ローラ・ニーロ
フェイスブックでローラ・ニーロのファン登録をしておいたら、めずらしく彼女からお知らせがきた。
といっても彼女は1997年に亡くなっているから、意思を引き継いだファンによるサイトからのもの。
おかげでまたなつかしい思い出にひたることとなった。
海上自衛隊をやめたあと、2年ほどデザインの勉強をするために学校へ通ったことがある。
しょうもない学校にしょうもない生徒(わたしも含めて)ばかりだったけど、いま考えると人間観察には適したところだったかもしれない。
サムセット・モームの小説「人間の絆」にも、主人公が画学校に通う話が出てくる。
ここでモームは、さまざまな個性をもった青春群像を描いていて、この小説のハイライトといってもいいくらい。
わたしにも似たような経歴があったわけだ。
当時の友人にWという男がいた。
ひよろりとした、たとえば美容師などによくいるタイプで、どこか都会的な雰囲気をたたえた若者だった。
彼は水戸あたりの出身で、わたしと同じ、高円寺にあった学校の寮に入っていた。
寮は仮住まいで、余裕のある人間や団体生活がイヤという人間は、2年目になると自前のアパートを借りてぽつりぽつりといなくなる。
ある日、Wがわたしに向かって、いっしょにアパートを借りて住まないかと提案してきた。
当時からわたしは唯我独尊みたいなところがあって、いっしょに暮らそうなどという人間がいるとは夢にも思わなかったから、おおいに感激したけれど、先立つものがなかったせいか、この話は成就しなかった。
しかしわたしたちの友情はその後もしばらく続いた。
そのうちWは帰郷して結婚することになった。
水戸まで行って結婚式に立ち会うつもりはなかったけど、彼には恩義を感じていたし、せめてもの記念になにか記念品を上げようという気持ちになった。
そこで選んだのがローラ・ニーロのLPアルバムだ。
当時は70年代の前半で、好きなロックアーチストは腐るほどいたけど、ハードロックを彼が好むかどうか、むしろもうすこしおちついた歌手のほうがふさわしいのではないか。
というわけで、ジョニ・ミッチェルやキャロル・キングのレコードも候補に上がったけど、どっちかというと地味目で、なおかついちばん都会的に思えたこのレコードを選んだ。
わたしの趣味をひけらかす目的もすこしあったわけだ。
ローラ・ニーロはそんな歌手である。
聖処女のような美人であるにもかかわらず、そのへんの大工さんと結婚したり、谷内六郎さんの絵をレコードのジャケットに使ったり、そんな風変わりな個性をもった歌手だった。
彼女は作曲家としてのほうがよく知られているけど、自作の「ストニー・エンド」や「ブラックパッチ」「ウェディング・ブルース」「イーライがやって来る」などの名曲を自分でも歌っている。
レコードはすべて処理してしまったけど、この YouTube の時代、わたしはいつでも彼女の声を聴き、その映像を見ることができるのだ。
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