多摩墓地
ここんところ家に引きこもって書ける話題ばかりだ。
ますますニートだと思われてしまいそうだけど、それでもわたしの歳でこんな趣味があるだけマシ。
ちなみにNEETの語源は、就学、就労、職業訓練のいずれも行っていない者をいうのだそうだ。
いまのわたしにそんなものは必要ないし、未来をしょって立つ若者たちからごくつぶしといわれないように、たまには仕事もしているぞ。
そればかりか、健康のために散歩だってしておりますってわけで、今日は屋外の話題だ。
先日知り合いと散歩がてら、家から徒歩で30〜40分の多摩墓地まで行ってみた。
多摩墓地は広い。
全部まわったら高尾山に登るより疲れそうだったので、正門から入って、最短コースで府中試験場のまえに出て、あとはいつもの散歩コースで帰ってきた。
墓地では、ちょいとのぞいただけなのに、たちまち有名人の墓を三つばかり発見した。
正門から入ってまもなくのところに、ひときわでっかい石柱がある。
どんな人の墓かと思ったら、これは日露戦争で満州軍総参謀長として活躍した児玉源太郎陸軍大将のものだった。
わたしの歴史上の人物についての知識は、司馬遼太郎の「街道をゆく」によるところが大きいんだけど、児玉大将のこともこの本に詳しい。
ぶらぶら碑銘をながめながら歩いていくと、吉岡彌生という名前が目についた。
これも司馬遼太郎の本で知っていたけど、これは東京女子医大を創設した明治時代の女性医学者の名前である。
その功績からすれば児玉大将におとらない偉人だけど、彼女の墓はとくべつに大きくて目立つというわけではなかった。
でっかければいいってもんでもない。
さらにぶらぶら歩く。
この先に徳田球一の墓があることは以前から知っていた。
もういちいち説明しないけど、人間はそれぞれの本分にしたがって生きただけだから、墓に入ってしまえばイデオロギーは超越してしまうのだ。
このへんは儒教の国(中国や韓国)との違いである。
あの世を信じていないわたしでも、こうやって他人の墓をながめて、歴史に思いをめぐらすのは楽しい。
またそのうち、今度は有名人の墓探訪ということで、多摩墓地をじっくり再訪問しよう。
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