« 雪まつり/コショウジ君の4 | トップページ | テレビ電話 »

2017年2月27日 (月)

閑話休題

H001_3

コショウジ君の旅や、わたしのむかしの旅をつづっているうち、古い友人のことを思い出した。
このブログで過去にも何度か触れているけど、わたしの最初の北海道旅行に同行したHという男である。
彼は結婚して2人めの子供が生まれたばかりというのに、昭和64年(1989)のある日、とつぜん奥さんとはべつの若い娘と、福井の山中で心中自殺をしてしまった。
長く生きていれば、だれでもひとりやふたりは、こんな不幸な人生を間近に見るのかもしれないけど、それでもわたしはこの男のことが忘れられない。

H002b

わたしは一時期、埼玉県の大宮にあった会社で彼といっしょに働いていた。
同じ寮で寝起きし、いっしょに呑み食いに行ったりしたものだから、彼がどんな生い立ちをしてきたか自然に知ることとなってしまった。
そればかりか、彼が若い女と同棲したりするのを間近に見て、それほど頭がいいわけでもないのに、えらく女にモテやがんなということまで、みんな知ってしまった。

とくによくおぼえているのは、彼が幼いころ親に捨てられ、孤児として施設で育てられたということである。
わたしはぼそっと聞いてみたことがある。
それじゃお母さんに会いたいだろう。
すると彼は、子供を捨てるような親に会いたくないと、吐きすてるように答えた。
同じようなことを、わたしは自分の母親からも聞いたことがある。
ひねくれちゃはいるものの、そんな体験のないわたしには意外な返事だった。

でもその憎しみは恋しさの裏返しだったと思う。
わたしの母親は生き別れになった祖母に会いたくて、子供のころ、ひとりで何度も祖母の実家まで通ったといっていた。
現在の若い夫婦にいっておくけど、安易な離婚が子供のこころに取り返しのつかない傷を負わせることがあるのだ。

・・・・・・もっともあまり離婚・再婚が日常的風景になって、近ごろのガキはそのくらいじゃへこたれないって説もあるけれど。

Hのしたことは、ふつうに考えれば無責任である。
自殺することで彼は自分の悲しい運命を、そのまま自分の子供に引き継いでしまった。
でもわたしは(無神論者だけど、人間を支配する運命のようなものは信じているので)人間が自分の運命を変えられるとは思わない。
しょせん、なるようになっただけさ。
彼の子供も将来だれかと心中するかもしれないけど、わたしにいったい何ができるだろう。

この3枚の写真は、オホーツクひとり旅の1年前、わたしがHと2人で北海道の東部をめぐったときのものである。

H003bg

わたしは三重県にあるHの墓も知っているけど、いまではそこに骨すら残っていまい。
彼には身寄りもほとんどいなかったから、そんな遠方まで墓参りに行こうという人がいるだろうか。
よその女と心中したくらいだから、奥さんや子供からもうとまれているだろうし、その奥さんだってとっくに再婚しただろう。

そんな踏んだり蹴ったりの男の顔写真を公開していいものか、ちょっぴり悩んだけど、かまうものか。
ここに載せたのは、顔もほとんど知らない親から生まれて、寄る岸べもないままに土に還った悲しい男の写真である。
彼のことを気にする人間は、広い世界にもはやひとりもいないだろう。

わたしだって先は長くない。
このブログ記事は、Hという男が生きたということの証明であり、そのささやかな記念碑のつもりである。
またひとつわたしの重荷が解消した。

|

« 雪まつり/コショウジ君の4 | トップページ | テレビ電話 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 閑話休題:

« 雪まつり/コショウジ君の4 | トップページ | テレビ電話 »