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2016年10月16日 (日)

銀座のカトー君

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おさななじみで版画家のカトー君が、銀座のギャラリーに作品を出展するというので出かけてみた。
今回は彼の個展ではなく、川上澄生という作家の名を冠したコンクールの発表会。
それに入選した作品を集めたものだったけど、おかげでさまざまなタイプの作品をいっぺんに眺められて、版画(木版画)というものを俯瞰する絶好の機会になった。

わたしは版画の技法に詳しいわけじゃないけど、こうやって多彩な作品が一堂に会すると、カラーやモノクロ、リトグラフや銅版画を思わせるもの、型押しをしたように立体感のあるものなど、木版画にもじつにさまざまな技法があることがわかる。

たまたまわたしが到着したときは、講師が作品について批評を加えているときで、それを聞くのもおもしろかった。
わたしなんぞから見れば、カトー君もすでに老成した大作家じゃないかと思えるのに、そんな彼までが講師の発言にゴモットモとうなづいているのを見ると、この世界の、なんというか、間断のない切磋琢磨のようなものを感じておそれいってしまう。

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大賞を得た作品の制作者は、まだ若いカワイ子ちゃんだった。
彼女をみてしみじみ思う。
若いころからなにかを目指してひたむきに努力をする娘がいる。
それに比べると、わたしの若いころはどうだっただろう。
どうもわたしの若いころは、ぼんやりと空想にひたりきりの、クラゲなすただよえる人生だったようだ。
芸術家になりたいという意欲だけは持っていたものの、あくまでクラゲなすただよえる・・・・・

アホらしい。
いまさらめぐり合わせの悪さをなげくのはよそう。
もういちど人生をやりなおしたいとは思わないし、どうしてもやりなおすことが避けられないなら、わたしは海の中のナマコにでも生まれかわりたいと考えているのだ。

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会場には版画に興味のあるらしい大勢の人々がつめかけていた。
カトー君の奥さんもいた。
彼女は YouTube に、旦那の伴奏で歌をうたっている映像を上げているから、もう国際人ですねとお世辞をいっておく。
お世辞じゃないかもしれない。
理論的には世界中の人が、その気になればいつでも彼女の映像を見られるわけだから、ひょっとすると日本のスーザン・ボイルになる可能性だってある。
熊本のKさんもそうだけど、最近の芸術家は多芸でないと務まらんらしい。

そういう才能がうらやましいけど、でもカッコだけは、この日のギャラリーに集まった人たちの中で、わたしがいちばん独創的だった。
若いころからそうやってスタイルにばっかりこだわっていたんだよな、わたしって。
いまのわたしが、いまのままであることはしごく当然のことなのだ。

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