雪まつり/コショウジ君の4
オホーツク海に沿って南下してきたコショウジ君は、サロマ湖のあたりで雨に降りこめられ、YHに3日間缶詰になってしまった。
彼の日誌の欠点はこういうところにあって、缶詰になってるあいだ何をしていたのかという記述がぜんぜんない。
このあと網走から斜里に移動したというだけで、網走刑務所の名前もぜんぜん出てこないのである。
映画「網走番外地」は、まだこの3年前に第1作が公開されたばかりだったから、知らなくても不思議じゃないけど、たぶん彼には名所旧跡を見てまわろうという意識がまったくなかったのだろう。
おおげさにいえば、彼は十字架を背負ってゴルゴダへの坂道を登るキリストみたいなものだったのだ。
自分を苦しめることで自らを救済するという不動の信念があるのみで、観光という軟弱な要素はまったくなかったにちがいない。
もっとも貧乏旅行では先立つものもなかったはずだけど。
そういう点ではやっぱりわたしは自虐の精神にとぼしい。
わたしは34年前の旅では、クッチャロ湖のほとりにある「北オホーツク荘」という国民宿舎にも泊まった。
風力発電用の風車がそびえるでっかい建物だった。
国民宿舎だからけっして贅沢したわけではないけれど、YHみたいに昼間から部屋でごろごろしていてはいけませんなんてことをいわないのがよかった。
そんなノーテンキな旅のわたしは、夜中にに小便に起き、はなれた場所にあるトイレに行って、帰りに廊下の窓から外をながめた。
駐車場のかどの街灯の光の中に、雪がしんしんと降りそそいでいるのがわかった。
寝静まった宿の廊下でただひとり、音のない世界から音のない世界へ舞い落ちる雪をながめる。
こういう光景をしっかり胸に刻むのがわたしの旅である。
記述が少ないのが欠点だけど、コショウジ君も旅のあいだ中、同じような感慨をしょっちゅう持っていたのではないか。
旅のあい間に母親の叱責となげきを聞くこともある。
そんなホームレスみたいな生活ばかりしてないで、ちゃんとまじめに働かんかいと母親はいうんだけど、なんでそんなにガツガツして働かなければいけんのとコショウジ君は反論する。
食わにゃいけんだろうが。
大丈夫、まだ2万円ある、ひと月8000円で暮らせるからから、あと2カ月半は旅を続けられる。
馬鹿だねえ、この子は。
わたしの愛情が足りなかったのかねえ。
こんな母親のなげきには、さすがの彼も耳をふさぎたくなったんじゃなかろうか。
これすべて、親不孝をしている彼の自責の念が生み出した想像のやりとりなんだけど、わたしにもその気持ちがよくわかるのだ。
世間には若いころから一直線に、生きていくための努力を惜しまない人がいる。
その反面、コショウジ君やわたしのように、途中で停滞してしまう人もいる。
人間はだれも努力をすべきであると、しごくまっとうなことをいう人の気持ちもわかるけど、人間は同じ条件で生まれてくるわけじゃない。
だんだん怠け者の屁理屈になってくるから、これ以上はいわないけど。
このあとコショウジ君は内陸部を目指し、気息えんえんで石北峠を越える。
途中でダンプが落としたジャガイモを拾ったり、ヘビをつかまえてしばらく旅の道連れにしたり、かわいい女の子に誘われて無理して大雪山のロープウエイに乗るというエピソードをはさみながら、富良野のつれこみ宿に転がりこむのである。
休憩のつもりで転がりこんだわけではなく、バイトのつもりで働いたんだけど、こきつかわれたとぼやくあたりで彼の日誌は終わっている。
このあとリヤカーをそのへんの農家にあずけ、彼は釧路からフェリーに乗って帰京するのだ。
34年前のわたしのオホーツクの旅、それよりさらに15年さかのぼるコショウジ君の旅。
おたがい歴史には残りそうもないちっぽけな青春だけど、このブログをその小さな記念碑にして、彼の旅日記を終えることにする。
日誌を託されてそのままにしていたことが、ちょっとこころの重荷になっていたけど、これでわたしもようやく解放されるわけだ。
その後のコショウジ君は、縁があって妻子を持ち、まじめに働く子煩悩な父親になって、わたしよりはまともな生活を送ったみたいである。
そして放浪へのあこがれをときどきの山歩きでまぎらわしていた。
彼のことを知ったのは、その山歩きグループのメンバーのひとりからである。
わたしはときどき考える。
コショウジ君は家族との夕餉の時間などに、いまでも思い出すことがあるんだろうなって。
北海道をさまよっているとき食べた麦6米4のメシや、きざんだタマネギだけの味噌汁、拾ったジャガイモの味などを。
黙々と歩き続けた砂利の道、手に残るリヤカーの重さ、親切な人々、出会った風来坊たち、そんな貴重な青春の数々を。
何万という人間の中に、ひとりやふたりはそういう奇矯な人がいたっていいではないか。
あ、また怠け者の屁理屈みたい。
彼に連絡をとろうと思えばとれそうだけど、引っ込み思案のわたしは、日誌を託されただけで、それ以降いちども彼と会ってないのである。
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