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2017年2月

2017年2月28日 (火)

異次元の世界

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ネットの掲示板「海外の万国反応記」に、もうすぐ日本に行くんだけど、最悪なものはなんだったかという書き込みがあった。
先達からいろんな回答があって、暑さと中国人観光客が多いことというのがダントツらしい。
まあ、たしかにね。
先進国グループから見れば。

でも日本人だってバブルのころは、フランスやイタリアのブランド商品の店に集団で殺到して、あきれかえった店側が床に放り出した商品を、見苦しく奪い合ったなんて事実があった。
フツーの人のやることなんて、どこの国民も基本的にはいっしょ。

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そもそも、なんで観光客が押しかけるようなところに行きたがるのか。
田舎とか市場とか、そのへんの一般商店とか、お寺にしたって奈良や京都ではなく、奥多摩あたりの名のないボロ寺だとか、ほんとうに好奇心を満足させてくれるところはいくらでもある。
わたしがはじめて行ったころの中国は異次元の世界。
そういう文化に興味を持ち、そういう国をもういちど旅してみたいと切に願ってしまうわたしって、やっぱり変人か。

添付したのはぜんぶわたしの写真。

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雪まつり/つどーむ会場

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札幌の雪まつりは一ヶ所だけで開かれているわけではない。
つどーむ(札幌コミュニティドーム)会場というのがべつにあるそうである。
で、せっかく札幌まで出かけて無聊をかこつ身のわたしは、3日目にそっちへ行ってみることにした。
この日の札幌は、わっと叫びたくなるような青空がひろがったので、ひきこもりのわたしも後ろからムチをくらっているような気持ちである。

あらかじめ印刷してあったメトロの路線図を片手に出かける。
前日は雪がちらちらする天気であったにもかかわらず、歩いていると汗ばむほどだったから、この日はコートの下はコーデュロイのシャツだけにした。
わたしのコートはロシアの冬にも耐え抜いた、強力な防寒仕様だからあまり参考にはならないと思うけど。

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ホテルのある新札幌から札幌駅まで、エアポート・トレインでひとっ飛びして、札幌駅で東豊線というメトロに乗り換える。
つどーむ前という駅がなかったので、どこで降りればいいですかと駅員に尋ねてみた。
終点の栄町だそうだ。

券売機にお金を入れると、いくつかの料金が表示されるから、栄町までに該当する金額を押して切符を買うしくみ。
ところがモニターにはそれ以下の金額しか表示されない。
どうしたらいいですかとまた駅員に聞く。
バス乗り換えってボタンを押してくださいという。
メトロの終点まで行くのに、バス乗り換えとはこれいかにってわけで、意味がわからなかったけど、とにかくいわれたとおりにして栄町には着いた。

栄町で地上に出ると、すぐ目のまえに会場までのシャトルバスが停まっていた。
バス乗り換えというのはこれのことかと納得したけど、運賃は100円だそうだ。
わたしはすでに札幌駅で金を払いましたといってみたが、メトロとバスは運営会社が違いますといわれて埒があかない。
切符はメトロの駅を出るとき、改札機に吸い取られてしまって、手元に残ってないのである。

サッパリ意味がわからないまま、あきらめて100円玉を用意してバスに乗り込んだら、わたしの歳では無料だった。
そんならごちゃごちゃいうこともなかったけど、ひさしぶりに他人に苦情をいって気分がよい。
最近のわたしは、映画を観にいっても、本人の意思にかかわらず高齢者にされてしまうことが多いのが少しく不満。

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「つどーむ会場」のつどーむというのは、写真を見ればわかるけど、屋内でサッカーもできるというでっかい施設である。
完成したのは平成9年(1997)というから、ウチの近所の「味の素スタジアム」よりいくらか古い。
Jリーグ「コンサドーレ札幌」のホームタウンかと思ったら、それは札幌ドームっていうのがべつの場所にあるそうだ。
破綻した夕張市というのがすぐ近くにあるくせに、大きな都市というのは金があまっているらしい。

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この施設のまわりが雪まつりの第2会場だった。
といっても巨大な雪像があるわけではなく、そのかわり雪で作った大きなすべり台や、迷路などがこしらえてあって、どちらかというとお子さま連れの家族向け会場という感じ。
なんだかひっきりなしにヘリコプターが離着陸しているなと思ったら、これはすぐとなりに、陸上自衛隊の丘珠駐屯地があるせいだった。

お子さま連れの家族向け会場だから、もちろんわたしみたいな偏屈老人がひとりで騒いでも、おもしろいところであるはずがない。
それでも感心したことがいくつか。
そのひとつは、大通公園では雪が少ないのが不満だったけど、こちらはスキー場のように、足もとは完璧に雪におおわれていたこと。
ギュッギュッと白い雪を踏みしめて歩くのはホントいい気分。

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ずうっとむかしのオホーツクの旅では、小さな子供たちがなぜかよそより可愛いく思えて、どうしてかなと考えたあげく、みんなカラフルなキルティングのジャンパーを着ているからだと思い当たったことがある。
いまは日本のどこに行ってもカラフルなジャンパーなんてめずらしくないから、それほど目立たないけど、つどーむ会場でカラフルな子供たちを見て、あらためてそう思った。

感心したことのもうひとつは、どうして北海道の女の子って、ああ可愛い子が多いのだろうってこと。
あちらこちらでボランティア、もしくはアルバイトの女子大生みたいなのが働いていたけど、みんな美人である。
わたしが北朝鮮のぼんぼんみたいな独裁者であったら、ああいう子をとっかえひっかえと、ついよからぬ妄想にふけってしまうくらい。
写真を撮りたかったけど、わたしみたいなおじさんがカメラを向けても、彼女たちが好感のまなざしで見るはずがないとあきらめた。

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美女からはそれ以上のことを期待できそうもないので、この日は札幌市内にもどって札幌ラーメンを食べることにした。

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2017年2月27日 (月)

テレビ電話

朝早くおきてベッドに横になったまま新聞を読んでいたら、買って間もないアイフォンの呼び出し音が鳴った。
出てみたら、いきなり画面に知り合いの、このブログを読んでいる人にはおなじみの、財閥のせがれのO君の顔が大写しになった。

アイフォンにはテレビ電話の機能が最初からついているそうで、どうだアと得意満面。
最近のスマホでは外国にいる知り合いとも、いとも簡単に顔を見ながらの会話ができてしまうのだ。
なんてまあ便利な世の中になったものよと思わない。
このときわたしは起きぬけで、ヒゲは剃っておらず、髪もくしゃくしゃ。
相手が若い娘だったらあまり見せたくないつらがまえだ。

テレビ電話にご用心、え、風呂につかりながらもスマホを離さないお嬢さん。

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閑話休題

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コショウジ君の旅や、わたしのむかしの旅をつづっているうち、古い友人のことを思い出した。
このブログで過去にも何度か触れているけど、わたしの最初の北海道旅行に同行したHという男である。
彼は結婚して2人めの子供が生まれたばかりというのに、昭和64年(1989)のある日、とつぜん奥さんとはべつの若い娘と、福井の山中で心中自殺をしてしまった。
長く生きていれば、だれでもひとりやふたりは、こんな不幸な人生を間近に見るのかもしれないけど、それでもわたしはこの男のことが忘れられない。

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わたしは一時期、埼玉県の大宮にあった会社で彼といっしょに働いていた。
同じ寮で寝起きし、いっしょに呑み食いに行ったりしたものだから、彼がどんな生い立ちをしてきたか自然に知ることとなってしまった。
そればかりか、彼が若い女と同棲したりするのを間近に見て、それほど頭がいいわけでもないのに、えらく女にモテやがんなということまで、みんな知ってしまった。

とくによくおぼえているのは、彼が幼いころ親に捨てられ、孤児として施設で育てられたということである。
わたしはぼそっと聞いてみたことがある。
それじゃお母さんに会いたいだろう。
すると彼は、子供を捨てるような親に会いたくないと、吐きすてるように答えた。
同じようなことを、わたしは自分の母親からも聞いたことがある。
ひねくれちゃはいるものの、そんな体験のないわたしには意外な返事だった。

でもその憎しみは恋しさの裏返しだったと思う。
わたしの母親は生き別れになった祖母に会いたくて、子供のころ、ひとりで何度も祖母の実家まで通ったといっていた。
現在の若い夫婦にいっておくけど、安易な離婚が子供のこころに取り返しのつかない傷を負わせることがあるのだ。

・・・・・・もっともあまり離婚・再婚が日常的風景になって、近ごろのガキはそのくらいじゃへこたれないって説もあるけれど。

Hのしたことは、ふつうに考えれば無責任である。
自殺することで彼は自分の悲しい運命を、そのまま自分の子供に引き継いでしまった。
でもわたしは(無神論者だけど、人間を支配する運命のようなものは信じているので)人間が自分の運命を変えられるとは思わない。
しょせん、なるようになっただけさ。
彼の子供も将来だれかと心中するかもしれないけど、わたしにいったい何ができるだろう。

この3枚の写真は、オホーツクひとり旅の1年前、わたしがHと2人で北海道の東部をめぐったときのものである。

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わたしは三重県にあるHの墓も知っているけど、いまではそこに骨すら残っていまい。
彼には身寄りもほとんどいなかったから、そんな遠方まで墓参りに行こうという人がいるだろうか。
よその女と心中したくらいだから、奥さんや子供からもうとまれているだろうし、その奥さんだってとっくに再婚しただろう。

そんな踏んだり蹴ったりの男の顔写真を公開していいものか、ちょっぴり悩んだけど、かまうものか。
ここに載せたのは、顔もほとんど知らない親から生まれて、寄る岸べもないままに土に還った悲しい男の写真である。
彼のことを気にする人間は、広い世界にもはやひとりもいないだろう。
わたしだって先は長くない。
このブログ記事は、Hという男が生きたということの証明であり、そのささやかな記念碑のつもりである。
またひとつわたしの重荷が解消した。

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2017年2月26日 (日)

雪まつり/コショウジ君の4

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オホーツク海に沿って南下してきたコショウジ君は、サロマ湖のあたりで雨に降りこめられ、YHに3日間缶詰になってしまった。
彼の日誌の欠点はこういうところにあって、缶詰になってるあいだ何をしていたのかという記述がぜんぜんない。
このあと網走から斜里に移動したというだけで、網走刑務所の名前もぜんぜん出てこないのである。

映画「網走番外地」は、まだこの3年前に第1作が公開されたばかりだったから、知らなくても不思議じゃないけど、たぶん彼には名所旧跡を見てまわろうという意識がまったくなかったのだろう。
おおげさにいえば、彼は十字架を背負ってゴルゴダへの坂道を登るキリストみたいなものだったのだ。
自分を苦しめることで自らを救済するという不動の信念があるのみで、観光という軟弱な要素はまったくなかったにちがいない。
もっとも貧乏旅行では先立つものもなかったはずだけど。

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そういう点ではやっぱりわたしは自虐の精神にとぼしい。
わたしは34年前の旅では、クッチャロ湖のほとりにある「北オホーツク荘」という国民宿舎にも泊まった。
風力発電用の風車がそびえるでっかい建物だった。
国民宿舎だからけっして贅沢したわけではないけれど、YHみたいに昼間から部屋でごろごろしていてはいけませんなんてことをいわないのがよかった。

そんなノーテンキな旅のわたしは、夜中にに小便に起き、はなれた場所にあるトイレに行って、帰りに廊下の窓から外をながめた。
駐車場のかどの街灯の光の中に、雪がしんしんと降りそそいでいるのがわかった。
寝静まった宿の廊下でただひとり、音のない世界から音のない世界へ舞い落ちる雪をながめる。
こういう光景をしっかり胸に刻むのがわたしの旅である。
記述が少ないのが欠点だけど、コショウジ君も旅のあいだ中、同じような感慨をしょっちゅう持っていたのではないか。

旅のあい間に母親の叱責となげきを聞くこともある。
そんなホームレスみたいな生活ばかりしてないで、ちゃんとまじめに働かんかいと母親はいうんだけど、なんでそんなにガツガツして働かなければいけんのとコショウジ君は反論する。
食わにゃいけんだろうが。
大丈夫、まだ2万円ある、ひと月8000円で暮らせるからから、あと2カ月半は旅を続けられる。
馬鹿だねえ、この子は。
わたしの愛情が足りなかったのかねえ。
こんな母親のなげきには、さすがの彼も耳をふさぎたくなったんじゃなかろうか。
これすべて、親不孝をしている彼の自責の念が生み出した想像のやりとりなんだけど、わたしにもその気持ちがよくわかるのだ。

世間には若いころから一直線に、生きていくための努力を惜しまない人がいる。
その反面、コショウジ君やわたしのように、途中で停滞してしまう人もいる。
人間はだれも努力をすべきであると、しごくまっとうなことをいう人の気持ちもわかるけど、人間は同じ条件で生まれてくるわけじゃない。
だんだん怠け者の屁理屈になってくるから、これ以上はいわないけど。

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このあとコショウジ君は内陸部を目指し、気息えんえんで石北峠を越える。
途中でダンプが落としたジャガイモを拾ったり、ヘビをつかまえてしばらく旅の道連れにしたり、かわいい女の子に誘われて無理して大雪山のロープウエイに乗るというエピソードをはさみながら、富良野のつれこみ宿に転がりこむのである。
休憩のつもりで転がりこんだわけではなく、バイトのつもりで働いたんだけど、こきつかわれたとぼやくあたりで彼の日誌は終わっている。
このあとリヤカーをそのへんの農家にあずけ、彼は釧路からフェリーに乗って帰京するのだ。

34年前のわたしのオホーツクの旅、それよりさらに15年さかのぼるコショウジ君の旅。
おたがい歴史には残りそうもないちっぽけな青春だけど、このブログをその小さな記念碑にして、彼の旅日記を終えることにする。
日誌を託されてそのままにしていたことが、ちょっとこころの重荷になっていたけど、これでわたしもようやく解放されるわけだ。

その後のコショウジ君は、縁があって妻子を持ち、まじめに働く子煩悩な父親になって、わたしよりはまともな生活を送ったみたいである。
そして放浪へのあこがれをときどきの山歩きでまぎらわしていた。
彼のことを知ったのは、その山歩きグループのメンバーのひとりからである。

わたしはときどき考える。
コショウジ君は家族との夕餉の時間などに、いまでも思い出すことがあるんだろうなって。
北海道をさまよっているとき食べた麦6米4のメシや、きざんだタマネギだけの味噌汁、拾ったジャガイモの味などを。
黙々と歩き続けた砂利の道、手に残るリヤカーの重さ、親切な人々、出会った風来坊たち、そんな貴重な青春の数々を。
何万という人間の中に、ひとりやふたりはそういう奇矯な人がいたっていいではないか。
あ、また怠け者の屁理屈みたい。

彼に連絡をとろうと思えばとれそうだけど、引っ込み思案のわたしは、日誌を託されただけで、それ以降いちども彼と会ってないのである。

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2017年2月24日 (金)

お助けモンちゃん

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わたしがよく見ているYouTubeの中国人モンちゃんが、その最新映像(公開日がこの2月13日)で日本のファンにお別れをいっていた。
大きな口をあけ、豪快にエモノにかぶりつくのが魅力だった彼女も、この番組(お助けモンちゃん)に出演するようになってまる6年だという。
彼女の正確な年令を知らないんだけど、いろいろ調べると、番組が開始したとき24歳だったらしい。
すると現在は30ということで、当初は太めの女子大生ふうだった彼女も、最新映像では、これがあのモンちゃんかいとびっくりするほどの大人びたレディに変貌していた。
なにかを食べるとき、みけんにシワをよせて、美味いのかまずいのかわからない顔をするところだけはあいかわらずだ。

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それはいいけど、芸能人なら彼女もそろそろトウの立つお年頃である。
しばらくお休みするだけと本人はいってるけど、はたしてどうなるか。
彼女はこの番組でブレイクした素人で、それでも中国で中国版YouTubeであるYoukuが主催した、2016年の最も影響力のある旅行家賞なんてものを受賞している。
だから人気者の彼女を見る機会はこれからもあるかもしれないけど、日本を紹介するという彼女の役割はひとまず終了したと思ったほうがいい。

彼女が日中友好に果たした役割は小さくないし、そして中国人の爆買いを招いて、アベノミクスに貢献したことも事実だろう。
故郷の大連に帰った彼女に、わたしからも「辛苦了」、「再見」。
ところでモンちゃんの映像を見るように勧めておいた中国人の知り合い、しばらく音沙汰がないけど、アイデンティティの崩壊から立ち直れないのかしら。

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2017年2月23日 (木)

雪まつり/コショウジ君の3

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リヤカーを引いたコショウジ君が、宗谷岬に到達したのは昭和43年の8月22日のことである。
3月30日に東京を出発してから5カ月だと、本人も感動したのか、日誌のこの部分は目立つように大きく書いてある。
彼はこの前年に東京から鹿児島まで歩いているから、これで日本縦断を成し遂げたことになるのだ。
最近では若者の移動範囲は地球儀の目盛りがふさわしくなっているから、このくらいでは驚く人はいないかもしれないけど、コショウジ君がリヤカーを引いたころ、徒歩による日本縦断は、現在のアメリカ大陸横断に匹敵するような価値のある冒険だったんだよ。
え、お若いの。

宗谷岬からはオホーツクの海岸線にそって南下することになる。
ここは15年後に、わたしが逆の方向からたどった道である。
もちろんわたしはリヤカーを引いてなかったけど、コショウジ君のころはまだ道路が舗装されてなく、牛馬と化した彼は砂利道に苦しめられたらしい。

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更科源蔵の「北海道の旅」には、まだ僻地という言葉がふさわしかったむかしの北海道の描写があちこちに出てくる。
文庫本だけど写真も載っていて、舗装されていない田舎道で道産子が荷車を引く写真や、絶壁の下のかよう道もないような集落の写真が随所にはさまれる。
このブログでは、絶望や悲しみをもとめて旅をする人もいることを強調しているけど、昭和の前半あたりまで、北海道は日本ではまれな、ロマンと冒険の舞台でもあったのだ。

わたしはコショウジ君ほどの根性がないから、ひとりで冬のオホーツクを旅をしたときは、もうすこし文明的な宿屋や国民宿舎に泊まった。
とはいうものの、そのとき泊まった旅館は、朱鞠内の「谷川荘」、紋別の「紋別館」、北見枝幸の駅前にあった「たつのや旅館」など、ほとんどが廃業したようだ。
わたしの泊まる旅館は、当時からはやっていない感じの宿が多かったほから仕方ないけど。

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3番目の写真は、チップを固めた固形燃料で、当時あちこちの宿屋でストーブの燃料として使われていたもの。

浜頓別で泊まったのは「東雲旅館」といって、おかみさんがアイヌのバンダナを巻いた愉快な人だった。
料金のわりにはえらく豪華な食事が出たから、いいんですかと聞くと、 同じ晩にどこかの団体の宴会があって、それがわたしのところへもまわってきたんだそうだ。
人間どこにツキが落ちているかわからない。
この旅館についてはネットでその後の消息を見つけたけど、あとつぎがいなくて廃業したらしい。

あとつぎぎがいなくてといえば、稚内で泊まった「船木旅館」もそうだった。
ほかに客がいないからという理由で、宿のおかみさんと台所で差し向かいの食事をしたんだけど、おかみさんがこぼすには、あんた、ウチの娘なんかもう30よ。
結婚もしないで遊んでばかりいてと、あれはひょっとすると、わたしを見込んで宿のあと取りにでもしたかったのかもしれない。
たまたま娘が留守だったから顔を見なかったけど、おたがい気に入れば、わたしも稚内で旅館の経営者におさまっていた可能性もあったわけだ。
まったく人間の運命なんてどこで変わるかわからない。
こういうのもロマンと冒険の範疇に入るのかしら。

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2017年2月22日 (水)

雪まつり/コショウジ君の2

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札幌市狸小路6丁目。
コショウジ君はここのラーメン屋で数日間アルバイトをしたあと、店主からつぎの訪問地の深川にある宿屋の紹介状をもらって出発をする。
とちゅうにある滝川あたりは道路の幅がせまく、大型トラックが2台交差するのがやっとだったとある。
リヤカーだからパックパッカーなどより多くの荷物を運べるのはいいけど、こんなところで、とんだ交通障害になって彼もこころ苦しかっただろう。

紹介状を書いてもらっていた深川の宿では、タダで泊めてもらえるはずが、予想していたより冷たいあしらいで、他人の情にすがる旅のみじめさをなげいている。
もっともこれはどちらかというと例外で、彼の場合、旅のようすが地元の新聞で紹介されたこともあって、いく先々で歓待されることが多かった。
北海道の人は親切なのか、このあと彼はテント泊をしているとき地元の人から差し入れを頂いたり、民家に招かれて、寝るところや食事をふるまわれたりして、えらく感激する場面も多いのである。

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浜鬼志別というところでテントを張っていると、おーい、兄ちゃん、今日はテント張らんでいい、オレんち泊まれやという親切な人があらわれた。
彼はここで親切な夫婦から、食事、寝る場所の提供を受け、翌日出発するときには弁当までこしらえてもらって、おおいに感動している。
でもとくに不思議だとは思わない。
この夫婦も新聞に載ったコショウジ君の写真を見たかもしれないし、そうでなくても北海道という土地柄からして、こういう人情味のある人が多かっただろうという気がする。
コショウジ君はこのあと、べつの場所でも同じような歓待を受けているのである。

こうしたふれあいは地元民ばかりとはかぎらない。
8月の北海道には、彼のように冒険じみた放浪の旅をする若者が多かった。
コショウジ君もあちこちで旅の道づれに出会っている。
ある場所ではリヤカーと自転車とヒッチハイクの若者が、顔を突き合わせて同じ場所で野宿するはめになった。
コショウジ君はみんなでメシを分けあって食べる。
タイ旅行でヒッピーたちの連帯感について書いたことがあるけど、これも輝かしき昭和の記憶、まだまだ社会が寛容だった時代の、自由きままな青春群像を見るような気がする。

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コショウジ君の旅は原則として野宿である。
学校の庭や神社の境内、バスの停留所などにテントや寝袋を利用して寝込んでしまう。
食事は鍋釜を持参しているので、麦6米4のご飯を炊き、とちゅうで仕入れたタマネギを刻んで味噌汁を作ったりする。
省エネの見本みたいな貧乏旅行である。
ただこの年の北海道は天候が不順だったらしく、あちこちで雨にたたられ、帰京したら今度は雨漏りのしないテントを作ろうという記述もあったくらいだから、けっして順調な旅ではなかったようだ。

野宿ばかりじゃ体がもたない。
ときどき保養をかねてユースホステル(YH)に泊まることもある。
稚内でYHに泊まったコショウジ君は、昼間ゆっくり寝ていようと思ったのに、雨の日以外は昼間から部屋にいられませんといわれて、YHを追い出されてしまう。

むかしのYHにはこういうつまらない規則が多かった。
YHというのは旅を愛する心身ともに健全な若者のための施設で、健全な若者は昼間から部屋でごろごろしてないというたて前らしい(米国ではゲイのたまり場って説もある)。
最近では健全な若者にもゼイタクをいう輩が増えて、むかしみたいに堅苦しくては泊まる人間がいなくなり、おかげでうるさい規則もだいぶ緩和されたようだ。

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アイヌ

Ainu

コショウジ君の続きを書くまえに、幼なじみからのコメントで、ちょっと思いついたことを。

わたしが小学生のころ、社会科の授業の一環として、わたしが通っていた小学校にアイヌの人たちがやってきたことがある。
朝礼台の上で奇妙な文様の衣装を着た人たちが、わけのわからないアイヌの歌をうたったことぐらいしか記憶になく、もうしわけないけど、動物園で珍奇な動物を見たのとおなじていどの感想しかなかった。

でも最近ではわたしもナショナル・ジオグラフィックのファンだ。
いまでこそ北海道は、夏は空気の清涼な高原的風景、冬は雪と氷の北欧的景色の観光名所だけど、冬の寒さが開拓時代には無数の悲劇を生んだ。
歴史的にみても、日本人は頑固なくらい生活習慣を変えないところがあって、江戸時代に北海道の警戒にあたった侍たちは、内地の建物様式をそのまま厳寒のこの土地に持ち込んだ。
障子や雨戸のある木造住宅で北海道の冬をしのごうとしたものだから、少なからぬ人たちが冬の寒さに耐え切れず、病魔に倒れたという。

そんな北海道だけど、この土地で平然と暮らしてきた人たちがいる。
ほかならぬアイヌの人たちで、彼らは冬の寒さをしのぐためのさまざまな生活の知恵を身につけていた。
内地からやってきた侍の中にも、彼らの知恵を借りてなんとか越冬に成功した者もいた。
間宮林蔵の樺太探検も、アイヌの協力がなければ成功しなかったはず。

世間には非文明的だというだけで、相手を一段下と見下す人が多いけど、わたしたちにもいくらかはアイヌの血が混じっているとすれば、それは十分に他人に自慢していいものだと思う。

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2017年2月21日 (火)

雪まつり/コショウジ君の1

わたしの知り合いの友人グループの中に、コショウジ君という人がいる。
わたしと歳はあまり変わらないから、やはり生きているのが申し訳ないという団塊の世代の生き残りである。
彼にむかし、手書きの日記のコピーを託されたことがある。

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コショウジ君は若いころ、リヤカーに寝具や自炊道具を積み込んで、東京から北海道まで、徒歩で旅をした豪傑でもある。
北海道ではアイヌの店主に気に入られ、土産物屋でしばらくクマの彫りものを作って生活していたという。
団塊の世代には、まだまだ自由に、明日は明日の風が吹くってな調子の生き方が許されていたころだ。
最近の事情は知らないけど、いまでも若いもんにそんな自由はアリかねえ。

ところで彼に託されたコピーってなんなのか。
これはじつは彼がリヤカーで旅をしていた当時の旅行日誌だった。
そんなものをどうしてわたしに託したのかわからないけど、いろいろ屁理屈をいうわたしに、この男はもしかしたら将来は作家になるかもしれないと、とんでもない妄想を抱いたのかもしれない。
夏目漱石に「坑夫」という作品があるけど、これは他人から持ち込まれたネタをもとに書かれた小説である。
わたしが彼の日記をもとに偉大な小説を書けば、彼の旅も永遠不滅のものになるわけだ。
でもわたしは夏目漱石じゃないんだけどな。

日誌は札幌のラーメン家でバイトをしたあと、店の主人に紹介された深川の宿に向かうあたりから始まっている。
深川からは留萌市に出て、日本海にそって稚内まで北上する。
稚内からは、オホーツク海にそって斜里まで南下、このあとは内陸の層雲峡や大雪山をめざしている。
層雲峡からは富良野に抜け、富良野のつれこみホテルでバイトをしたあと、リヤカーを農家に預け、ヒッチハイクで釧路に出て、フェリーで東京へもどるところで日誌は終わりである。
時期は1968年(昭和43年)の8月15日から10月4日までだ。

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古きよき時代に、北海道をさまよったもうひとつの青春があったことの証明として、今回の雪まつり紀行の合い間に、彼のこの日誌を数回に分けて挿入することにした。
ただし彼の日誌は大雑把すぎるのが欠点だ。
地図と首っぴきでないと現在地の把握もむずかしいし、せっかく北海道を旅していながら、経由した稚内や層雲峡、富良野などの描写がほとんどないのである。
だからこの文章は彼の日誌を参考にして、わたしの体験談やぼやきをつけ加えたものと思ってもらったほうがいい。

日誌の最後に、ずっとあとになってつけ加えられた文章があって、そこに 「いつしかわたしも歳をとった」
「四度夢に見た母親は、旅のある日、他界したと風の便り」
「母のぬくもり知らず他界知らず」
ちょっと意味不明のところがあるけど、ひょっとするとコショウジ君が書きたかったのは、母親を恋しいと思いつつ、世間からうしろ指さされるような生き方をしている自分への自責の念だったかも。
それならば、この15年後に一部重複する旅をしたわたしと、心情的にも重なった部分がある。
人間を旅に駆り立てるのは、冒険心やロマンばかりとはかぎらない。

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2017年2月20日 (月)

雪まつり/詩人たち

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更科源蔵の「北海道の旅」を読むと、北海道を訪れた文人墨客の多いのにあらためて感心してしまう。
グルメや温泉、ウインタースポーツ以外に、もうちっと高雅な趣味を求めたい人は、文学碑探索の旅でもこころざしたらどうだろう。
行ってきたばかりの小樽には、この土地出身の作家・小林多喜二の碑があるというし、有名な函館の立待岬には、石川啄木のカニとたわむるのほかに、宮崎郁雨と砂山影二の歌碑がある。
日本人は歌碑が大好きだから、松山千春や美川憲一、石原裕次郎のもあるらしいけど、ここで話題にしているのは演歌ではなく文学のほう。

ところでこの砂山影二という作家の名前、わたしはぜんぜん知らなかったんだけど、ちょっと考えれば、もう名前からして啄木の影響下にあった人のようだ。
そう思ってググッてみたら、案の定、啄木に影響されて、若くして青函連絡船から身投げした詩人であるらしい。
ここにも孤独や絶望を求めて旅をした人がいた。
わたしも啄木の歌を愛したことでは人後に落ちないつもりだけど、いつのまにか老衰死といわれても文句のいえない歳まで長生きしてしまった。
でも啄木だって若くして結核に冒されなかったら、無責任に借金をかさねて、60までくらいは長生きしたかもしれない。
他人を死に追いやるような罪作りをしてないだけ、わたしのほうがマシだ。

千歳空港から札幌までは快速のエアポート・トレインが走っている。
今回の旅では、わたしがそれに乗ったのはもうたそがれ時分だった。
列車はぴかぴかでスムースだし、車内にはスノーボードをかかえた欧米人のグループもいて、啄木の時代のおもかげは探そうにも探せない。
窓の外はどうか。
新札幌の手前で、ほんの短時間だけど、雪におわれた雑木林の続く山あいの景色が広がった。
じっと無我の境地でそれをながめる。
 雨に濡れし夜汽車の窓に映りたる山間の町のともしびの色
たちまちこんな歌が思い浮かぶ。
いじけた性格を天命とあきらめて、失意のままに旅をすれば、まだまだ啄木の世界はいたるところに見出せるものである。
あまり前向きばかりで生きないほうがよい。

34年前の旅では、当時もわたしはうしろ向きだったから、旅の途上に列車の中で思い出した啄木の歌は多かった。
 真夜中の倶知安駅に下おりゆきし女の鬢の古き痍あと
 空知川雪に埋れて鳥も見えず岸辺の林に人ひとりゐき
 ごおと鳴る凩のあと乾きたる雪舞い散りて林を包めり

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そのとき稚内から札幌まで乗った列車では、とある駅で、夏は耕地になるらしい広い雪原の上をぽつんと歩く女子中学生を見た。
彼女はどこかべつの町にある学校まで列車通学をしており、授業を終えて自宅に帰る途中だったようだけど、前方の集落までは3キロぐらいありそうだ。
吹雪がきたら通学の途上に遭難ということはないのだろうかと、つい心配してしまうのは、わたしが都会から来た旅人だったせいだろうか。
啄木ならばきっと歌を詠んだに違いないけど、凡人のわたしはつまらぬ心配をしただけだった。

ところで「北海道の旅」は北海道を訪れた作家の索引みたいなところがあるのに、宮沢賢治のことがひとことも出てこない。
オホーツクや噴火湾について書かれたあたりを仔細に検分してみたけど、賢治のケの字も出てこないのである。
そういえば著者はアイヌ研究者であるというのに、このブログでも取り上げたことのあるアイヌ作家の知里幸恵も出てこない。
だからケシカランというつもりはないけど、賢治も幸恵も、その資質からすれば源蔵さんが目をつけないはずはないと思えるのにと、ちょっと意外だった。

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2017年2月19日 (日)

台所の失敗

あ、もうすぐ日があらたまってしまう。
大急ぎで、今日の「海外の万国反応記」の新しい記事『キッチンにおける悲惨すぎる失敗例』がおもしろいとだけいっておく。

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2017年2月18日 (土)

スマホの魚眼

スマホを買ったものの、考えてみるとわたしのところへ電話もメールもめったにくるわけではないし、こちらから積極的に他人に連絡をとる必要もない。
わたしは文字通りの偏屈な独居老人なのだ。
だからこそ以前のガラケーは14年も使って、なにひとつ問題はなかったのである。

スマホを買ってすぐに知り合いからメッセージなるものが届いた。
返事の出し方がわからないから、ちょくせつ電話で返事をすることにした。
すると電話の掛け方もわからない自分がそこにいた。
いまは少しづつわかってきたけど、当初のわたしはそんな感じ。

じゃなんのためにスマホを買ったのさという声が聞こえそう。
つまり、なんだな。
わたしにとってスマホは、どこでもブログを更新するために必須の道具で、どこにでも持ち運びできる万能の百科事典ということだ。

しかも使ってみたら、こいつのカメラ(ビデオ)機能もなかなかのものであることがわかった。
GoProの映像なんか見ても、最近の若い者は映像で、スローモーション、早送りなど、やりたい放題だ。
あれってどうやってるのかって不思議に思っていたら、アイフォンには最初からそういう機能がついていた。

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わたしの中国人の知り合いが、以前アイフォン用の魚眼レンズを買ったといばっていたように、外付けで魚眼レンズまでつけられるという。
魚眼レンズで大群衆を俯瞰したまま、スローモーション、早送り・・・・
いてもたってもいられなくなったわたしは、今日はとうとうレンズを買ってきてしまった。
値段はたったの3千円だからオモチャみたいなものだけど、つまり現在の若者にとってスマホが遊び道具であるように、わたしもスマホを玩具として買ったわけだ。
ゲームだけはやる気が起きないけど、前途は洋々たるものである。
添付したのは新しい魚眼レンズの成果。

最近はわたしとあまり変わらないトシでお亡くなりになっちゃう人がぽつりぽつり。
スマホや魚眼レンズを使いこなさないうちに、わたしもベッドの上でぽっくりってことがあるかもしれない。
でもそうなったら、わたしぐらい幸福に死ぬ人間はいないねえ。

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2017年2月17日 (金)

生命力

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今年は暖かい。
地球温暖化の影響だとしたら、まずいときにそれを目の仇にするトランプさんが登場したものだ。
終活中のわたしにはあまり関係がないけど、赤ん坊のいる人にとっては、わが子の未来がどうなるのか、不安で心配で、おちおち寝てもいられないんじゃないか。

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昨日は午後のおそい時間になって、ぶらぶら散歩に出かけた。
まだ花の爆発には早いけど、散歩道にもう菜の花がちらほら。
植物は温暖化や原発事故ぐらいじゃへこたれないみたいだ。
添付した下の写真は「海外の万国反応記」というサイトに載っていた、福島県の避難地区にあるピアノだそうだ。
人間の営みのはかなさに比べ、植物のタフさをよくあらわしていると、サイト内で意見がけんけんがくがく。

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2017年2月16日 (木)

雪まつり/ホテル

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わたしの今回の雪まつりは、交通と宿だけを旅行会社におまかせしたフリーツアーである。
こういうツアーでは、望むと望まないとに限らず、けっこう立派なホテルに当たる可能性が高い。
わたしが札幌で泊まったホテルも、個人旅行だったらとても泊まれないような格式の高いホテルだった。
どのくらい格式が高いかというと、わたしはこの旅に底の厚い登山靴もどきで出かけたんだけど、そんなものを履いて食事や風呂に行く気になれないから、部屋履きのスリッパでぺたぺたと出かけた。
するとやんわり注意されてしまった。
けっ、お高くとまりやがってというほどわたしは非常識じゃないけど、まあ、このくらい行儀にやかましいホテルなのである。

わたしは山小屋でも、中国の奥地の安ホテルにでも平気で泊まる人間だけど、歳をとるとこういう豪華な宿もわるくない。
ヘタに民宿なんかに泊まると、宿の人間との距離が近すぎて、ほうっておいてほしいわたしみたいな人間にはかえって迷惑だ。

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ホテルでいちばん気に入ったのがスパ、つまりお風呂で、いったいできてから何年たつのか知らないけど、施設全体が新しく、大きなな浴槽からは終日熱い湯があふれていた。
20人は押し込められそうな、室温85度の本格的なサウナもある。
風呂から上がると、ごろりと横になって休息できる休憩室もあり、バー・カウンターもあって、つねにウエイターが控えている。
わたしもどこかのセレブになったつもりで、冷たい飲み物を注文して休憩した。

レモンスカッシュを飲みながら考える。
むかし群馬県の草津温泉に行ったとき、クーアプラザ草津という豪華な温泉施設に入ったことがある。
そこで働いている若い娘が、わたしのことを金持ちの御曹司とカン違いして、しきりに自分を売り込んできたことはこのブログに書いたことがあるけど、そんなことはどうでもいい。
問題はクーアプラザ草津がその後つぶれたことだ。
そもそも豪華なわりに客が少なかったから、当時からわたしは心配していたのだ。

わたしが泊まった札幌のホテルも似たような感じである。
館内にはアジア系の観光客がいたるところにいたけど、いくら海外からの観光客が増えているご時世だといっても、ここはちょっと入れ物が大きすぎる。
スパにしてもわたしひとりの貸し切りみたいなことがよくあった。
無関係なわたしが心配してやる必要はぜんぜんないけど、経営者の勝算について考えてしまう。

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考えるといったら、もうひとつ。
こんなホテルに泊まるのは、苦労してそれなり成功した人か、現在進行形で苦労している人がふさわしいんじゃないか。
すくなくとも家族で協力しあって、このせちがらい社会を生き抜くために頑張っている人たちのためのものではないか。
わたしみたいな道楽者がえらそうに寝転んで、飲み物なんか飲んでいていいんだろうか。
すぐにつまらないことを深刻に考えてしまう性格ってのは、親を大事にしなかった祟りかしら。

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2017年2月15日 (水)

雪まつり/小樽

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今回のツアーには小樽観光がセットになっていた。
よくわからないけど、ほかの旅行会社の客といっしょにされて、観光バスによる小樽までの半日観光でもあるのかもしれない。
朝の8時出発なんていわれたら目も当てられないから、そんなものに参加する気はなかった。

ところが北海道に到着してすぐHISに顔を出してみたら、渡されたのは千歳空港から札幌、小樽間のJR4日間のフリーチケットだった。
こいつは気が利いている。
これならわたしみたいに横着な旅人でも、好きなときに好きな散策が可能ではないか。

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で、北海道に到着した翌日は、雪まつりのまえにふらりと小樽まで往復してきた。
札幌から小樽までは列車で行っても(鉄道マニアのわたしは鈍行を使ったけど)、1時間もかからないのだ。
小樽にことさらの興味があったわけじゃないけど、どうせフリーチケットをもらったんだからってことである。

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列車に乗っていると、銭函という駅を過ぎたあたりから、右側の線路のわきに石狩湾が広がる。
そんなものを予想してなかったのでおどろいた。
じつは札幌から小樽までの行程の半分ほどは、雪がちらほらする本物の冬の日本海沿岸を行くのだ。
おまけみたいなものだったけど、孤独を愛する人、つげ義春の旅にあこがれる旅人なんかには絶好のステージで、今回の旅でわたしがいちばん恍惚となったのは、この列車に乗っているときだったかもしれない。

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小樽は海にむかってゆるやかに傾斜した街だった。
小樽といえばすぐに思い浮かぶのが、石川啄木の
 悲しきは小樽の町よ歌うことなき人々の声の荒さよ
という歌だけど、これは小樽を称賛するものではないだろう。
この旅に持参した更科源蔵の「北海道の旅」には、岩野泡鳴の小説が引用され、小樽人はリアリストだと書かれている。
ほめたのかけなしたのか微妙なところだけど、たぶんけなしたんだろう。

わたしは海から近い土産物屋に入ってみて、海産物の高いのにびっくりした。
写真を撮ろうとしたらすぐに店の人間が飛んできて、撮影は禁止ですという。
これでは高いことを店がみずから認めているようなものだ。
現地で買えば輸送費がかかってない分だけ安いはずという常識が通じないところが、小樽人のリアリストたる所以かもしれない。

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小樽では運河沿いにある古い醸造所や倉庫街などを見てまわったけど、それらが現代ふうに模様替えされて、レトロな雰囲気の観光名所になっているのに感心した。
しかしレストランやカフェで飲食をしたわけでもないから、おもしろい体験とはいいかねる。
そこで話のタネに運河クルーズに参加することにした。
20人乗りくらいのボートで運河をめぐる40分ほどのツアーだそうだ。

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この日は2隻のボートが稼働しており、そのうちのひとつは欧米人の男性が操船していた。
わたしが乗ったのは若い娘があやつる船で、北海道には美人が多いという風説どおりのカワイ子ちゃんだったから、わたしにはこっちのほうがよかった。
ボートの屋根はビニールで覆われて雪や寒風を防ぐようになっていたけど、ちょくせつ写真を撮りたいわたしは、大半の時間を吹きさらしの場所に立って過ごした。
船頭さんはガイドも兼ねていて、めぼしいポイントではマイクをにぎって説明をする。

ボートは小樽港をちょいとのぞいてから、狭い運河を往復した。
冬の港にはカモメが飛び交っていて、これはちょいとした演歌の舞台である。
もっとも港にはスズガモの仲間もいて、こちらは間抜けな顔をしているから演歌にはならない。
ボートが近づくとこのカモたちがいっせいに飛び立って、バードウォッチャーのわたしには、まあ、小樽の運河クルーズは今回の旅で楽しめたほうだった。

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2017年2月14日 (火)

伝統

ホントかウソか。
ネットニュースに北朝鮮のぼんぼんの異母兄である正男クンが暗殺されたって一報。
もともと太っていたから成人病で死んだ可能性もあるけど、暗殺だとしたら秦の始皇帝の跡目騒動の再来だな。
始皇帝が死んだあと、あとを継いだ息子が、権力争いの種になりかねない兄妹たちをみな殺しにしたのは有名な話だ。
でもそれから2000年以上は経ってるぞ。
ほんとうに北朝鮮て歴史と伝統を大切にする国だねえ。

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雪まつり/ホタテ

おもしろくなかったけど、せっかくだからもうすこし雪まつりにふれよう。

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会場の俯瞰写真が撮りたくてテレビ塔に登ってみることにした。
でも混雑してるんだろうなあ。
そう思って遠方からながめたら、階段をつたって登っている人たちがいるのに気がついた。
そうか、写真を撮るだけなら階段で登ればいいんだ、息が切れたらその場で写真を撮って降りてくればいいんだし。
そう考えてエレベーターのまえまで行ってみたら、思ったよりも混んでいなかった。
おかげですっきり展望台まで上がり、さらにもう一段上の展望台まで上がり、帰りは足の運動のためにすべて階段で降りてきてしまった。

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たいして運動になったような気もしなかったけど、下界に舞い降りて雪像を見て歩く。
今年の雪像で目をひいたのは、映画好きならすぐにわかるスターウォーズ、なんだかよくわからない人物(あとで調べたらファイナルファンタジーだそうだ)、トットちゃん? そんなアニメあったかと、ゲームやアニメに詳しくないわたしにはよくわからない像など。
パリの凱旋門や興福寺の中金堂、ひっくり返ったカップヌードルなんかもあったけど、入ったり登ったりできるわけではないから、たいしておもしろくない。
いま話題のトランプさんの雪だるまがあり、欧米人観光客が大喜びで写真を撮っていた。
わたしがいくらかでもにんまりしたのはこれくらいだ。

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ほかに氷を刻んだ彫刻がいくつかあって、夜間にライトアップされたらきれいだろうなと思わせられた。
思わせられただけで、わたしはさっさとホテルへ帰って、風呂に入って寝てしまったから、それは見てないのである。

あいかわらずつまらん人生を送ってやがんなと思われてもすなおに受け入れよう。
 家ごとにリラの花咲き札幌の人は楽しく生きているらし
リラというのはライラックの別名で、この歌にうたわれている札幌を見たければ、よそより遅い新緑の季節に行くしかない。
ところでこの歌は吉井勇の作である。
へえ、彼も札幌に来ているのかと意外に思ったのは、わたしの認識不足で、更科源蔵さんの本を読んでも、北海道を訪れた文人歌人の数はひじょうに多い。
明治以後に新しいアンビシャスを持って計画的に開発された北海道は、当時の内地人には異国とも思えたことだろう。

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あらかじめネットで研究してから雪まつりに行く人もいるだろうけど、そこで使われている写真は過去のものもあるから要注意だ。
想像していたより雪像の数が少ないと失望したのは、わたしの頭のなかで過去の雪像もごちゃまぜになっていたかららしい。

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雪まつりの会場は道路の分離帯のような細長い大通公園に、1キロ半ぐらいにわたって続いている。
これだけの会場を往復するとかなりくたびれるし、腹もへる。
この日は、じつは小樽へ行っての帰りだったので、会場でなにか食べることにした。
カキやホタテやカニ、串焼きステーキ、そしてトウモロコシ、ジャガイモなど、その場で食える北海道の名産屋台がたくさんあって、このへんは縁日と変わらない。
わたしは海産物が好きだからホタテを食べてみた。
美味しかったけど、あとでべつの店に、もっとでかいのが同じ値段で売られているのを見た。

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2017年2月13日 (月)

ピエロ

夕刊を読んだら、さすがの朝日新聞もケチをつけられない、アメリカでの安部クンの厚遇ぶり。
これじゃあトランプさんはお飾りで、北朝鮮問題なんか、アメリカの国防長官と安部クンのふたりだけでとり仕切ることになるんじゃないか。

プーチンに愛想をふりまき、トランプさんにゴマをする。
見ていてあまりみっともいい光景じゃないかもしれないけど、それだけ日本の宰相が、日本の好景気を維持しようと必死になっているなら、冷やかすわけにもいかない。
屈辱に耐え、嘲笑を誘うピエロの悲しみをたれが知る。
あのトランプさんを味方に引き入れ、じょじょにフツーの大統領に改変させているとしたら、このピエロの腕は称賛されるべきものではないか。

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2017年2月12日 (日)

雪まつり/つまらない

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札幌雪まつりはたいしておもしろくなかった。
というと、また天の邪鬼が始まったといわれそう。
でもこれは、ようするにディズニーランドをおもしろいと思うかどうかの違いだな。
大半の人たちはああいうテーマパークに行って喜んでいるけど、わたしはどうもそういうところがニガ手である。

どうしておもしろくなかったのか。
もっとたくさんあるかと思っていた巨大な雪像も、こちらの期待ほどではなかったし、もっと積もっているかと思った雪の量も期待外れだったのだ。
あれなら5年前に見た蔵王の雪のモンスターのほうが、よっぽどおもしろいし、めずらしいし、貴重な体験だった。
ハワイに行ったときもへんてこりんなテーマパークに連れていかれて、そんなものより海岸でダボハゼでも観察しているほうがよっぽどいいと思ったわたしなのである。

つまり、わたしはやっぱりアウトドア派なのだ。
雪まつりは屋外でやるけど、わたしにいわせればインドアの催し物と大差ない。
子供じゃないからソリやすべり台で遊ぶわけにもいかないし、若者じゃないからスノーボードで一回転することもできず、ただもう人工の建造物をぼけっと見て歩くだけ。
そんなものを見て喜んでいる人間が多すぎるのも不愉快だ。

そういうわけで、つい仏頂面して歩くことになる。
気になったのでまわりを見まわしてみた。
ひとり旅をしているらしい客も、欧米人を含めてたくさんいたけど、みんなまじめな顔で、喜色満面という人間はひとりもいなかった。
もっとも、ひとりで歩きながらニタニタしていたら、病院に電話されてしまう。

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ところでここからが本題だけど、おもしろくないから意味がないということにはならない。
矛盾に聞こえるかもしれないけど、人は楽しむだけの目的で旅をするとはかぎらないのである。
詩人の宮沢賢治は最愛の妹に死なれ、はげしい悲しみに追い立てられるように、樺太、北海道の旅に出た。
こんな旅のいったいどこに楽しい要素があったのか。
彼のこころを癒やしてくれたのは、結局のところ時間の経過だったようだから、この旅は意味のないものだっただろうか。

わたしはそうは思わない。
孤独、絶望、悲しみといったものを感じたいがために旅をする人もいるのである。
温泉に入り、芸者をあげてどんちゃん騒ぎをするのは楽しいだろうけど、たったひとりで海岸をうろつき、われ泣きぬれてカニとたわむるなんて詩を口ずさんでいるのが楽しいという人間もいるのだ。
古来より多くの詩人、文学者が書き残しているように、おもしろくない旅を求めて旅をする人はけっして少なくないのである。

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わたしは34年前のオホーツクの旅を思い出す。
あのときは、たまたま偶然だったけど、紋別と稚内で冬の祭りに出くわした。
紋別では夜中に駅前に行ってみたら、地元の若者がひとりで黙々と氷の彫刻を刻んでいた。
稚内では祭りの最終日に当たり、巨大な雪だるまが地元の子供たちによって引き倒され、無数の風船がいっせいに空に舞い上がった。
このふたつの祭りをよく覚えているのは、そのどちらからも孤独や悲しみが感じられたからだろう。

でも今回の旅も30年後になつかしく思い出すかっていうと、そりゃ無理だな、終活中のわたしには。

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2017年2月11日 (土)

遅ればせながら

トランプさんもきれいな娘にお説教されたそうで、日本の飼い犬みたくなっちゃって、どんどんオバマ化が進んでんな。
この調子で1年後にはアメリカもふつうの国、わたしがごちゃごちゃいっても始まらない。

うれしがって新しいスマホでやたらにブログの更新なんかやりまくっているけど、じつはそんなに大騒ぎするようなことじゃない。
もう7、8年も前に、路上パフォーマンスをしながら外国を旅して、それを逐一ネットに報告していた若者がいたことを、わたしはよくおぼえているし、このブログに何度も登場する熊本のKさんも、キャンピングカーで日本中を移動しながらフェイスブックの更新を続けていた。
たからわたしも遅ればせながら、彼らの域に到達したってだけだ。

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2017年2月10日 (金)

In the Bus

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もうバスの中からさえ更新しちゃうぞ。
新しいスマホによる新世界だ。
ただいま羽田から調布までのバスの中。

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From Sapporo04

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もう最終日だよ。
でも雪まつりを見るだけなら、十分な日程だ。
昨日はススキノで担々麺を食べたあと、午後の3時にはホテルにもどって洗濯をしていた。
おかげでよく寝られたし。
今日は朝の7時に食事に行ったら、もうどこかの団体が準備をととのえて出発するところだった。
こうなると旅行というより行軍だな。
写真は胃袋の小さいわたしの、遠慮がちなホテルの朝食。

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2017年2月 9日 (木)

From Sapporo03

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ご飯の話題ばかりだけど、やっぱり札幌に来たら札幌ラーメンだってわけで、今日はススキノに繰り込んだ。
でも札幌ラーメンの定義ってなんなのさ。
元祖札幌ラーメンの看板も見つからず、そのへんの入りやすそうなラーメン屋に飛び込んで、注文したのが担々麺と餃子。
けっして失望しないいま風の味で、ひさしぶりにニラとニンニクがよく効いた餃子を食べたような気がする。
あとが大変。

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From Sapporo02

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今朝の札幌はこんな感じ。
雪まつりがたいしておもしろくなかったから、今日はホテルでごろごろしてようかと思ったけど、これじゃ出かけないわけにいかんだろうねえ。
ラーメンでも食いに行くか。

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2017年2月 8日 (水)

From Sapporo

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いま札幌の駅ビルの上のほうにあるレストランでメシを食ったところ。
あまり美味しいと思わないし、雪まつりもたいしておもしろくない。
なんか札幌って、期待していたより雪が少ないのね。
写真は新しいiPhoneにて撮影。

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2017年2月 7日 (火)

From Haneda

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いま羽田。
出発までまだ2時間ある。
ケチなわたしは空港の無線LANを利用中。
iPhoneもあるけど、タダより安いものはない。
腹がへったので、待合室でカレーを食べようと思ったら売り切れだって。
まだ12時じゃないか、この。
のれんを返上しろ。
仕方ないからカラアゲ弁当でビールを飲んでるトコ。

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2017年2月 6日 (月)

スマホを買う

知り合いが目のまえで自慢しても、やせ我慢してなかなかスマホに手を出さなかったわたしだけど、先日とうとうアイフォン(iPhone)を買ってしまった。
iPod、iPadであるていど下地ができていたうえ、これだけ附帯機能が増して、スマホが超小型パソコンといっていい機械になったら、わたしが買うのは時間の問題だったわけだ。
ただ、残り時間のすくないわたしには、買うべきか、このままスマホを知らずにあの世へ行くべきかと、決断そのものも問題だったんだけどね。

いままでは無線LANにしばられていたわたしの電子書斎だけど、これからは電話の使えるところなら、知床半島だろうが西表島だろうが、コンサートホール、映画館、万能の百科事典をそなえた、自分専用の書斎を持ち運ぶことができるようになったわけだ。
YouTubeでビートルズもストーンズもジミヘンも、映画「2001年」も見られるし、GOOGLEやウィキペディアで、森羅万象から芸能人のうわさまで、あらゆる疑問について調べられるのである。
ひきこもりに拍車がかかりそうだけど、なんせトシだから、老後のひまつぶしができたほうがずっと大きい。

これまではスマホを体験しないまま人生を終えるものと覚悟していたのに、いざそれを購入すると、こんどはスマホを駆使する未来を知らないで死ぬのが惜しくなってしまった。
あと30年も生きていたら、素晴らしい(あるいは地獄のような)未来が体験できただろうに。
前項で、先の短いのが残念と書いたのはそういうことである。

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わたし、明日から北海道。
札幌の雪まつりを見に行くんだけど、ヒマだからグーグルのストリートビューで、泊まるホテルについて調べてみた。
夏の写真だけど、郊外の新興住宅地みたいなところにあるらしい。
まわりは健全で、ラーメン屋もありそうもない。
でも空港から街の中心に向かう鉄道の「新札幌駅」がすぐ近くで、地下鉄の駅なんかホテルのためにあるようなものだ。
添付した画像がそのホテル。

いちおう無線LANのある宿を予約したつもり、と書こうとして、そうか、これからはそれがなくてもかまわないんだなと思い当たった。
はたして札幌からの更新が、スマホによるブログの更新初めになるかどうか。
なにしろ最初は新しいスマホで、電話の掛け方もわからずにオタオタしちゃったアナクロ人間のわたしのことだ。
雪まつりよりも、部屋でスマホの使い方の勉強をしてるんじゃないか。

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テスト

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いま近所にある飛行場のわきに来て、新しいスマホと古いタブレットを使って、屋外でブログの更新テストをしているところ。
詳しいことは帰宅してから書くつもりだけど、ここに載せた写真もスマホで撮ったもの。
ああ、こんなことをしてると、先の短いのが残念だ。

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2017年2月 5日 (日)

WANTED

Ko

昨日はアル中にならないためにという講習会に参加してきた。
なにをするのかと思ったら、そういうビデオを見せられて、かんたんな講義を受けて終わり。
でもビデオにしても、あまりに一般論だよな。
もともとアル中の気のある人なら注意ごもっともだと思うけど、わたしみたいにアル中になりにくい体質の人はどうなのさ。
わたしは毎日お茶がわりに酒を飲んでいるけど、うまいと思って飲んでるわけでもないし、量はどんどん減っているし、ないからといって飢渇感を感じるわけでもない。
酒を飲まないと眠れないわけでもないし、酒がなくても(困るくらい)よく眠れてしまうのだ。
つくづくつまらない人生だなと思うこのごろ。

ところでアル中になりやすいから注意したほうがいい熊本のKさん。
いつまで押入れに頭を突っ込んで雌伏してんのさ。
あ、春まで待てってことね。
それならもう少しだ。
うん、期待してますよ。

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2017年2月 4日 (土)

野鳥たち

Bird

ベランダで洗濯をしながら、ふと庭の立木のあたりをながめたら、ちょっと変わった小鳥が見えた。
おお、これはおもしろいと、双眼鏡を持ち出してバードウォッチングをしてみたら、ほんの10分ほどのあいだに見られたのがこの6種の小鳥。
我が家は愛鳥家にとって天国みたいな家だ。

上左から、シメ、コゲラ、ヒヨドリ、下左から、ムクドリ、オナガ、シジュウカラ
わたし野鳥用の望遠レンズ持ってないから、これはぜんぶネットで見つけた写真。

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2017年2月 3日 (金)

進化するIT

新聞にあいまいな発言を理解するPCという記事。
おなかがすいたとぼやくと、そういう人間の気持ちをいちはやく察し、好みまで分析して、たとえば近くのラーメン屋を紹介してくれたりするんだそうだ。
これってお節介だよな。
だいたい、いまでもうちのパソコンは、人がぼやくより先に、ハワイはいかがですか、チェンマイに行きませんか、沖縄はどうですかなんてことをしょっちゅう表示してるぞ。

ホント、おおきなお世話。
わたしが旅行のことを考えたって、その半分ぐらいは、ただ空想の世界をうろつくだけで満足してんだよ。
こういう、一見無意味な趣味に没頭するところが、人間とPCの違いだ。
そういうところまで先読みして、こいつは無芸大食の人間ギライ、ほっとけって結論を出してくれるならいいけどねえ。

あいまいな発言にすばやく反応する人間なら、役人の世界にゴマンといる。
豊洲に移転したい慎太郎サンが都知事になると、諸般の事情は無視してそっちの方向にレールを敷く。
反対派のユリコさんがトップになると、それって反対方向にならえ。
考えてみると、日本はこんなふうに相手の呼吸を飲み込むってのが、むかしから得意だったよな。
ようやくPCが人間の足もとに肉薄してきたのかと、ちっとは感慨がアリマス。

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2017年2月 2日 (木)

雪まつり/書物

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わたしはもうすぐ札幌の雪まつりを観に行く予定だけど、例によってホテルで読む本を考えた。
雪の中をうろうろするより、ホテルで風呂につかり、部屋でビールでも飲んでいる方がいいという、はなはだ不真面目な旅人であるわたしは、一方で典型的な夜型人間なので、夜中に目がさめると退屈してしまう。

うーんと考えたあげく、34年前の旅でもリュックにぶち込んでいった、更科源蔵の「北海道の旅」という文庫本を思い出した。
この本は文庫本でせいぜい2から4ページていどの独立した記事がいくつも並んだものなので、どこから読んでも、どこでやめてもかまわないというところが、気ままな旅の道づれにふさわしい。
記事はすべて、せいぜい昭和までの北海道に関するもので、現代の旅の参考にはならないけど、そのかわりこれはとっくに失われた、現存しない土地へのバーチャル旅行を味あわせてくれる本でもあるのだ。

著者の源蔵さんはアイヌ研究者としても知られる詩人で、この本ではアイヌの伝承や開拓の歴史から始まり、各地の風土記というべきエピソード、そして文章のいたるところに石川啄木や与謝野晶子夫妻、岩野泡鳴、島木健作など、北海道を旅した先人たちの詩や歌が挿入され、日本の北欧というべき土地が、哀感と、さわやかな詩情をもって語られる。
わたしには旅の思い出とともに忘れられない本なのである。

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で、またこの本を旅の道づれにと思ったけど、終活中のわたしはとっくにこの本を処分してしまっていた。
でも、たかが文庫本だ。
なければまた買うさと、ネットで新潮社を検索してみた。
ところがこの本はすでに廃刊になっているらしい。
それなら図書館に当たればいいと思い、調べてみると、わたしがよく利用する武蔵野プレイス(武蔵野市営図書館)には置いてなかった。
しかし本屋にも図書館にもないならオークションがある、ネット上の古本屋がある。

アマゾンをのぞいてみると、この本がいくつか出品されていることがわかった。
値段は1円である。
これじゃ送料のほうが確実に高い。
梱包する手間を考えたら割があいそうもないけど、ここは出品した本屋の、どんな本でも読者がいるかぎり、儲けを無視してでも提供しようという善意を信じよう。

ということで更科源蔵の「北海道の旅」を持参することにした。
詩というものは音楽と同じ脳中枢に訴えるものだから、この本とともに旅をするということは、わたしにとってiPodを持って旅をしているようなものだ。
いまは本物のiPodがあるけど、むかしはまだアップルどころか、パソコンすらなかった時代なんだけどね。

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2017年2月 1日 (水)

ユリコさん

ふり上げた手の持っていき場が、ことごとく想定外に迷走しちゃって、困ったユリコさんが、今朝の新聞では、慎太郎サンの責任再検討はアタシの立案ですなんて、自慢そうにおっしゃってる。
彼女にしてみれば、7月の都議選で自分の息のかかった議員を増やしたいんだろうけど、ほかに人気の浮上策が見当たらないんで困っているみたいだ。
あ、これって例の豊洲の移転問題ね。

彼女は移転問題の責任は前任者にもありきって考えらしいけど、でも都知事が役人の進言の是非について、いちいち確認なんかしてられるか。
そりゃ最終責任はときの都知事の慎太郎サンにあるとしても、彼は役人の書類にハンコを押すだけのヒト。
あきらかな賄賂でももらったとか、私的に無駄遣いをしたのなら別だけど、建設の専門家でもない彼に責任を押しつけて、裁判で勝てると思ってんだろうか。

先日は寄り合いのまえに図書館に寄ってSAPIOを読んだ。
今月号では、大前研一さんの意見がわたしとほぼ同じ。
ユリコさんの政治は、敵を作って、それを攻撃することでポイントを稼ぐものだという。
自分がひっかきまわした都政の混乱を収拾させるために、彼女は今度は前の都知事を標的にしたようにみえる。
芥川賞作家の慎太郎サンが文書で回答するといってるのに、もうボケ老人にちかい彼をむりやり法廷にひっぱり出してどうしようってのか。

これってブーメランだぞ。
ユリコさんのおかげで豊洲の魚市場、オリンピックの経費がふくらんだって訴訟を起こされたら、彼女はどう落とし前をつけるのか。
アタシは都民の健康を願い、無駄な支出を抑えるために政策の見直しをしただけで、損害が出ることなんか考えていませんでしたっていうんだろうか。
でも結果的には損失が出たわけだから、やっぱりユリコさんになんとかしてもらわなくちゃという意見が大勢になったら、ひどいわ、ひどいわ、そんなの無理よと泣きくずれるのだろうか。
もうちっと泳がせておこうと、週刊文春と新潮がにやにやしながら、彼女をうかがっていることに気がついてないな(わたしの想像だけど)。

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雪まつり/思い出

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この7日から、札幌の雪まつりを見にいくわたし。
またぞろ世間からうしろ指さされそうな不穏な空気を感ずるけど、止めてくれるな、おっかさん(わたしの母親は2年まえに亡くなった)。
もはや、止めて止まらぬ酔いどれ李白たぁおいらのことさ。

わたしは北海道に、これまで2回行っている。
旅行好きにしては意外かもしれないけど、両方とも30年以上まえのことで、それ以来いちども北海道に足を踏み入れたことがない。

初めての北海道旅行は、友人とレンタカーを借りて、苫小牧に上陸し、根室、網走、稚内と、北海道の東半分をぐるっと周遊する旅だった。
この友人というのは、このブログでもふれたことがあるけど、結婚して間がないのに、新妻と赤ん坊をおいて、よその娘と心中してしまったひどい男である。
ただしわたしは、ひょっとすると彼の気持ちをいちばんよく理解していた人間かもしれないから、世間並みの常識で彼を非難することはしない。

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2度目の北海道は、登山リュックを背負い、ひとりで冬のオホーツクを見に行こうというものだったから、どっちかというと登山の延長みたいなものだった。
じつは今回の北海道旅行では、最初、その旅をもういちどなぞってみようかと考えた。
それは34年前の、ちょっと世間より遅れたわたしの青春を回顧する、すてきに郷愁に満ちた旅になるのではないか。
そう思ったけど、しかし現在のわたしにその当時の体力はないし、そもそも当時の旅をなぞるのはもうゼッタイに不可能なのだ。
わたしはローカル鉄道や路線バスを乗り継いで旅をしたのだけど、そのとき乗った鉄道の多くが、現在では廃線になって、地上から永遠に失われてしまっているのである。

わたしの乗った鉄道で、その後廃線になったものを挙げてみよう。
深川から名寄まで乗った深名線。
この途中には朱鞠内という部落があり、そこは過去に日本で最低気温を記録したところだというので、わたしはそこがどんなところか見たかったのである。
名寄から紋別まで乗った名寄本線。
興部から雄武までと、北見枝幸から浜頓別まで乗った1両編成の興浜線。
これはオホーツクの海岸線をはしるので、冬はそのものずばりの流氷列車になる。
浜頓別から稚内まで乗った、そのロマンチックな名前が魅力だった天北線など。

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廃線の理由はへんぴなところにあって、利用者が少ないせいだから、わたしはこの鉄道に乗っているあいだ、いたるところでけものの足跡が残る、人跡まれなシベリア的風景を見ることができた。
座ったままそうした体験ができる貴重なものを、どうして日本は失ってしまったのだろう。
添付した写真は、そのときの旅の写真の一部。

当時でさえ鉄道は切れ切れだったから、そのあいだは路線バスを使うしかなかった。
地元の小中学生やおばさんたちと、バスに乗り合わせ、吹雪の国道を行くと、白い雪が道路上をヘビのようにくねってゆく。
窓外の海岸を埋め尽くしたまっ白い流氷の群れ。
ま、路線バスはいまでもあるかもしれないけど、ぬくぬくとした車内に座ったまま、そういうものを見られる幸福。
ああ、あのころに帰りたいわあ。

過去の思い出をなぞりたい願望はあるものの、けっきょく不可能をすなおに認め、今回はおとなしく、まだいちども見たことのない札幌の雪まつりでお茶をにごすことにした。
観光名所や混雑がキライなわたしだけど、まあ、大半の時間はホテルにこもり、雪まつりはちらほら見るだけで満足するつもりだから、それほど問題はあるまい。
ジジ臭いかも知れないけど、若い女の子から見ると、わたしはほんとうにじじいなので、ススキノあたりで行き倒れてもだれも驚かないハズ。

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作家の内田百閒センセイに阿房列車という小説がある。
これはアホウ列車をもじったタイトルだけど、わたしの場合はぜんぜんもじらない、そのものずばりのアホ旅行で、たいていは最初の意気込みがずっこけることになっているから、あまり期待しないこと。
そう前置きをしておいて、また阿呆旅行の始まりだ。

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