
もうひとりの主役であるアンドレイは、3本の映画すべてで、ハンサムかつ勇気ある軍人として描かれており、これについての人間像ははっきりしている。
どうやら原作では、ピエールは武人のアンドレイに対抗させて、小太りの文学青年として描かれているのではないか。
うん、これで長いあいだの疑問が解消した、って喜んでも1文にもならないけど。
映画を3本も観れば、原作を読まなくてもストーリーはわかってしまう。
主役のピエールとアンドレイはバツイチ同士、ヒロインのナターシャもいちどは不良男にもてあそばれ、その後アンドレイと恋に落ち、彼が戦死するとピエールと結ばれる。
「戦争と平和」って、好きモノの血をひくロシア人の、業の深さを物語るような小説ではないか。
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昨日はひさしぶりの好天だったので、立川の昭和公園にコスモスを観に行った。
行ってがっかりした。
というのは、写真を見てもらえばわかるけど、いちばん上は7年前に行ったときの写真で、2番目は今回の同じコスモス園。
今年は花の数がえらく少ないのである。
植物にも盛衰はあるから、年によって花の数の増減があってもおかしくないけど、だとしたら今年はハズレ。
しかしがっかりしたのは、わたしの好きなピンクと白のコスモスだけで、黄色とオレンジはみごとに咲きほこっていた。
これって、毎年同じ色の花ばかりじゃつまらないという、公園管理者の陰謀かもしれない。
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2016年10月 2日 (日)
ウチの新聞のおまけ、GLOBEが村上春樹の特集だ。
なんとなく複雑な気分だけど、これについてさわらぬ神にたたりなし。
なんせ彼の作品は、過去に週刊朝日に連載されていたエッセイと、文庫本の紀行記、沖縄の帰りにタブレットで「1Q84」をすこし読んだだけ。
ほめるのもけなすのもフェアじゃない。
無理やり読みたくなる本でもないし、わたしみたいなひねくれ者が読んで楽しい本とも思えないし。
同じGLOBEにナショナルジオグラフィックから転載された記事もあって、その角を目当てに密猟者が暗躍し、サイが絶滅危惧種だそうだ。
これだから無知は困る。
サイの角に医療効果があるなんて、いまどきの日本人は誰も信じてないけど、無知な人々の中には、いちど脳にすりこまれた情報を頑固に信ずる原理主義的な人がいるらしい。
サイより先にそういう人たちが絶滅するよう、中国やベトナム政府はきちんと教育をしてほしい。
記事によるとサイの角の主成分なんて、髪の毛や爪と同じようなものだそうで、じっさいに日本では牛科の動物の角で代用しているところもあるそうだ。
んならば、奈良の鹿の角も貴重な輸出品になるかも。
あれって毎年切り取られているけど、ほかに使い道なんてあんのかしら。
ほかの記事では、ロシアで自転車ファンが急増というものがあったけど、大丈夫かねえ。
わたしのブログにたまに登場するロシア人の金髪クンは、モスクワ大学に留学するとき日本で買ったカッコいい自転車を持ち込んだけど、アッという間に盗まれたそうだ。
GLOBEもいいことばかりでなく、こういう影の部分にも触れないと。
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2016年10月 1日 (土)
歳をとると楽しみがないから、ネット三昧。
それでもこういう趣味があるだけマシ。
通信機器さえあれば、あとは体力も、それほど金もかからないし、それはほとんど無限といっていいくらい底が深いのだ。
たとえばYouTube。
悲惨な事故や戦争の映像から、きれいなお姉さんがお尻くねくねのイヤラシイ映像まで、あなたが見たいもの、見たくないものなど、およそありとあらゆる映像がそこにあるといって過言じゃない。
ここで最近みつけたものに Monster Bug Wars という映像サイトがある。
いや、これはスゴイ。
R-12に指定したくなるほどすげえぞ。
いや、けっしてイヤラシイってわけじゃなく、教育にも使えそうなまじめな自然科学のサイトで、わたしみたいにそっち方面が好きな人にはおもしろい映像ばかりなんだけどね。
たとえばサソリとクモを喧嘩させたらどっちが強いか。
カマキリとスズメバチではどうか。
水中のタガメとトンボの幼虫ヤゴではどうなんだ。
こういうことを精緻なマクロ映像、科学者の解説、本格的なコンピューター・グラフィックスをまじえて映像化したもので、もともとはテレビの教養番組だったらしい。
カマキリとスズメバチの闘いでは、背後にまわったスズメバチがカマキリのカマを食いちぎって、無抵抗の相手を肉団子にしてしまう。
もっとも別の映像の中には、カマでがっちり相手を抱えこんだ蟷螂が、相手の毒針がむなしく空を刺すなか、頭からむしゃむしゃというものもあったから、これは自分の武器を有効に使えたほうが有利らしい。
映像に登場するのはいずれおとらぬ肉食同士だし、負けたほうは相手に食われることになっているのだ。
アフリカのライオンだって残酷であることは違いないけど、Bug Wars のほうは、ふだんわたしたちがその顔を目にすることのない小さな生きものたちばかりで、ご面相は鬼面人を驚かすの類、中にはヒルや蠕虫のような気色わるい輩も出てくるから、こういうのが苦手な人は要注意。
こうやっていろんな虫たちを闘わせて、おおむね図体の大きいほうが勝つ場合が多いけど、最強のBugは軍隊アリ、あの小さなアリで決まりのようだ。
でもいくら教養番組といっても、こんなものを小学生に見せたらショックを受けてしまいそう。
R-12指定にすべきというのはこういうことである。
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