秋の夜長
秋の夜長はなにをして過ごすか。
よく夜中にトイレにおきて、あるいは台所に水を飲みにいって、そのままぽっくり逝ってしまう人がいる。
わたしの同僚には、パソコンに向かっている最中お亡くなりになっちゃった男がいた。
ゲームでもして興奮したのかどうかわからないけど、彼はわたしより若かった。
わたしももういつそうなってもおかしくない。
いったい死ぬということはどういうことだろう。
たとえば、いまこの瞬間のわたしはまちがいなく生きている。
それが5分後にお亡くなりになるとしたら、いったいわたしの意識はどうなるのだろう。
理屈っぽくなるけど、そのへんの切り替えがよくわからない。
死後の世界を信じている人なら話はかんたんだ。
目の前がぼうっと暗くなり、気がついたら三途の川を渡っているか、よければ両脇を天使にささえられ、雲の上をただよっているかだろう。
ヘタすればブタに生まれ変わっている自分を発見するのかもしれない。
しかしわたしみたいに、あの世や来世なんてものを信じてない人間はどうなるのか。
いまはっきり認識できる思考や感覚が、ある瞬間をさかいにして、ぽっと無になる?
それじゃいまのこの生きているという実感はいったいなんなのか。
その瞬間にぜんぶチャラになり、なにもわからなくなるのだから、そんな心配をしても仕方がないという人もいるかもしれない。
そんなふうにかんたんに割り切るにしては、この世界はあまりに複雑かつ刺激的だ。
文学や絵画、音楽などで語られてきた世界は、ぜんぜん永続性のない、わたしの死とともに雲散霧消してしまうものなのだろうか。
ああ、わからないわからないと、ひたすら悩むことにも意義はある。
死ねばその瞬間に答えがわかるかもしれない。
だとすれば、ようやく長年の疑問が解消するという、ビックリ箱を開けるような楽しみが、最後の瞬間まで存在することになるではないか。
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