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2017年2月 1日 (水)

雪まつり/思い出

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この7日から、札幌の雪まつりを見にいくわたし。
またぞろ世間からうしろ指さされそうな不穏な空気を感ずるけど、止めてくれるな、おっかさん(わたしの母親は2年まえに亡くなった)。
もはや、止めて止まらぬ酔いどれ李白たぁおいらのことさ。

わたしは北海道に、これまで2回行っている。
旅行好きにしては意外かもしれないけど、両方とも30年以上まえのことで、それ以来いちども北海道に足を踏み入れたことがない。

初めての北海道旅行は、友人とレンタカーを借りて、苫小牧に上陸し、根室、網走、稚内と、北海道の東半分をぐるっと周遊する旅だった。
この友人というのは、このブログでもふれたことがあるけど、結婚して間がないのに、新妻と赤ん坊をおいて、よその娘と心中してしまったひどい男である。
ただしわたしは、ひょっとすると彼の気持ちをいちばんよく理解していた人間かもしれないから、世間並みの常識で彼を非難することはしない。

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2度目の北海道は、登山リュックを背負い、ひとりで冬のオホーツクを見に行こうというものだったから、どっちかというと登山の延長みたいなものだった。
じつは今回の北海道旅行では、最初、その旅をもういちどなぞってみようかと考えた。
それは34年前の、ちょっと世間より遅れたわたしの青春を回顧する、すてきに郷愁に満ちた旅になるのではないか。
そう思ったけど、しかし現在のわたしにその当時の体力はないし、そもそも当時の旅をなぞるのはもうゼッタイに不可能なのだ。
わたしはローカル鉄道や路線バスを乗り継いで旅をしたのだけど、そのとき乗った鉄道の多くが、現在では廃線になって、地上から永遠に失われてしまっているのである。

わたしの乗った鉄道で、その後廃線になったものを挙げてみよう。
深川から名寄まで乗った深名線。
この途中には朱鞠内という部落があり、そこは過去に日本で最低気温を記録したところだというので、わたしはそこがどんなところか見たかったのである。
名寄から紋別まで乗った名寄本線。
興部から雄武までと、北見枝幸から浜頓別まで乗った1両編成の興浜線。
これはオホーツクの海岸線をはしるので、冬はそのものずばりの流氷列車になる。
浜頓別から稚内まで乗った、そのロマンチックな名前が魅力だった天北線など。

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廃線の理由はへんぴなところにあって、利用者が少ないせいだから、わたしはこの鉄道に乗っているあいだ、いたるところでけものの足跡が残る、人跡まれなシベリア的風景を見ることができた。
座ったままそうした体験ができる貴重なものを、どうして日本は失ってしまったのだろう。
添付した写真は、そのときの旅の写真の一部。

当時でさえ鉄道は切れ切れだったから、そのあいだは路線バスを使うしかなかった。
地元の小中学生やおばさんたちと、バスに乗り合わせ、吹雪の国道を行くと、白い雪が道路上をヘビのようにくねってゆく。
窓外の海岸を埋め尽くしたまっ白い流氷の群れ。
ま、路線バスはいまでもあるかもしれないけど、ぬくぬくとした車内に座ったまま、そういうものを見られる幸福。
ああ、あのころに帰りたいわあ。

過去の思い出をなぞりたい願望はあるものの、けっきょく不可能をすなおに認め、今回はおとなしく、まだいちども見たことのない札幌の雪まつりでお茶をにごすことにした。
観光名所や混雑がキライなわたしだけど、まあ、大半の時間はホテルにこもり、雪まつりはちらほら見るだけで満足するつもりだから、それほど問題はあるまい。
ジジ臭いかも知れないけど、若い女の子から見ると、わたしはほんとうにじじいなので、ススキノあたりで行き倒れてもだれも驚かないハズ。

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作家の内田百閒センセイに阿房列車という小説がある。
これはアホウ列車をもじったタイトルだけど、わたしの場合はぜんぜんもじらない、そのものずばりのアホ旅行で、たいていは最初の意気込みがずっこけることになっているから、あまり期待しないこと。
そう前置きをしておいて、また阿呆旅行の始まりだ。

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