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2016年12月27日 (火)

公共空間

今朝の新聞に「波聞風問」というコラムがあって、そこに編集委員という人がもっともらしいことを書いていた。
フランスのパリではと、こういう書き出し。
最近のパリはアフリカだってことを、この委員さんはちゃんとわかってんのかしらと、最初から疑惑のまなざしで読む。

パリのなんとかいう駅にはピアノが置いてあって、誰でも弾いていいようになっており、そんな人間中心の光景が定着した社会がうらやましいというのが記事の主旨。
都市計画に詳しい大学教授さんにいわせると、公共空間への考え方の違いではないかとのこと。

よくあるよな。
自分の国はとにかくダメで、それに比べると外国はっていう自虐的意見。
このあと、むかしは日本でもああだったこうだったという屁理屈が続き、日本では公共空間はお上のものという認識があるんじゃないかと、このへんはリベラルを標榜するウチの新聞の論調だ。
公共空間?

日本の公共空間は自動販売機で埋め尽くされており、日本に来た外国人が驚くのが、どんな田舎や山奥にもそれがあることだという。
ピアノと自動販売機ではだいぶ性格が違うような気がするけど、日本人の公共空間への考え方は、けっしてフランス人に劣るものではない。
フランスのピアノは大勢の人が行き交う駅に置いてあるのに比べ、日本の自動販売機は、夜になれば誰もいなくなってしまう場所にも設置してある。
人間の公衆道徳心を比較すれば、日本人はフランス人よりずっと上である。

と、あちこちの外国の現状を見てきたわたしがいうのだから間違いがない。
日本人はシャイだし、公共の場で騒音を出すことを病的におそれるから、ピアノを弾くにもまず遠慮があるけど、フランス人は出たがり屋が多いのであろう。
どう、国際派を自認するアナタ、反論あります?

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